★ チ ャ ッ プ リ ン と ラ リ ー ・ シ ー モ ン




 タルホは、いわゆる「三大喜劇王」に対しては、どのような見方をしていたのか。ここでは、それについて見ていくことにします。なぜなら、タルホは多く彼らとラリーとを対比しながら、ラリー・コメディーの特質を明らかにしているからです。
 ラリー・シーモンの映画と出会う以前から、タルホはチャップリン、ロイド、キートンらの映画を観ていたはずです。この「三大喜劇王」の中で、ロイド、キートンについては、タルホはほとんど問題にしていません1。しかし、チャップリンに対しては、ラリーとはタイプを異にしたコメディアンであるにもかかわらず、大いなる評価を与えているのです。そればかりか、ラリーを知る前は、チャップリンを「来るべきもの」の一人として考えていたことがわかります。

 「よりハツキリと現代ならびに近い将来を意識してゐる人には、フアウストよりも巻煙草一本の価値をみとめ、セキスピアよりチャリーチャップリンに、より重要な芸術的使命をおはせるといふ言語道断な哲学さへも考へかけられてゐる。そのとほり、かう云ふ私たちにとつても、この新興芸術のコメデアンに、光栄あるこの世紀の初頭にたゞ一つの転化にのみ見出される生活の真理を説いた、あのアンリーベルグソンと同等の名誉をあたへるのにためらはない」

 これは、ラリーの名が最初に登場する「私の耽美主義」2の別の箇所に述べられているものです。すなわち、ラリー・シーモンを「発見」したあとの文章ですから、チャップリンに対するこの最大級の讃辞3は、むしろ意外な感じさえします。同様に、「僕が立派な芸術家として許されるのはひとりチヤリーチヤツプリンである。廿世紀にをけるこの発見についても、世人は他の似て非なるものと混同してゐるが、本物は只目をもつた少数に確認されてゐるから大丈夫である」(「オートマチツク・ラリー」)と、ここでもチャップリンに対しては絶対的な評価を与えています。
 一方、ラリーについてはどうでしょうか。「そのはかないほどの上品さはロイドと比較にならず、超人情性はチヤツプリンよりはるかに新らしい」(同上)と述べ、初めてここで「超人情性」という言葉によってラリーとチャップリンとを対比した視点を提示しています。これはタルホが「笑国万歳」を観て、ラリーの資質を確信した結果だろうと思われます。ラリーの独自性を発見したタルホは、その後次第にチャップリンとの違いを明確にしていきます。
 「この白粉をぬつた廿世紀ピエローの顔を見ると、これはマクセンネツト4やチヤツプリンに見えそめたものが、未来の世界へ、展開しようとするたしかな点の一つであるとさへ僕には思へてくる」(「ラリイシモン小論」)。これは、喜劇映画という新しいジャンルに芸術性を見ようとしていたタルホが、ラリーの出現によってそれが間違いでなかったことを確信し、さらにラリーのうえにコメディー映画の未来の姿を重ね合わそうとしているのだといえます。言い換えれば、タルホはここにその旗手役をチャップリンからラリーへと交代させたことになります。
 「チャリー、ロイドに代表されるコミックは、元来笑い5そのものが私たちのなかの機械的要素に基礎を置いたものであるから、またムービィランドの市民としてより有利な資格をもつ。しかも、そのチャリー、ロイド、キートンにしてなお涙の世界の受持が絶対にできぬとは云わせぬ種類と見たら、ここにマックセネットをこえてオートマチックビュウティの或る位置をこしらえあげたこと、これぞかかる形式に最もふさわしい内容とさえ感じられるラリイシーモンの独自性がもち出される」(「形式及内容としての活動写真」)と、ここでは先の「超人情性」の意味するところをいっそう具体的に明らかにし、ラリー・シーモンのコメディーこそが映画(活動写真6)という形式に最もふさわしいものであるとしています。そして、「君は大いなるチャーリー・チャップリン、可憐なるハリー・ランドンよりも良い条件におかれている。何故なら、あとの二人は、人間の悲哀をユーモアとセンチメントに紛らわせているが、君は一歩躍進して、オートマチックな世界まで飛び出しているからだ」(「ラリー・シーモンの回想」)と、コメディーにおけるラリーの前衛性を繰り返し説くことになります。
 チャップリンに対しては、「チヤップリンは上品なものである。が、つひに lonely Charlie であるかぎり、彼は廿世紀のこの形式を大へんによく応用した縁日香具師(セキスピヤもさうだから尊敬の意味)と云へるにすぎぬものである」(「「ラリー将軍珍戦記」を観て」)などと、皮肉めいた言い方もしています。しかしながら、これは決して否定的な意味ではありません。ラリーの前衛性を認めながらも、チャップリンに対しては、タルホは常に文字どおり「尊敬」の念を抱いていました。それは次のような言葉からも明らかで、この2人に対する当時のタルホのスタンスがここに集約されています。

