ラ リ ー の 映 画 を 観 て




 「喜劇映画史におけるラリー・シーモンの位置」といったような大それた問題について語ることはもちろんできません。ここでは、実際に観ることのできた22本のラリー・シーモンの映画をもとに、彼の映画の特徴と思われる点を、少しばかり探ってみたいと思います。

I. 垂直性

II. スタント

III. トリック

IV. 火薬

V. アニメーション

VI. 動物

VII. いでたち

VIII. ノート



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I. 垂直性
 先の筈見有弘氏によるラリー・シーモンの「略歴」には、「やたら動きまわり」という表現があります。また、児玉数夫著『無声喜劇映画史』には、「常に活動的で、目まぐるしいまでにスピードがあった」とあります。これらからは、ラリー・シーモンは他のコメディアンと比較して「活動性」と「スピード」に特徴があったことになります。もちろんサイレント喜劇ですから、そのギャグは視覚によってのみ創出される世界です。スラップスティックと言われるように、飛んだり跳ねたりのいわゆるドタバタ喜劇は珍しいものではなく、それはなにもラリー・シーモンに限りません。サイレント時代の撮影は、現在の24コマ(1.5ft./sec.)でなく、16コマ(1ft./sec.)でしたから、やや滑らかさを欠いて「ちょこまか」した動きに見えます。また、動きのある場面では効果としてコマ落としをするといった技術もあったわけですから、「スピード」はサイレント喜劇の特徴の一つとも言えます。しかし、そうしたコメディアンたちの中でも、ラリー・シーモンの動きには特に「スピード感」があったというわけです。
 サイレント時代のコメディアンはよく走り回ります(その多くは追われて逃げ回る場面)。チャップリンしかり、キートンしかり。もちろんラリーも屋内・屋外を問わずよく逃げ回ります。ただ、ラリーの場合、その逃走経路に「垂直性」が際立っているように見受けられます。すなわち、高いところへ逃げるのが特徴ではないか。
 2階、屋根の上、ビルの屋上、列車の屋根、木・電柱・ヤグラ・マスト・煙突のてっぺん、クレーンの先、ヒコーキ……などなど。しかも、こうした逃走シーンは後半に現れるのが常で、R. M. Robertsによると、ラリーの作品をいくらかでも知っている今の観客は、クライマックスシーンが近づくと、「ウォーター・タワー(給水塔)はどこだ?」と探し始める、と言っています。


II. スタント
 もちろん、ラリーが高いところへ逃げるのには訳があります。それは、そこからダイビング(あるいはロープによる空中ブランコ)をするシーンを見せるためです。マストや煙突のてっぺんとなると数十メートルはあろうかという高さです。そこではもちろんスタントマンまたはフィルム編集によるトリックが使われています。
 Katchmerは、「最初から彼はすべてを自分でやった。代役は使わなかった。高いビルや木などの場面をすべて一か八かやってみた」と言っていますが、これはどうか。ジョルジュ・サドゥールは有名な『世界映画全史』(国書刊行会、1997年)の中で、1箇所だけラリー・シーモンに触れています。しかもこの代役の問題を強調するかのようにいちばん行数を使って、ラリーの死後、1930年頃のロベール・フローレイの言葉を次のように引用しています。

 「彼とそっくり同じ衣装をつけた代役(ダブル)が四人いて、撮影所に着いても、誰がラリー・シーモンかはっきりと分からなかった。それぞれがそっくりのつけ鼻をつけていた。
 ……ラリー・シーモンは飛び上ったり、地面に倒れることが少しでもあると、いつもそれを拒否していた。代役たちは彼に非常によく似ていたので、観客は頻繁な入れ替わりに気がつかなかった。適当な瞬間に入れられるシーモンのクロース・アップで、このごまかしは完全なものになった。
 彼は、最も危険な墜落の途中でフィルムをカットし、代わりに演じていた軽業師とそっくり同じ体勢をとりながら、動きは同じでも、もっと近くからのショットで立ち上がる。あとは編集者が作る。彼はトリック・シーンと緩急自在の演出に長けていた……」(第7巻、p.352〜353)

