〈 S a i n t 〉 が も た ら し た も の

1938(昭和13)年3月 〜 1950(昭和25)年2月




【まえがき】

〈 S a i n t 〉 が も た ら し た も の

【虹の入江の景観】
【意志と世界】
【コリントン卿の幻想】
【月と虫】
【グライダーを愛する友へ】
【地球】
【山風蠱】
【所謂進化に就いて】
【弥勒】
【山風蠱が発表されるまで】
【子供達と道徳との関係に就いて/フェヒナーの地球擁護】
【人生は短く芸術は長し】
【飛行機の黄昏】
【山田有勝兄への書翰】
【月に寄せて】
【愚かなる母の記】
【非情物語】
【悲壮美の一面性に就て】
【有楽町の思想】
【モンパリー】
【新生の記】
【死の館にて】
【悪魔の魅力】
【イエズスの春】
【ヰタ・マキニカリス】
【枕べの蕈】
【菫の形而上学】
【予言(Village d'Aero)】
【宇宙論入門】
【姦淫への同情】
【雪ヶ谷抄】
【方南の人】
【白昼見】
【唯美主義の回顧】
【実存哲学の余白】
【詩の倫理】
【きらきら日誌】
【美少女論】
【モーリッツは生きている】
【荒譚】
【赤き星座をめぐりて】
【神・現代・救い】
【友横光利一の霊に】

【以上を通覧して】

【〈キリスト教時代〉はいつ終わったのか】


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CONTENTS

















【まえがき】


 横寺町の銭湯における、いわゆる〈Saint事件〉について、タルホは繰り返し言及しています。〈この時突然に、Saintと云う言葉が閃いた〉(「弥勒」)、〈電気のようにSaintという響きが閃いた〉(「枕べの蕈」)、〈Saint(聖者)という五字が閃いた〉(「神・現代・救い」)など、いずれも〈閃いた〉という言葉を使っていることから、それは電撃的な〈啓示〉と言っていいような出来事だったのでしょう。1938(昭和13)年3月13日のことだったといいます。すると同年5月10日に東京高等数学塾に転居する2か月前になり、それまで居住していた近くの旺山荘時代の出来事だったことになります。

 〈Saint〉すなわちキリスト教とのこの電撃的な出会いは、その後タルホに信仰による喜びや心の安寧をもたらしたかというと、そうではなく、反対にタルホは〈虚無〉の淵に立たされることになります。ここから長い内的苦闘の歴史が始まり、それは1950(昭和25)年2月初め、京都へ移る直前まで続きました。

 以下に取り上げる引用は、その約12年間に発表された作品のうち、キリスト教に関連する言葉を含む作品をピックアップし、その中から該当箇所を引用し、それらを年代順に排列して若干の〈註〉を加えたものです。もとより引用箇所は恣意的なもので、明確な基準によって選択したものではなく、またすべてを網羅したものでもありません。本来はそうした資料をもとに、タルホとキリスト教との関係を正面から論評するのが筋だと思いますが、キリスト教に対する知識も信仰も持ち合わせていない筆者は、残念ながらそのような能力がありません。「バイブルを知っていないような者が、何を考え何を書いたところでおして知るべしである」とタルホは先手を打っています。したがって、以下に示したような形式で〈タルホの声〉をそのまま提示することしかできませんでした。ただし、断片的なものとはいえ、それらを年代順に通覧することによって、この間における、キリスト教に対するタルホの内的変化・深化を読み取ることができるのではないかと思います。

◎ 初出コピーに拠ったもの。
〇 初出コピーは無いが、『多留保集』所収の初出作品によったもの。また改訂履歴のない作品は『全集』に拠った。
  単行本の『山風蠱』『悪魔の魅力』『彼等』に収録された作品については、できるだけ初稿に近い形を採用したいため、国会図書館のデジタル版によってそれら単行本を典拠として〇とし、文末の[ ]内に該当ページを示した。
△ 初出コピーが無いものは、『全集』に拠った。

※ 見出し項目の[ ]内の数字は『全集』の収録巻号とページ。([8-206]は8巻206ページ)
※ 引用文の配列は、作品に出てくる順とした。
※ 引用文は新字・新仮名に改めた。
※ 太字は筆者による。
※ 筆者のコメントは基本的に引用文の下に青字で記した。
※ 引用文と引用文の間に、〈○○〉〈○○〉…として語句だけ記したものは、その語句を含んだ文が、その間にあることを示す。

【附記】
 もちろん、以下に引用したようなキリスト教に関係する作品ばかり書いていたわけでなく、この12年間にはそれ以外の作品も同じぐらいの点数を発表していること(詳しくは、本サイトの〈タルホ年譜ノート〉参照)、また、この期間には以下のような単行本が刊行されていることも念頭に置いておくといいでしょう。
 『山風蠱』『空の日本 飛行機物語』『星の学者』『弥勒』『宇宙論入門』『明石』『ヰタ・マキニカリス』『悪魔の魅力』『彼等』


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1938(昭和13年)4月 ◎「 虹の入江の美観」<婦人画報>[8-206]


★『吾々も救われねばならぬが、それよりあのお月様をどうかしなければ不可んな』と私は、そんな荒涼たる月球を思い浮べて云った事があった。
★『そう云う事になれば唯物史観になる』と友人は答えた。『──が、救済するにしても分子までだな。分子よりも先へ行けば、何も彼も粉微塵に叩き壊して了う事になるから、そうなると結局何を救うのやら判らない。それは観念論になって来る』
☆発表年月からすると、この文章は〈Saint〉以前に書かれたものだろう。
☆同様の言葉が「北洛師門」にも出てくる。「弟さんの理論によると、荒涼たる月球も救済せれねばならぬわけですね」「ほほほほ、それこそ唯物史観ですわ」「でもせいぜい分子程度でしょうな」「どういう意味ですの?」「考えてごらんなさい。救うっていったい何をですか? 救うんだと云って何も彼もこなみじんにつぶしてごらん。何を相手にしているのか判らなくなって観念論に後戻りするでしょう。そこで、まず分子程度にとめておくべきだと云うのです」(『彼等』桜井書店、1948年11月、[国会デジタル]p.90〜91)。末尾に(1944)と記されているが、これは戦時中に「南の魚」の題名で文芸雑誌(誌名不詳)に発表したという年だろう。


1939(昭和14)年8月 ◎「 意志と世界」<カルト・ブランシュ>[8-215]


★文芸復興と共に蘇った希臘の神々も、基督の余りに熾烈なる非人間主義の前には、何の力も無かった。(中略)縋るべき唯一のものだと信じていた芸術も、一時の気慰みにしか過ぎなかったのであった! 然らば斯る境地に直面した時、私達はどうすればよいのであろうか? (中略)然し私達が、花や原野や家や、親友や、更に衣服や麪包や水まで完全に捨離するに成功し得た時、私達の前に在るものは何者であろうか? 虚無だと云わなければなるまい。──が、一度、彼岸の消息を感知し得た者の眼から見れば、私達の経営の総ては、私達の頭上に横たわる天漢及びその彼方に散在する無数の星雲をもこめて、その一切をあげて、虚無
☆〈Saint〉以降、〈キリスト〉が出てくる最初の文。ここまで1年半近くあいだがある。
☆上の一文は、「芸術家の解脱」という小見出しの下に書かれたもの。〈Saint〉の存在に気付いたことにより、キリスト教の信仰による〈安堵〉や〈喜び〉が齎されたわけでなく、反対に芸術家として〈虚無〉に直面することになってしまった。以降のタルホの内的苦闘の淵源はここにある。
☆〈気慰み〉は、他所で出てくるパスカルの〈気晴し〉だろうか。
☆この一文の後半は、ショーペンハウエルがその典拠。戦後になって書かれた「東洋の幻想」に次のようにある。
 「ショーペンハウエルの、姉崎正治博士訳『意志と現識としての世界』中にも、似たような文句があります。「……もろもろの阿羅漢や聖者たちの赴きし所は吾人から見れば無だと云うの他はない。けれども、若し先方の立場をもってすれば、この吾人の現世は、頭上に横たわる天漢──その無数の太陽と共に、合わせて虚無」」
☆ショーペンハウエルには次のようにある。
 「意志を全く断滅した後に何物が残るかという事は、尚意志で充たされて居る人々にとっては無という外ない。然し意志を転じて之を擯斥し了った人々にとっては、その反対に我々にとってのこの実有の世界は、その無数の太陽や天漢と共に──虚無。」〈『意志と現識としての世界 上』(姉崎正治訳、博文館、明43、p.696〉
☆ショーペンハウエルは、ここで〈意志の断滅〉と〈聖者〉と〈虚無〉との関係について述べているのだが、タルホは、〈基督〉と〈芸術〉と〈虚無〉とを論じ、〈意志の断滅〉を〈物質の捨離〉に置き換えている。
☆次の小見出しで「観世音」として一文を付しているのは、上と対比したときに興味深い。



1939(昭和14)年12月 ◎「 コリントン卿の幻想」<文芸世紀>[→「弥勒」7-237]


★──何処かの丘の上から、黒い影と二人で、その影とは聖書に出て来る人物と思われたが、悪魔であっても差支えはなかった。
☆この〈悪魔〉は後に〈ルシフル〉を知る前の悪魔だろう。
★若しも地球と云う遊星に何かの功績があったとしたら、それは只一つあの予言者を出したと云う事だけですね。
☆この〈予言者〉はやはりイエス・キリストのことだろう。
★「あいつだって、あの小っぽけな遊星だって救済から洩れると云う法はないのだ」
☆〈救済〉という言葉もキリスト教的で、仏教なら〈済度〉のはず。



1939(昭和14)年12月 〇「 月と虫」<少年保護、日本少年保護協会発行>[8-222]


★瑞西の法律家カール・ヒルティは、すべて大きなものよりも小さなものに注意せよ、そこに君は如何にふかい愛と智慧の世界を示されるだろう。大きいものよりも小さなもの! 大きいものよりも小さなものを愛したまえ! と説いている。
☆ヒルティについての最初の言及。



1940(昭和15)年2月 〇「 グライダーを愛する友へ」<エコー>[6-388]


★それなのに世間の大部分は、努力が何物かを齎らせるものであると堅く信じている。その逆なのだ。努力のみによって何かを創り出そうとするのは、それこそ「闇夜を提灯の前に立って歩く」ようなものである。与えられた課題に対する答えが決って来た時、各国の飛行機の形が一致して来るのは当然である。この行き詰りを打ち破るにはどうしても芸術家の方法に依らねばならない。吾々は何かを念じる必要がある。そしてやがて吾々は何がキャッチされるであろう?
☆「闇夜を提灯の前に立って歩く」という言葉が、この後にも、「弥勒」(1940年11月)、「人生は短く芸術は長し」(1941年8月)、「飛行機の黄昏」(同年同月)と、何度も出てくる。
☆ここに〈芸術家の方法〉として〈念じる〉が出てくる。これは「人生は短く芸術は長し」や「弥勒」における〈念願〉と同じものだろうか。



1940(昭和15)年5月 ◎「 地球」<新潮>[7-212]


★人間は肉体を棄ててから真個の覚醒生活に入る──そう云うG・T・フェヒネルの所説が──それは先日読んだものであるが──ようやく頷ける年齢に董生はなっていた。
☆フェヒネル(フェヒナー)については、「われわれに作用するが、しかし作用する意識そのものをわれわれに決して与えない世界の実在、ということについてまず私の眼を開かせたのに、フェヒナーがある。仙台の古本屋の棚でこれを見つけた、読んでみたまえ、と云って旅行先から帰ってきた友人が出したが、ケーベル博士の随筆中に推奨されている本であることが、あとで判った。」(「神・現代・救い」)とある。
☆フェヒナーは、キリスト教というより、その〈スピリチュアリズム〉的世界観によってタルホに大きな影響を与えている。〈人間は三度生まれ変わる〉〈白昼見と闇夜見〉〈新視力天文学〉など。
☆ここでいうフェヒナーの本とは『死後の生活』(平田元吉訳、明治43年、丙午出版社)だろう。タルホは「タルホ=コスモロジー」で〈草間平作訳〉としているが間違い。



1940(昭和15)年6月 ◎『 山風蠱』《昭森社》 「山風蠱」はこれが初稿 [国会デジタル]


★我観しに一匹の蒼褪めたる馬を見たり。之の上に乗れる者をと謂ふ。陰府その後に随へり。──黙示録。[p.20〜21]
★私は幾十回目かに当る禁酒期間に入っていた。淋しかったが、これは又皆さんに申訳の付く事であった。まるで善人と悪人との相違があると母親が云った。主の名に依って為さざれば何事も徒労のみと、私は寝床に入ってから繰返し手を合せて感謝の念に打たれた。
 母のうちに私を罰し下さるな、私が悪いからとて母を罰し下さるな、よ、父とマリエットの霊を憐み給え、一日は一日の務めを果し、英雄となり聖者となる力を授けて下さい。[p.49]
☆この内容は、まだ最後の上京をする前の話。〈主の名に依って為さざれば何事も徒労のみ〉は、「白昼見」によると、〈二十年以前に、或る童話風の小説の中に見つけた〉とある。
☆この『山風蠱』版には、「母のうちに私を罰し下さるな、…」以下の文の典拠が挙げられていない。それが〈ボードレエル感想私録〉と明記されたのは、「美しき穉き婦人に始まる」と改題・改訂された【作家】以降。
☆「山風蠱」の〈下書き〉を第一書房の長谷川巳之吉に見せたのは1938年5月で、その後それを清書し直している。最初の〈下書き〉に上のような記述があったかどうかは分からないが、ここには明らかに1938年3月の〈Saint〉が影響している。



1940(昭和15)年9月 ◎「 所謂進化に就いて」<カルト・ブランシュ>[8-225]


★この時に当って、エホバとその天国とは果して具体的に何物ぞやと身を以て教える革命家が現われた。主よ、我は十戒を守れりと告げた男に、ナザレの聖者は何と答えたか、汝今一つ足らず、汝の有する総てを投げやりてそれを貧しき者に与えよと。これ実に痛烈きわまりなき言葉ではないか。世界始まって以来こんなにも徹底した思想があったであろうか。羅馬の役人と兵隊とがあわてたのも無理は無い。
 此処に私は、旧約新約とによって示されている進化を読む。しかも斯る進化の途は今後永久に、の究極の調和にまで打ち続いて行くであろう。しかもこれは未だほんの端緒に付いたばかりだ。若しもショウペンハウエルが一般に理解される為には、まだこの先五十年は要すると云えるとしたならば、イエスキリストの思想がそこまで到達するには、二万年は懸るであろう。それほど困難にして大いなる思想である。しかもこの道や従って、真実にして虚ならず!
☆ここの〈徹底した思想〉は、「意志と世界」における〈余りに熾烈なる非人間主義〉と関係するだろうか。



1940(昭和15)年11月 ◎「 弥勒」<新潮>[7-237]


★何故なら、何事をも決して悪い様には運び給わぬのがであるからだ。斯るとは何者であるか? それは吾々が如何なる人々からも見離されようとも、決して吾々を離れない絶対者自身に他ならぬ。そうであるなら、総てはこの者の手に委ねらるべきである。
★世の人々は只自己の力に依って何事かが打開されると信じている。それは重大な根本的な迷信である。暗夜、提灯の前に立って歩こうとするが如き行為である。この不心得に対して、懲らしめとしてDevilが現われるのだ。──が、これは後になって彼に覚られた事であって、その正月以来彼は、散々にに引摺り廻されて、阿弥陀仏の名を連呼したり、或はマリヤに願ったりし乍ら、掌を合わせてのた打ち廻らねばならなかった。
☆〈自己の力〉は他所で言う〈努力〉のことだろう。
☆〈不心得〉は後に【大全】の改訂で〈傲慢〉に差し替えられた。〈傲慢〉は〈驕慢〉と併せ、他者への戒めとして繰り返し用いられる語句。それはタルホ自身への自戒でもあったはず。
☆〈Saint〉より前の出来事なのに、〈マリヤ〉に願ったりしている。
★「堪忍して下さい!」と号叫せずには居られない。
☆〈堪忍して下さい!〉は、〈どうかお教え下さいまし〉と〈出口だ、出口だ、出口がほしい!〉とを合わせ、タルホの〈三大号叫〉と言っていいだろう。(もう一つ〈超絶だ! 超絶だ!〉があった)
★例の縄暖簾で知合いになった年長の紳士に借りた本にも、それが書いてあった。君が不安であったり憂鬱であったりした折には、直に真面目な仕事に取りかかれと、カール・ヒルティはその日記体になった記述の中で述べていた。若しそれが不可能な場合には隣人にささやかな親切を施すがよい、それも注告と云う様な類いではなく、簡単な贈物と云ったものが良いと。──ヒルティの好きな紳士は、これは彼の方から話し掛けたのであったが、その人は以前江美留が居た学校と隣合せになっていた高等商業に籍を置いて、ボートの選手だったと云う話であった。
☆ヒルティをタルホに教えてくれた人物。
☆〈借りた本〉というのは、『眠られぬ夜のために』(草間平作訳、岩波文庫、昭和11年)だろう。
★漸く湯槽から上って身体を拭いていたが、この時突然に、Saintと云う言葉が閃いた。今までこんな類いは考えてもみなかったし、単独に口を出した事もなかった。(中略)然しこの昔馴染の言葉がそもそも何事を意味しているのか? 殆んど瞬間に了解される気がした。何も自分が聖者であるとか、聖者たるべく努めねばならぬなどと思ったのではない。自分と同様な人間のなかには、そんな種類の人もあるではないか、しかもその中にはハリツケに懸った者すらあると思ったのである。そして其等こそ正に人間のなかの人間──ダイアモンドでないかと考えると、心の国の王様だとは如何にも適切な表現であると頷けるのであった。
☆〈Saint事件〉は、1938年3月13日の出来事。
★「基督はダンディの極致である」
☆この言葉は〈宗教的見方〉というより、やはり〈美学的見方〉ではないか。なぜなら、唯美主義者は〈生き方〉、つまり(人からどう見られるか)を常に気にする人だから。
★明るければ有難かったし、暗い時には慰藉が齎らされ、真夜中の十二時にはゲッセマネの園にひとり祈り給うエス様が偲ばれた。
☆この部分は【小山書店】版と【作家】には残されていたが、【大全】で削除された。信仰者的な物言いが気になったのだろうか。