 「そんな一つの天才と芸とによつて作品をこしらへる点は、他にチヤリーがあるばかりである。さう云へば、この二人は共にサーカスの匂ひがして芸人であることを想はせる。チヤップリンには哲学があるなど云はれ、それは吾々がそこに或さびしさを感じて、或絶望を持つてゐる人のやうに思ふところから出るのであらうが、ラリーとてもそれと同じである。……一たいにコミーデアンといふものは絶望から出発しなければならないものであるが、それがチヤリーとラリーとにおいては最も模範的である。ちがふのはチヤリーがなほユーマアとセンチメントの世界に止りそこにひろく吾々が考へなければならない問題を暗示しようとしてゐるのに反し、ラリーの場合においては、かなしみがマジツクと曲芸の世界へとび出してしまつた。チヤリーと女とくつゝけるのは面白い。しかしラリーにおいてはそれがゼンマイ仕掛でなければまるで調和しない。しかもチヤリーが吾々に涙をたゝへさせるがごとく、笛のうなりともろ共舞ひ落ちるラリーは、何かしら胸を迫らせる或物によつて、こゝにはこんな真実もあるといふことを示してゐる。そしてそんな僕に感じられるものから云へば、制限的であるだけラリーには吾々に取つて切実なものがある。チヤップリンにはまだ嘆きとしての嘆きであるものが、シーモンにおいてはオートマチックな効果を持つものに変つてしまつてゐる。……この点では、チヤリーチヤップリンと共に、活動写真芸術といふものを真に生じ得た一人であらう」(「ラリー・シーモンの芸風」)。

 これはラリーの没後に書かれた文章ですが、その後も、「もしここに活動写真を使つた芸術といふものを仮定するなら、それはコメディと呼ばれてきたものとタイトルとが暗示するみちであらうと私には考へられる。……私はその純粋な例を――CHAPLIN―LARRY SEMON―HARRY LANGDON――などいふ少数の天才者によつて製作されたもののなかに認めてきた。こんな天才者は、むろん私たちにおける機械といふことをより知つて生れ付といふほどの意味であるが、実際、フラツシユバツクといふことにしてもチヤプリンのごとき人物に、しかもその止むを得ざる場合に限つてこそ用ひらるべきであつて、誰も彼もがまねをしてよいやうなものではない」(「映画のつまらなさ」)と、チャップリン、ラリーのほかにここではハリー・ラングドンを加えた3人に、「天才」の名を冠して称揚しています。

 以上見るように、チャップリンに対してタルホは、少なくとも1930年頃まで7は、ラリーとの資質の違いを明らかにしながら、なおも「立派な芸術家」「大いなる」あるいは「天才」などという呼称で、その芸術性をきわめて高く評価していることがわかります。