 ここで述べられている墜落シーンのスタントは、実際には3つのパターンがあるようです。

1. スタントをロングショットで撮ったもの
 ラリー本人のみならず、共演の男優や女優が、ヤグラ・マスト・ヒコーキなどから海や湖へダイビングするシーンを、ロングのワンショットで撮っているものは、一部始終がスタントマン(ウーマン)の離れ業(Bathing beauties and Big Boobs, The Sawmill, HerBoy Friend, The Cloudhopper)。
 そのほかにも、崖からの転落シーンなど、ロングショットで撮影されるものはこの類。
2. スタントマンとラリーとのショットをつなげているもの
 最も多く用いられるパターンで、上記ロベール・フローレイの言葉にあるような編集方法によってトリックがなされている(もちろんスタントマンは別の安全な場所へ軟着陸している)。
3. 人形が使用されているもの
 このほかに、地面に砂煙を上げて墜落するシーン、たとえば高所から飛び降りてラリーが地面に水平に叩きつけられるような場面(Golf, Her Boy Friend, The Stunt Man, The Cioudhopper, Wizard of Oz など)では、非常に短いショットで人形が使われている。つまり、スタントマン→人形→ラリーという3つのショットの合成。The Sawmill で、屋根からイカダの上に腹這いに落ちるシーンでは、ラリーの体が一瞬イカダの上で腕立て伏せをしている形に固まってしまったようになる。それは編集上のミスというより、ギャグとして笑える。

 ここまで大がかりな墜落シーンでなくても、ラリー映画には2階などから転落する場面がたびたび登場します。むしろ転落させるために舞台セットがつくられていると言ったほうが適切です。The Bakery の店内に設けられた2階の粉置き場、The Bell Hop におけるホテルの2階事務所、The Show における劇場の2階席、Golf の2階の部屋、The Sleuth の不思議な構造になっている地下2階の中華料理店、そのほかにもHer Boy Friend, The Cloudhopper, Wizard of Oz などなど、いずれも転落・落下シーンを見せるためにわざわざ設営されたセットでしょう。この場合、落下する多くはラリー以外の出演者で、なかでも太っちょ F. Alexanderが、樽の中に頭からすっぽり転落するシーンは圧巻です(粉で真っ白になったり、ベトベトになったりして、怒り狂う)。極めつけは、転落したあと一呼吸置いて、じつにいいタイミングで樽のタガがパカッと外れ、板がきれいに放射状に倒れるというギャグです(The Bell Hop, The Cloudhopper)。ここでも人形なりのショットが使われているはずですが、まったくそう見えないところに技術的な完成度の高さが窺えます。
 もちろん落下シーンばかりではありません。高い梯子もろとも地面に倒れたり、高所へ駆け登ったり、ロープで空中ブランコをしたり、クレーンに吊り下げられたり、オートバイから汽車に飛び移ったり、列車の屋根に飛び降りたり、ヒコーキから下ろした縄梯子につかまったり、といった場面でスタントは頻繁に使われています。The Cloudhopper では、空中でヒコーキ(複葉機)の羽根から別のヒコーキの羽根の上に飛び移るという極めつけのスタントが見られます。これは空中撮影されていて(つまり3機のヒコーキが飛んでいる)、トリックではありません。
 こうした「垂直性」以外にも当然スタントは使用されています。汽車が車を跳ね飛ばして走る(The Show, Golf)だけでなく、ラリーが乗って走っている自動車と電車(汽車)とが、間一髪のところでクロスしてすれ違うというシーン(The Sleuth, TheCloudhopper)は、トリック(映像の合成)というよりスタントのような気がします。The Show では、お爺さんが荷車を引いて踏切をのろのろ渡っているところへ、汽車が驀進してきて、危うく荷車だけを粉々に吹っ飛ばして通り過ぎます。これもスタントマンの仕業のような気がします。
 そのほか、スタントというよりアクロバットと言ったほうがよいものもあります。Risks and Roughnecks で、やっつけられた悪党どもがすごいスピードで次々に、転がったり、体操選手のようにバック転をしたり、奇妙な姿で這ったり、といろいろな恰好で自分から刑務所の檻の中へ入っていくシーンがありますが、彼らはアクロバット専門のスタントマンでしょう。Kid Speed や Wizard of Ozで、スノーボールが坂を果てしなく転げていくシーンも、おそらくアクロバットだと思われます。
 いずれにしても、スタントとトリックによって獲得された上昇・落下という「垂直性」が、ラリーの動きを空間的に飛躍的に拡大させ、それがラリー映画のもつスピード感をよりいっそう際立たせていることは間違いありません。


III. トリック
 上述のように、スタントとトリックを組み合わせたシーンは、ラリー映画において最も印象的なギャグとなっていますが、そのほかにも、映画ならではのトリックが多用されている点がラリー映画の大きな特徴と言えます。もちろん現代から見ればプリミティヴなものですが、さまざまな手法が使われてます。