1941(昭和16)年3月 ◎「 山風蠱が発表されるまで」<意匠>[8-230]


★広島から一人の紳士が私を訪れた。綿谷嘉人と云う易の研究家で、八卦に関する書物を購入の為に上京した序だとの事であった。(中略)彼は私に易を推奨して、こんな面白いものを何故ポオやボードレエルが気付かなかったのかと説いた。旧約聖書のヨナ記は正に唯美主義文学の典型ですね、とも云った様に憶えている。
☆これは1938年の〈梅の便りが聞え出した頃〉の話。つまり〈Saint〉の少し前。
☆タルホ本人の言ではないが、〈唯美主義文学〉という言葉が出てくるのは興味深い。
★自分の童話の世界はもうお終いになったと私は観念をしていた。だから生きて居るつもりなら、この続きに何かを為さなくてはならぬ、それはどう考えても物を書く事でなければならなかったが、その書く事がもう何も無いのであった。それでも私は、自分には糸口さえも掴めぬリアリズムの世界とは、一たいどんな風にして入って行くのかなと云う様な事は折々に考えた。そんな或晩、衣巻と並んで蒲団を引っ被った時に、ふっと「美しく稚き婦人に始まる……」と云う言葉が浮んだ。
☆これは、1936年12月に最後の上京をして、馬込の衣巻省三宅に転がり込んだ頃の話。



1941(昭和16)年3月 ◎「 子供達と道徳との関係に就いて」<カルト・ブランシュ>
◎「フェヒナーの地球擁護」は1948年7月『悪魔の魅力』収録が初出 [国会デジタル]
[→「フェヒナーの地球意識」[8-194]


【子供達と道徳との関係に就いて】
シルレルは、吾々の間にある三つの大きな迷いに就いて訂正を促している。
 1 この世に於ける正義の勝利を信ずる。
 2 善人は地上的幸福に与る事が出来ると信ずる事。
 3 この世に於て全き、純な真理を観る事が出来ると考えている事。
☆シルレル(シラー)はケーベル博士経由。
☆3の〈真理を観る〉は、後の改訂では〈真理を得る〉に変更されている。
★お噺に於ても、それが実際に起ったまゝの事だけであるなら、子供達は決して本当に面白がらない。彼等が直感している彼岸の影が其処に射していてこそ、即ち最善最美なるの意志と方則とによって起るべき筈であったものを悟らされてこそ、彼等は満足する。
【フェヒナーの地球擁護】 [国会デジタル]
★たれも死なない。この肉体は一つの過程である。されば死への恐怖は我執の人々とかれらの文明上にのみあるものである。いったん愛の精神が目ざめるに及んで、云いかえると、人々が我身の外に生きる本能を取戻したとき、己れを棄てて同胞の福祉のために尽す心根が生じてきたときに、宏大無辺の新領土が瞥見する。「吾人を感動せしめるあらゆる善き思想や行為の奥には常に霊魂不滅が隠されている」(ドストエフスキー) (1941) [p.306]」
☆「山田有勝兄への書簡」(1941年10月)に出てくるヒルティ経由の〈ヒルシュ〉の言葉をパラフレーズした「人々が我身の外に生きる本能…」が、ここに初めて出てくる。



1941(昭和16)年8月 ◎「 人生は短く芸術は長し」<意匠>[8-235]


★否キェルケゴールの所謂「死に至る病」に在り、自ら深淵の上に引懸り乍らそれをしも感知せざる最大の悲惨者に非ずしてなんであろうか?
☆〈キェルケゴール〉の〈悲惨〉の初出。
★然し乍ら努力とは遂に暗夜提灯の前に立って歩もうとするが如きものであり、…
☆この時期、この言葉が頻出する。
☆〈祈祷〉
★それでも──と、大抵の人々は考える。それでも努力は必要だと。繰返し云うがこれこそ根本的迷信でなかったら、最大なる、驕慢である。若し努力とならば努力を拒否する為の努力をこそ。驕慢とならば驕慢を打ち挫く驕慢をこそ。
☆ここでは〈傲慢〉でなく〈驕慢〉。
☆〈念願〉〈まこと〉
★見えざるもの現わにぞ見らる、見ゆるもののうちにこそ。
 さて見ゆるもののうちには、見えざるものの痕より他に何物もあらじ。
 これは古い波羅門の言葉である。げにかかる世界を目指すものを、即ち日常身辺の至る所に顕現せるを観る事が芸術家の使命である。そして東洋人たる吾々は、西欧の人々に較べて、一そうよくこんな客観的事業の真諦を会得すべく恵まれているとは云えぬだろうか。
☆本サイトの「弥勒が弥勒になるまでIII」参照。



1941(昭和16)年8月 ◎ 「飛行機の黄昏」<文芸世紀>[6-391]


★そうであるのに、世間一般の人々は努力が何物かを齎らしたのだと信じている。努力などゝは、ショーペンハウエルも言っている様に、凡そ暗夜提灯の前に立って歩く様なものであって、……
☆ここで「暗夜提灯の前に立って…」はショーペンハウエルの言葉だとしている。それは『意志と現識としての世界 中』(姉崎正治訳、博文館、p.374〜375)にある以下の箇所のことだと思われる。「認識が実際根本的に意志を支配するなど思うのは、夜る自分が持って居る提灯が自分の歩むprimum mobile〔根本原動力〕だと思うと同しである。」。ただし、比喩する内容は異なる。
★そして夜来りてあけぼの遠からじとは、これはの作りし世界の秩序である。



1941(昭和16)年10月 ◎「 山田有勝兄への書翰」<カルト・ブランシュ>[8-239]


☆『カルト・ブランシュ』の発行者である山田有勝氏から、「文化意識に就いて何か書くように」と依頼を受けて書いたという。山田氏の父は「教会の重要な用事に携わって」いる人であり、山田氏自身も「クリスチャンだと聞いているので、それでこんなペンを執った次第です」とタルホは冒頭に述べている。
☆これは、当時のタルホのキリスト教観を表している重要なテキストの一つ。
☆本サイトの「弥勒が弥勒になるまでIII」参照。
芸術のエコオルとは即ち基督の教えであると僕は思っているので、…
☆〈芸術のエコオル〉については、「弥勒が弥勒になるまでIII」の【補遺A】参照。
★「我はわれ自らのために悲しみつくし、われ自らのために生き足らいぬ。己れ自らの建物はくずれ落ちてその趾よりおのずから新らしき家は建つ」(出埃及記三十四章十節)
☆〈文化と文明〉〈道徳〉
★即ち我身の外に生くるを知る事においてはじめて聖なる事業に参加が出来る。それまでは単なるかかる人間可能性にすぎない。僕にはこう云う事が会得されたのでした。「人キリストに在るときは新らたに造られたるものなり、旧きは去りてみな新らしくなるなり」(コリント後書五章十七節)「人は己れを棄てて同胞の福祉を作り出し、建設し、増加すべく努力するとき初めて人間に、の似姿になり始める。彼がただ自己自身のためにのみあるときは彼は一たい何であるか?」(ヒルシュ・イスラエルの祈祷)──まことにその通りだと思ったのでした。
★故に僕は今こう断言出来ます。自分が今日まで知った限りの中で、唯一のまことなるものはイスラエルの神の言葉であると。僕が若し今死にかかっているのであったら、この一言をもって遺言にしても構いません。僕と云う人間が在った意義はすべてこの一言が代表してくれるでしょう。すでにこう敢て申上げるからには、只この一言の他には、僕はいついずこに於ても嘘と法螺とをついて来たのであり、現につきつつあると云われてもよろしい。また事実その通りなのです。たった一つの本当! そんなものが世の中に在ろうなどとは僕はこの時まで思ってもいませんでした。が、それは自分にも他にもよくものを考察してみようとしない軽率に生れたものであり、他を借りてものを考える即ち常識の一種だったのです。一応は尤もらしい世間一般の考えにすぎなかったのです。然しそうではなかった。唯一なるものは厳として在り且つ在ったのでした。これなくして吾々はどうして吾々並びにこの地上の生活を基礎付けようとするのでしょう。又、基礎付けて来たのでしょう。
☆これはタルホの〈信仰告白〉だろう。
☆〈カール・ヒルティ〉
★従って無駄を避けて一途にに向うにしくはないのです。
★このものこそは初めにも云ったように、芸術的エコオルの絶頂にあるからです。
キェルケゴールはいみじくも云いました。「うれしい事や悲しい事に心惹かれて、この今の瞬間を永遠に結び付けて考えられないと云うこの悲惨! ここに在り我その前に立つと云う事が判らないこの悲惨! 多くの可能性を与えられ乍ら、最も祝福されたるこの思想に敢て気付こうともしていないこの悲惨! 唯一の尊重すべきものはこの自分であるに拘らず、それを集団にまで分裂させようとし、それによって何かの効果が挙るなど云う他愛もない事に執心しているこの悲惨! これを思えば永劫に泣いても、泣いても泣き切れぬ気がするのである」と。
☆キェルケゴールの『死に至る病』における該当箇所は以下の通り。
「人生の喜びや煩らいに心惑わされて、永遠的な決断のもとに自己自身を精神即ち自己として意識するに至らずして日々を過している人、また(結局同じことであるが)、神がそこにいまし、そして「彼」(彼自身、彼の自己)がこの神の前に現存しているのであることに気づいて、最深の意味でそれを痛感するに至ることの決してない人、──いう迄もないことであるがこういう収獲(無限性が収獲されること!)には絶望を通じて以外には決して到達されないのである。嗚呼、かくも多くの人々が凡ての思想のうちで最も祝福されているこの思想に目を蔽われてかくも空しく日々を過しつつあるというこの悲惨、人間が可能的なる凡ゆることに携らせられていながらただこの祝福のことだけは決して想い起させられないというこの悲惨、人間が機械のように使用せられうるために群集のなかに団聚せしめられて、各々の個体が最高のもの唯一のもの──人生はこのために生き甲斐があるのであり、このなかで生きるのは永遠も長過ぎはしないのである──を獲得しえんがために群集が逆に各個体に寸断せしめられることがないというこの悲惨、こういう悲惨が現存するという事実のためには私は永遠に泣いても泣ききれない思いがするのである!」(斎藤信治訳、岩波文庫、1941年、p.41〜42)
☆原文直訳の分かりにくさに比べると、タルホの文は日本語として簡潔に要約されていて理解しやすい。
★「互に誉れを受けて、唯一のよりの誉れを求めぬ汝らはいかで信ずることを得んや」(ヨハネ五章四十四節)



1941(昭和16)年10月 〇「 月に寄せて」<婦人画報>[8-245]


★新らしいエルサレムが出来る時には、もはや海と云うものはなくなっていると聖書の中に書いてありますから、……
預言者ヨナを救けた鯨と、エスさまに縁ふかいガリラヤのみずうみに住んでいる魚と、聖アントニオの御説教を聴いた魚の子孫だけは、その時助かるようにしてやりたいものです。
★小さなものに注意したら、厭世主義なんどなくなって了うと幸福論の著者カール・ヒルティが云っているのは本当です。
☆「月と虫」(1939年12月)にも同様のことが。
★また聖書ですが、箴言の中にヤケの子アグルの言葉として、……
★金いろの眼をした守宮よ、お前はソロモンの宮殿にも住めるのだとよ。
☆数学塾に出没する〈守宮〉のことだろう。



1941(昭和16)年11月 △「 愚かなる母の記」<婦人画報>[7-190]


★わが民は平和の家におり、思い煩いなき住家におり、安らかなる休息所におらん。──イザヤ書三十二章十八
☆エピグラフに置かれた引用文。
★罪深きわれらの為に、天主の御母マリアよ、祈り給え!
☆こちらは作品の最後に置かれた一文。初出の〈婦人画報〉は未詳だが、後半部のみ掲載された〈新風土〉(1942年9月)にも、両方置かれている。



1941(昭和16)年11月 △「 非情物語」<月刊文章>[→「水晶物語」1-214]


キリストに癒された盲人が見たように、「樹の如きものが歩いている」ではなく──人間の顔の醜怪さにあったのです。
★自分には「ヘロデ王」という言葉が喚び起される……
☆〈メーテルリンク〉
★禿山は聖書物語を喚び起しましたし、……
★半透明の方解石らは円陣を作って、椅子にかけていました。最初はただの一箇のようでしたが、それがあたかも天から降りて来るように……その階段はしかし見えませんでした……そんな段梯子を降りてくる時に、二箇に分れ、四箇になり、更に八箇、十六箇というふうに分裂したもののようでした。それらのいびつな平行六面体は、当初にはトランクに見え、その次に、実はそれぞれに小生意気な手足をそなえた当体そのものであることが、判明したのです。彼らの顔付は色鉛筆のマークのお月様そっくりでした。しかしよく見ると、顰めつらや、取澄したのや、皮肉なのや、狡そうなのや、さまざまあって、そんな男か女かいっこうに見当が付かない嫌味たらしい陰気な面々が、円卓会議を開いているのでした。一等大きな歪形が喋っています。
☆余談だが、上はセクション〈九〉に出てくる一文。これは鉱物を人間に喩えた〈擬人化〉ではなく、人間を鉱物に喩えた〈擬物化〉の例。



1942(昭和17)年3月 〇「 悲壮美の一面性に就て」<月刊文章>[8-259]


☆〈シラーの三つの迷誤〉〈現存(dasein)〉
★而してこれらの代表には、かの忌わしき死刑台なる十字架をもって、其儘人類救済の象徴と変えた基督がある。
★そうならない中に、何故に立派だと思考され人も許している様な行為に身を捧げないで、その反対に走りたがるのか。これこそ彼等の日常あるが如き悲惨に更に輪を懸けしめるものではないのか?
文化とは人間各々が洗練された動物になる事ではない。神の分身としての自覚を有ち、神の戦士の一員として働く事である。



1945(昭和20)年5月 ○「 有楽町の思想」<文芸、5・6月合併号>[8-29] 『悪魔の魅力』[国会デジタル]


★「宗教とは、直接な事物の流転の彼方にあり、背後にあり、また内部にあるもの。幻視である。実在であって、しかも実現を待っている或るもの、──最も遠い可能性であって、しかも現実の事実中最大の事物である或るもの──去来するすべての事に意味を与え、しかも我々の理解で捉えにくい或るもの、──それを有することが至高の善であってしかも到達しがたい或るもの、──究極の理想であると共に望みなき探索である或るもの、この或るものへのヴィジョンである」(ホワイトヘッド)」[p.236〜237]
☆ホワイトヘッドのこの引用は、後の改訂(【作家】か?)で削除されている。
☆戦後に書いた「本ぎらい」の中で、ホワイトヘッドのこの一文が、『現代科学思想』(世界思想教養全集)中の『科学と近代世界』第12章の中にあることが判った、と言っている。
☆「宗教とは、眼前の事物の移り行く流れの彼岸や背後や内奥に在るなにものか、実在しながらも現実化されるのを待っているなにものか、遠い彼方の可能態でありながら最大の現在的事実であるなにものか、すべての移り行くものに意味を与えながらしかも捕捉し難いなにものか、掴めば至上の福となるがしかも手の届かぬなにものか、究極の理想であって望みなく探求を続けねばならぬなにものか、の形像(ヴィジョン)である。」(「世界思想教養全集」16『現代科学思想』「科学と近代世界」、上田泰治・村上至孝訳、創元社、1964年3月、p.197)
☆ただし、この初出の「有楽町の思想」(昭和20年5月)の時点でタルホが何を典拠にしたのか不明。
★「我等人間が(現に)存在する所以のものは蓋し唯、実験する所の進化の途上のあらゆる天国とあらゆる地獄とが既に我等の背後に没し去り……各々の世界の背後には……あらゆる可能世界……即ち我等の住むこの世界が現出して或期間存続せんがためには消滅せねばならなかった所のあらゆる可能世界──の眼眩むばかりの深き淵があるからだ」(ベルシェ「大都の背後に於て」の中の世界瞥見)」[p.237〜238]
☆ケーベル博士の『神及び世界』に出てくるもの。ベルシェの引用はこれが初出だろう。「弥勒」には直接出てこないが、エピグラフの関連から当然これを知っていたはず。「実存哲学の余白」参照。
★私が「小さきテレジアの祝日」以来、職工服のわきポケットに、ド・ブローイーの小冊子を突込んで、鶴見海岸の自動車工場へかよっているのは良きことと思われる。[p.238〜239]
☆この記述には〈10月19日〉の日付がある。〈小さきテレジアの祝日〉は10月1日とされているが、「わが庵は都のたつみ」には〈1944(昭和19)年10月3日〉からいすゞ自動車に通い始めたとある。
☆〈ド・ブローイー〉(Louis Victor de Broglie 1892−1987)はフランスの理論物理学者。〈小冊子〉は不詳。『宇宙論入門』を書くための参考書だろう。
は自ら作った人間においてなぜが食とめられなかったかについて、電車が走り出すと同時に考えた。──それは、人間が単なる動物でなく、まして精巧な機械なんかではゆめさらなくして、神の息吹を頒けて製作された者であることに依っている。故に、人間は動物や植物や、また天体の場合にくらべて、よりいっそうに神を讃えることが出来た。それと同様、神への反抗も可能であった。云うまでもなくかかる次第は、当初人間に与えられた神の恩恵が如何に法外なものであったかを示すものでなければならない。[p.243〜244]
☆〈人間人形〉を唱えていた時代と比較してみよ。
☆「永遠と健全のごきげんうかがいをしなければ何一つとして楽しむことのできなかった吾々が、人間人形に、フェアリーに、さらに進んで神々にさえなろうとしているこの地球上の今日の大勢にまだお目ざめでないか?」(「フェアリー時代」、1925年6月)と比べると、いかに転倒しているかが分かる。〈童話の神〉と〈実存の神〉? 
☆この部分は後の改訂(【作家】か?)で削除。〈ナマ〉な印象を与えるからだろうか。
★それはわれわれには三種類ある。一は永遠族。二は死すべき人間。三は眠れる者。一は持続の相において事物を観ている者。或いは一瞬を永劫にむすびつけている種属で、ここにいはゆるは存在しない。二はかれが何事を為そうが結局は塵に帰するたぐいである。ギリシャ人及びその神々。三は酔生夢死の徒で、世間の大部分がこれに属する。[p.247〜248]
☆〈三種類〉はタルホのオリジナルか?
★京浜線でふと耳に入った話のきれはし。「死んだって別に変りはない。やはりバスも省線もあるんだからな」正鵠を得ていないが含蓄的だ。新時代のスエーデンボルグ。[p.254〜255]
☆「東京遁走曲」に、千葉の房総民主文化連盟事務所時代(1946年6月〜12月)、「私が古本屋で見付けてきた鈴木大拙訳のスウェーデンボルグ…」とある。しかし上の記述はそれより前。
★きのう私は二回おのづから笑をうかべた。願くばかかる片笑みが常にへの甘美なるおもいによってのみ為されんことを。[p.257]
☆この〈片笑み〉は、タルホの定義する〈笑い〉でなく〈微笑み〉だろう。
★「汝の心を尽し、魂を尽し、力を尽し、精神をつくして汝のなる主を愛すべし」[p.260]
☆文末に(1945)の署名あり。