 さて、その後長い空白の期間を隔て、戦後になると彼らに対するタルホの見解はどのように変化したでしょうか。

 「ユーモアは、エスプリに出るもの、叡知的デリカシイという点で、ウイットに似ているが、まだ人生と真正面に取ッ組んでいない。ユーモアとても、全人格的な憂鬱の排け口だということではまじめなものだ。でも、あそびの範囲を抜けない。ウイットに見られる直観的なスリルがそこにはない。
 「街の灯(シティライト)」の漂泊者チャップリンが、女児を伴うてニヤリと笑を洩して向うへ去って行く……They went on だ。ユーモアであると共にウイットである」

 これは1949年に発表された「日本人とは?」8という作品で、「ユーモア」と「ウイット」とを対比して述べている一節です。そこにはキリスト教と実存主義とが投影されているのですが、ただ、チャップリンに対して言わんとしているところは、もうひとつ釈然としません。

 「「笑い」はもともと人間の裡なる機械的要素に発生し、幾何性のエッセンスとも云うべきものであるから、最初からスクリーン向きである。それもチャップリンはまだ涙の世界の受持が可能で、彼は実は旧人情を映画的に利用したに過ぎないけれど、ラリー=シーモンに到って初めて、臭素加里の匂いがした偽時間と偽空間にふさわしい役者が生まれた。これは、マックセネット式どたばた騒ぎを幾何学にまでもたらそうとするものであった」

 これは「僕の触背美学」9の一節です。「僕の触背美学」は先の「形式及内容としての活動写真」を戦後になってリライト10したものですが、ここに述べられているところは30年近く前の見解と特に変わるところがありません。「臭素加里の匂いがした偽時間と偽空間」とはつまり映画を指しているわけですが、ただ、ラリー・シーモンのコメディーを「幾何学」というタルホ・キーワードに置き換えている点が注目されます。すでに「形式及内容としての活動写真」において「幾何性」と「代数性」11というキーワードを提示しているタルホですが、ラリーに対して直接その言葉を結びつけたのは、これが最初です。とすれば、ここでチャップリンに対しては、暗に「代数性」が対比せられているのでしょう。すなわち、ここに至って初めて2人は「タルホ論理学」というべきもののなかに明快に位置づけられたことになります。
 この「代数性と幾何性」は、「化学と物理」あるいは「生理学と物理学」などといったタルホ・キーワードと相似形を成すもので、「少年愛の美学」12によると次のようになります。

 「だぶだぶズボンの、下ぶくれの頬っぺたをした西洋の太郎冠者が材木の一端につかまりながら、お臀を突き出した姿勢のまま製材会社の上空から下ってきて、その直下に廻転している丸鋸の歯をお尻の割目にそうて受けて、パリパリッと粉を上げる。ナイトクラブの白いボーイ服をまとうた大年増の西洋喝食は、踊子の脣の先から、麦藁の管を通して、自身の口中へ煙草の煙を浣腸されたり、パイを盛った大皿をお客様の禿頭の直上に落して、目も口も鼻も耳も見当のつかない、コプロラグニー的のっぺら入道に仕立てたりする。チャップリンにはこういう怖ろしさが見られない。彼は(ハリー・ラングドンのように)電線にひっかかった破れ凧、刈入れが終ったあとの田圃の鳥威し、尨犬が銜えて振廻している綿のはみ出た人形にまでも来ていない。それは彼が、(生理学的な)ユーモリストではあっても、(物理学的な)コメディアンではないことに依っている。云い換えると、彼はまだ「時間的」(風俗)であって、「空間的」(オブジェ)ではない。彼はついに、軟派にとどまっている」

 このなかで、「西洋の太郎冠者」はハリー・ラングドン、「大年増の西洋喝食」はラリー・シーモンを指しているのでしょう。ここではさらに「生理学」と「物理学」13、あるいは「時間的」と「空間的」14というキーワードによって彼らを対比させています。そして、これまでの表現にはどちらかというと婉曲さが窺われていたのが、ここでは両者の対比が直截簡明になり、チャップリンに対しては「反発」のニュアンスさえ感じさせます。
 ここに用いられているキーワードもまたタルホ論理学のなかで非常に重要な役割を担っているものです。しかし、それについてはまた然るべきテーマの下に議論されるべき問題だと思われますので、ここではそちらの領域に立ち入らず、その関連性を認識しておくにとどめます。

