スプロケットの回転




客 「で、それがどうしてエンデの『はてしない物語』と関係あるんだい?」
主 「それはつまりボクの因果物語でもあるわけさ」
客 「どういうことだ」
主 「何しろ、因果はどこで断ち切るというわけにもいかないよね」
客 「ふむ……」
主 「ボクの物語も原因と結果の追い掛けごっこで、とどまるところがないわけだよ。だからそれはまたボクの『はてしない物語』でもあるってわけさ」
客 「ウロボロスか? キミはかつて〈映しても映らない映画〉とか〈硝子拭きの映画〉とか訳の判らないことを言っていたけど、相変わらず、いまだに訳の判らないことを言っているね(笑)」
主 「ボクは、いわゆる映画よりも、イエズス会の坊様アタナシウス・キルヒャーが幻灯機〈マジカ・カトプリカ〉を使って布教活動をしていたとか、フランスの学者マレイが、ライフル銃型のカメラを自作して鳥が飛ぶ動きを調べようとしたとか、そういったことのほうが面白いと思っていてね」
客 「映画前史ってことか?」
主 「まあ、いろいろあったわけだけど、でも当時はまだ、映画に求めようとしていたものが何なのか、自分にもはっきり判っていなかったんだね。だからこそ、さっき話したタルホの〈スプロケットの歯車の回転にまで抽象云々……〉に出会ったとき、ショックを受けたんだろうね」
客 「しかも、半世紀も前にそんなことを言っていた人がいたと……」
主 「そう、それで映画どころじゃなくなってきた(笑)」
客 「つまり、映像がどうしたとかいうよりも、原理のことなんだ」
主 「うん、もちろんそんな原理なんか知ってたんだけど、当時、映画についてそんなヘンなことを言っているのは誰一人いなかったからね」
客 「それで今度はタルホそのもののほうへ興味が移っていったという……」
主 「うん、だけどその件はずっとそのままになっていたんだ、数年間はね。ところがあるとき、タルホが道元禅師の『正法眼蔵』〈有時〉の巻のことに触れていてね、興味があったんで元の本を読んでみようと思って、近所の図書館へ行ってみたんだ」
客 「判んないだろう、あれは」
主 「うーん、でもステキだね(笑)」
客 「注釈本なんかどうなの?」
主 「ひどいのがあるね。訳語に〈存在〉なんてことばを平気で使ってるんだからね」
客 「能天気な奴だね」
主 「程度が知れるよ」
客 「訳者の風上にも置けない」
主 「坊主だよ」
客 「坊主の風上にも置けない(笑)」
主 「まあ、それはいいんだけど、仏教では〈刹那生滅〉ということをいうんだけど、刹那つまり瞬間ごとにあらゆるものは生成と消滅を繰り返しているというんだ」
客 「ほとんど量子力学の世界だね」
主 「そうなんだ。で、ある本にネオンサインの点滅を例に挙げているのがあったんだよ」
客 「ネオンサインというか、パチンコ屋なんかのあのチカチカのことだろ?」
主 「そう、あのネオンがいろいろ動いて見えるのは、実際は並んだ電球が次々と点滅を繰り返しているだけなんだ。それが我々の眼には動いて見えるんだけど、そのようにこの世も実体はないんだと……」
客 「なるほど、いわゆる残像現象だね。ということはなんだね、さっきの〈刹那生滅〉も実際は何か不変のものがあるという……」
主 「いや、そうじゃないとボクは思うんだ。実際はその背後に何か不変のものがあるとかいうんじゃなくて、瞬間ごとにあらゆるものが生滅を繰り返していることが、すなわち時空なんだよ。時空の中で物質が点滅しているというんじゃなくって、物質という点滅していることが時空……」
客 「おい、おい、ちょっとややこしい話になってきたね」
主 「そうかな、でもこのネオンサインの話が、ボクの中で映写機のIntermittent Motion、つまり間欠輸動のことに一気に結びついたんだ」
客 「1秒間に何コマ進むとかいうあれね」
主 「うん、フィルム自体は1コマごとに少しずつ異なった像が焼き付けられて連なったものに過ぎないけど、それをプロジェクターにかけて回せば動いて見えるよね」
客 「それも残像現象だろ」
主 「そう、でもここが肝腎なとこなんだ。スプロケットの回転によって、フィルムの1コマ1コマというのは、シャッターの前で必ずいちいち律儀に静止しているわけだよ。それでフィルムを送る間はシャッターが閉じている、という仕掛けになっているわけ……」
客 「ふむ、ふむ、キミの言わんとしていることが判ってきたよ」
主 「ちょっと待って、最後まで言わせてくれよ。だから、映像が動いて見えるためにはフィルムはいちいち静止しなければならない、というパラドキシカルな仕組みを映写機というものは持っているということなんだ」
客 「連続するためには、そこに不連続がなくてはならないと……」
主 「うん、不連続を俟って初めてそこに連続が成立する……」
客 「まさかキミは、映写機のうえにプランク以来の物理学上の問題まで想定しているんじゃないだろうね(笑)」
主 「時空の雛形、模型ってことでしょう。でも、タルホだって宇宙は〈空っぽの箱〉のようなものだって言っているから、意外と簡単な構造かもしれないよ(笑)。もっとも、この宇宙シネマは途中でフィルムを止めて調べるわけにいかないから、〈観るもの〉と〈観られるもの〉という関係が成立しないけどね……」
客 「エンドレスか」
主 「オートリバースだったりして(笑)」
客 「じゃ、あれだね、タルホの言った〈歯車の回転の形式が……〉」
主 「いや、〈活動写真が時空の形式をとり入れたものであったら、その時間とは云うまでもなく歯車の回転というようなところにまで抽象されているものである。……〉」
客 「そう、その抽象の歯車が例のチカチカをきっかけに、キミの中で一回転したというわけだ」
主 「つまり二十歳の頃からボクが知りたかったのは、モンタージュやカットバックとかの技法なんかじゃなくて、この一事だったんだと……」
客 「仏教を契機にして……、でも何だかつじつまが合い過ぎるね(笑)」
主 「だから、さっきからボクの因果物語だと言ってるんじゃないか。道元禅師も言ってるよ、〈自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり…〉って」
客 「わかった、わかった、もういいよ!」
主 「じゃあ、『はてしない物語』に倣って、この話はまた別の機会に譲って、次を続けましょうか(笑)」
客 「オチがついたわけ?(笑)」
主 「それにしても、〈幼ごころの君〉っていう名前は、タルホ好みだと思わないかい?」
客 「はい、はい」


(『別冊 幻想文学』「タルホ・スペシャル」〈1987年12月〉掲載)

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