1. フィルムの逆回転によるもの
 Risks and Roughnecks では、皿から巻き上げたスパゲッティをフォークの先でグルグル回しながら上手に口へ放り込む。実際にはこれと逆の動作が行われている。Dunces and Dangers では、金魚鉢の中の金魚が飛び出して皿に載ったり、ラリーの口の中に入ったりする。
2. 錯視を利用したもの(a)
 視覚上の錯覚を利用したものとして、実際には平面上を這っているのを、ビルの壁を垂直によじ登っているように見せかける単純なトリック(Dunces and Dangers)。
 錯視を利用したもの(b)
 ラリーは路面電車の軌道の上でこちらを向いている。カメラは低いアングル。向こう側すなわちラリーの背後から電車がこちらに向かって走ってくる(軌道がやや上り坂になっている)。電車の姿がだんだん大きくなってくる。ラリーは気がつかない。あわや、轢かれる!という直前で、電車はすごいスピードで右(あるいは左)に急カーヴしてしまう、というもの(The Bakery, The Bell Hop,The Show)。これはラリーの背後にレールのポイント切り替え部分があるのだが(単にレールがカーヴしている場合もある)、カメラアングルが低いため、観客は逸れていくほうのレールに気づかない、という仕掛け。また、ラリーと電車は観客(カメラ)の視線方向と重なっているため、実際の距離より両者が接近しているように見える、カメラアングルが低いため迫力がある、といった相乗効果によって危機感がいっそう増幅されるという、きわめてすぐれた映像トリック。
3. 映像の合成(またはオーバーラップ)
 ハラハラさせるビル屋上の格闘シーン(Dunces and Dangers, The Sleuth)、ライオンに出くわすシーン(The Sports Man,Wizard of Oz)などは、映像の合成によるものであろう。またWizard of Oz で、白く反転させたような雲海の上を、スノーボールがイナズマに追われて駆け回る場面は、この世のものとも思えないような幻想的なシーンである。The Sports Man や The Sleuthでは、気を失ってフラフラになった場面で、中空に羽の生えた天使(子供)が現れるというギャグ。そのほかに、恐怖におののく場面で、体がスーッと縮んでしまうというギャグがある(The Sports Man)が、これは移動撮影かなにかした映像を合成したのであろう。
4. ショットのつなぎ
 そもそも、ショットをつなぐということは、トリックにほかならない。ショットのつなぎが映画の基本であれば、トリックとは映画の属性であり、すべての映画はトリックで成り立っていることになる。要はそれを「約束事」とみるか「トリック」とみるかの違い。
 それはきわめて一般的に用いられている手法で、たとえば、巨大な丸太が人間をなぎ倒す場面は、もちろんハリボテにすり替えられているわけだし(The Sawmill)、ラリーが中に入っている箱形ロボットがトラックに衝突されてバラバラになるのも(Her BoyFriend)、ハーディーに襟首をつかまれて人形のようにメチャクチャ振り回されるのも、ショットが切り替えられているからである。驚いた黒人が帽子と壷と靴を残して、一瞬のうちに体が消滅してしまう。一呼吸おいて帽子と壷が落下するというギャグ(TheStunt Man)。これも同様の手法である。
 特にこのショットのつなぎをトリックとして用いたものに、タルホもその不思議さに首をひねったWizard of Oz の地下室の場面がある。頭から箱を被ったラリーの神出鬼没。このシーンは相当巧妙につくられているので、マジックを観ているような気分にさせられる。
5 模型のセット
 Kid Speed で、崩れ落ちた橋を自動車がジャンプして飛び越えるシーン、爆破された土砂の上を自動車が易々と乗り越えるシーン、The Stunt Man でも、模型のセットに模型の自動車やヒコーキが使われている。
 またWizard of Oz で、大使一行がヒコーキでオズ宮殿を発つところは童話的でなんとも印象的であるが、これはトリック(だます)というより、影絵とか人形劇の効果を出そうとしているのであろう。


IV. 火薬
 ラリーの映画には火薬(ダイナマイト)による爆破シーンが数多く登場するのも特色の一つでしょう。Well, I'll Be での保安官事務所の爆破、The Grocery Clerk におけるガソリンおじさんの爆発とヤグラの大爆破、The Sawmill での金庫の爆破、The BellHop ではラストシーンの家の爆破とヒコーキからの砲弾攻撃、The Show ではダイナマイトを積んだ貨車に機関車が激突して大爆発・大炎上、Golf では火薬入りのボールを打った男が黒こげに、The Sleuth ではマンホールごと飛ばされ、The Dome Doctorではイナズマが火薬庫に触れて爆発、また模型とはいえKid Speed におけるダイナマイトによる崖の爆破やThe Stunt Man におけるパラシュートと家の爆破……などなど。これらのなかでも、The Show における貨車と機関車との衝突は特に迫力満点で、おそらく実物が使用されているのだろうと思われます。そして、こういったシーンはもちろんスタントとギャグをいっそう派手なものにしています。
 しかしながら、コメディーの原則にのっとって、爆破・爆発によって登場人物が血を流したり死んだりすることは決してありません。そのあとには焼け焦げて呆然と立ち尽くす姿があるばかりです。頻繁に登場するピストルにしても、せいぜい尻に当たって飛び上がるのみ。