 映画(活動写真)に対するタルホの基本的な姿勢は、「活動写真が時空の形式をとり入れたものであったら、その時間とは云うまでもなく歯車の廻転というようなところにまで抽象されているものである。それならば、それにふさわしいつれ合いであるべき空間も、即ちフィルムの内容をなしているものも、やはりそれだけの様式化された或物でなければならぬ」(「形式及内容としての活動写真」)という点に集約されます15。このような視点から活動写真をみたとき、この新興の「形式」に最もふさわしい「内容」としてタルホが挙げたものは「笑い=コメディー」でした。この論理の妥当性はともかく、当時、この世界の牽引者であったチャップリンに対して、タルホは来るべき芸術を体現する人物として期待と尊敬の念を抱いていたのでした。ところがその後、ラリー・シーモンというコメディアンを発見したとき、タルホは瞠目しました。なぜなら、大人だか子供だかわからないような風貌と、オートマチックでゼンマイ仕掛けのような動きのラリーによって、みずから標榜する耽美世界の一面が、スクリーン上において見事に具現されていたからです。同じコメディーとはいえ、チャップリンがユーモアやセンチメントに傾きがちなのに対し、ラリーのコメディーはそういった人間的な情感から超絶した世界でした。そのアンチ・ヒューマニティにタルホは激しく共振したのです。
 そして後年に至り、タルホの思想的根拠がA感覚理論へ向かってより統一的に収斂されていくなかで、「チャップリン」と「ラリー」はそれぞれキーワードと結びつけられることによって記号化され、タルホ論理学ないしはタルホ形而上学を形成する無辺のネット(網目)の結節点の一つとなっていったのです。



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n o t e s


1問題にしていません
 ハロルド・ロイドについては、「オートマチックラリイ」(『稲垣足穂全集1』、p.284)、「形式及内容としての活動写真」(『全集1』、p.451)、「『ラリイ将軍珍戦記』を観て」(『全集12』、p.166)、「浪花シリーズ」(『全集9』、p.483)参照。
 バスター・キートンについては、「形式及内容としての活動写真」(同上、p.451)、「『ラリイ将軍珍戦記』を観て」(同上、p.166)、「わが一九二三年のマニフェスト」(『全集1』、p.278)参照。

2「私の耽美主義」
 以下、出典については前掲「タルホ=ラリー・クロニクル」のページ参照。

3 最大級の讃辞
 「アンリーベルグソンと同等の名誉をあたへるのにためらはない」云々という言葉は、のちになってさすがにためらわれたのか、戦後の改訂では削除されることになります。それでも1928年の『天体嗜好症』収録版までは、そのまま用いられています。

4マクセンネット
 マック・セネットの誤り。『天体嗜好症』版で訂正。マック・セネット(1880-1960)は、カナダ生まれで、1910年代にアメリカのスラップスティック・コメディーの一時代を築いた監督・プロデューサー。

