タ ル ホ 植 物 誌




■トネリコ

■オモダカ




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■トネリコ




 「トネリコ」という言葉は、その奇妙な語感とともにいつまでも記憶に残ります。そして、それが飛行機のプロペラに使用される木だと知ったとき、タルホならずとも、その名前がいかにも初期の飛行機に似つかわしいように思われてきます。

 「トネリコという樹を友だちに教えられたのは此頃のことです。すると、これがトネリコだと知った時、私はその瘤だらけの幹にキッスしたくなるのでした。同じ樹はフランスの野に成長して、S字状のプロペラーに仕上げられ、イッシーレームリノーの春空に金色にかがやいて唸っても差支えなかったからです」(「ファルマン」

 「トネリコ製のプロペラを付けたカーティス
 アメリカの隼、カーティス!」(「Curtiss! Curtiss!」

 しかも、このトネリコはプロペラばかりでなく、翼の構造にまで用いられ、「長さ約十一米突の前桁及び後桁が、長さ約二米突の八本のトネリコ製の肋骨でつながれる」(「ライト兄弟に始まる」)というのですから、飛行機はトネリコで出来ている、とでも言いたいような、なにか「聖なる木」のような気さえしてきます。

 『原色木材大図鑑』(保育社、1980年)によると、トネリコは日本特産で、ラテン名は Fraxinus japonica Blume、英語ではJapanese ash とあります。すなわち、トネリコは和名なのです。英語の辞書で ash を引くと、「西洋トネリコ」と出てきますから、日本のものとは種類が違うのかもしれません。日本のトネリコはモクセイ科とあります。モクセイといえば、10月のちょうどこの時期、濃厚な芳香を放っている金木犀の仲間だということになります。その性質は、「強靱・堅硬な良材」「従曲性非常に大」ということですから、飛行機の材料としては最適だったのでしょう。昔は稲の「稲架(はさ)」として多く用いられたようで、最近では野球のバット、テニスのラケット、スキーなどに使用されるとあります。
 また、『樹木大図説』(有明書房、1959年)には、「枝に介殻虫がつき白蝋を分泌し、この蝋をトネリといひ溝に塗ると戸滑りがよくなる、トヌリキより転じトネリキ次にトネリコとなる。皮を秦皮と称し浸出液は眼病の薬となる」とあります。

 トネリコは飛行機のプロペラとしてばかりでなく、すでにタルホのデビュー作に登場しています。

 「――ロビン・グッドフェロウは、トネリコや樫やイバラの中に住んで、月の美しい晩に出てきて、丘の上でいい声で歌をうたったり……」
 「そしてわれわれが愛したトネリコのはえている丘の上には、大きな構えの別荘が建つし……」(「チョコレット」

 ここに登場するトネリコは、プロペラとは別系統に属するものでしょう。ash は、イェイツの詩などにもよく登場し、アイルランドではまさしく「神聖な木」とされているようですから、タルホ好みのアイルランド系の伝説――おそらくダンセーニあたり――にその拠り所があるのかもしれません。

 最近、偶然トネリコを発見しました。場所は、東京・調布市の神代植物公園です。トネリコの木が立っているところは、「バラ園」の奥、売店のそばにある小さな池のほとりです。ひっそりと1本だけ立っています。もちろんプレートが付いていなければ、それとはわかりません。奇妙な名前の割には、あまり特徴のない木でした。専門家でない限り、山野で見かけても特定はできないでしょう。

       

 じつは、この木を見つけて、もう一度タルホの本を開いてみたわけですが、「ファルマン」にある「瘤だらけの幹」という表現に引っ掛かりました。実際に見たトネリコはなにも「瘤だらけ」ではなかったからです。モクセイ科だということですが、その幹の様子はよく見かける金木犀などとはまったく違っていて、太いところはクスノキの幹のようにひび割れた表面をしていました。それを瘤と見るにはちょっと無理があります。考えてみると、もしトネリコが瘤だらけの節くれ立った木だったら、用材には向かないのではないか、という疑問が生じます。『原色木材大図鑑』で見ると、切断面はきれいな柾目を見せています。
 もう一つ気になるのは、トネリコの分布が「本州(中部以北)に自生」とあることです。ということは、関西育ちで遠足の範囲もせいぜい京都止まりだった少年時代のタルホが、トネリコを見るチャンスはなかったことになります。友だちから教えられたトネリコは、まったく別の木だったのか、あるいはこの話がまったく創作の世界のことなのか、トネリコを発見したことで、かえってこんな疑念を抱かせる結果となりました。

                                                      


根元のひこばえ


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n o t e s

「ファルマン」
 『稲垣足穂全集2』(筑摩書房、2000年、p.356)

「Curtiss! Curtiss!」
 『稲垣足穂全集6』(同上、2001年、p.452)。「ファルマン」にも末尾に同様のリフレインがありますが、こちらは「胡桃製」になっています。このことに関して、「『マキニカリス』ではこの七行がフランス語になっている。何人の作でもない。それは私自身の詩である。但し胡桃あるいはトネリコを何と呼ぶのか判らなかったので、取りあえず marron としたわけである」(「『ヰタ・マキニカリス』註解」『稲垣足穂全集2』、p.408)とあります。

「チョコレット」
 『稲垣足穂全集2』(p.49、54)。「机上同盟成立奇談」(『多留保集7』潮出版社、1970年、p.139、改訂作「真夜中の会話」『稲垣足穂全集1』、p.374)にも、「俺たちは、……月のきれいな晩、トネリコの生えた丘のくぼみでいい声で歌をうたって、うつくしい女の子をかどわかしたり……」などと出てきます。