V. アニメーション
 ラリー映画にアニメーションが使われているのも目を惹きます。弾丸の軌跡が点線となって飛んでいってパチンとはじけたり(Dunces and Dangers)、ゴツンとぶつけた頭からアニメの星がチラチラと瞬いたり(Well, I'll Be, School Days)、あるいはアニメのハチやイナズマが追っかけ回したりする(The Dome Doctor, Wizard of Oz)のはご愛敬ですが、こうした手書きのアニメーションだけでなく、オブジェ(物体)を用いたアニメーションも登場します。
 The Dome Doctor ではタマネギがコロンと転がって歩き出し、A Simple Sap ではタマゴから尻尾と足が出てきていろいろな仕草をします。特に後者は秀逸です。この可愛らしいタマゴは、足にハエ取り紙がくっついて難儀をします。これは二重の意味で笑いを誘うギャグとなっています。一つは、このお化けタマゴの仕草の愛嬌。もう一つは、このギャグが旧作The Grocery Clerk のパロディーになっているからです。The Grocery Clerk では、本物のネコがハエ取り紙にくっついて身動きできなくなります。ラリーが足の周りの紙を切り抜いてやるのですが、ネコは歩きにくそうに、つまずいたり、よろけたりしながら、足をプルプル震わせて歩きます。お化けタマゴは、このネコの仕草をそのまま真似て歩きます(最後に小さなワニが出てくるというオチ)。ラリー最後の作品となったA Simple Sap、このいかにも生彩を欠いた作品において、タマゴのアニメは、ラリーが最後に放った渾身のギャグと言えます。


VI. 動物
 ラリー映画に小動物がよく出てくることはタルホも指摘しているところですが、たしかにほとんどの作品に動物が登場します。ラリーの動物好きの理由はよくわかりませんが、彼らの演技(?)にはぬいぐるみを交えたトリックが用いられることもあり、ラリー映画のギャグの一翼を担っています。以下、登場動物たちを列挙してみます。
 イヌ、ネコ、ネズミ、ニワトリ、ヒヨコ、ワニ、ウマ、ウサギ、ダチョウ、ライオン、サル、イモリ、ザリガニ、リス、スカンク、クマ、アヒル、ロバ、ハチ、ウシ、ヤギ、カエル、フクロウ、キツツキ……。
 Well, I'll Be では、イヌがいかさまカードをくわえてきてラリーを助け、The Sawmill でもイヌがダイナマイトの缶をくわえて事態が逆転します。The Grocery Clerk では、先述のように、ネコの足にハエ取り紙がくっついて難儀をします。The Bakery やTheDome Doctor では、サルが悪さをして大騒動を起こし、School Days では、小さなワニが尻に食らいつきます。また、魚、ワニ、ニワトリ、アヒル、キツツキの口からは、消防ホースのように水が勢いよく飛び出して相手の顔めがけて攻撃します。このギャグは、上から落ちてくるニワトリのタマゴをいくつもキャッチするギャグと並んでラリーのお気に入りらしく、初期から最後の作品までしばしば登場する、お馴染みのギャグとなっています。


VII. いでたち
 最後にラリーの風貌について触れておかなくてはなりません。
 Katchmer はラリーのいでたちについて、「道化のような白塗りのメーキャップで、ボウラー・ハット(山高帽)に、テニス・シューズ、サスペンダーで胸まで引き上げられたズボン、それは腰の部分が広く、裾はくるぶしから少なくとも25〜30センチは短かった」と描写しています。ヴィデオ中に付された解説には "rompers" という表現がありましたが、これは子供用の洋服のことです。また、G. サドゥールは『世界映画全史』の中で、「彼は純粋に道化師的な風貌を創り出した。山高帽、ズボン吊りのついた灰色のラシャのズボン、短い袖のシャツ、白塗りの顔にとってつけたような大きな鼻をしていた」(第7巻、p.350)と述べています。こういったスタイルが彼の典型的なものと見なされていることになります。
 しかし、ラリーの作品を年代順に観ていくと、そのスタイルはある一時期のものであることがわかります。Risks andRoughnecks (1917年)では、ダブダブのサスペンダー付きズボンですが無帽です。Bathing Beauties and Big Boobs (1918年)で、ボウラー・ハットに吊りズボンという恰好が見られますが、いまだ垢抜けていません。もちろん役柄にも関係するでしょうが、1920年以前にはまだそのスタイルが完成されていなかったように思われます。彼がその典型的なスタイルで現れるのはこのコレクションの中では、1920年のThe Grocery Clerk とThe Sports Man からです(School Days ではそのまま子供の役)。そして、その愛くるしい恰好と身軽でスピーディーな動きとが最もマッチしているのは、1921年のThe Sawmill ではないかと思われます。それ以前の彼の表情や動きには、なんとなく自信の無さが感じられるのに対し、この時代の彼は、まさに天真爛漫で伸び伸びしています。それは、先に見たように、ヴァイタグラフ社との間で破格の3年契約を交わした時期とぴったり重なります。
 ところが、1924年のHer Boy Friend やKid Speed になると、そのスタイルが一変します。ラリーは、中折れのソフト帽に三つ揃いのスーツを隆と着込み、気取った紳士姿で現れます。そして、このスタイルは1928年の最後の作品、A Simple Sap まで続きます。
 したがって、足かけ13年のラリーのキャリアのうちでも、典型的とされるボウラー・ハットにサスペンダー・パンツというスタイルは、せいぜい3〜4年の間ではないかと思われます。


