★ タ ル ホ 作 品 に 登 場 す る ラ リ ー の 映 画
■1923 ? (「無茶苦茶ラリー」)
■1923 ? (「電光ラリー」)
■1923 The Midnight Cabaret (「旋風ラリイ」)
■1923 The Barnyard (「突貫ラリイ」)
■1924 The Girl in the Limousine (「豪傑ラリイ」)
■1924 Her Boy Friend
■1925 Wizard of Oz (「笑国万歳」)
■1925 The Perfect Clown(「百鬼乱暴」)
■1926 Stop, Look and Listen (「弗箱シーモン」)
■1927 Spuds (「ラリー将軍珍戦記」)
■1927 Underworld (「暗黒街」)
※年代はR. E. Braff のフィルモグラフィからのもので、わが国での封切りの年ではない。
※引用は個々の映画の内容について言及している箇所を選んだ。
※出典は以下のとおり。ただし、「ラリー・シーモンの回想」以外は初出から引用した。
[オ]:「オートマチック・ラリー」(「文藝春秋」1925年8月、『稲垣足穂全集1』)
[小]:「ラリイシモン小論」(「文藝春秋」1925年12月、『稲垣足穂全集12』)
[珍]:「『ラリー将軍珍戦記』を観て」(「不同調」1927年7月、『稲垣足穂全集12』)
[回]:「ラリー・シーモンの回想――追悼文――」(『稲垣足穂全集1』、初出「今は思い出のラリー・シーモンへ」
「週刊朝日」1928年10月)
[芸]:「ラリーシーモンの芸風」(「映画時代」1928年12月、『稲垣足穂全集12』)
BACK
■1923 ? (「無茶苦茶ラリー」)
君のフィルムを初めて僕が観たのは、東京大震災の年の春のことだった。マックセネットばりの二巻物で、なんでも君が風船玉探偵として乗出し、大騒動の末に物凄い殺人常習犯を捕縛するというすじだった。この時分、君はかおを真白に塗って、目の周りと鼻柱に、それぞれ円と三角形を黒くいろどっていた。――これを皮切りに……[回]
「無茶苦茶ラリー」これは原名をわすれた。二巻物であつて、風船玉探偵といふのが殺人犯を掴へる筋である。このフイルムによつて僕はアメリカ流の芸術家を初めて発見したのであるが、この頃の作にはすべて、彼は顔を真白に塗つて目のまはりと鼻柱の三角に墨をつけてゐる。何でもないのだが、これによつても彼には美学があることが判る。[芸]
※『無声喜劇映画史』(児玉数夫著)には、「無茶苦茶ラリー」という邦題の作品は載っていない。したがって、これが原題のどの作品に相当するかは不明。関東大震災の年(1923)ということから、“The Sleuth ”(1922)のことではないかとも思われたが、「殺人常習犯を捕縛する」という点、目と鼻を黒く塗っているということから、それとは異なるようである。
※目と鼻を黒く塗っているというのは“OZ”の化粧であるが、YouTubeで調べた限りでは、“OZ”以外にそうした扮装をした作品は見当たらない。
※『欧米及日本の映画史』(石巻良夫著、プラトン社、1925年)という本に、「探偵ラリー “Passing the Back”, ヴァイタグラフ、1月11日、帝国館」という記事が出ているものの、該当するものかどうか不明(Braff のフィルモグラフィでは、“Passing the Back” は1919年の作品)。
※YouTubeには“Passing the Buck”(Back でなくBuck)という作品があるが、いでたちは異なる。
UP
■1923 ? (「電光ラリー」)
壺のなかゝらソーセージみたいなへんな棒がとび出して一列にならんで、手と足を生やして歩き出すシーンと、カミナリさまに追ひまはされて、つひに背中にジグザグ模様がつけられるところがあつたのをラリー式と見る。[芸]