5笑い
 タルホ用語における「笑い」(「滑稽」)には大きく分けて2種類あります。1つはベルグソンからのもので、「人が街上で躓いて転ぶのは別に可笑しくはないが、それが二回三回と繰返されるにつれて滑稽の度合が弥増る。これはもともと純粋な、決して反覆を許さない生命的持続に対して、同一事の繰返しである機械的印象が与えられるからだ」(「古典物語」、『全集5』、p.157)、あるいは、「ベルグソンは彼の「笑い」に関する考察中に述べて、いわゆる滑稽感は、生命的流動がふいに停滞凝固して、ぎこちない、物体的機械的印象を与えるところに発生すると云っている」(「肉体とその自由」、『全集11』、p.142)、また、「旋回とはハイデッガーによると、「それ自ら本来性から脱しつつあるにも拘らず、なお本来性を持っていると信じている状態を云う」それは頽落の特性の一つである。ベルグソンはこれを機械化だとしている。……そこには生きている人よりもむしろ機械に近いものが感じられるからである。こうして回転の印象を与える所に滑稽が兆すとベルグソンは教える」(「廻るものの滑稽」、『全集10』、p.111〜112)などというもの。
 もう1つは、「そもそも笑いとは、もはや永劫に救われぬ自らの運命を知った途端に於ける悪魔の自嘲として発生したものである」(「悪魔の魅力」、『全集8』、p.164)、あるいは、「そもそも笑いとは……と私は考える。すでに救われっこのない自身の運命を知ったときに、かれら堕天使の上に期せずして起った悲鳴である。泣くとも怒るとも見当のつかぬ、そのくせ、飽くまで自己を押し通そうとする傲慢心に立った奇々怪々な連続的叫びが、すなわち笑いの根源である」(「神・現代・救い」、『全集8』、p.325)という、カトリック研鑽時代のもの。
 すなわち、コミックについて、「笑いそのものが私たちのなかの機械的要素に基礎を置いたもの」とここで述べているのは、前者の概念が用いられているのでしょう。つまり、ここでタルホが言わんとしていることは、「笑い=機械=映画」という等式によって、映画と笑い(コミック)とを結びつけようとしているのだと思われます。しかし、この三段論法が妥当かどうかは疑問が残ります。
 いずれにせよ、「笑い」の問題は、タルホにとって興味あるテーマの一つだったようです。ほかにも、たとえば「黄漠奇聞」の最後に轟く「山崩れに似た笑い声」、「七話集」(「香爐の煙」)における「アポロの笑い」、「私の耽美主義」における「これからは笑はずにはをられない時代だ。そして、実際、自殺にでも消えて行く他には、私たちはそこより他へは逃れるところがない」という絶望感、あるいは「笑ったり喋ったりする」と刑法に触れる「薄い街」、「第三半球物語」(改訂版)における「禁笑館」など、人間特有の「笑い」について、さまざまなアプローチが示されています。

6活動写真
 「形式及内容としての活動写真」は、映画(活動写真)というものに対するタルホの基本的な考え方が示された貴重な作品ですが、そのなかで次のように語っています。「私は映画という言葉を好まない者である。私たち実用生活の符牒としての言葉にはもう少しの確実性が期待されてもいいはずなのに、映画などと云うと少しもうごくものだというかんじがしないのみか、モダンガールなどいうたぐいと同様その暫定的なこと、デパートメントストアの均一の帽子以上には受けとれぬ者である。そこで活動写真という字を使うが……」(『全集1』、p.448)。
 さらに戦後の改訂版である「僕の触背美学」では、この点について数倍の紙数を費やして、映画の原理のうえからくどいまでに説いています。「次に僕は、映画の名称を好かない者である。……映画はそのいずれの点においても絶対に絵では無い。たまたま古典名画がスクリーン上に原色的に示されたとしても、何で絵でなんかあるものか! 絵を写した着色写真に過ぎない。……映画は、こういうわけで、早取写真を一コマ宛に繰出し、いったん其処に停止してスクリーンに投影し、次にシャッターレンズを遮って、その隙に次なるコマと入れかえる幻燈機械である。これは疑うべくもない活動写真である」(『全集9』、p.344〜347)。

71930年頃まで
 チャップリン映画の作品タイトルについてタルホが言及しているのは、「キッド」(「少年愛の美学」、『全集4』、p.203)と「街の灯」(注8参照)以外には見当たらないようです。したがって、タルホがほかにチャップリンのどんな映画を観ていたのかはわかりませんが、1919年から1930年までのチャップリン主演映画を参考までに挙げておきます(かっこ内は日本封切り年)。
 「犬の生活」('19)、「担へ銃」('19)、「サンニ・サイド」('20)、「キッド」('21)、「ノラクラ」('21)、「給料日」('22)、「巡礼」('22)、「偽牧師」('23)、「黄金狂時代」('25)、「サーカス」('28)。