VIII. ノート

 G. A. Katchmer は、そのDon't Forget Larry Semon の中で、面白いエピソードを紹介しています。

 「サイレント・フィルムの古いファンで歴史家のジェラルド・ハムは、私がこのバイオグラフィを執筆するに当たって助言を求めた人物であるが、彼は次のように私に語った。『自分が12歳のときは、ラリー・シーモンが当時いちばん面白いコメディアンだと思っていた。しかし今では、なぜシーモンが好きだったのかわからない』と」

 記憶というのは断片的なもので、たとえば、ある映画についても、いくつかの断片的なシーンが記憶に残っている、というのが一般的ではないでしょうか。特に、子供の頃に観た映画というのは、理解力という問題とも相俟って、内容についての記憶よりもむしろ、熱心にそれを観ていた自分の状況のほうが、記憶に鮮烈に残っているものです。喜劇映画であればなおさらで、記憶に残っているのはわずかなギャグだけでしょう。
 コメディーのギャグを転げ回って喜ぶことができるのは彼らだけです。おそらくそれもせいぜい中学生ぐらいまででしょう。ところが、いわゆる「問題意識」をもって観るような年齢になってしまってからは、言い換えると、そこに理屈がつくようになってからは、コメディーのギャグも急に色褪せたものになってしまいます。ギャグによって理性に風穴が開く、つまり、こらえきれずに吹き出してしまうことは稀で、せいぜい口の端が少しばかり引きつるぐらいが関の山でしょう。したがって、長じて観るコメディーは常に不満の対象にしかなりません。彼らは、子供の頃に観たギャグの面白さを超えるものに決して出会うことはないからです。とはいえ、子供の頃に観たギャグを、大人になってからもう一度観直してみても、それほど可笑しくはないものです。その意味で、ハム氏の述べていることは、至極まっとうな意見だと言えます。
 Katchmer は、次のようなラリーの言葉を紹介しています。

 「コメディーはその多くをマチネーにやってくる大勢の婦人や子供たちに負っている。洗練されたコメディーは彼らには受けない。しかしスラップスティックは子供たちの目を釘付けにする。そして彼らの笑い声がまた他の観客の笑いを誘う。コメディーは彼らを爆笑させなければ、少しも価値はない」

 ラリーのこの言葉は、映画会社の「興行成績」を踏まえた発言とも受け取れますが、一面、スラップスティックの本質を突いているとも言えます。筆者は映画の社会史的な側面にはまったく無知で、的外れかもしれませんが、それまでのヴォードヴィル劇場が一部の大人たちのものであったのに対し、映画の出現はそうしたコメディーを女性や子供たちに開放したのではないか、そういう社会的背景があったのではないか、と愚考しています。いずれにしても、ラリーの言葉からは、家庭で観る現代のテレビやヴィデオからは決して味わえない、映画館がもっていたであろう熱気のようなものを窺うことができます。

 ラリーの映画はやはり、息を呑むようなスタントと映像的なトリックとが組み合わされたギャグに、その面目があるように思われます。おそらくラリーは、当時の観客に(彼の言葉によれば、特に「婦人と子供」に)受けるために、そういったギャグを次々に考案していったのでしょうが、それ以前に彼自身が特にスタントやトリックを好む資質をもっていたのではないか。というのは、それ以外のギャグ1に比べると、その方面のセンスが際立っているように見受けられるからです。あるいはそこに、祖父の時代からマジシャン2という芸人一家に生まれた環境が、影を落としているのかもしれません。
 サイレント時代には無数のギャグが生み出され、スタントやトリックもさほど珍しいものではなかったはずですが、これまでサイレント・コメディー史の上ではあまり評価されてこなかったようです。そういった視点からもう一度サイレント・コメディーを見直してみたとき、先駆性、独自性といった点ではたしてラリーはどうだったのか。Katchmer やRoberts の記事によれば、米国でも最近までラリーの映画そのものが満足に観られなかった状況にあったようですから、ラリー映画の正当な評価は、あるいは今後の研究3に俟つべきなのかもしれません。