1946(昭和21)年7月 〇「 モンパリー」<新潮>[→「彼等[THEY]」3-146] 『彼等』(桜井書店)
[国会デジタル][多留保集1]


★香水臭い夏の日々に、寂滅為楽の夏休みに、役者ならぬを歎いたエドムの子らにはヨブ記第三十六章十四節が当っている。自分のためには、「我なんぢの凡ての行ひし事を赦す時には汝憶えて羞ぢその恥辱のために再び口を開くことなかるべし」──まことにまことにそうあらん事を [多留保集1]p.125
☆〈ヨブ記第三十六章十四節〉は、「彼らは年若くして死に、その命は恥のうちに終る。」。〈新共同訳〉では、「彼らの魂は若いうちに死を迎え/命は神殿男娼のように短い。」
☆【桜井書店】版で末尾に(1942)と記されているのはなぜか。『全集3』の解題には、「後半部のみを「モンパリー」と題して発表された」とあるが(本人も「タルホ=コスモロジー」にそのように書いている)、〈前半部〉は(1942)年に何らかの題名で発表したということか。
☆前半・後半を合併した【桜井書店】版は、小見出しの〈七〉がダブっている。正しくは〈八〉節ある。



1946(昭和21)年8月 ◎「 新生の記」<新潮>[→「工場の星」[8-83]


☆「新生の記」は、〈1 工場の星〉〈2 原子エネルギーについて〉〈3 現代にあって確信すべきこと〉の3つの節に分かれている。
★西のかた、浅野造船所の宵ぞらにベトレヘムの星のように光っているのが金星。
★心やさしき人は、北斗の柄を延長したあたり、エホバの星アークトルスを置いて、二ツ目にきらめいている乙女座スピーカの清純な銀光に、心を打たれねばならない。
★おも立った星座は二十箇くらいであるから、これだけでも卒業済としなければ、この特にによって祝福された遊星上の住人だとは云えまい。
★原子爆弾は神の意志なりや否やということに対する回答
☆上の小見出しの下に3つに分けて回答している。
★われわれは世界をもって円環的な、完全に出来上ったものとしない。の計画の下に上昇的に進化しつつあるものと考える。
★なお前記の質問の中には、ルネッサンス以来の最大誤謬と云うべき人間神化の妄想が含まれていることに、注意する必要がある。敬虔キリスト者にあっては、そのような言辞は徒らな好奇心に倚るものの自他をかえりみない傲慢心に出るところと解されるに相違ない。そんな質疑を提出して、さて何を為さんとするのか、いっこうに不明だからである。
悪魔、その名はルシフルの傑作たる明星の如く美しく輝ける天使であった。天使とは人間よりも智慧と能力にすぐれた純霊である。かような天使らといえども最初からを直接に見ることはできなかった。この試練の時期にあってルシフルは仲間を語らって、自らと同じ者になろうと企てた。かくて忽ち最も怖ろしい最も醜悪な姿に変ってしまった。は何故傲慢心を起すような者を作ったか? 若しそんな自由意志も与えられなかったならば、天使ならびに人間は力学的法則の下にある一般物質と同じものではなかったろうか、と私は考えている。
☆上の〈悪魔〉についての一文は、〈2 原子エネルギーについて〉の末尾に〈註〉として付せられたもの。
☆〈ルシフル〉のことが「悪魔の魅力」よりも先にここに出てくる。〈ルシフル〉は〈傲慢〉と対になっていることが分かる。〈天使〉⇒〈傲慢〉⇒〈悪魔(ルシフル)〉
☆この後、繰り返し出てくる〈ゲーテ〉への罵倒の初出。
★齢不惑をこえてバイブルを知っていないような者が、そんな小説家が、何を考え何をかいたところでおして知るべきだからである。(中略)そうでなかった者が、たとえいかなる傑作をかき上げようとも、それは(キエルケゴールの適切な云い方を借りれば)それはただ輝やかしい悪徳に過ぎないのである。
カール・ヒルティによる三つの条目をあげておこう。これは七八年前によんで、今までゆめにも考へたことのない指標だと受取つたものだが、戦時中を通じていよいよ本当のことだと信じられてきた。願はくは敬愛する読者諸兄姉の、今後における少くとも五年の時日を、この三箇条の吟味にあてられんことを。私がいま臨終の床にあるものとして、わが友どちに残すべき言葉は何かと云へばこれだ!
 現在に必要なる三つの確信
1 美的世界観の無意義なること
2 宗教から独立して道徳の成立しないこと
3 歴史的な、ユダヤ的キリスト教的宗教観念(単にひとつの修正を要するにすぎない)の真理なること  以上。
☆本サイトの「弥勒が弥勒になるまでIII」参照。



1946(昭和21)年8月 △「 死の館にて」<芸林阨>[7-439]


基督教信者はいいね、こう云われたのに対して、そう、クリスチャンは困難に遭った時の態度がとってもきれいだからね、私も大好きよ。この小母さんの返答は何かなしに俺の胸を衝いて、よく憶えているが、……
☆この話は、晩年の『男性における道徳』(中央公論社、1974年、p.19)にも出てくる。
★このたび俺は、総じて女性の欠点は冷淡な点にあるとヒルティーが述べていたことに思い当たらぬわけに行かなかった。──なるほど或一人への特別な親切は、他者への疎外なくしては考えられぬわけだからな、俺は思うのであった。
★ゆうべ、いやけさ方早く担架が出て行く気配がした時、俺は、彼女の安らかに憩わんことを、しかあらしめ給えと念じた。此朝から俺は、正月に公教要理を読んで以来二ケ月間続いて、それっ切りになっていた主の祈りを毎日唱えることにした。
☆「死の館にて」の内容は、チフスで大塚病院に入院していたときの出来事なので、1941年11月〜12月頃の話。したがって、ここの〈正月〉は1941年の1月。関口教会で〈公教要理〉を学び始めたのは1943年12月からなので、教会に通う3年近く前に、すでにそれを読んでいたことになる。
★わがたましいはのおん言葉に倚頼み、我がたましいはに希望せり。朝より夜に至るまでイスラエルはに希望すべし。よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照し給え。彼らの安らかに憩わんことを。



1947(昭和22)年2月 〇「 悪魔の魅力」<新潮>[8-163] 『悪魔の魅力』[国会デジタル]


☆ここで〈神〉に対する〈悪魔〉の定義が明らかにされる。
☆〈シラーの三つの迷い(ワーン)〉
ヒルティ博士はまた、了解に至難な世界秩序の例として、はかならず最初外観的に勝利を得る、ということについてわれわれの注意を促している。[p.155]
☆『悪魔の魅力』版には出てこないが、後の改訂でヒルティの「現代に必要なる三つの確信」(「新生の記」に出てくるもの)が付記される。
★「自己の悪しき部分は、その名を呼ばれる度ごとに喜ぶ」聖カタリナ
★私は五六年前、一友人がどこかで借りてきた絵入公教要理をひらいているときに、アクマの身元を知った。そもそもアクマとは唯一なるの傑作とも云うべき美しい天使であった。これがごうまんのために、自らの位置に立とうとして永久に罰しられた! (中略)そして一つの比喩および神話と受取るためには、私の内部にはあまりに痛切な体験があった。もっともらしい説明や受取り方をしてみたところで、自分のうちにある事実はどうにもならなかった。十数年来打ちつづいた我儘な生活のはてに、私は深淵上に突き出され、ネズミでもよい、動くものが自分のまえに現われたら、「わたしはどうしたらよろしいか、 どうかお教え下さいまし」と手を合わせて拝みたい気持であった。[p.160]
☆ここの〈深淵〉は、後の改訂で〈空虚〉と訂正された。
☆ラゲ師の〈公教要理〉については、
https://dl.ndl.go.jp/pid/1037407/1/2
および
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%85%AC%E6%95%99%E8%A6%81%E7%90%86%E8%AA%AC%E6%98%8E
を参照。
★しかし私には彼岸意識、云いかえると、われわれの進化過程における予覚とでもいうべきものがあって、自殺などすればさらに怖ろしい結果を招くであろう、という危惧をおしのけるわけにはいかなかったのである。[p.100〜101]
☆この〈彼岸意識〉〈進化過程における予覚〉は、最晩年の『男性における道徳』や『物質の将来』にも出てくるタルホ生涯のテーマ。
★第一は自然律で、青年諸君が科学に共鳴し、またかつて私がそうであったように美的生活をもって最高とするわけは、この段階にあるからである。第二は摂理、その辺のヒゲの小父さんたちはその生涯をもってやっとここに到達するのである。第三は道徳律、ここにきて善と美が分けて考えられるようになる。或るすぐれた哲学者たちがこの部類にはいる。しかしそれが、かれらの頭の中だけのことでなかったら倖いである。第四は。[p.161〜162]
☆これも『男性における道徳』に出てくるが、典拠は?
アクマはたしかに在った。こんなに寂しい、怖い心持はアクマを持ち出さないとすれば、他にはたとえるものがなかったから。私は、憧れのアクマについに巡り合ったのである。かたわら贖罪に思い当った。この云い表わし方に何人もが賛成するとは思わない。さきにおそわれた空虚、それに加えて贖罪の観念について、何の反応も感ぜぬ人がある。けれどもいつかはそれを知るはずだ。若しそうではなく、そのままにかれの生涯が送られたなら、私は、これほど不幸な人はないと口外するにためらわない。[p.162]
アクマの原理はであるが、これは何事を指すのだろうかと考えて、聖アウガスチヌスその他の著者から、次の言葉を抽いてよいことが判った。とは分離であり、非本質的なものであり、非有そのもの、或いは壊敗である。[p.163]
イエズスのような聖者が活動するときには、悪霊の世界に大恐慌が起こりうるはずである。[p.164]
★何がかれらの苦手であるかが判る。それは無視である。もともと自惚れによって失脚した輩であるから、買われないことを最も恐れる。(中略)そうしてなおわれわれが積極的に出たいならば、かれらの頭梁(頭領か)ルシフルといえども震駭させ得る手がある。たとえ才なく、力とぼしく、環境恵まれず、欠点だらけであるにしても、決して憂うるに当らない。どんな人にでもできる只一つがある。曰く敬虔。[p.166]
☆この後、H・S(佐藤春夫)に対する罵倒。
芸術とは、それが気晴しであるかぎり、アクマのいとなみである。をただ空想的に扱って、自らそれになろうとしないの状態に置かれているものだから。[p.170]
★「すべての鋳物師はその作りし像のために恥を取る。その像は偽りの者にして、迷妄のわざなり。わが臨むときそれらは滅ぶべし」(エレミァ記第五十二章)[改訂後〈第十章〉に] (1947)[p.170]



1947(昭和22)年3月△「 イエズスの春」<新生、2・3月合併号>[→「 幼きイエズスの春に」[8-3]


☆1943年12月16日〜1944年4月20日の日記体。小石川(文京区)関口町にあるカトリック関口教会に、津田季穂らと毎週1回木曜日に〈公教要理〉の勉強に通う。カタカナで記された箇所は、〈公教要理〉中の言葉か、神父の言葉だろう。
祭儀ハ、コウヤッテミタラ中ルカモ知レナイト思ッテ、人間ガ勝手ニ決メタモノデナイ。ソレハ天主オン自ラガ教エラレタ。
★人間ノ苦労ハ総テドウニカナルコトノ上ニ限ラレテイル。ドウニモナラナイ空気、水、日光ニ依ッテ恵ミヲ受ケテイルガ、助力ノ聖寵トハ、コノ意識シナイデ呼吸シテイル空気ミタイナモノデアル。救霊トハ自ラ永遠ノモノタルコトヘノ願イ。信仰生活トハ、寝ルニモ起キルニモ主ト共ニアラネバナラナヌトイウコト。コノヨウナ聖寵ハ、祈リ秘蹟ニ依ッテノミ与エラレル
★野ノ鳥ハ蓄エズ百合ハ織ラズシテ共々ニ天主ノオ恵ミヲ受ケテイル。サレバ何ヲ着、何ヲ食オウト思イ煩ウ勿レ、汝ラハマズ神ノ国トソノ義(タダ)シキトヲ求メヨ、トイエズスガ云ワレタ。祈祷トハ天主ト語ルコトデアル。美シイ夕焼空ヲ見テ祈リタクナッタト云ウノハ、感覚ヲ通シタ衝動ニ属スル。イツ、ドンナ場所ニアッテモ、自分ノ全理性ヲ注イデ静カニ天主ト会話ガ交サレル様ニ、平素カラ十分ニ訓練ガ為サレテイナケレバナラナイ。手足ヲ休メル暇トテ無イ少年工ガ、時ニ天主様ノコトヲ思ッテ、孤リデニ愉シクナルト云ウ……ソウイウ子供ガ現ニコノ公教会ニイルガ、コレナド自ズカラナ黙想ノ熟達者ダト云ウベキデアル……。
★一、日曜日ハ個人ノ祈リヲ犠牲ニスル日ダカラ、ミンナト共ニオ祈リヲセンケレバナラヌ。
二、祈祷書トハ、祈リノ習慣ヲ作ルタメニアル。
★イエズスガオ祈リニナッテイタノニ対シテ、ドウシテアンナニウマク祈レルノカト弟子ラガ思イ、ソノ方法ヲ訊ネタ。ココニ告ゲラレタノガ主ノ祈リデアル。「御意(ミココロ)ノ天ニ行ワルル如ク地ニモ行ワレンコトヲ」吾々ガコンナ言葉ヲ口ニ出シテミタ所デ、天主ニハ何ノカカワリモ無イ。ケレドモ世ノ父デアッテモ、父ソノモノノ値打ハ不動デアリナガラ、彼ノ息子ガ良キコトヲシタトアレバ父ノ名誉ハ増ス。ソレト同様ニ、取ルニ足ラヌ一人デアッテモ、彼ニ為サレタ正シキ祈リハ、天主ヲ喜バシ、天主ヲシテ光栄アラシメル。──「信者にまで至らずともこの祈りを唱えてよいか」とKが質問した。結構デアル。生レツツアル子供ニ相違ナイカラ、助力ノ聖寵ニアズカラレル。
★暮れからお正月にかけて、私には結婚の神聖さが判ったような気がする。サレジオの『フィロテア』を読んでいて気付いた。
☆〈暮れからお正月〉とは、1943年の暮れから44年の正月のこと。
☆サレジオの『フィロテア』とは、『聖フランシスコ・サレジオの信心生活の入門』(戸塚文卿訳、日本カトリック刊行会、昭和3年、要ログイン)のことか。その第3篇12章「貞潔の必要について」、13章「貞潔を守る為の心得」を読んだのだろう。「ヰタ・マキニカリス」と「モーリッツは生きている」に出てくる〈性慾の克服〉の根拠はここにあるのかもしれない。サレジオは16〜17世紀の人物。
☆〈姦淫〉
★信心、謙遜、信頼、忍耐ヲ以テ祈ラネバナラナイガ、ソノ様ナ信仰聖寵ニ依ッテノミ与エラレル。曾テソルボンヌニ、カトリックノ教義ハ何一ツ知ラナイ箇所トテ無イガ、一向ニ信仰ガナイ老教授ガ居タ。当時学生ダッタ神父ガソノコトニツイテ訊ネタラ、「サアソコデスヨ。聖寵ガ無イカラワタシニハ信仰ガ与エラレナイノデス」ト答エラレタ。──吾々ハ、何カ符牒ニ依ラナケレバ何事モ受ケ容レラレヌ者デアル。秘蹟トハイエズス御自身ニ依ッテ制定サレタ可見的シルシデアル。決シテソレハ象徴デハナイ。次ニコノモノハ普遍的デアリ、夫々ニ意味スル所ノモノヲ吾々ニ賜ワル。
☆この話も『男性における道徳』に出てくる。
よ、このを知らざる霊魂の行いによって裁きたまうこと勿れ、かれの御前に一善だにも為さざればの御哀情を切に願い奉る。
☆1月28日のH(服部正喜)の死に際して。
★第一章「悔悛」──吾々ノ裡ニアッテ常ニ機会ヲ狙ッテイル自我的ナモノヲ、聖人ガタハ雪ヲ被ッタ氷山ニ喩エテイル。彼ラハソウシテ、イツデモホメラレル度ニ憂エタ。人間ノ永遠的価値ヲソノ度ニ減ラシツツアルモノヲ罪ト呼ブ。コレガ恐レラレルノハ、ソノ都度ニ顔面ニ腫物ガ現ワレ痣ガ拡ガッテクルノニ似テイル。
★霊魂ガ肉体ヲ離レヨウトスル折、何故天主ニ縋ッテカラ求メル必要ガアルノカ。──ハ必ズヲ伴ッテヤッテクル(アウグスチヌス)吾々トハ、霊魂ガ肉体ニ依ッテ影響サレテイル類イデアルガ、聖人ガタトハ、肉体ガ霊魂ニ依ッテ影響ヲ受ケル境地ニマデ、訓練ニヨッテ到達シタ人々デアル。ダカラ、聖フランシスハ如何ナル肉体的苦痛ノ時ニモ感謝ノ情ニ満チテイタ。
 いつも頻りにノートを取っている紳士から、祈りに就いて質問が出る。答。子供ガ余計ナコトヤ見当違イヲ述ベ立テテモ、両親ニハ返ッテ愛ラシク受取レル。懐カシサハ帰省ノ車中ニ起リ、対面ノ時改マッタ挨拶ニナロウト、アルイハ喜ビノ爆発ニナロウト、愛情ハ一ツ。只素直ナ信望愛ガ示サレル為ノ訓練コソ肝要トシ、コノ故ニ祈祷書トイウモノガアル。タトイ、イヤイヤナガラ唱エタトシテモ、務メトシテ怠ラヌモノデソレガアッタナラ、又必要ナ手段ダト云ワナケレバナラヌ。コノ隣リノ会堂ノ前デ、時ニ一時間モジットシテ首ヲ垂レテイル小学生ガアル。何ヲシテイルノカト訊ネタラ、エス様ニオ答エヲシテイルト。コレナドハ自ラ祈祷ヲ手ニ入レテイル者デナイカ。
☆津田季穂によると「後に私はカトリックの修道者となり、AとKは受洗し、稲垣さんは洗礼は受けていないが、立派なカトリックだと思っている」(『別冊新評』1977年)とある。関口教会で〈公教要理〉の勉強を始めたのは、受洗するためだったはずだが、なぜタルホは受洗しなかったのか? 
☆ネット上の〈東京文化財研究所〉の記事によると、津田季穂は1943(昭和18)年7月18日に洗礼を受けたとある。すると「幼きイエズスの春に」の日付が始まる1943年12月16日は、津田の受洗後ということになり、タルホが津田の世話で関口教会に行くようになった冒頭の様子が、それでよく理解できる。
☆「わが庵は都のたつみ」に、〈僕は飯塚の行列と関口教会における週二回の公教要理の勉強を掛持ちしていたが、その間に、青少年向きの飛行機譚、日本天文学史『星の学者』風土記『明石』を書いた。さてあとは……と案じるまでもなく、鶴見海岸のいすゞ自動車が身柄を引受けてくれることになった〉とある。『空の日本 飛行機物語』(1943年1月)、『星の学者』(1944年6月)のことで、この『明石』は空襲によって焼かれる前の版のことなので、いずれも戦時中に書かれた単行本である。この書き方からは「幼きイエズスの春に」に記されている最後の1944年4月20日以降、いすゞ自動車に行き始める(同年10月3日)までは、関口教会に通っていたのかどうかを判断することはできないが、つまり〈徴用〉のために〈受洗〉することができなくなってしまったのかどうか、このあたりの事情について本人の記述が無いのは不思議である。あるいは〈外的〉な理由ではなく、〈内的〉なものだったのかもしれない。
☆戦後になって書かれた「戸塚抄」は、戸塚グランド坂の真盛ホテル時代(1947年8月〜1949年5月)のことを記すが、この時期にも関口教会や神田教会に仲間と出掛けたりしていた様子が書かれているので、〈受洗〉のチャンスがなかったわけではない。