※「電光ラリー」とタルホが言っているこの作品も、『無声喜劇映画史』には取り上げられていない。邦題と内容から、Braff のリスト上の“Lightning Love ”(1923年)のことではないかと思われる。タルホは“Her Boy Friend ”と併記しているが、ソーセージ云々は“Her Boy Friend ”には出てこないので、「電光ラリー」の内容であろう。
※YouTube上に“Lightning Love”というタイトルの非常に短いフィルムがあるが、タルホが言っているシーンは登場しない。
UP
■1923 The Midnight Cabaret (「旋風ラリイ」)
“MIDNIGHT CABARET”(旋風ラリイ)
“THE BARNYARD”(突貫ラリイ)
“THE GIRL IN THE LIMOUSINE”(豪傑ラリイ)
この三つを最近見た。はじめのは真夜中のキヤバレの騒動を仕組んだ二巻物だが、風船玉のなかでブランコをしてゐる踊子と、ハゲ頭や婆さんにかこまれたテーブルが、ラリイ式の童話化をされ、大きなゴシツク字のタイトルうつりも、この形式として完成したものと思はれた。例によつてボーイのラリイと踊子がかけよる青い街のしぼりでおしまひだが、ラリイにはこんな人形のやうな女こそ似合へ、七巻物である「リムジンのなかの娘」に出るやうな人間くさいお嬢さんはまるで調和しない。[小]
二巻物の『ミッドナイトキャバレ』など、君の芸術を最もよく代表しているのでないか。[回]
“MIDNIGHT CABARET”これは僕が見たうちでは、最も彼を代表する名作でないかと思ふ。ダイナマイトとゴム風船の二巻物である。[芸]
※「旋風ラリイ」も『無声喜劇映画史』に記載なし。
※上にリンクを張ったYouTubeのフイルムの冒頭には“LIGHTNING LOVE”とタイトルがあるが間違い。編集時(ロシア語か)に誤って付けられたものと思われる。フィルムの内容は“THE MIDNIGHT CABARET”。
UP
■1923 The Barnyard (「突貫ラリイ」)
次の「小舎のなか」も二巻物である。「オヅの魔法使ひ」にあつたと同じやうなヒコーキ応用のトリツクが、あつさりしてさすがに独自な奇術的エフエクトを出してゐる。ラリイといふ人は、以前にそんなことゝ関係があつたのか、こんな田舎をバツクとしたものにも奇妙にふさはしい。カンツリーといふのが、僕にはラリイ気分にひきつけられた風景人物とりまぜて、マダムグレゴリイの芝居を想はせるのだが、といつてアイルランドでもなければむろんアメリカと思はれぬどこかの遊離した農園のハイカラな小唄をふくめ、まづく(「まづまづ」か?)うまく活躍するニワトリと驢馬と羊がまたおしやれネヅミのやうなシモン氏をぴつたりひき立たせる。[小]
“THE BARNYARD”彼の小動物の好きなところを発揮した田園情緒の二巻物である。[芸]
※「突貫ラリイ」も『無声喜劇映画史』に記載なし。
UP
■1924 The Girl in the Limousine(「豪傑ラリイ」)
さういふと、大ていのものに失恋が取り入れてあるのも面白い。ラリイにそんな経験があつたかどうか、ともかく恋人をとられても案外平気で、その人や自分のものでない女のために、いぢめられながら、なげきながら一生懸命にうごく、「リムジンのなかの娘」もさうだ。そして、自動車のなかにゐた女――ぢつは女装した強盗に裸にされるところへ、本人はかなりよろこんでゐるとも見える。[小]
――「リムウジンの娘」は、主演者が他の役であつたら全くのぶちこはしと思へるものでラリイはやとはれてやつたのだらう。と云ひながら、ガスのともつた街を自動車を追つて走る警官隊の夢幻と、おしまひのラリイ式場面に示される第一義のまへには、……[小]