 ラリーのギャグに同じパターンの繰り返しが多いことは、彼の作品を何本か観ればすぐに気がつきます。しかし、こうした反復はラリーに限らず、スラップスティックの喜劇にはよくみられる現象です。それは彼らの才能の問題というより、むしろ観客のほうが、お馴染みのギャグが出てくるのを、今か今かと待ち望んでいたことによるのではないか。そのことは毎週のように放映されるテレビの喜劇番組4などを考えてみれば容易に想像できます。サイレント時代の彼らの映画は、今でいうテレビの連続コメディーのような存在だったのではないか。事実ラリーは、そのすべてが1巻物とはいえ、1917年には1年間にじつに31本の映画5を製作しています。これは12日に1本というペースです。――ギャグは繰り返されることによってギャグとなる。

 スラップスティック・コメディアンが長編をつくるのは、ひとつにはコメディアンとしてのステータスの証明、すなわち単なるドタバタのお笑い役者ではないことを証明する、という理由があったのではないか。しかし、多くはそのことが観客との間に乖離を生む原因にもなっています。たとえば、現在ではバスター・キートンの代表作といわれている8巻物のThe General (『大列車強盗』あるいは『キートン将軍』、1927年)は、公開当時は散々な評判6だったということですし、チャップリンのかのThe Gold Rush (『黄金狂時代』、1925年)でさえ、当初地方では不評7だったといわれています。観客は長編ドラマを観るためでなく、あくまで彼らのギャグを観に来たのです。
 翻ってラリーの場合はどうか。Braff のフィルモグラフィを見ると、ラリーの作品は1918年まではすべて1巻物8で、以後2巻物が大勢を占めるようになります。そして1924年にヴァイタグラフからチャドウィックに移って初めて長編(フィーチャー)The Girl in theLimousine (6巻)に取り組んでいます。翌25年には、Wizard of Oz (7巻)、The Perfect Clown (6巻)、Go Straight (6巻)の3本の長編、26年にはStop, Look and Listen (6巻)のみ、そして最晩年の27年〜28年にかけては、長編はSpuds (5巻)のみで(Underworld はスタンバーグ作品)、また2巻物に戻っています。
 Katchmer が当時の批評の一つを紹介しています。

 「The Wizard of Oz を観たあと、私はうんざりし、失望し、幻滅した……全編にラリー・シーモンのいつものラバのキックや泥だらけの転落など、明らかに安っぽいギャグの数々が、これでもかと言わんばかりに盛り込まれている」

 別掲のわが『キネマ旬報』でも、彼の長編に対しては「二巻物喜劇級」あるいは「ニコニコ大会9」向き、といった批評に終始しています。
 もともとギャグというのはストーリーと関係ないところに存在するもので、そのギャグを見せるために映画をつくりはじめたサイレント・コメディアンたちが、長編すなわち「ドラマ」をつくろうとしたところに一つの陥穽が待ちかまえていた。おそらくそれを両立させるのは非常に困難な道程であろうことは想像に難くありません。それをトーキー時代にまで及ぼした唯一の成功者がチャップリンである、というのが喜劇映画史の常識なのでしょう。しかしながら、そのチャップリンを含めて、彼らコメディアンたちの作品の中では初期の短編にいいものがある、という意見が往々にして聞かれるのは、そこにこそ彼らの純粋性が保持されているからではないでしょうか。
 ラリーの晩年のフィルモグラフィからは、そのあたりの苦悩と模索の跡が感じられるようです。1924年にチャドウィックに映画会社を移ってから、ラリーのいでたちが、それまでのボウラー・ハットにサスペンダー・パンツというスタイルから、グレーのソフト帽にスリーピースという風貌に変わったことはすでに述べました。1923年の作品を見ることができませんので、その変化がすでにヴァイタグラフ時代末期からのものかどうか確証はありませんが、おそらく心機一転、映画会社を移ってから始めたスタイルではないかと思われます。いつまでも子供のいでたちでは、将来の「ドラマ」づくり(おそらく恋愛シーン)の足枷になるとでも考えたのでしょうか。しかし、スーツに身を固めた紳士姿は、彼の持ち味であった天真爛漫な身軽さとは、根本的に相容れないものになっています。そうした矛盾を内包したまま、コメディアンとして生き延びるための自画像を、彼自身が明確に描けないでいたのではなかろうか。そして、彼の死と入れ替わるようにトーキーが現れ、サイレント・コメディアンたちにとって受難の時代を迎えることになったことを思えば、彼の急逝は、コメディアンの生涯としては(大きな借金を残したとはいえ)むしろ幸せだったのかもしれません。