1947(昭和22)年5月 〇「 ヰタ・マキニカリス」<新潮>[→「随筆ヰタ・マキニカリス」8-104] 
『悪魔の魅力』 [国会デジタル]


★「イスラエルに国籍なく、救済のあかしを受けず、世にありて拠るべなき異邦人われら」とはまさにこのことだ。(中略)人間とは云うが、それはに詛われたアダムの子だと云う意味の人間であり、(中略)現代の鬼性文明の主調に見らるるが如く、ただ洗練された動物をもって目標とするものである。[p.102]
☆〈女性〉
★あの人に子供を生んで貰いたいと希うのでなければ、女性など相手にすべきでない。こういうことを私がさとったのはもう十年以上になる。そして今日、人あって「きみが吹聴する十年とやらに何がもたらされたか? その具体的な成果をあげてみよ」と云うならば、私は躊躇なく答えるであろう、「それは性慾の克服である」と。あえて人に告げうるのはこの一事である。問題はしかしデリケートである。本当にそうなのか? と問い返されるにあたって、私は「一年に三四度は夢を見る」と答える。でもこれらは取り上げぬことにしている。だから明るい。[p.103]
☆〈性慾の克服〉は「モーリッツは生きている」にも。
☆〈キェルケゴール〉
★模範をナザレの人の子の上に視よ![p.107]
☆後の改訂では、以上の文章について次のように訂正を入れている。
「──以上述べたところは、昭和二十二年前半期を現在としているから、今日になってみると、いくらか訂正しなければならない。先ず前の文章中にある「押しつけがましさ」は、裏返すと「負け惜しみ」で、宗教的迷妄の一種である。」
★私も、ゆるしたまうならば、自分の宇宙にいまや少うし物質をそそぎこみたいと思う。そして人形どもを動かしてみたい。ヰタ・マキニカリスとは、いまは袂(訣か)別せんとする空虚なおもちゃ群に冠した名称である。ヰタとは生命。マキナには、マシーン、機械、からくり、ギリシア劇の大詰に立現われる神々だというほどの意味を含ませている。要するに、人の世の話でありながら、花や乙女でさえもなく、私の夢がただ宇宙博覧会の機械館の上にのみ織り出されてきたということである。[p.145〜146]
☆(1947)の付記あり。
☆この時期になぜ半生記を書いたのか。なぜもう一度〈人形どもを動かしてみたい〉と思ったのか。



1947(昭和22)年8月 △「 枕べの蕈」<思潮>[→「世界の巌」7-415]


★「俺はもう物を書くのは止すつもりだ」こう云った時に、あの友は答えた。「──と云ってお前に何が出来るのだ?」
☆〈あの友〉とは衣巻?
★人がいざとなって自殺が出来るうちは、そんなことを考えてみるあいだは、その信奉する芸術なり思想なりに身を打ち込むことが可能である。けれども、自殺も許されぬ場合がやってきて、初めて彼は、久しく信じてきたところの芸術なら芸術の限界を知ると。そんなたぐいの精進など、其処にどんな理窟が付けられようと、所詮は一種の放蕩である。夢野の数週をまんなかにした四、五年間、彼はちょうどそんな立場に置かれていた。
☆〈悪魔〉〈絵入公教要理〉〈ルシフル〉〈傲慢心〉
★だしぬけに後頭部の方から、電気のようにSaintという響きが閃いた。今まで最高の人間的存在だと思い込んできた芸術的天才の上に、それを遥かに凌駕した聖なる階級──それは理性よりもなお高い平和の裡にあり、不幸と窮乏と迫害とのさなかにも喜びにみち溢れた一群がある──ということに、かれはこの瞬間から気がついた。
★馬込村の九十九谷の径を歩いていた時に、菫の匂いがする独逸の哲学者が彼の頭に甦った。あの三冊揃いの青表紙の本をこんな春の日に読んでみたいものだ、と彼は思った。ところが牛込に移ってSaintという文字に気がついて間もなくであったが、『意志と現識としての世界』の第二部を、某所で見付けたと云って彼にくれた人がある。
☆〈Saint〉のほうが〈ショーペンハウエル〉よりも先だった。
★若しいまが危険のさかいだというならば、とは、普段それについて考えている所とは全く異ったあるものであるらしい。彼には寧ろ呆気無い何者かであった。それに人間にあっては自分が死んだということは経験されまいからして、また、醒むるなき睡眠というのも何のことか判らぬからして──有り様のない話だから──これらに依って推してみると、死後というのも、更に思いがけぬ消息には相違ない。
☆これは戸山町国立第一病院に診察を受けに行くときのこと。チフスと診断され大塚病院へ。
☆「神・現代・救い」には、「「人間に決して経験されない只一つがある。それは自分が死んだということである」H・G・ウェルスが述べている。人は死んでも決して自分が霊界へ来たとは思わないであろう、とスエーデンボルグは云う。」
☆〈人の死顔は見ることができるが、自分の死顔は見ることができない〉(筆者)。
☆〈醒むるなき睡眠〉とはフェヒナー?
☆〈観音さま〉〈姦淫者〉
★してとは何だ? ある婦人が自殺的破綻に直面した時に、かの女の箪笥の抽斗を其処にぶちまけて、はいっている細々した品物を元のように取片づけることで危機を免れたと云う。存在の、行動のリズムを保持すること、眼に見える蜜を集めて、目には見えぬ大きな蜜桶へ貯蔵して行くとは、このことだ!



1947(昭和22)年10月 △「 菫の形而上学」<文壇>[→「夏至物語」8-43]


ガリラヤの人の子の折にふれての諭しは「魂とはいつも恋人を待つようであれ」との一言に尽きる。
ペンテコステ第四の主日に、彼は家財を積んだ荷馬車の上にまたがって、赤い焼跡から多摩川向うの濃緑の里へゴトゴト出発した。
☆1945年に南武線稲田堤の農家に引っ越したときのこと。別の箇所に「六月の中頃になって、彼は小田急線多摩川を越えた所の山際に引越した」とある。1945年のイースターは4月1日というネット上の資料もあるが、それによるとペンテコステ(聖霊降臨日:イースターから50日目)は、〈六月の中頃〉でなく5月20日になる。いずれにせよ、タルホはそんなキリスト教の専門用語についても勉強していた。
イスラエルの元祖という言葉が頭に閃いた。これはどうやら、「現象は眼に映じ、原因は精神にのみ見える」と本のページに先日読んだことに依るらしい。
☆ジャック・シュバリエ『パスカル』(松浪信三郎・安井源治共訳、養徳社、1944年11月、p.304、要ログイン)「なぜなら現象は肉眼にも映ずるが、原因はただ精神にのみうつるからである。」
★既に数週来、こんなやり切れない午後における彼の机上には、ジャック=シュヴァリエの『パスカル』が展げられていた。(中略)「煩悩の秩序はカリタスの秩序の影であり、象徴である」
☆「煩悩の秩序はいわば愛(カリタス)の秩序の影であり象徴である。」(上掲書、p.312)
☆〈骨ひろう人に親しき菫かな〉
と云い地獄と称するのも、若しそれに依ってわれわれがそれらを克服する為のものでないとしたならば、何によって存在するのか?
☆これはルッターの言葉か。「実存哲学の余白」参照。
☆〈小さきイエズスのテレジア〉
ヨハネのお祭はあの豪雨の日だった。
☆〈ヨハネのお祭〉は6月24日。



1947(昭和22)年10月 〇「 Village d'Aero」<詩学>[→「飛行機の墓地」8-72] 
『悪魔の魅力』「予言」 [国会デジタル]


聖書の中に記された恐ろしき始末書はじつは各人の心それみずからである、とつけ足していたことに思い当るものである。[p.188]
☆末尾に文庫本の〈ヒルティ〉からの引用あり。ただし後の改訂で削除。
★イスラエルもことごとにも
 いまこそはさちをえめ
 少年時代の毎朝、摩耶山をながめてうたっていた中の一つだった。(1946)[p.197]
☆この部分も後の改訂で削除。



1947(昭和22)年11月 〇『 宇宙論入門』《新英社》[5-365]


★これはフェヒネルが主張したところの、生物として地球及び他の天体を取扱おうとする底の、いわゆる新視力天文学の方法論にあたるものだと云えぬであろうか?
弥勒ぼさつという未来仏が遠い遠い先になって此世に現われるのだと。そしてそれは、いまから五十六億七千万年後のことである。
★印度アデートに本部を持つ「弥勒再臨準備会」(The order of the Star of East)の会員のみならず、このわれわれにさえ何かしら会心の笑をうかばしめる。
★なぜに、あの手この手と取りかえて「神の国」の到来を引き伸ばそうとするのか? その理由が私にはよめないのである。
★いまやわれわれに要求されるのは、半径無限大に置かれたかぼちゃやソーセージではない。秒速一千万キロをもって半径を拡大しつつある煙火球と、大慈大悲の蘭花であるところのロバチェフスキー空間との結合である。
☆タルホは〈膨張宇宙論〉と〈ロバチェフスキー空間論〉とを結合させようとしていることが分かる。
弥勒出世の時期についていろんな説がある。それと同じように、自然科学的浄土の到来に関しても、学者ごとに数字が異っている。いずれにせよ、この宇宙的出来事が間違いなく起るということは、哲学にとってもはたまた自然科学に取っても疑問の余地がない。なぜなら、いかなる進化も進化としてはその概念の性質上、一つの終局を持たなければならない。すなわち、その目標に、その目的に到達しなければならぬからである。
☆『弥勒』のエピグラフに置かれたケーベルの言葉が、この『宇宙論入門』の末尾にも採用されている。
★「日は毛衣のごとく黒くなり、月は血のごとく変じ、天より星の地上に落つること、大風に吹揺られて晩熟のいちじくの落つる如し」と云うのも、「天は巻物を捲くがごとく去り行かん」となすのも同様で、どう考えても局部的変革以上のものではない。「その日、天は燃えくずれ、物質は火もて焼かるべし」このペテロ書にある威嚇とて、真相の予告というよりは、むしろその奥にかくれたまことの審判を暗示するものであり、耳傾け、もってわれわれに反省を促す目的の下にあるかのように受取れる。
☆「日は毛衣のごとく黒くなり…」は典拠未詳。「天は巻物を捲くがごとく去り行かん」は〈イザヤ書〉34章4節。
★全面的な、真実の終局は、徐々として来るであろう。空間の膨張につれて、物質は口で語られる物語のごとく移い行き、融けて、まぼろしに似た無に近づく。まだ残っているのが、ついに消え失せてしまいそうになるまでには、時間の経過が次第に気づかれなくなり、それがどの方向へ進んでいるのやらも判じられなくなる。──われわれは現象という河水の流れに浮んで降っているので、うしろへ去り行く岸べが時間として感知されるのである。現に、「いよいよお約束の日がやってまいりました」と云うではないか。やってきたものは去ってゆくものである。両岸が水流と共にながれていたのでは結局何物も動きはしない。だから、こんな流れが止りそうになったら、それと同時に両岸の景色の移動も止りそうになる。或いはそれは大洋へ出たのだとしてもよい。以上の過程は、われわれに取って苦痛であり、堪えがたいものであるかも知れない。われわれの誕生の場合に似て、さらに大いなる誕生であるところの臨終のさいの苦しみに似て、けれども新生の夜明がもうそこにきているのでなければ、かかるわれわれの苦痛及びそれにたいする辛抱がいったい何用あって供えられているのか?
☆〈物質は口で語られる物語のごとく移い行き……〉は、最晩年の「物質の将来」の末尾にも出てくる。
☆〈苦痛及びそれにたいする辛抱が…〉これもルッターからか。
★ドイツの理論物理学者パスクァル・ヨルダンの「二十世紀の物理学」(Die Physik des 20. Jahrhunderts)という本の終りに、苦悶の哲人ミグエル・ド・ウナムノからの注目すべき引用がある。「宇宙とは神の夢である。神は百億年のあいだ眠りつづけてきて、吾々はその神の夢の世界に棲んでいる。そして吾々の夢みることが止まぬように、吾々は祈祷や秘儀をもって、彼をいっそう深い眠りに誘おうとしているのではあるまいか」と。
★いまより約百億年前、宇宙的知性宇宙的意志にたいして果然起って抵抗を開始し、宇宙はそこに突如として寂静の夢より醒めて、意識的、自覚的状態に入ったのである。これぞいわゆる原爆発そのものであり、原始アインシュタイン宇宙からの有為的離脱であり、時空の創成である。然り、かかる大宇宙の構成的創造、云いかえて無意識的宇宙より覚醒宇宙への開展は、それ自ら苦悩を根本的に解決しようとの宇宙自身の、まさに阿僧祇劫を経て成就すべき菩薩道への発願と誓約であり、そのスタートであった。一たび覚醒が与えられた以上、知性は意志の力を転用し、もって相手の盲目的活動を制約して、いつかは再び時空を超越した、真実にして虚ならざる「大涅槃」(Mahaparinirvana)を完成することであろう。これが弥勒の寂光土であり、同時に、「夫のために着飾りたる新婦のごとく天より降り来る」新エルサレムでなければならぬ。
☆〈弥勒の寂光土〉と〈新エルサレム〉を同時に語っている。
★ユレーカの著者の言葉を借用して、──個的同一性の観念は次第に一般的意識の中に融けこみ、人間はいつのまにか自らを人間と感じなくなり、ついに自己の存在をエホバの存在として認識する厳かな日──この時間点の極限にあってわれわれは何物を観るのであろうか? 想像することができない。



1947(昭和22)年12月 ◎「 姦淫への同情」<新潮>[8-174]


