【前置き】



 以下に載せた文章は、1987年1月発行の雑誌『ユリイカ』(青土社刊)の〈稲垣足穂特集号〉に発表したものです。〈「見出された作品」解題〉というタイトルは、編集者側で付けたものです。それまでに、選集や単行本などに一度も収録されたことのなかったタルホの〈未収録作品〉を特集号に載せたいという要請で、手持ちの中から9篇選んで、それに解題を付したものです。
 これを発表したさらに10年ぐらい前、私は萩原幸子さんと共に、タルホの埋もれた作品の〈発掘〉に精を出していました。当時、『多留保集』(潮出版社、全8巻・別巻1、昭和49年9月〜50年10月)が刊行された後でしたが、そこに収録された作品は、おそらく編集者の高橋康雄氏が初出の作品を中心に精力的に収集したもので、それまで私たちが目にしたことのなかった改訂前の作品が、一挙に私たちの目の前に明らかになったのでした。タルホ自身も晩年に差し掛かり、それまで矢継ぎ早になされていた単行本の刊行も、ようやく陰りを見せ始めた時期でしたが、タルホの新しい作品に対する期待の一方で、初期の作品で初めて目にするものがまだこんなにあったのか、という驚きを与えたという意味で、『多留保集』は大きなインパクトのある選集だったのです。
 私たちも、そこに収録された作品の掲載誌を参考にしつつ、さらに〈発掘現場〉の領域を広げていきたいと思っていました。国会図書館や日本近代文学館に何度も足を運び、当たりをつけた雑誌をしらみつぶしに調べる、という作業を行いました。必ずしも成果がある日ばかりではありませんでしたが、誰もまだ見たことがないと思われる作品を発見したときの喜びは、何物にも代えがたいものでした。それはまさに〈発掘〉と呼ぶにふさわしい作業でした。同時に、初めて見る雑誌の目次に並んだ見覚えのある執筆者の名前や、見たこともない名前を眺めながら、私たちが今こうして〈稲垣足穂〉の名前を探し求めているように、彼らもいつか誰かから探索される日が来るのだろうかと思うと、著者と読者との巡り合わせの不思議さを思わずにいられないのでした。駒場の近代文学館の食堂で、萩原さんと一緒にカレーを食べながら、一日中発掘作業をした日々が懐かしく思い出されます。
 萩原さんはもちろんそれまでに、初期からの単行本や「作家」をはじめとする雑誌を数多く現物で所有しておられましたが、この時期に集中して発見した〈未収録作品〉もかなりの数に上ります。私たちは収集を続けながらも、これまでに判明している作品のリスト、つまり作品年譜を作ろうと考え、その作業に取りかかりました。一つには、全集刊行の企画を持ちかけてきた出版社もあったからです。
 B4サイズの大きめの用紙に、〈年月日〉(タイトル)(掲載誌)(字数)(備考)(現物とコピーの区別)という項目を設け、私が前半を、萩原さんが後半を分担して、年代順リストを作っていきました。リストは最終的に100ページもの分量になりました。〈字数〉の欄を設けたのは、全集化のために、総原稿枚数を算出するためです。
 しかし、この作品リストは一覧性はありますが、発掘作品が増えるに伴って、追加記入が難しくなってくるという難点があります。そこで私自身は、このリストの項目を1枚ずつカード化(懐かしい言葉です。当時はまだパソコンも、ましてやExcelもありませんでした)していくことにしました。カードの延べ枚数は、2000枚近くになったように思います。同時に、萩原さんに作品の改訂ノートを作りませんかと勧めました。それができるのは、これまで長年にわたって丹念に作品を読んできた萩原さん以外にいなかったからです。萩原さんはその後、このカードを利用し、A5判のバインダー式ノートを用いて、作品ごとに改訂過程を示すノートを作り始めました。このノートが元になって、のちに筑摩版全集の解題ができたわけです。全集の解題は、改訂過程を羅列したような形になっていますが、ノートのほうはメモ書きがたくさん挿入されていました。ノートは表裏を使用して、800ページ以上ありました。
 このとき作った〈作品年譜〉と〈作品カード〉、そして萩原さんの〈改訂ノート〉のコピーは、今も手許にあります。もちろん、みんな手書きです。
 最後に、解題を付した以下の作品が、筑摩版全集の何巻に収録されているかを記しておきます。

★「HOSHINOさん」 12巻
★「月星六話」 12巻
★「染料会社の塔」 1巻
★「螺旋街」 12巻
★「小東京人の警智」 → 「Little Tokyo's Wit」 6巻
★「兎と亀との本当の話」 1巻
★「タイトルに就いて」 12巻
★「MAGIC BOX」 12巻
★「目鼻が付いた天体たち」 12巻