【補遺】
 今回、YouTubeでThe Midnight Cabaret(1923)とThe Barnyard(1923)の2本を観ると、両方ともズボンの丈は短いのですが、前者はボーイ姿で、後者は、上はベストを着てネクタイを締めています。1921年前後の子供みたいないでたちではありません。後のソフト帽に三つ揃いのスーツ姿の中間のような、どっちつかずの恰好に見えます。



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n o t e s

1それ以外のギャグ
 たとえば、The Sports Man (1920年) と Wizard of Oz (1925年) で、ライオンに出くわすシーンがありますが、これとまったく同じシチュエーションが、チャップリンの『サーカス(The Circus)』(1927年製作)に出てきます。どちらも、追いかけられて飛び込んだところがライオンの檻の中だった、という設定。

 Wizard of Oz では、閉じ込められたのは地下室の檻の中。唸り声を聞いて、カカシのラリーが逃げ出そうとすると目の前にライオンの姿。ワッと驚いて逃げようとすると、じつはぬいぐるみ姿のスノーボールだった。2人が岩陰から様子を窺っていると、背後に本物のライオンが。先にそれに気がついたスノーボール、腰が抜けたようになって1人で逃げ出す。それに気づかないラリー、本物のライオンが尻を突っつくのを、スノーボールだと思って、静かにしろとたしなめる。あまりにしつこいので、とうとう蹴っ飛ばしてしまう。向き直ると、向こうのほうにぬいぐるみから顔を出したスノーボールの姿が。事態を呑み込んだラリー、足がすくんで動けない。何度もラリーの尻を引っ掻くライオン。やっと隙を見て間一髪で隣の部屋に逃げ込む。ピシャリとドアを閉めてホッとしたのも束の間、ライオンは上の戸口から再び侵入。それに先に気づいたスノーボール、また逃げようとするが、今度は体は斜めになったまま震える足が地面にくっついて動けない。ライオンは頭上から手を振り下ろす。先を争って逃げようとするが、2人とも動けない。スノーボールはやっとのことで窓から脱出。ライオンが飛び降りてきて、ラリーは逃げ出し、再び間一髪でドアをピシャリ。

 一方、チャップリンのCircus では、ライオンは檻の中で眠っている。ギョッとして後ずさりし、ドアを開けて逃げ出そうと手探りしていると、外のかんぬきがバタンと下りてしまう。絶体絶命となったチャップリン、檻の中に小さな戸口があるのを見つけ、戸を開けて外へ出ようとする。体を半分出したところ、そこは隣のトラの檻だった。トラの姿を見て、あわてて戻る。そのとき、棚の上にあったライオン用の水の入った大きなブリキ容器を引っかけて、危うく落としそうになる。ライオンは寝返りを打ったりするが、まだ目を覚まさない。そのとき、檻の外にイヌがやって来て、ワンワン吠え出す。向こうへ行けと足で蹴っ飛ばそうとするが、逆に噛みついてくる始末。困っているところへ、運良くサーカスの彼女がやって来る。ところがチャップリンの危機的状況を見て、気を失って倒れてしまう。万事休す。チャップリンはライオン用の水を彼女にかけて目を覚まさせようとするが、うまくいかない。やっと彼女が目を覚ましてドアのかんぬきを外してくれたときには、チャップリンはライオンがあまり怖くなくなっていた。彼女の前で、ライオンに近づいていくと、ライオンが目を覚ましてガオーッと吼える。チャップリン、脱兎のごとく走って逃げる。

 同じ危機的状況を扱って、ラリーのシーンが間延びしている(無駄が多い)ように感じられるのに対し、チャップリンは計算し尽くしたギャグを畳みかけています。ちなみに、『チャップリン』(デイヴィッド・ロビンソン著、宮本高晴・高田恵子訳、文藝春秋、1993年)によれば、Circus では、チャップリンは実際にライオンと同じ檻に入っていたといいます(下巻、p.49)。ラリーのシーンはおそらく合成でしょう。これは、チャップリンが綱渡りを自ら習得して演技したということと合わせて、同じヴォードヴィル芸人の子でありながら、マジシャンの子でアクロバットや催眠術ショーの手伝いをしていたラリーと、物語歌手の子で幼くしてパントマイムに才能を発揮したチャップリンとの、資質の違いのような気がします。