☆「新潮」初出の「姦淫への同情」は、改訂によって問答形式に改変された。
☆〈笑う〉
☆〈快美感〉⇒(快感美?)
☆〈文明〉〈神〉
キェルケゴールに「姦淫者ジュピター」という言葉がある。
★「およそ人間的存在中の最大の悲惨事だ」とパスカルが云った気晴し(divertissement)をもって、かれらは日夜を送っている。
パスカルは云う。「煩悩の秩序はカリタスの秩序の影であり、象徴である」と。キェルケゴールの日記には、「人を堕落させるものでなければ人を救うことはできない」
★われわれの人間性は、このありのままの自然的状態では、神の国に入られるようなものは何も持っていないということを知らねばならぬ。
☆〈思い上り〉〈忠信〉〈犠牲〉
★現代文化の目標は、人間をして暗の子に──洗練されたる動物にみちびくことに存するかのようである。(中略)かかる合理主義そもそもが「人間神化」の妄想の上に立つものである。これは当然に「人間恐怖」を招来する。かくて文明は、不安、憂鬱、反抗、倦怠、冷淡、尊大、貪婪の母胎となる。それはベルグソンの云うように、「信頼」に非ずして「不信」にきざすもの。マックス・シェーラーの「世界憎」にその異状な征服慾の根元を持つところのものになる。
☆マックス・シェーラー(Max Scheler,1874年−1928年)はドイツの哲学者。典拠は未詳。
☆〈リルケ「マルテの手記」〉
★「良い結婚は最も美しい人間的関係ではあるが、それでも決して必要かくことのできない関係とは云えない。人生の享楽以外に、何かより高いインテレッセを知るとき結婚なしにも十分意義ある生活をいとなみ得るものである」こう述べて近代の予言者ヒルティ博士は、マタイ伝十九章四節から十三節までを吟味するがよい、とおしえている。「辛抱ができなければ妻をめとるがよろしい。しかし妻に仕えて神に仕えることを等閑に附さないように」幕屋さんのポウロはこのように戒める。
★「もありのままにては意志を動かすに足らず、されど善と見なさるる場合のみにこの事あり」(トマス・アクィナス)また、「と呼ばれるものは壊敗(Corruptio)以外の何物でもない。壊敗によって起るやぶれは、その自然状態の攪乱であって、これは反自然である」(オーガスチヌス
☆〈ルシファー(ルシフル)〉〈天使〉〈罪〉〈絶望〉〈傲慢〉〈姦淫文化〉
★「視よ、もろもろの禿山を見よ、姦淫を為さざる所はいずこにありや」このエレミヤの叱責は、地球上の現実の姿である。
★したがって私も、飛行機が好きな一面に、芸術家をもって最上のいとなみと考えていた。あらゆる人間的存在の中で、芸術的天才こそ最高にあると信じていた。さて一日、キェルケゴールをひらいていたときに、まさに電光的衝撃を受けた。かれ曰く、芸術家とはをただ空想的に扱うのみで、自らそれであろうとしないのみか、そのままにとどまっていることを誇りとしているような怠け者だ、と云うのである。
★「の前に自己を精神として知らないところのあらゆる人間的実存、自己を自覚的にの上に基礎づけることなしに、ぼんやりと或る抽象的な普遍者の中に安住しているようなあらゆる人間的実存……すべてこういう実存は、よしそれが驚歎すべき何をやろうと、よく全存在を証明しようと、よし自分の生活を美的にいかに強烈に享楽しようとも、それは結局絶望である。かれの徳は輝やかしき罪悪にすぎぬ」(死に至る病)
☆『死に至る病』の典拠は、「神・現代・救い」に〈文庫本〉とあるので岩波文庫か。[国会デジタル]には該当本が無いので、参考に『キェルケゴール全集 第1巻』(1935年、改造社、p.320)を掲げる。
「異邦人の道徳は、輝ける罪悪であることを語った時、彼等はこのことを考えていたのである。彼等は、異邦人の心の奥底は絶望であること、……」
この部分が「神・現代・救い」にも出てくるが、そこでは最後の〈絶望〉が〈希望〉となっている。上の改造社版を見るとやはり〈絶望〉となっているので、『多留保集8』は誤植ということになる。またそれを典拠にしたと思われる『全集8』も〈希望〉となっているので、間違いということになる。
★ここに今まで後生大事に奉ってきたは、と対等なものでなかった。
☆〈かの女に子供を生んで貰おうと思うのでなければ、女性などに交渉を持つべきでない〉
☆〈パスカル〉
☆〈笑い〉〈堕天使〉〈空虚〉〈陰影〉〈パスカル〉〈ワイルド〉
★「わが男がみな子を産む婦(おんな)のごとく手を腰におき、且つその面色みな青く変れるを見るは何ゆえぞや」(エレミヤ記
★「かれらは年若くして死亡(う)せ、男娼とその生命をひとしうせん」(イザヤ書
☆この〈イザヤ書〉は〈ヨブ記〉ではないか。「モンパリー」の註参照。
☆〈カール・バルト〉
★再びオーガスチヌスの言を借りて、人間性はその有るがままの状態で、すなわち一般的な自己として、神の国へ入る事が出来るようなものは、それ自身の中に何も持ってはいない!



1947(昭和22)年12月 〇「 雪ヶ谷抄」<文芸>[→「雪ヶ谷日記」8-62] 『悪魔の魅力』 [国会デジタル]


聖マリヤ被昇天の祝日。昼にラヂオで君ケ代がきこえていた。(8.15)[p.70]
★西洋人は何にせよ幼時から、十字架というものに親しんできた。われわれにはそれがない。戦争は終った。それは案じるほどのことでなかった。信仰ならどうか? 案じるほどのことでなかったら、最初から信仰の対象とはなり得ない。しからばそれを持たずにわれわれは生きてきたのだろうか? これからも生きて行けると思っているのだろうか?
 キリスト教国の子供らが、人間の性質と、その義務と、生命の目的と未来に対する智識について、ソクラテス、プラトーン、アリストテレス、シセロ、セネカらよりも知っているのは本当である。此国のわれわれは、人格の威厳について、婦人の社会的地盤について、両親の義務について、確信のあるところが答えられるたれ一人もないではないか。われわれにあるのは信仰というたぐいでは決してなかった。[p.76]
★蓮沼の古本屋の棚で小さきテレジァの本を見つけた。[p.79]
☆後の改訂で、この本は〈英語の本〉とされた。
★実際、人間はこの天地間に自己の意識を持って、しかもこれをいかにごうまんに使用していることか! 最大の悲惨気晴しを求めている事実だ、とパスカルが云っている。[p.81〜82]
メーテルリンクは以前私の好きな著者だった。(中略)総じて巫女的で、大西洋横断の汽船の寝椅子に倚ってひもとくにふさわしいものである。キリスト教が宇宙の神秘の領域を狭少にすることをかれは難じているが、これに対して私は、それは、キリスト教が外べからの突ッつきや模索ではなく、すなわちそれはもはや御道楽や好奇心ではないのであって、すでに世界の本質たる倫理的秩序そのものに立つ実践となっているが故である、と答えたい。(9.30)[p.87]
☆メーテルリンクも批判の的に。
★"Life of Madame Guyon"──先日神田の松崎で見つけておいた本を買った。(10.1)[p.88]
☆〈イスラエルの神の雲〉〈ヤーヴェの赤光〉
自殺が可能なうちは芸術にたいする信頼を失わずにいることができる。しかし自殺もなし能わぬ絶望に陥って、人は芸術の限界をさとる。人はそのときに芸術による救いのみせかけなるを知ると。「主」の名によらざるいかなる精進も結局は放蕩の一種である。青年の例にもれず、私も最高の人間的存在は芸術的天才だと信じてきた。そうではない。創造よりも貴いのは道徳的行為である。天才の上には「」という此世の規則とは全く性質のちがったクラスがあった。(1.30)[p.93〜94]



1948(昭和23)年1月 △「 方南の人」<文壇>[7-323]


☆〈方南(かたなみ)の人〉とは〈ヤマニバーのおトシ〉のこと。
★神楽坂時代は恵まれていたのでなかろうか。何故なら、寒中、単衣物で顫えながら夏期用掛布団一枚にくるまって、『イミタティオクリスティ』や『小さきテレジアの自叙伝』を読むなんていう芸当が、一体何人の如何なる折に許されようか、と思われるからだ。
★Kは徐にポケットから取出して示したが、それは、近頃袖珍分冊として発売されている故戸田神父の『要理解説』の或る部分だった。
☆この〈K〉は、津田季穂の兄の神吉か。「幼きイエズスの春に」に出てくる〈K〉。



1948(昭和23)年2月 △「 白昼見」<新潮>[7-367]


地獄とて勿論その通りであろう。多くの人々にとって死後直ちに赴く所は「中間状態」である。スウェーデンボルクであったか、そんな意見があったが、これは含蓄的だ。そう云えば、生前の人格の度合に応じて、ちょうど大小の軽気球がそれぞれに定まった高度へ到達するように、それらの霊魂には適当な場所が割りあてられるに相違ない、とベルグソンが述べていたようだが、これも中っているらしいとわたしは考え、……
★鼠のような者でもいい、ともかく動くものがいま此処に現われたならば、自分は両手を合わして、「どうすればよいかお教え下さい、どうかお助け下さい」と云って拝むであろうとは十分に思われました。
☆〈「地上とは思い出ならずや」〉
★たとえば贖罪の二字が有難く、忝なく、心の中で念じられるのでした。「贖罪」それは、人間によって作られた退引きならぬ語彙の一つだと考えられました。「主の名に依らざれば何事も徒労のみ」(中略)もう二十年以前に、或る童話風の小説の中に見つけたのですが、……
☆「山風蠱」の項参照。
☆〈SAINT〉
☆〈聖女マルグリット=マリー〉
☆〈フェヒナー〉〈ケーベル博士〉



1948(昭和23)年4月 △「 唯美主義の回顧」<文芸大学>[→「唯美主義の思い出」9-435]


★この、芸術のための芸術、「そのものを目的としている」との主張は大いに我が意にかなったものであった。現今、此種の見解は誰も顧みる者がない。私は、自分なりにこの途を究めた心算でいるが、それが成立しないものだということにも気が付いた。とは云いながら、この唯美主義の伝統はなお近来の紙屑文学よりは、私はよしとする。
☆なぜこの時期に〈唯美主義〉を回顧したのか? 〈キリスト教〉との対比無しに〈唯美主義〉を取り上げることの意味は? 初稿が未見なので確かなことは言えないが、改訂された『全集』版は、逼迫したこの〈キリスト教時代〉の中に置いてみると違和感を覚える。
☆上のような疑問が生じたので、初稿の「唯美主義の回顧」のコピーを入手した。
☆改訂によって、初稿の4分の1弱が削除されており、その削除された部分に、やはり〈キリスト教〉および〈ハイデッガー〉〈ヤスパース〉〈マックスシェーラー〉の名前が出てきた。改訂版では、それらが無くなっていたので違和感があったのである。
☆もっとも、改訂版でも〈キリスト教〉という言葉はなくとも、「それが成立しないものだということにも気が付いた」として、唯美主義の〈限界〉を語っている。初稿ではその箇所は、「現今、私はこの種の文学について疑念を懐いている。それにまた、自分は自分なりにこの途を究めつくして、それがとうてい成立なし能わないことに気がついた」と、より強い表現になっていた。
★芥川龍之介には(その長髪が証しているように)いまの辻潤の上に見られたようなダンディズムが欠けていた。
☆〈唯美主義の大家=谷崎潤一郎〉
★辻潤は、「アイフィールシェーム……」何とか洩した。私はエーセスィートの末路を眼前に見せられたような気がして、自分もこんなことになったら大変だと、今さら反省しないわけに行かない。
☆この部分は初稿では、「「アイムシェーム!」とか何とか辻氏が洩したことが思い出される。私は事実、自分が今日までやってきたことの空しきこと、それが結局何にもならなかったという例証を、ここに一代の審美的存在、辻老を見本として示せるように覚えた。」と改訂版とはニュアンスが異なっていた。
★でも、貧乏エビスは本物であった、と私は思っている。
☆辻潤は〈唯美主義者〉として本物だったということ。
☆それにしても、なぜこの時期に〈唯美主義〉を回顧したのか? しかも初稿の末尾には、「辻潤ならびにその他一般審美的存在の意義について、私はそのうちに研究を発表するつもりである。」と述べている。タルホは一筋縄ではいかない。
☆初稿にはサブタイトルとして、「辻潤、谷崎潤一郎両先輩を中心として──」を附す。



1948(昭和23)年10月 〇「 実存哲学の余白」<敍説>[8-294]『多留保集8』


★「及び地獄が、それらによってそれらを克服するためのものとしてでなければ、それらをもってよく独立に考え得られない」(ルッター
☆何度も出てくるこの言葉の典拠は、ルターであった。
ルネッサンスこのかた芸術が拡まり、現にかくのごとき勢力を張っている所以も、ひとえに人々が気晴しを求めている証拠である。
★「その時すべての婢女下僕も異言を語らん」との文句が使徒行伝の中にあった。
★「なんじら我名のために万人に憎まれん」(マテオ伝
★「ヤコブには魔術なし、イスラエルは占卜に非ず。はその為す所をそのときヤコブに告げ、イスラエルに示し給うなり」
★運転席にシガーをくわえた紳士、そのかたえに倚りそう赤き絹のレディ、これ人間に非ずして、人間人形! 姦淫を行なう資料のかたまり、音楽を解するところの物体そのものに他ならぬ。
☆唯美主義時代の〈人間人形〉と意味するところが逆転している。
☆〈プロメシュース的傲慢〉
★「星の輝く天空は我が外に、道徳的原則は我が内に」この有名な言葉はベートーヴェンの手記中にもかき入れられているが、それだけに、カントは、またかれの云い方に共鳴したベートーヴェンは、まだキェルケゴールのいわゆる「審美的段階」にとどまっていたのだと考えさせられる。云いかえると、かれらは、及びをただ空想として扱うのみで、進んでそれであろうとしない罪の状態におかれていた。
審美的存在の一カケラにすぎぬ私にあえて道徳を気づかせた一句を、参考までにつけ足しておこう。「人工の極致は道徳である」(ボードレェール
☆このボードレールの言葉は、「キリストはダンディーの極致である」と併せ、やはり〈美学的見方〉ではないのか。
★われわれ各自がつまりそれであるところの現存を、その根源において把握すること──不安の無の明るい夜の中にあってこそ、存在物の真相が全体的に顕わになる──ということを、このペンを執っているたった二カ月前に、教えられた。
 しかしながら、このような実存主義は、私好みの云いかたをすれば、つまりはシンフォニーの片隅に鳴っているピッコロだと直観される。それは独断的な、予言者的な、「例外者」の形而上学であって、「哲学とは普遍的な学問である」という点から見るならば、かかるエクセントリックな思想がなんで哲学であったろうか、と疑わないわけにいかない。けれどもこのピッコロには、ともかく、苦悩からの回線が繋がれて、ゲージの針は霊魂の振動を示してピリピリと顫えている。これ、ギリシアの伝統を引くいかなる一流楽器にも見当たらぬものでないか? 次に来るべきものが何者かはもとより知る由もないが、私には、ここを、実存哲学を通らずしていかなる新らしい途も打開できぬであろうことは信じられる。いまや倚りすがるべきものはピッコロ以外にはない。
☆〈姦淫〉
★かかる物質と慰戯の跋扈、これをもって文化と称する。その目標は、人間を洗練された動物に仕立てること、否、人間人形の製造、人間の物体化
★われわれがもって救わるべく必要なのは、いかなる人間的智慧でもない。ただわれわれの敬虔においてのみ、外部から与えられるところの「超絶的知識」をのけて、何物もそこにはない。
★けれども、この、一羽の小鳥も来ようとはしないところにこそ、──若し許されるとすれば──私自身の実存がある。途きわまってこのまま錯乱状態に陥るか、それとも一生命の客観的危機を目撃し、身をもってそこに飛びこんで擁護のための犠牲となるか──その機会と勇気が果たして自分に与えられるか? このせめてもの願望のほか、もはや私の生きる場所とてはない。
☆同様の記述が「モーリッツは生きている」に。改作の「姦淫への同情」(『全集8』p.193)では、その〈犠牲〉が「俺はたぶん近日中に小さい子供の危機を目撃してその救済に飛び出して、レールの上かトラックに引摺られて相果てるであろう。」と具体的な記述になっている。
☆〈ゲーテへの罵倒〉〈傲慢〉
アウグスチヌスの言辞を借りて──輝やかしき罪悪にすぎぬものであった。
★人間が人間を喪失しつつあるという点から云えば、現代はまさに「人形時代」である。
宗教は、人間がから解放されることを目的としながら、人間を罪の責苦の只中に引きずりこみ、そこでにっちもさっちも動けなくしておいて、の運命によっておびやかしている、とバルトは云う。──人間が、とのさかいに設けられた荷電鉄条網に触れることによって、何人も自己の限界内に投げ返される。
☆カール・バルト(1886年−1968年)はスイスの神学者。典拠未詳。バルトの名前は「姦淫への同情」にも。
☆バルトのこの言葉は、自らが置かれた境遇そのものだと身に染みたに違いない。
★われわれはすべく限定されている。ところが、このような真相に直面することをきらって、われわれはひとえに世間──ハイデッガーの「マン」に堕ちて、自己の覚醒を等しく晦まそうとしている。このような一般的なごまかしの場所に、救済なんかがあろうはずはない。さてふとした瞬間、われわれに向って呼びかけられる声なき叫びは、われわれをして、われわれがまさにあるべき本来の位置へ連れ戻そうとするものであるかぎり、「背後からの声」(ノスタルジー)である。しかし、このようなわれわれの故郷はいつか取り戻されるに相違ないという意味においては、それは「前方からの声」(渇望)である。そしてこのような叫び声をきいて──いわゆる瞬間なる「時間の虚無点」を媒介として──自己の内外をかえりみたとたん、そこは透明に、物皆の底が見えてくる。
☆ここに〈ケーベル博士「神と世界」中の引例「ベルシェ大都の背後に於て」中の世界瞥見〉が挿入。「有楽町の思想」参照。
★ただし、ここに云われる進化は、進化と同時に恢復の道程であることに注意しなければならぬ。何故なら、このような時間の虚無点、すなわち瞬間にあっては、われわれはすでに偶然性の支配下にある審美的立場を脱して、「時間的運動の統一的全体」(ハイデッガー)にはいっているからである。
イエズス・キリストの死は、現世のあらゆる情けないもの、果敢ないもの、女々しきもの、躊躇されるもの、云いかえると、一切の相対性を引裂き、それらすべてを脚下に踏みにじって、をもって最初の、且つ最後のものとして告知する。これらが「復活」であり、天使らも等しくその秘儀の釈き明しを願っている「救済」である。
★「その日その時をば何人も知らず、天使すらも知らず」(マテオ伝)「かの日思いがけなくワナの如く来らん」(ルカ伝
★この危険なる尖端に気づき得る能力をもって、彼岸意識進化過程の予覚、或いは意識境の延長、それとも心情の弁証法、これら云いかたをまとめて、われわれの「宗教的本能」と称するのであろう。
★かくて人間とは「時間においてあるもの」「滅び行くもの」──しかも、いまだ何人にも超えられなかった前記Sheitelにまであえて身をもって突進し、そこに触れることによってのみ人間的存在があり、いまだ起らない「新エルサレム」をその背後に負うてこそ、この現前の世界の存在がある。
☆6行前では〈Sheitel〉でなく、〈c〉が入って〈Scheitel(分界点)〉となっている。〈Scheitel〉が正しく〈Sheitel〉は誤植だろう。『多留保集8』を踏襲した『全集8』も同様。