“THE GIRL IN THE LIMOUSINE”たしか「突貫ラリー」と名をつけられてゐたやはり長編である。これは上田敏雄君もどこかで云つてゐたが、おしまひのガス灯のともつた夜の街を走るモーターサイクルにまたがつた警官隊の夢幻が、ラリー気分にふさはしい形而上学的なうつくしさをしきりにそゝつてゐた。[芸]
※「ラリーシーモンの芸風」ではこの作品を「突貫ラリー」としているが誤り。『無声喜劇映画史』には大正14(1925)年9月封切りとある。
※この作品はYouTubeにも見当たらない。
二巻物にはなほ次の二つをおぼえてゐる(この作品と「電光ラリー」のこと)。共に普通の出来であるが、……[芸]
※『無声喜劇映画史』に記載あるも、封切り年不詳。
UP
■1925 Wizard of Oz (「笑国万歳」)
この間神戸へ「オヅの魔法使」(笑国万歳)といふのがきたので明石から見に出かけた。僕が役者の名で出かけたのはこれが最初であるが、やはり期待にそむかぬこのコメデアンはまるでオートマチックだ。[オ]
ラリー最初の長巻だといふこんどの「オヅの魔法使」が、脚本や撮影法としてどうだなどいふ批評は、フイルムと云つたらすぐに監督や会社や世評をもち出す他には、何ら自分自身をもつてした意見をのべられないこと、なほ現今うるさい文壇雀にも類する凡庸のやることである。僕はかなり無駄も多いと見かけられるあのフイルムも、それはちやうど編輯者や読者を頭にをかねばならぬ吾々の仕事のごとく、ぢつは何もかもわかつてゐるラリーにとつてまたやむを得ざりしことであつたとしたい。一つには彼がなほ多く開拓の余地をもつてゐることにもよらう。さう云ひながらも目ある人は見よ! しづかな牧場の片すみから加速的にわき起つた雷、火事、嵐、飛行機をとりまぜた大乱痴気、オヅ宮殿地下室の魔法合戦にをける樽のお化けの虚々実々は、アメリカ映画にはめづらしい童話でないか。偽案山子のラリーが、思ふ姫君をよき王子に渡すことも格別かなしまず、さらに敵にヤグラの上に追ひあげられて大砲で撃たれる、――命中の間一髪にとび移つたとなりのヤグラにも砲弾があたり、危くのりうつゝたヒコーキからさがつたロツプもついに切断して墜落する――と同時に、月と星の壁紙を張つた子供部屋のテーブルからラリーのかたちをした人形が落ちる結末は、女と男のくつゝくことでしかなかつた従来にくらべ、何とすつきりしてゐることか。[オ]
ともかく、活動役者の写真がほしいといふ心持を、僕はこんどの場合ではじめて知つた。[オ]
君の最初の長編『オズの魔法使い』……[回]
“WIZARD OF OZ”「笑国万歳」アメリカの子供が誰でも知つてゐる童話を脚色した彼の最初の長編である。大きな木が倒れたり家がとばされてしまふ嵐の場面のアーテフイシアルな別世界と、オズ宮殿の地下室にをける樽のお化の虚々実々が探りたいところである。[芸]
※『無声喜劇映画史』では大正14(1925)年4月封切り。
UP
■1925 The Perfect Clown (「百鬼乱暴」)
さらにその(「弗箱シーモン」のこと)まへに見た「百鬼乱暴」と訳名されたのにも主演者が一かう気乗りしてゐないやうなところがみとめられたが、そのなかにとて、郊外の墓地から廃屋に出没するお化の気もちにもたらされた形而上学は、他の何人によつてあたへられることができようといふ満足をあたへてくれた。[珍]
「百鬼乱暴」原名をおぼえてゐない。長編であるがラリーがいやいやにやつてゐるやうなところがあつて、前記のもの(The Girlin the Limousine のこと)と同じく印象はうすい。但しお化の出る水車小舎のところが面白い。[芸]
※『無声喜劇映画史』では大正15(1926)年1月封切り。
UP
■1926 Stop, Look and Listen (「弗箱シーモン」)