2祖父の時代からマジシャン
 Katchmer によれば、ラリーの父は「ゼラ・ザ・グレート」と呼ばれるマジシャンで、妻子を連れて旅回りをする芸人であったが、祖父も「ハーマン・ザ・グレート」というマジシャンの旅回りに関係していた、とあります。

3今後の研究
 たとえばサイト上では、Claudia Sassen というドイツの女性が、"Larry Semon isn't as bad as some people would think..." なるページで、ラリーの映画や資料などの情報を求めています。彼女は、ラリーのバイオグラフィを書くのが目標だと言っています。

【補遺】上記のサイトは現在はリンク切れになっていますが、Claudia Sassenはその後、目的を果たしてラリーの評伝を上梓しています。ラリーについての単行本は世界でも初めてではないでしょうか。

4テレビの喜劇番組
 たとえば、吉本新喜劇や漫才などは伝統的に、観客が飽きるまで延々と同じギャグが繰り返されます。

531本の映画
 Braff のフィルモグラフィによる。こういった多作は、サイレント時代の1、2巻物コメディーには珍しいことではなく、チャップリンの映画は1914年のキーストン時代には、2月から12月までの10ヶ月間に35本の作品が実際に上映されています。これは8〜9日に1本というペースです(上掲『チャップリン』による)。

6散々な評判
 『バスター・キートン』(トム・ダーディス著・飯村隆彦訳、リブロポート、1987年)には、ヘラルド・トリビューンは「ただ長いだけで退屈きわまる――バスター・キートンがこれまでつくったうちでもっともおもしろ味に欠けたもの」、デイリー・テレグラフは「映画としてはかなり陳腐かつ退屈なしろもので、かつての短編の追跡ものを仰々しく寄せ集めた二番煎じである……」という批評であったことが紹介されています(p.176)。
 また、「『大列車強盗』が現在のような高い評価を獲得したのは比較的最近のことであって、ニューヨークの近代美術館やその他二、三の記録保管所で、一九四〇年代から五〇年代にかけて散発的に上映された以外は、長いあいだこの作品が一般の目に触れることはなかった」(p.169)と述べられています。

7地方では不評
 上掲書『チャップリン』では、ユナイテッド・アーティスツ社員の言葉を紹介しています。「小さな街ではことごとく失敗です。……明らかに、人々はチャーリーがドラマを演じるのを見たいなどとは思っていないのです。……二日め以降になると観客数が急激に落ちこむのです。つまり、観客が大笑いするような映画を見ようとやってきたものの、がっかりさせられて、それが当然、二日め以降の入りに表われているわけです」(下巻、p.34)。

81巻物(1 reel)
 フィルムの長さ。1巻は普通1000フィート。

9ニコニコ大会
 『無声喜劇映画史』(児玉数夫著、上掲書)には、「大正中期(正確には、五年八月二十日に始まる)から、昭和初期(五年までは盛ん)にかけて、映画館は「ニコニコ大会」が、正月、お盆などはキマリみたいになっていた」(p.297)とあり、また『世界の喜劇人』(中原弓彦著、上掲書)には、対談の中で都筑道夫氏が、「当時〈ニコニコ大会〉というのがあって、ニュースとか漫画とか短編喜劇をやるんで、それが楽しみでよく出かけたものです」(p.330)とあります。
 また『私の映画遺言』(淀川長治著、中央公論社、1993年)には、「私は見た見たニコニコ大会」、「思い出しても懐かしい大正の正月映画館」として、神戸時代のニコニコ大会の模様が書かれています。「たいがいの正月や盆のひと興行は、短篇五本と活劇一本。ところがドタバタ短篇の本数の多さを競って、全部短篇にしてしまって、ひと興行短篇十二本という賑やかなニコニコ大会もあった。しかも正月はかき入れどきというので、正月三日間は四回興行を五回または六回興行にしたので、四時間楽しめる映画館を二時間で放り出されるという不思議にぶつかった。そのころの映写は手廻しなので、どんどん早く廻す。ただでさえ速いドタバタ短篇の殴ったり蹴ったり走ったりが、もうチカチカパカパカ、そのおかしさを誰も文句など言わなかった」(p.72)。
 淀川氏はラリー・シーモンにも触れていて、「神戸のキネマ倶楽部では、ラリー・シモンの自動車騒動短篇などには、弁士なしで音楽と音響だけの伴奏をやったものだった。映画こそは目で見るもの、ニコニコ大会の短篇はすべてがそれだった。だからキネマ倶楽部の弁士なしの映写が、すこしもおかしくなかったどころか、スラップスティック・コメディの気分を大いにあふらせたのであった」(p.196)と、おそらくKid Speed のことであろう上映の模様を記しています。