1948(昭和23)年10月 〇「 詩の倫理」<日本未来派>[8-272]『多留保集3』


☆〈悲惨〉〈ゲーテへの罵倒〉〈傲慢〉〈驕慢〉
オーガスチヌスの言を借りて、それは「ただ輝かしき罪悪」に過ぎない。
ドストエフスキイトルストイ、(中略)パスカルキェルケゴール、これら選ばれたる人々といえどもかの恐るべき深淵を彼方にひかえたる壁を打ち破ることの出来ない人だ。(中略)ハイデッガーヤスパース、それともベルグソンを抜けることは不可能である。抜けたところで、それは空しき業である。このわれわれに課せられたところの宿命、原罪によるところのこの不幸、これを解決することは、絶対に不可能であると私は信ずる。
☆ここに来てついに、ドストエフスキー、パスカル、キェルケゴールらの限界をも指摘し始めた。「神・現代・救い」にも。
★ソクラテスに始まって、今日に到るまで、おおむねの哲学者、思索家、並びに文学者とは、精々のところで、一介の教師を出ないものだ。(中略)そこには、何ら権威なく、第一に、祝福がない。かかるていのいとなみにおいて、われわれは救済さるべくもなく、また、そのようなことが事実あってたまったものではない。
★西洋人はそのすべてが、正しきキリスト教者だというのではない。しかし、ことあってここに涙を流して、となうべき聖書及び祈祷書を持っている。不幸にして、われ等は、かかる何一つもない。
☆〈悲惨〉
★これはケーベル博士の説であるが、ただ一つ、古いラテン語のカリタスという、五感的対象を超えた、高次の、清浄な「」の意味を表現する言葉……
★即ちとは、非存在、非有のことである。
☆〈観音様〉
☆〈悲惨〉〈姦淫の文化〉
★私も嘗て、私の長い芸術道程の半ば以上を、まさに唾棄すべき遊戯の上に、むなしい感性の建築に、唯美主義救いなき谷間に迷って、貴重なる時を無駄についやして来たのである。
★かくてもはや私等に残された道は、自殺か、超越かの二つしかない。自殺、生きながらの自殺であってもよい。人間性などという妄想を粉砕して、一粒の泥土、一箇の岩石と等しい存在に、われわれ自身の存在を解体せしめ、荒廃させしめること。測り知れざる存在の不安に直面すること。かかる危機に常に自己を瀕せしめて置くこと。かの実存主義とは、一つにはこのことを説いているものと思われる。そして超越。これはまた一切の生なきものと思われる泥土や岩石や、微々たる存在のすべてをもちあげて共に救済されるべき、広大にして聖なる宇宙的理念を獲得すること。即ち宗教。しかもこの超越、即ち宇宙的理念の獲得は、恐らく、存在の不安においてに直面した者にのみ稲妻のように訪れるに違いない。
存在に対する不安からのへの直面、そして超越者の獲得、この二つのテーゼを踏まえて、この二者の彼岸に一つの新しい統合を創造し、一切の迷える今日の人類に稲妻の如き光を導入させんとする者のみが、今日から後の真実の詩人の名に価するであろう。
☆真の詩人とは、〈死〉と〈超越〉とを〈彼岸〉において〈統合〉する者。



1948(昭和23)年10月 △「 きらきら日誌」<文潮>[→「横寺日記」7-345]


★私にはなお日曜学校で貰いためたカード、十三、四歳からメソジスト派の学園にあって、朝々のチャペルに加えて、幾度かのクリスマスの蝋燭と復活祭の色玉子の記憶がある。
★辻老は、(中略)私の枕辺にあった聖フランシス伝を取上げ
 まことの修道僧とは四絃琴のほか
 何者も己が所有とは思惟せざる者なり
という巻頭言を繰返し読んでから、「忘れてはいかん」とそこについている固有名詞、Gioachino di Fioreを紙片に控えて、尺八を腰に差して出て行った。
☆タルホは、辻潤のことを〈貧乏エビスは本物であった〉といって買っている。しかしその〈本物〉とは、〈生き方〉に拘る〈唯美主義者〉として、ということ。



1948(昭和23)年12月 〇「 美少女論」<新潮> 『多留保集1』


★「両性の欠点を取除いて組たてた人間のモデルとは何か? まず人間が最も美しく賢明になる時期、云いかえて十五六歳の少年によって暗示されるものだと云うほかはない。だからそれは美少女でもよかった。しかしいかにせん、人間の質的向上にたいして、婦人は常に間接的刺激者の位置に立つことしか許されなかった。そのため、美少年という原型が大いに採用されて、当然両立すべき美少女の方はかえりみられなかった。しかし、ギリシアを曙とする文明が美少年の理念に始まったのであれば、来るべき新文明は、美少女の理想の下に踏み出されるであろう。そんな意味の、第二のプラトンが出てもよい」──こんな意味のことを、私は先日、江戸川乱歩氏との同性愛に関する対談会で持ち出した。
☆〈先日、江戸川乱歩氏との同性愛に関する対談会〉というのは、1947年12月雑誌「くいーん」に掲載された「そのみちを語る・同性愛の・」のことだろう。「美少女論」には〈一九四八年の桃の節句、愛の世紀の先駆なる日本美少女らのために、お祈りをささぐる──〉とあるので、これを書いているのは1948年3月で、それが「新潮」に掲載されたのは同年12月ということになる。
☆タルホは〈来るべき新文明は、美少女の理想の下に踏み出されるであろう〉と予言している。
★男女両性という二種の半球の合致によって、完全な球体が構成される。
☆稲垣志代著『夫 稲垣足穂』(p.20〜21)によれば、志代は、〈両半球の合致〉すなわち〈結婚〉という〈難事業〉にもう一度(再婚になるので)取り組んでみたいと思った、とある。
★ここにキリストの許嫁なる清らかな一群がある。これこそ、あらゆるハイカラの頂点、ダンディズムの極致、ひとり若き女性のみが特権を持つ百合とスミレの香がする境地である。(中略)どうか世の一隅に、そういう気高い、カトリック美少女なる天使的存在があるということを、この機会に頭にとどめて頂きたい。
★しかしいったん、より高い愛の精神に目ざめた場合、われわれが我身の外に生きる本能を取戻したさい、己れを棄てて同胞の福祉に尽す心根が生れたとき、そこにあるものは奉仕! これはによる貴女への委任である。愛の力は、いかなるいびつな半球をも完全にまで変形する。
☆ヒルシュの言葉がここにも。ただしここでは、〈聖なる事業〉が女性における〈奉仕〉に置き換わっている。
★人は半球のみでは何と力んでみたところが駄目だということである。(中略)われら切に求めるところは愛人に非ず、また母ならず、ひとえに心の色は赤十字! 看護婦である。(中略)われらはひとえに諸嬢に希望し、且つすがらざるを得ないのである。
☆主語は〈われら〉になっているが、これは〈女性から愛されたい!〉という、ほとんどタルホ自身の〈号叫〉である。篠原志代が現われた不思議。
天なるわれらの父よ。われらのはしけき子らを、謹みて主の御保護の下に託せ奉る。願くは主おんみずからかれらの父となり給え。われらの子らが世の腐敗に打ち克ち、内外のあしきいざないを防がんために、御慈悲をもてかれらを強めたまえ!



1949(昭和24)年1月 〇「 モーリッツは生きている」<新潮> 『多留保集1』


★十年来、かれにかち得られた功績は、性慾の克服である。殊に後半期に及んで、一年に数回のゆめを見るにすぎぬ境地にまで、自己をみちびくことができた。夢は取上げないからして、苦にはならぬ。この云いぐさを人がいかように受取るかは知らないが、ともかく自身明るくなったことは確かである。
☆〈性慾の克服〉は「ヰタ・マキニカリス」にも。
★日本人はつんのめりかけている。どんな方策も役に立たない。この難関を突破する気力を与える者は、ひとえに、心の色の赤十字、可憐な看護婦だ! 此処に、あどけない、Oさんのズボン姿が、かれの眼前に、浮んだ。
☆〈Oさん〉は小山書店勤務の女性。
★この種の呵責を、かつて「」と名づけたことがあったが、いまはそんな抽象さえ許さぬ、しかしわけの判らぬ暗黒者との格闘であった。或る夜半、磨ガラスがはまった窓べに──それは向うがわの灯を映して仄明るかったが、そこに、外部から、見当のつかぬ影が、あたかもおばけ蝙蝠のようにくっついているのに、かれは気がついた。とたん、その者は落ちるようにガラスの表面を離れたが、……ああこれはおれの霊魂だ、この日頃のあさましいおれを見限ったおれの霊魂が、いまそっと二階の窓べに忍び寄って、主人の様子を窺っていたのだ。あの影はたしかにしくしく涕泣していた!
★……以上の二つはむろん夢の領域にぞくする、かれはこう考えている。何故なら、若しもそんなことが現実か、あるいは現実中の幻覚であったなら、塔上から飛下りるか、それとも昼日中の戸塚終点で、日本刀を振回して、そのまま顛狂院さし向けの自動車に収容されねばならぬからである。
☆上の記述に続く一文。〈塔上〉とは、早稲田グラウンド坂にある野球場の照明塔。ここに至ってなお〈正気〉を保ち続けている精神力に驚嘆。
★いまはラゲ師訳の新約と、表紙のすり切れた祈祷書の二冊になっていた。聖書はしかし夜半の襲来者にそなえて、もはや役に立たなかった。かれが泣き伏し、時に身をもがいて差し伸べる手につかむのは祈祷書で、殊に巻末の「死者のための祈り」の部分だった。Yの訃をきいてから、この効験はいっそうに確かめられた。
☆〈Y〉とは横光利一のこと。
★世田谷へは花束を持って行くべきだった。思い返して「ドプロフィンデス」を紙片に写し取って、かれは葬家の受付に届けた。人はたれしも、時あって次のように唱えねばならぬものを、各自の胸中に蔵している。「その行いによって彼を裁き給うこと勿れ。彼、主のおん前に一善だに為さざれば、主のおん憐みを切に願い奉る。願わくばそのもろもろの罪過を赦し給いて、彼らを終りなき命に到らしめ給え!」
☆横光の葬儀のこと。
☆〈ドプロフィンデス〉は〈デ・プロフンディス(De Profundis)〉のことか。「友横光利一の霊に」(1949年6月)では〈デフロンデス〉となっている。
★おれはあすにも、小さい子供の危機を目撃して、その救済のために犠牲となりはてるか、さもなくば発狂だ! いずれにしてもこんな恐ろしい日々は永くない、 超絶だ! 超絶だ!
☆「実存哲学の余白」に同様の記述。
★前年八月にかくことをすすめられたエッセイは、まず課題の実存哲学とは何であるかを知る所から始められねばならなかった。その草稿が半年目にやっと出来て、富士見町の編集所へ渡された。「超絶」(Transcendenz)とはこの執筆中、彼の覚えたコトバである。
☆この〈エッセイ〉とは、小山書店発行の雑誌『敍説』掲載の「実存哲学の余白」(1948年10月)のこと。この「モーリッツは生きている」は1949年1月『新潮』発行なので、執筆は1948年中だろう。すると〈前年八月〉というのは、1947年8月のことになる。小山書店からは、1946年8月に『弥勒』、1948年4月に『明石』を出版している関係。それに〈ヤマニのおトシ〉に代わって、小山書店には片想いの〈Oさん〉がいた。



1949(昭和24)年2月 〇「 荒譚」<新芸トップ>[13-65]


よ! を知らざるこの異教徒の、されど心潔かりし御魂を許したまえ。
☆〈灰屋のおッさん〉の死に対して。



1949(昭和24)年3月 〇「 赤き星座をめぐりて」<表現>[8-91] 『多留保集6』


★K君の蔵書中に旧約があった。ひらいてみたら、そこに、「なんじの頬は面怕の後にありて柘榴の片片に似たり」
☆〈K君〉は金親清。
★われわれ各自をその現にあるままの自然的状態から解放して、新らたに生れ変ったものとなすための要素、苦悩が欠けている。資本主義が、また共産的社会が、そのままで神の国につながっているなどとは飛んでもない話だ。われわれにはただの前にひれ伏す敬虔と、贖罪の途が要請されている。これに気づかないで、いかに進化を説き、人類の悲惨なる現状に(ヴァレリイのように)嗚咽したところで、追いつくわけでない。
☆〈ヤスパース〉
★永遠を時間によって測り出そうとするのが、いわゆるの状態である。原則的には、こよみすら不用になっていて然るべきだ。コンミュニストならぬのは歴史的人間でない? それならば云おう。カトリックならぬ者は永遠的人間とは称することができない。
☆同様なことが「神・現代・救い」(『全集8』p.338)に。
★「我々に作用しているが、しかし作用する意識そのものを我々に決して与えないところの世界の実在! 身体全部を失ったときでさえその人が無くなったことにはならぬ。いや、無くなったのは、彼をみとめるための我々の手掛りなのだ」また、「霊の世界……そう気付かずとも、まさに我々はかかる世界に参与している者である」(J・H・ニューマン)
☆「神・現代・救い」に、「われわれに作用するが、しかし作用する意識そのものをわれわれに決して与えない世界の実在、ということについてまず私の眼を開かせたのに、フェヒナーがある。」とある。
☆ジョン・ヘンリー・ニューマンは19世紀のイギリスの枢機卿、神学者。典拠未詳。
★「ジダケ」と呼ばれるキリスト教最早の訓戒十五箇条の中に、「卜者の許に行く勿れ、みくじを引くこと勿れ」というのがあった。また、「侮辱を記憶すること勿れ」もあった。
☆〈ジダケ〉は〈ディダケ Didache〉か。初期キリスト教の文書。典拠未詳。
★このような点からソビエトとは握手されそうである。ただし、かれらが、労働者の家庭毎に天体望遠鏡を一箇ずつ供えることを約束し、そして、たとえばミスチシズム或いはスピリチュアリズムと呼ばれる宏大無辺な領域にまで手を伸し、これらを人類可能性の台として採択するのであれば、である。
☆〈傲慢〉〈旧約〉〈異端〉
クリスチャンミスチシズムとは、日常瑣事の上に実践体得されつつあるべきである。
★「人間においては、いかに取るに足らぬ内臓の苦痛をも、これを分析し、解釈し、正当な反省を経て高度の宇宙的理解にまで高め得るのである」──ドロリズム(苦悩の福音)を説くジュリアン・テップ氏のこの意見は私にスピノザの「感情を対象化せよ!」を思い出させる。
☆〈サルトル〉〈天主の不在〉
☆〈悪魔〉〈姦淫〉
☆ジュリアン・テップ(1910−1975)はフランスの思想家。典拠未詳。鈴木大拙の戦後の随筆「ヒットラーの二重人格」の中にも見える。