私はこの前に「弗箱シーモン」“Stop look, and listen”を見たが、これはまさか複製ではあるまいが何だか画面がくらく、その上むりにこしらへたものらしいつぎはぎで、ハツカネズミであるべき主演者もフラフラとしてゐて面白くなかつた。しかしそれらとて、一ばんおしまひのシーモン作品の独壇場である鉄橋爆発と、そこをとびこえる自動車のトリックにもたらされる高揚をもち出してみると、たちまちかき消されてしまつた部分であつた。[珍]
“STOP LOOK AND LISTEN”(弗箱シーモン)これもムリに長くしたやうな長編で期待にはづれたものであるが、只、おしまひに鉄橋爆発とそこをとびこえる自動車がある。これはラリーシーモンにこそふさはしいもので、たくみなトリツクにいつも僕を感心させてゐるものである。[芸]
※『無声喜劇映画史』に記載あるも、封切り年不詳。昭和11年に再上映された模様。
※上掲のYouTubeのフィルムは、最近になって日本で発見されたものという。それが数あるラリーの作品の中でも、このタルホ・リスト中のものだったのは全く幸運。
この間ラリーシーモンの“SPUDS”を見、面白かつたので、けふ近くの三流館へまはつてきたのをもう一度見た。[珍]
しかもこん度の「ジヤガイモ珍戦記」にをいて、ラリーシーモンは今日までの長篇作品のいづれよりも気を入れてやつてゐる――といふよりも大へん自然に出来てゐる。ムダといふところは一つもないと云へるものである。芋むき大将と仇名されたいつも軍曹にいじめられてゐるちひさい兵隊が、ジヤガイモ樽のなかへとびこんできた敵の手擲弾の皮をむきはじめるなら、諸君がこの世紀のうれひとよろこびをかんじてゐる人であるかぎりすでに涙をたゝえて笑ひ出すであらう。切紙細工のチヤップリンの半身の下に自分の指でもつて足をこしらへ、ピーナッツ(らしいもの)の靴をはかせてそのヨチヨチあるきをほーふつさせるあたり、諸君はスクリーンのまぼろしにつたへる喝采の手をかさねかけるかも知れない。さらに夜の窓のそとに幽霊を見たクロンボの兵隊たちが、靴と衣服をのこして消滅したり、額縁の景色のなかへ逃げこんだり、神に祷つて空中をおよいで逃げるとき、諸君は諸君の心のすみにきざしてゐるものが、すでにこゝにかたちを採つてゐることにちよつとおどろかないわけには行かぬだらう。それは私たちの物理学者の対象になつてゐる四次元世界の消息を暗示するものと云つてよいからだ。さらに敵にぬすまれた装甲自動車をうばひ返したシーモンが、野こえ、山こえ、谷をとび、宙返りをして、爆発のなかをメチヤクチヤな突進にうつつたとき、諸君の口笛はゆるされていゝ。[珍]
『ラリー将軍珍戦記』として封切られたフィルムの原題は、たしか『馬鈴薯』だった。いかにもジャガイモと取り違えて手榴弾の皮を剥くところからストリーが展開するが、僕には、簡単なタイトルが二つ出てすぐに画面になったことが忘れられない。そこにも君の人柄が読めるからだ。[回]
“SPUDS”(ラリー将軍珍戦記)この作品については別に感想をかいてゐるが、ムービイにはつきものである所謂見せ場といふムダが少しもないもので、女も出てこない。文部省が推薦してよいものである。画家としてのシーモンの面目が躍如としてゐるシーンがある。これがこの国において見られた最後の作品である。あまり曲芸を用ひずに気分を出してゐる点で僕には彼の転機が考へられたものである。[芸]
※『無声喜劇映画史』では昭和2(1927)年4月封切り。
※上掲のYouTubeのフィルムは“fragment”とあるように、完全版でないのが残念。それでも内容の雰囲気が伝わるのは収穫。
スタンバーグの『暗黒街』の片隅で、ギャングの弟子として、山高帽の曲芸をやっていた君にいたるまで、僕は十種ばかし君の姿態に接したであろうか。[回]
――以上の他は最近「暗黒街」の一役にあらはれてゐた。[芸]
※この作品はジョーゼフ・フォン・スタンバーグ監督作品で、ラリーは主演ではない。昭和3(1928)年封切り。