8「日本人とは?」
 「女性線」1949年5月初出、『全集8』、p.288。「街の灯」についての同様の言及が「戸塚抄」(「作家」1952年3月初出、『全集8』、p.148)にも。チャップリンの「街の灯」(封切りは'34年)をタルホは観たのかもしれません。

9「僕の触背美学」
 「作家」1955年9月初出、『全集9』、p.351。

10リライト
 「「形式及び内容としての活動写真」(「新潮」)が、その後、京都の俳人中川四明の触背美学を知ったことによって、改訂の必要に迫られた」(「タルホ=コスモロジー」、『全集11』、p.483)。

11 「幾何性」と「代数性」
 その意味するところは、「幾何性というのは、ともすると眠らされがちな私たちの代数性(というのは、それに安じることによってそのもののために殻をめぐらされてしまうという意味)云いかえて事物そのものについての智識を適宜にみちびいて、私たちを今日の位置にまで立たせた関係についての智識にかかわったものである。即ち、自動車も飛行機も無線電信も、じつはこの幾何性なるもののもたらす魅力によって生れたのだと云ってもいい」(「形式及内容としての活動写真」、『全集1』、p.448)。
 また、「幾何性とは、先取された人類の図形に関連した知覚であり、これはともすると停滞しがちな代数性(日常性、単に行われているべきもの)を引立てるもの、したがって代数性はせいぜい電車のあとを追っかけているに過ぎないもの」(「僕の触背美学」、『全集9』、p.344))、と言っています。
 あるいは、「物理学者のなかには、幾何流儀の人と解析流儀の人とがあるが、パル教授は前者の極端なタイプにぞくした。そして専ら論理を俟つて徐々に進むといふかはりに、直観をもつて一挙にその高峯へ登つてしまつた」(「近代物理学とパル教授の錯覚」、「改造」1928年4月、『多留保集6』、p.69)と、ここでは「幾何」と「解析」との対比になっていますが、この記述からはもっと端的に「幾何=直観」と言えるのかもしれません。

12「少年愛の美学」
 『全集4』、p.192。

13「生理学」と「物理学」
 このキーワードは、作品「記憶」の終句に登場する重要な結論となっています。すなわち、「生理学はただ行われているべきものにすぎないけれども、云いかえると、それは必然性の世界であるが、物理学とは、そんな現実を超えてさらに別箇の消息が取扱わるべきところ、無限なるわれわれの可能性の世界を意味していなければならぬ。幸福論から離れることができない一般人が生理学にとどまっていると云うのは、私にはもはや議論の余地がないことのように思われてきました」(『全集2』、p.194)。そして、ここでいう「物理学」が、タルホのさらに別のキーワード「抽象化」にリンクしていくものであろうことは疑いの余地がありません。

14「時間的」と「空間的」
 この「時間的=風俗」「空間的=オブジェ」と同様の関係性を示したものに、「私はこれを「時間的思考」(風俗と人情)が「空間的思考」(オブジェと精神)と入れ代りつつある証左だと見る」(「読書界を裏返した男」、『全集11』、p.278)という表現があります。つまり、ここではさらに「時間的=風俗=人情」「空間的=オブジェ=精神」の各キーワードが関連づけられています。

15集約されます
 映画のことをタルホは「偽時間と偽空間」と言っていますが、映画はその原理のうえからは「時空の模型」だともいえます。当時、映画を語るうえで、この原理を「時空」の問題と関連づけて論じた人は稀有なはずで、それは現在に及ぼしても同様のことが言えます。子供の頃から映画館の映写室の雰囲気がお気に入りだったタルホにしてみれば、この「魔法の箱」の仕組みについては早くから気がついていたにちがいありません。この問題についてはまた別のページで詳しく触れてみたいと思います。