1949(昭和24)年5月 〇「 神・現代・救い」<素直>[8-317]『多留保集8』


★「今はたえて何物も欲せず、何事もあえて意志することなし。我の此処にありや否やをすら知らず」──静寂派の元祖ギュイヨン夫人の言葉を思い浮かべたりしたが、それとこれとは似て非なる心境のようであった。いまに或るはずみさえつくならば、ビルディングの屋上から飛び下りるくらいのことは自分にだって出来る、と思っていた。
☆〈地獄〉〈アクマ〉
★人が自殺出来るうちは、その信奉する思想なり主義なりに精進することが可能だ。しかし死のうとしても死ねない破目に立ち到って、かれは芸術なら芸術の限界をさとると。
☆〈カール・ヒルティ〉
Saint聖者)という五字が閃いた。そうだ、おれはこのふしぎな存在にまだ気がつかなかった!
★そして芸術的存在が第一だ、と私は思っていた。いまはここに聖者なる第四人格が加えられねばならなかった。然らば三角は四角に拡げられるべきか? さにあらず。三角は四面体とならねばならぬ。この三角錐の頂点が聖者である。よし、ひとつ、機会ある毎にこれを研究してみよう。
★だから、三月十三日は、セイントに気づいた日は私の記念日になっている。
★人に借りた絵入公教要理をつれづれに開いていたとき私は見つけたのである。アクマとは天使の堕落した者だと。
★この「人間神化」が、ルネッサンスこのかた、あらゆる近代的思想の根柢をなしているでないか?
☆〈マテオ伝〉〈ルシファー〉
天使は、の傑作たる明けの明星、その名をルシファー、光り輝く純霊だったからして、かかる存在が、「この調子じゃ、ひょっとしての位置にとって代られるかも知れない」せいぜいこの程度だったろう。かれらとて最初からを見ることを許されなかった。若しを直接見ることができたのであったのなら、このような不遜な考えは起る余地はない。何も知らないものだから、つい迷いが出た。ほんのこれったけ、この一事によって忽ちそれが恐ろしいを形成することになった。かれらは永劫に赦されぬ地獄に陥し入れられてしまった。
☆〈永遠と健全のごきげんうかがいをしなければ何一つとして楽しむことのできなかった吾々が、人間人形に、フェアリーに、さらに進んで神々にさえなろうとしているこの地球上の今日の大勢にまだお目ざめでないか?〉と嘯いていた唯美主義者タルホにとって、この〈ルシファー〉が意味するところは、心底深く突き刺さったはずである。
★まずは、天使らをもってゼンマイ仕掛けに動く人形のような者に造らなかった、と云えよう。人間とてもその通り。いまも述べたように、は、そのみたまを人間に与えたことを自ら妬みたまう。それほどに天使乃至人間に、惜気なく、気前よく、は振舞った。然してわれわれが単なるロボットであるなら、石の落下や熱の伝達と同じである。われわれの道徳的根拠を一般物質界にまで引き下げることに、それは他ならない。(中略)よって自由意志とは神の恩恵なのである。
☆〈生命〉を抜き取り、〈電気仕掛け〉によって〈人間人形〉を動かし、壮大なる〈もう一つの世界/トーイスランド〉を現出させようと思い描いていた昔日のタルホ。
★けれどもここに只一つ、どうしてもかれら〈アクマ〉に不可能なことがある。それは神への忠信である。
☆〈魅力〉〈感謝〉〈アダムの罪〉
☆〈傲慢心〉〈笑い〉
☆〈パスカル〉〈キェルケゴール〉〈悲惨〉〈ミルトン〉
★──元より、公教要理中にあった簡単な二三行のアクマの解説をここに敷衍するからには、私には下地があった。いまの要理をひらくより先に、私は文庫本の『死に至る病』をよんで、まだよく判らなかったとは云え、それでも二三カ所に電撃的衝動を受けた。曰く──
 ……存在することの代りに詩作し、単に空想の中でとを問題とするだけで、実存的にそれで在ろうとしないことが、即ちである。
 ……自己を精神として知らないところの、即ち、の前に自己を個人的に精神として知らないところの凡ゆる人間的実存、自己を自覚的にの上に基礎づけることなしに、ぼんやりと或る抽象的な普遍者の中に安住していて、自分の才能を只働きかけるための力としてだけ受取り、それがどこから与えられたかも意識していないような凡ゆる人間的実存、また内面的に理解されるべきはずの自分の自己を、ただ不可解な或物としてだけ受け取っているような凡ゆる人間的実存、すべてこういう実存は、よし、それが驚嘆すべき何を実現しようと、よし、それが全存在を証明しようとも、よし、それが自分の生活を審美的に如何に強烈に享楽しようとも、それは結局希望である。その徳は(アウグスチヌスのコトバを借りて云えば)ただ輝やかしき罪悪である。
☆〈絵入公教要理〉より先に文庫本の『死に至る病』を読んでいた。
☆最後に出てくる〈希望〉は、「姦淫への同情」では〈絶望〉になっている。典拠の『死に至る病』の訳本を見ても〈絶望〉となっているので、〈希望〉は誤植ということになる。
☆〈悲惨〉
★ここに私は、他のものとは全然系統を異にした崇高な思想が、世界にあったということに気づきかけたのである。では仏教は、回教は、などとはもう考えない。私は山へ登らねばならぬ破目にある。ケーベル博士の随筆中に見つけた二ヵ所の文句が、私のあとおしをしてくれた。「あらゆる異教的なものを繭脱して、キリスト教的世界観に到達するのは、人間精神発達の当然の過程である」ゲーテも或る時エッカーマンに向って洩している。今後人類の精神文化がいかに発展しようとも、四福音書に表わされた烈々たる道義的秩序を超えることはないであろうと。
★われわれに作用するが、しかし作用する意識そのものをわれわれに決して与えない世界の実在、ということについてまず私の眼を開かせたのに、フェヒナーがある。
 仙台の古本屋の棚でこれを見つけた、読んでみたまえ、と云って旅行先から帰ってきた友人が出したが、ケーベル博士の随筆中に推薦されている本であることが、あとで判った。
☆この本とはフェヒナーの『死後の生活』のこと。
ショウペンハウエルのどこかにあったコトバ、「来世の太陽は現世のそれに較べて、たぐいなく輝やかしいものに違いない」この云いかたに、私の心の扉を叩かれるものを感じる。厭世と解脱の哲人は、菫の香がするフランクフルトの哲人は、いまの考えをたぶんスエーデンボルグに得たのであろう。
★「人間に決して経験されない只一つがある。それは自分がんだということである」H・G・ウェルスが述べている。人は死んでも決して自分が霊界へ来たとは思わないであろう、とスエーデンボルグは云う。
☆スエーデンボルグに関する記述が続く。
☆〈オリヴァ・ロッジ〉
☆〈カール・ヒルティ〉
☆〈ドストエフスキイ『作家の日記』〉〈霊魂不滅の観念〉
★去年(一九四七年)の十月以来、私にはまたが現われた。(中略)あの牛込横寺町の日夜のように私は唸きこそしないが、じっと布団のふちを掴んで辛抱しているけれど、これじゃいまに気が狂ってしまうだろうと思わずにおられない。
☆これは〈真盛ホテル〉時代の出来事。「モーリッツは生きている」(1949年1月)にも。
★これが泣かずにおられようか! 手を伸ばして、机上の祈祷書を取らずにすまされようか! ああ、あれはおれの霊魂だ。おれの日頃の行状に愛想をつかして、おれから離れ去った霊魂が、ひそかに戻ってきておれのあさましい有様を見て啜り泣いていたのだ!
存在の不安なのだ。人間的存在それ自身が心もとないのである。おれは倖いにして、その事実を日夜知らされている。けれど、たいていの者は、かれらの商売に、旅行に、享楽に、真相から面をそむけ、逃げ廻っているまでの話でないか? 由来キリスト教的見解は自ら苦しむことをもって特長とする。「なんじより釈放されたり」というパウロの言辞よりも、日常の、可見的苦痛から解かれるほうが、かれらにあってうれしいのである。人々は、殊に日本人はこのような道徳的未開状態を脱していない。
★突っこんで云うなら、パスカルキェルケゴールもついに文筆の徒である。
☆「詩の倫理」にも同様のことが。
☆〈原始アダムの罪過〉
☆〈オスカー・ワイルド〉〈驕慢〉〈自殺〉
★肉体的存在の勝手な破棄は、超絶ではなくして、むしろ元の出発点へ引き戻されることことになるとも思い直された。でも、さきに述べたような怖ろしいことが、現実のまぼろしとして身辺に起りかけたからには、もう辛抱が出来ない。 出口だ、出口だ、出口がほしい!
☆〈ポール・ヴァレリイ〉〈原罪〉〈デ・クインシイ〉〈ジュリアン・パンダ〉〈ルネッサンス〉〈人間神化〉〈姦淫文化〉〈悲惨〉〈傲慢〉〈謙遜〉
☆ジュリアン・パンダ(1867年−1956年)はフランスの思想家。典拠は『知識人の反逆』(木田稔訳、小山書店、昭和16年)か。引用箇所未詳。
★かのアクマと云えども、究極においてはの計画に参加している。は、或る霊魂に、守護の天使を通して恩寵を与えるとき、アクマがこれを知って正義に叶う範囲において極力さまたげることを許す。十字架のヨハネがこのように云っている。
☆十字架のヨハネ(1542年−1591年)はスペインのカトリック司祭、神秘思想家。典拠未詳。
★人類は、只より多い愛(意識されざる形而上学、他者の上に善いことを望むこと)を俟ってのみ救われ得る、このわれわれの現世とは、益々高い目標を追うて進歩するもう一つ先の生存のための学校だと見なさなければならぬ、これらのことは、私には本当だと思われる。
☆この後に、〈先のドストイエフスキイのコトバにも暗示されているように、上なる学校への下準備としてわれわれのこの地上生活がある〉とあるので、この典拠はドストエフスキーか。
☆「山田有勝兄への書翰」には〈エコオル〉が出てくる。
☆〈コンミュニスト〉〈念願〉〈カトリック〉〈感謝〉
救いのためには、われわれが各自がすぐ隣人から始めなければならぬ個人的な愛しか、そこにはない。(中略)この具体的な部分については私には云えない。(中略)活字をよんで、書斎における思索に耽って、単にそれだけのことによって、何物が獲得されると云うのか。
☆主語は〈われわれ〉だが、これこそ自身のことを指している。〈始めなければならぬ〉ことは目の前に見えていながら、どうしてもそれを手にすることができない、そこに到達することができない〈苦しみ〉。
☆〈ドストイエフスキイ〉
実存哲学に説かれる限界状況が、ハイデッガーのいわゆる後方からの、前方からの呼び声に自覚を警告されるときの、恐ろしさをつくづくと体験し、現にその過程中にある。



昭和24年6月 〇「 友横光利一の霊に」<『横光利一全集』月報 第15号、改造社>[8-291]


★新感覚派始末──横光利一の霊を呼びもどすために──私が横光利一に逢ったのは、たぶん、一九二二年九月だったと記憶する。まてしばし話はさかのぼる──と書いたのは去年の人間喜劇八月、してまてしばし。
☆〈人間喜劇〉とは、1948年8月に雑誌『人間喜劇』に発表した「新感覚派始末書」のこと。
☆この「月報」の文章は相当乱れているが、年月の記憶は正確。
★かかる空しき次第で生涯が終りになるとは考えられぬ──におびやかされつつ、
★今や未来派も新感覚派も悲しく、私の宇宙論はメランコリヤに閉されて、
★この月報の原稿を約束の日、今日五月十日間に合わなかった私は、大輪さんという人から頼まれたというウエクリ君に、もう生理的欲求の酒をのんでいる処を掴えられ追われ追われ書いている。
☆この〈五月十日〉は、『横光利一全集』の月報が出た昭和24年のことだろう。とすると富山県城端町に出奔する直前のことになる。
★横光君、君の立派なだけに、恰も何やら悲劇の花影を落した葬列の日、私は酔態で現われ、川端氏だけに会ったと記憶する。
☆横光の死は1947年12月30日、葬儀は1948年1月3日。
★死者の霊に、生ける者の為に、くり返しデフロンデスを唱えよう。主よ永遠の安息をかれらに与え、絶えざる光をかれらの上に照し給え、かれらの安らかに憩わんことを、しかあらしめたまえ!
☆〈デフロンデス〉は、「モーリッツは生きている」では〈ドプロフィンデス〉。


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以上を通覧して


 誰もが一瞥して気づくのは、引用されている人名の数が多いことだろうと思います。キリスト教に直接関係する事柄や人物は、筆者がそのような箇所を選んでピックアップしたわけですから多いのは当たり前ですが、それにも増して多いのは、それ以外の人名の数です。それらを多い順に並べてみると、以下のようになります。
 ヒルティ
 ショーペンハウエル
 ゲーテ
 キェルケゴール
 ケーベル
 クインシー
 ポオ
 ウェーデキント
 ベルグソン
 ボードレエル
 ドストエフスキー
 パスカル
 これらの人物は、上に掲げた40数篇の作品中に、それぞれ5〜10回の頻度で登場しています。さらに、これ以外の人名を合わせると、総勢100人余りの名前が、延べ250回以上にわたってこの時期の作品中に登場していることが分かります。その中には批判の対象として名前のみ挙げられる人物もありますが、多くはタルホ自身がなにがしか共鳴した言葉を遺している人物です。

 数が多いのは、博覧強記を示すためでしょうか? そうではないはずです。理由はさまざまあるでしょうが、そこから最も強く感じられるのは、自身のいわゆる〈存在の不安〉を打ち消すため、あるいは宥めるために確固たるものが欲しいという〈叫び〉のようなものです。〈彼岸〉に辿り着くには、一人だけで流れを泳いで渡ることはできない、そのために先人たちが拵えた舟を乗り継ぎ乗り捨てして前に進もうとしているかのようです。しかしその〈彼岸〉は、自身が言う〈ロバチェフスキー空間〉のように、〈世界の果てはすぐそこに見えているにかかわらず、いくら進んでも到達することができない〉のです。〈彼岸〉は無限遠にあっても、距離を判断できるので無限遠に見えません。それなのに、近づこうといくら歩み寄っても、〈彼岸〉は無限の彼方にあるので少しも近づいたようには見えないのです。タルホの〈苦悶〉はここにあるような気がします。

 人名の他にも、印象に残る言葉として、〈べき〉があります。〈べき〉は〈べし〉の連体形、連用形は〈べく〉です。〈べし〉と言い切ると聖書の常套句になります。上の引用中にも、〈愛すべし〉〈なかるべし〉〈希望すべし〉〈滅ぶべし〉〈焼かるべし〉などと出てきます。この〈べき〉には〈義務〉や〈命令〉の意味があり、それは人の考えや行為を〈縛る〉ものです。上の引用中には、〈べき〉が多用されていることが分かります。
 〈べき〉と似た言葉に、〈ねばならぬ〉〈ねばならない〉、〈なければならぬ〉〈なければならない〉があります。これらも〈義務〉や〈命令〉の意味を持っています。
 引用中に、こうした言葉が多用されているということは、〈キリスト教時代〉は、タルホ自身の考えや行為を〈縛る〉作用が強く働いていたことを証明しているように思います。その一つの表れが〈道徳〉なのかもしれません。この〈縛る〉は自他ともに作用して、自分に作用する場合は〈自縄自縛〉となり、他人に作用する場合は〈罵倒〉になります。

 その他で印象に残る言葉は、〈傲慢〉です。これも頻出します。絵入公教要理で知ったという〈天使〉⇒〈傲慢〉⇒〈悪魔〉という定理は、自分自身と無関係ではない、唯美主義者だった自分にも当てはまることに気が付いた、それは鋭い矢となって、自身の心の奥底にあった〈傲慢〉の的を射抜いたはずです。タルホは、10年間で克服したものとして〈性慾〉を挙げていますが、併せてこの〈傲慢〉(思い上がり)も克服しようとした重要な題目の一つだったように思います。

 もっとも、以上のような言葉遣いは〈キリスト教時代〉特有のもので、後になってタルホ自ら次のように訂正しているので、あくまでも〈期間限定〉の言辞として受け取ったほうがいいのかもしれません。
 「──以上述べたところは、昭和二十二年前半期を現在としているから、今日になってみると、いくらか訂正しなければならない。先ず前の文章中にある「押しつけがましさ」は、裏返すと「負け惜しみ」で、宗教的迷妄の一種である。」(「随筆ヰタ・マキニカリス」)


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〈キリスト教時代〉はいつ終わったのか


 〈Saint〉すなわち〈キリスト教〉に出会ったのは1938(昭和13)年3月13日だった、とタルホは日付まで明示しています。ところが年譜上では、〈キリスト教時代〉がいつ終わったのか、というのは判然としません。それを考察するために、ヒントになりそうな事柄をいくつかピックアップしてみます。

★はタルホからの引用
◇は稲垣志代著『夫 稲垣足穂』からの引用
☆は筆者のコメント

*

1948(昭和23)年秋の終わり頃
☆稲垣志代著『夫 稲垣足穂』によると、1948年の〈秋の終りごろ〉、初めてグランド坂上の真盛ホテルを訪ねたとき、一人の先客があった。
◇先客の、清らかで賢そうなお嬢さんを相手に、あるじはひどく速度の早い口調で話し込んでいた。(中略)話のなかには公教要理≠ニいう言葉が、幾度か出ていたことで、私はこのお嬢さんとは教会のお知り合いではないかと、私なりの検討をつけた。(p.10)
☆この記述からは、タルホはまだ〈キリスト教の内〉にいたことが分かる。

1949(昭和24)年春(3月初め)
☆萩原幸子氏の『星の声』によると、1949年の春(タルホによると3月初め)に初めてタルホと出会い、その後のやり取りの中で、タルホの話は「『要理』と『パンセ』と『死に至る病』とのアマルガム」(これは「東京遁走曲」からの引用)のようだったという。また「教会へ行って下さい」とも言われたという。したがって、この時期もまだ〈キリスト教の内〉だったことになる。

1949(昭和24)年5月半ば以前
★そしてこんどの出奔の直前に、本願寺に関係のある余所の奥さんから、「いずれは仏教にお帰りになるでしょう」と云われたことに思い当った。僕が「貴女をカトリックに改宗させてみせる」と口に出した時に、先方が逆に、今のように静かに答えたのだった。」(「兜率上生」『全集11』p.11〜12)
☆この〈出奔〉とは、城端町へ出奔したことを指しているので、1949年5月半ば以前のことになる。このことが直接のきっかけになったわけではないが、〈キリスト教の外〉へ出た後になって思い返してみると、〈そういえば……そんなことがあった〉ということだろう。

1949(昭和24)年5月半ば──城端町へ
★こうして翌年五月まではどうにか持ちこたえたものの、月半ばになって、何人にも内証で戸塚を脱出せねばならなかった。(「東京遁走曲」『東京遁走曲』p.17)
☆真盛ホテルを抜け出して、伊東良作と2人で城端町へ出奔したこと。

1949(昭和24)年6月16日──帰京
★結局、旧家の近ごろ建増したらしい客座敷で一ケ月間を過し、またもや二人連れで上野駅頭にほうり出された。六月十六日の午前で、どこに行く宛もなく、小遣いは途中下車した高岡で遣い果していたので、それぞれ別行動を採ることにした。(「わが庵は都のたつみ」『東京遁走曲』p.134〜135)
☆結局、1か月で戻ってきた。

1949(昭和24)年6月16日〜帰京後の行動
☆帰京後に寝泊まりした順序
⇒着いた日は伊東と2人で代田の植栗祐輔のアパート
⇒淀橋の大場写真館(「生涯中の最も窮まった時間」)
⇒池袋立大近くの草下英明の友人の許
⇒(江戸川乱歩が間借りの権利金援助を約束)
⇒富士見町の俳句新聞発行所
 ……「こんな夜が約一週間続いた」
 ……「我が生涯最大の困窮の二週間」とある。(「東京遁走曲」『東京遁走曲』p.88〜91)