アイルランド系の伝説
 まだ聴いたことはありませんが、イギリスのウェールズ地方の民謡に「トネリコの森」という歌があることを最近知りました。余談ですが、日本でタルホのほかにトネリコのことが出てくる小説として、筆者が唯一知っているのは幸田露伴の「望樹記」です。興味のある方はご一読を。
















































■オモダカ



 「彗星倶楽部」は、短編でありながらタルホ世界のさまざまな要素が凝縮されたような作品で、興味深い一編となっています。
 ド・ジッター博士を中心とした天文同好会(サジッテールクラブ)の会員たちが、ポン彗星に関する実験を行っている最中に爆発事故を起こします。天文台の円屋根は吹き飛び、会員一同もいずこかへ消え失せてしまいます。しかしながら、その中に一人だけ生存者がいました。彼は唯一の証人としてインタビューを受けることになります。話は、彼(a)とインタビュアー(b)との問答のみによって進行します。
 「オモダカ」は、この作品に登場します。

 「b ……私は実は今回の椿事調査のためにやってきたL大学の技師です。ところで……だって、貴下は現に左胸におもだかのメダルを附けておられる。その形はサジッテール即ち慈姑(くわい)でしょう。貴下は該爆発事件に関する唯一の残留者として、御自身の責任を果すべきでありましょう」(『稲垣足穂全集1』筑摩書房、p.251)

 すなわちここでは、「オモダカ」は図案化されてサジッテールクラブ会員のバッジにされています。
 「オモダカ(沢瀉、面高)」は、沼地や川などに自生する水生植物で、その葉と花の形を図案化したものはわが国の「紋所」の一つにもなっています。なお、「慈姑(クワイ)」は「オモダカ」と同じ科の植物ですが、「オモダカ」を栽培用に改良したものを指すようで、こちらは正月料理の煮物としておなじみです。
 タルホ作品に「オモダカ」が登場するのは、「彗星倶楽部」(およびこの作品の改訂作である「生活に夢を持っていない人々のための童話」中の「奴豆腐と箒星ハレツとの関係」)の系譜だけのようで、その他の作品には見受けられないようです。したがって、「オモダカ」がタルホ自身にとって特別の意味をもっている植物というわけではなさそうです。
 この「オモダカ」は、「彗星倶楽部」の最初の稿である「彗星問答」1には登場しません。なぜかというと、「彗星倶楽部」で「サジッテールクラブ」となっている天文同好会の名称は、「彗星問答」では「スコルピョンソサイチイ」だったからです。改訂によって「さそり座(Scorpion)」から「射手座(Sagittaire)」に替えられたわけです。
 おそらくタルホは、フランス語の “sagittaire” に星座の「射手座」と植物の「オモダカ」との両義があることを発見し、その意想外の結びつきに面白さを覚えて採用したのでしょう。語源的にはどちらもラテン語の “sagitta”(矢)に由来しているようです。「オモダカ」はその葉が鏃(やじり)の形状をしているからで、英語では “arrowhead” です。

 「a レッドコメットクラブとは最近の造語で、サジッテールクラブと呼ぶのが正式です。事実あの日にポン彗星は射手座(サジッテール)をかすめたのですから。……」(同上、p.258)
    …………
 「b おもだかであれば更に箒星に近いとおっしゃるのですか?」
 「a そう云っても決して間違いでありません。それはちょうど『菫菜は麺麭であった』のと同じように、彗星はくわいなのですから。私の云おうとするのは、そういうところを立場にしてポン彗星が解析されて、あんな倶楽部組織を生み出したのでないかということです。……」(同上、p.2592

 つまり、ここで「彗星」と「くわい」は、ボードレールの「菫菜は麺麭であった」、あるいはロートレアモンの「ミシンと蝙蝠傘」のように、かけ離れたものを結び付けるシュルレアリスムの詩的言語として捉え直されたことになります。そして、そこにはおそらく西脇順三郎3からのインスピレーションがあったものと思われます。



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n o t e s


1「彗星問答」
 1926年6月「虚無思想」発表。『多留保集6』(潮出版社、1975年)所収。

2 同上、p.259
 「彗星倶楽部」(『全集』〈=『大全』〉版)と改訂作である「生活に夢を持っていない人々のための童話」中の「U奴豆腐と箒星ハレツとの関係」(『おくれわらび』所収、中央公論社、1974年)では、若干の異同が見られます。後者では、当該箇所は次のようになっています。
 「a そう云っても決して間違いではありません。それはちょうどボードレエルの『菫菜は麺麭であった』イジドル・デュッカスの『ミシンと蝙蝠傘』と同様に、『彗星はくわい』なのですから。私の云おうとしているのは、そういう点を立場にしてポン彗星の波動が解析されて、あんな倶楽部組織が生み出されたのではないかということです。……」

3 西脇順三郎
 「夏至物語」(『大全W』、p.438)に、「何時か西脇順三郎氏の論文を読んだ時、『菫菜は麺麭であった』というフランス古典詩人からの引用があったことが妙に気になり出した」とあるので、ボードレールのこの言葉は西脇順三郎を通して知ったのかもしれません。「彗星とくわい」はいかにも西脇的世界です。タルホの「美しき学校」に付けられた西脇順三郎の解説(『現代文学代表作全集6』〈萬里閣、1949年〉所収、『美しき学校』〈北宋社、1978年〉再録)によると、西脇はタルホが20代の頃から注目していたようです。一方タルホのほうも、1928年2月「新潮」発表の「機械学者としてのポオ及び現世紀に於ける文学の可能性に就いて」(『稲垣足穂全集1』筑摩書房、所収)の中で、西脇順三郎およびシュルレアリスムについて言及していますから、お互いの認識はきわめて早い時期からであったことがわかります。タルホとシュルレアリスムの問題については、ページを改めて考察したいと思います。