1949(昭和24)年6月25日
★あれは六月二十五日くらいであったろう。夜遅く新宿桜小路『八重子』の許でカストリが過ぎ、表へ出てからぶっ倒れて何かに頭を打ちつけて血まみれになった。(中略)俳句新聞の主人は、(中略)深更に帰ってきた私の顔のキズを見て殴り付けようと思った。(「東京遁走曲」『東京遁走曲』p.91〜92)(「わが庵は都のたつみ」『東京遁走曲』p.135)にも同様の記述)。
☆俳句新聞の主人は〈松尾千万夫〉。
★あとの二週間は、富士見町の小出版社の土間に椅子をならべて、その上に横たわって夜々を過した。(「わが庵は都のたつみ」『東京遁走曲』p.135)
☆上と同じ俳句新聞発行所のこと。
☆〈あとの二週間〉というと、俳句新聞発行所に2週間居たように受け取れるが、〈我が生涯最大の困窮の二週間〉というのは、6月16日に城端町から帰京して、6月末に中野打越に間借りするまでの期間を指すのだろう。
★ある午後、千歳の止木にかけて、女給さんの一人を相手に、公教要理を肴にカストリの杯を重ねていた。お説教は『要理』と『パンセ』と『死に到る病』とのアマルガムであった。相手は私の都落ちの前に、カンバンまで私の話に聞き入って表まで送って出たが、こんどは昼間の閑散時に先の続きを所望したのである。すると、左隣で一人、静かにウイスキを飲んでいた、何処かの帰りらしいモーニング姿の老紳士が、やおら身を向けて、たしなめるように云った。「そんなに人を詛っちゃいかん!」この人が、あの巻を閉じることが惜しまれたブランデスの『独逸浪漫派』の訳者の吹田順助だったのである。(中略)我が生涯最大の困窮の二週間を通して一等頭に残っているのが、この一言である。この十年、カトリックそのものよりもこれが裏返されたもの、即ちカトリックの私生児であるところの西欧的「サディズム」と「マゾヒズム」が、ひょっとしてこの行詰りにきた人類の突破口になるのではないかという気がしたのだった。例の宇宙論の原稿を入れた風呂敷包といっしょに持ち続けて、時に柱に懸け、ポケットに入れて歩いていた小さな磔刑像を、それは身につけている最後の品物だったが、俳句新聞の二階の子どもに玩具代りにくれてしまった。」(「東京遁走曲」『東京遁走曲』p.92)
☆身に着けていた小さな磔刑像を、〈俳句新聞の二階の子どもに玩具代りにくれてしまった〉のが、〈キリスト教の外〉に出たことを象徴する出来事だろう。それは俳句新聞発行所の土間の椅子の上に寝泊まりしていたときのことなので、1949年6月25日前後のことになる。後述のように、萩原氏によると〈6月末〉には中野打越に間借りしているので、その直前だったのだろう。
☆きっかけは、吹田順助の「そんなに人を詛っちゃいかん!」だったことになる。なぜなら、〈我が生涯最大の困窮の二週間を通して一等頭に残っているのが、この一言である〉と敢えてここで強調しているからだ。つまり、この日この時まで〈キリスト教の内〉にいて、千歳の女給さん相手に「この悲惨!」と嘯いていたのである。
☆その理由として続くのが、〈この十年、カトリックそのものよりもこれが裏返されたもの、即ちカトリックの私生児であるところの西欧的「サディズム」と「マゾヒズム」が、ひょっとしてこの行詰りにきた人類の突破口になるのではないかという気がしたのだった。〉というのだが、難解で分かりにくい内容である。そもそも吹田順助の一言と、これがどのように結び付くのか。ここでは〈自分の突破口〉ではなく、〈人類の突破口〉という一般的な表現になっていて、そこに〈切迫感〉が感じられないのは、それが当時の考えではなく、後に再構成したときに理由が付け加えられたからだと思われる。それはあたかも「新生の記」を後に改訂したとき、ヒルティの〈現在に必要なる三つの確信〉を〈裏返した〉ことと同様である(本サイト〈弥勒から弥勒までIII〉の【自己であって十分によろしい】参照)。「そんなに人を詛っちゃいかん!」が頭に残ったのは、〈詛う〉という言葉に自分が強く反応したからではないのか。意表を突く言葉でたしなめられて、〈自分はそんなに人を詛っていたのか!〉という自省に立ち至ったからではないのか。もちろん、その言葉だけが〈キリスト教の外〉に出る理由になったわけではないだろう。しかし身も心も共に限界に達し、道端のドブに行き倒れになって果てている自分の姿を何度も思い描いたであろうこの頃、その一言が〈外へ出る〉ための一押しになったことは十分考えられる。この場合〈吹田順助〉は一つの〈記号〉に過ぎず、重要なのは〈詛う〉という言葉だったはずである。

1949(昭和24)年7月(6月)の末──中野打越へ
★これから七月の末に再び江戸川乱歩の好意によって中野打越に間借をする迄のあいだ、僕はほとんど無我夢中だった。
☆萩原氏の『星の声』には、〈七月の末〉でなく、「六月末、中野打越へ転居されたというお知らせが届いた」(p.15)とある。こちらのほうが正しいだろう。この中野打越の宿がなかったら、タルホはどうなっていたか分からない。京都へ転居するまで、ここでの半年間があったからこそ、心身共に〈キリスト教の外〉に出るための準備ができたのではなかろうか。
☆1949年7月の伊達から志代への手紙に、「最近二、三ヵ月間の彼の作品は、ひどく低調でした」というのがある。5月〜6月は確かに作品が書けるような状況ではなかったが、それでも1949年の前半は、「モーリッツは生きている」「詩の倫理」「赤き星座をめぐりて」「神・現代・救い」などを発表している。

1949(昭和24)年8月
◇伊達さんから──八月。「イナガキ先生は今朝もぬっと現われ、ズボンのボケットから、あなたからのハトロン封筒の手紙をポンと出しました。で、ぼくも一読いたしました。先生のいうには、『……京都に行くにしてもこの恰好では。せめて古着の背広に靴ぐらいは欲しいでしょう。……』(p.14)
☆この頃、京都行きの話があったことになる。

1949(昭和24)年8月31日
◇イナガキから──……すがすがしい日常とはあべこべです。これはひとつの重大な転換期だと、自分で思っているのです。自分で砂の上にきずいたものが、ぐわらぐわらと崩れてしまったようです。法蔵菩薩のお話を聞きたいくらい。こんど行方不明になったら帰ってこないでしょう。月の世界への旅行だからです。
☆法蔵菩薩は、阿弥陀仏が菩薩であったときの名前。後に『無量寿経』を読みたいとも書いている。

1949(昭和24)年9月26日
◇イナガキから──九月二十六日。「拝復、小包落手しました。……ただ私が何かを書くのであったら──いままでどおりの作風ではごく少数の人々に読まれるばかしです。なるほどかわった! といわれるような新天地に出なければならない。ここがむずかしいのです。……死への準備(それは一刻一刻をまことに生きること)としての宗教を考え、私は十年来カトリシズムに凝ってきましたが、いまは死への準備として宗教意識の排除に思い当っています。(p.19〜20)
☆6月末の〈そんなに人を詛っちゃいかん!〉から、ちょうど3か月経っている。その一言は〈きっかけ〉ではあったろうが、それがこの3か月の間に〈私は十年来カトリシズムに凝ってきましたが、いまは死への準備として宗教意識の排除に思い当っています〉となった〈理由〉にはならない。

1949(昭和24)年11月18日
◇伊達さんから──十一月十八日。「……キリスト教には飽きたらしく(何ゆえかわかりません。まさか美しい人との失恋のためでもないでしょうが)、このごろは印度へ色目を使っています(その原因は案外あなたにあるのではないかと、ぼくは思うのですが)。……(p.30〜31)
☆〈キリスト教には飽きたらしく〉とあるので、伊達に対してインドや仏教の話を持ち出したりしていたのだろう。
☆〈その原因は案外あなたにあるのではないか〉というのは、志代が西本願寺の僧籍を持っていたことを指すのではないか。

1949(昭和24)年11月19日
◇イナガキから──十一月十九日。「啓、お便りきのう拝見、ただいま伊達さんのもとから帰ってきたところです。『篠原さんが、ぼくに京都へ来たらといっている──と、いつか君にいわれたとき、ぼくは心が定まっていませんでした。近ごろ二、三週間でもおじゃまして、紫夜庵参籠記とでもいうものを書きたいです。でもぼくには早春のころがよろしい。この冬、寒いさかりは、ひと奮発して、いま少し根性をため直す必要がある』と、ぼくはいいました。……この冬は少なくともお正月中は、ここでふるえながら、無量寿経を読みたい気持もあります。
 宗教は殊に他力本願の真宗およびカトリックは、人間最大の病癖であるところの、傲慢心というものを打ち砕くべく、もっとも力になってくれるようです。
 たいていの人の憂悶愚痴、すべては「自己主張」にきざしているということが、世間には了解されていないようです。どこもかしこも生意気と空威張ばかり。これを訂正するに当たって、本当の宗教は力になってくれますが、そのかわり宗教そのもののトリコになって、びんのなかに封じ込められたようになり、にっちもさっちもいかなくなってしまう。真の宗教は、いったん宗教で鍛えて、宗教から脱する──これが解放だと考えられます。……(p.31〜32)
☆〈無量寿経を読みたい気持もあります〉とあるのは、志代に浄土真宗の僧籍があることを伊達から聞いたからか。
☆ここにも〈傲慢心〉が出てくる。
☆〈そのかわり宗教そのもののトリコになって、びんのなかに封じ込められたようになり、にっちもさっちもいかなくなってしまう〉は、5カ月前までの自身の姿を物語っている。

1950(昭和25)年1月1日
◇イナガキから──昭和二十五年一月一日。「……最初に届いたのが、あなたのお便りです。……宙に迷っている原稿が二、三ありますから、近くなんとかなるわけです。いずれは東京へ出てこられるのがいいか、それともあなたの京都の地盤を守るほうが得策か、こんなことについても、あなたと相談したいと存じます。いまのところでは、あなたが東京に住むよりも、小生が京都に住むほうが、可能性がありそうです。出版屋が京都まで原稿を頼みにくるようになったら──の話です。しかしそれまでにも、いま少し生活に余裕ができたら、月の半々を、京都と東京と使い分けができるわけです。東京で一等の問題は、住宅です。……(p.38〜39)
☆京都行きに心が傾いた頃だと思われる。「僕は東京生活の限界が来たことをさとらねばならなかった。自分はともかく満身創痍(人からそのように云われた)になりながら、十年来のカソリシズムをやっと抜け出て、奇妙な身軽さがあった。その代りに救助を乞うべき「神」がもはや無かったからだ。それに、こんどの上京は『ヰタ・マキニカリス』の刊行を目的としていた。それが十軒の出版社を巡り廻った末に、十二年目の一九四八年五月に、ユリイカ書肆の伊達得夫によって出版された。目的は達したわけである。これも、東京に用は無くなった理由の一つである」(「わが庵は都のたつみ」(『東京遁走曲』p.136)とある。

1950(昭和25)年1月18日
◇イナガキから── 一月十八日。「……一昨年十二月、あなたにお逢いする先六ヶ月に遡るころから始まった、内心の、わけのわからぬ不安、動揺に比べたら、いまの近ごろの困り方なんて、物の数にも当りません。……お言葉に甘えて少時京都へ顔を出しますが、しかしいま三回ほどあなたにお手紙をさし上げてからでないと、ハッキリ返事できません。というのは、近くいくらか、よそで私に金を作ってくれるかもしれない──ちょうどその中途半端にあるからです。……(p.41)
☆〈一昨年十二月、あなたにお逢いする先六ヶ月に遡るころ〉というと、1948年12月(志代によると〈秋の終りごろ〉)から6か月遡ることになる。書肆ユリイカから『ヰタ・マキニカリス』が刊行された1948年5月頃になるが。

1950(昭和25)年1月末
☆萩原氏の『星の声』によると、例の言葉は、1950年の1月末に、中野打越の住所に出された手紙に書かれていたことが分かった。
「──お言葉にも従わず、教会へ行きませんでした。私は人間の持っているよさを失いたくはないと思うのです。」(p.16)
 これには折り返し返事があって、
「──自分はいま転換期にあるので無収入だけれども、これは……と思う自信ができるまで筆を執らないことにして今日に至っている」、「お手紙のおもむきよく判った気がします。私もその後いろいろ考えました。お話したく存じます」(p.18〜19)
とあったという。これは京都へ出発する直前のことになる。

1950(昭和25)年2月2日
★中野打越の二階三畳で、「日本の天上界」という題名に改めた。この原稿だけをポケットに入れて、昭和二十五年二月三日の深更、私は大阪行準急に乗った。京都の新居で清書して、名古屋の作家社へ送った。(「タルホ=コスモロジー」『タルホ=コスモロジー』p.106、『全集11』p.474)
☆他の記述からすると、この「二月三日」は「二月二日」だろう。
☆「タルホ=コスモロジー」によると、「日本の天上界」の初稿は、いくつかの出版社を巡ったが、結局どの雑誌にも掲載されなかったように書かれている。しかし『全集9』の解題を見ると、1950年3月に「謡曲の宇宙情緒」の題名で、〈太陽系社〉発行の「詩歌殿」という雑誌に発表されたことが分かる。しかし、タルホはこれについては何も触れていない。「謡曲の宇宙情緒」は中野打越で書かれたものと思われるが、京都へ移った後の、3月になって雑誌が発行されたことになる。京都へ移る前に〈太陽系社〉に原稿を渡したのなら、元原稿は手許に無かったはずである。「中野打越の二階三畳で、「日本の天上界」という題名に改めた。この原稿だけをポケットに入れて…」という原稿は、その「謡曲の宇宙情緒」を改訂したものだろう。だとすれば、「日本の天上界」は何をもとにして書いたのか(下書きをもとにした?)。ひょっとして「この原稿だけをポケットに入れて」というのは記憶違いで、京都へ移ってから新居で、3月に出た「謡曲の宇宙情緒」をもとに、それを改題・改訂して清書した、それが翌1951年1月【作家】に掲載された「日本の天上界」ではないか、とも考えられる。
☆「謡曲の宇宙情緒」のアイデアは戦時中からあって、徴用中の女子動員学徒が持っていた国語読本に〈羽衣〉を見付けたことから内容が膨らんだと言っている。最後に原稿にまとめたのは中野打越だったろうが、原稿自体は真盛ホテル時代、あるいはそれ以前から書き継いでいたのかもしれない。したがって、この作品がキリスト教から日本(東洋)へ回帰するターニングポイントになったわけではない。その意味では、京都へ転居後、1950年7月になって最初に発表した作品「春は曙の記」は、それ以前の作品と隔絶した趣がある。ここには、長い旅を終えた渡り鳥が羽を休めているような深い安堵が感じられるからだ。
☆『全集』版の「日本の天上界」を見ると、末尾に〈附記〉として、「第四章にはカトリック的影響があって、今日の自分には多少不満である」とある。この〈附記〉は【大全】改訂時に附されたようだ。それは「善や真を只扮飾的に、また空想的に弄ぶのみで、自ら進んで実存的に善及び真そのものであろうとしない罪の状態に置かれていたことに拠るのであろうか」とか、あるいは「人間がそのあるがままの自然的状態にとどまっている限り、(中略)「超越」などは及びもつかぬ話である」、「このような「驕慢」のともがらが、……」といったような箇所だろうが、以前使っていた常套句がそのまま顔を出している。確かに、語られている内容(謡曲)とそれを批評する言辞(キリスト教的価値観)とがアンバランスで、出来の良くない〈アマルガム〉になっているような気がする。
☆今回、「謡曲の宇宙情緒」(太陽系社は大阪にあった出版社)と【作家】の「日本の天上界」のコピーを入手することができた。それらを見ると、〈第四章〉は【作家】改訂時に新しく付け加えられたもので、初稿の「謡曲の宇宙情緒」には無かった章であることが判明した。「謡曲の宇宙情緒」は章立ても2章しかなく、「日本の天上界」とは章の順番も異なる。「日本の天上界」は相当大きな増補・改訂がなされたことが分かり、想像するに、改訂にはかなり時間をかけたのではないか。そうすると、その改訂は中野打越というよりも、京都へ移ってから落ち着いて為された可能性が高い。
☆それはそうとして、以上を整理すると、「謡曲の宇宙情緒」には無かった章を、「日本の天上界」で新たに付け加え、そこにわざわざカトリック的言辞を挿入した、しかし後になって、それが〈多少不満である〉と〈附言〉した、という順序になる。なぜそんなことをしたのか?
☆その理由は分からないが、結果として、〈カトリック的影響〉の残滓を加えたことで、〈内〉と〈外〉とがアンバランスながらも辛うじて両立している作品として、「謡曲の宇宙情緒」でなく、「日本の天上界」が〈ターニングポイント〉の作品になったと言えるのではなかろうか。
☆【まえがき】でも触れたが、〈キリスト教時代〉の12年間といえども、キリスト教色の強い作品ばかりを書いていたわけではない。上の引用だけを通覧すると、逼迫感のみが強調されてしまうが、必ずしもそればかりでなく、その間に「フェヴァリット」「石榴の家」「古典物語」「彼等」などといった作品が書かれていることも注目されてよい。なかんずく、キリスト教に行き詰まり心身共に極まっていた京都転居の直前に、ド・ジッター宇宙論や三村剛昂の波動幾何学を下敷きにして、「謡曲の宇宙情緒」というキリスト教とは全く無縁な世界について書いていたこと(そのタイミングは偶然ではあったろうが)を知ったとき、そこにタルホの持っている精神の強靭さというか、一筋縄では捉えることのできない底力のようなものを感じて、改めて驚嘆せざるを得ない。





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