「 見 出 さ れ た 作 品 」 解題




 イナガキ・タルホの作品について、現時点で未収録あるいは未採録という言葉を用いるのは、いささか厳密さを欠くことになり、あまり適切とはいえない。というのは、タルホの場合、本来の意味での網羅的な全集が未だ編まれておらず、したがってその数も少なからず存在するからである。またこの問題は、こうした企図を困難にしている最大の理由でもある、タルホの改訂・改作癖とも関係するので、この点について最初に少し触れておきたい。
 タルホにおける改訂とは、一般的に単行本化あるいは選集に入れるに当たって、初出の作品に手を加えるとかいった生易しいものではない。極めて初期の作品から、その多くが、増補、削減、訂正、編入、合併、改題、改作等々の複雑な過程を経ているという特異な性格をもっているからである。むしろその痕跡をとどめないものを探すのが困難なほどである。タルホの言い草に、「そのように見えるが実はそうでないもの」「ちょっと見るとそうでないようだが、本当はそれと全く同じもの」というのがあるが、それはタルホ自身の錯綜した作品についてもそのまま当てはまるのである。
 タルホの言葉は、その一つ一つが極めて限定された独自の意味を担って結晶化している。しかし、それによって何事かを「構築する」とかいうことには、タルホは一切無頓着であった。その作品においても、一つ一つが細胞の触手のように、結合しては離れ、離れてはまた別の箇所とくっつくという運動を延々と繰り返しながら展開している。あるいはまた、仕掛け花火のように次々と点火して、いつの間にか目の前に壮大な絵模様が現出していくという様相を呈していて、タルホのいうエイナス感覚のように、その〈仕上がり〉はないかのようである。またタルホの作品群は、あたかも「インドラの網」のように、一点を持ち上げると他のあらゆる点が無限に絡んでいき、他の一点を持ち上げるとそこを中心にまたあらゆるものが関係してくる、というような構造をもっている。そして、その結び目のすべては未だ解きほぐされてはいない。
 『稲垣足穂大全』(現代思潮社、全6巻、昭和44年6月〜45年9月刊)では、それまでのタルホ作品が総括的に整理された。しかしこれはタルホの自選集という性格を帯びており、ここには「作家」誌上をはじめ、それ以前に各誌で行われた厖大な作品のヴァリアントは、その書名が目録化されているのみで、実際に提示されてはいない。ここに収録された173篇も、その時点における定稿というまでに過ぎない。また『多留保集』(潮出版社、全8巻・別巻1、昭和49年9月〜50年10月刊)では、これまでのタルホ作品188篇が初出を中心に精力的に収集されて、われわれの視野は一気に拡大された。『大全』『多留保集』収録の作品については、いずれも松村実氏によって、周到な「作品年譜」として各作品の異稿・異名が整理されている。
 ここに掲載された作品は、これまでの単行本・選集化から漏れ、かつこれまで発表された資料や松村氏の「作品年譜」にも採りあげられなかったという意味の未収録作品である。以下、個々の作品について簡単に解題を付しておく。


「HOSHINOさん」


 この作品は、「若草」(大正15年12月)に発表された。主人公の少女については、すでに前年「文芸春秋」(大正14年10月)に、「耳かくしの彼方」(『多留保集』第1巻『宝石を見詰める女』収録)と題して発表している。
 この作品は、前作の改作というよりは、同じ主人公をもとに別の独立した作品に仕立てたもの、といった方が正確かもしれない。というのは、この作品ではタルホのイメージを自由に膨らませた創作になっているからである。
 タルホは、この少女を自分の未来派風のイメージのカンバス上に何とか定着させようとする。後半は荒唐無稽な、ほとんど暴力的とさえいえる活劇調に一気に場面転換し、そして最後は、タルホお得意のアートタイトルのフィナーレとなるのである(同工の結末は、のちに「月愛三昧」「東洋の幻想」の上にも採用されている)。
 なお、『天体嗜好症』(昭和3年5月刊行)に収録された「UP-TO-DATE-BEYOND」という作品は、「文芸春秋」発表の「耳かくしの彼方」が改題・改訂されたものである。
 戦後「新潮」(昭和21年7月)に発表された「モンパリ―」(『多留保集』第1巻収録)の中に再びこの少女が登場するが、その中の「黒びろうどのズボンに革ゲートルをつけて、紅色に塗られたモーターサイクルに跨る人」という形容は、実はこの作品のイメージだったのである。タルホのイメージへの執拗なこだわりが窺えて興味深い。
 さらにタルホは晩年になって、「遊」(昭和46年9月)誌上における「わが一九一三年のマニフェスト」と題した小話集の中のひとつに、またしても「耳隠しのかなた」として小改訂(『天体嗜好症』版の再改題)を加えて採りあげている。
 この少女との出会いの思い出は、言葉も交わさずに終わった相手であったにもかかわらず、終生タルホの胸中から消えることはなかったのであろう。まさしく「心の蝋燭に灯を点じるマッチは、夜の街で擦れ違った白い顔で十分」であったのだ。


「月星六話」


 この作品は、「若草」(昭和2年5月)に発表された。『第三半球物語』(昭和2年3月刊行)と同年の作である。しかし、その雰囲気は『一千一秒物語』はもとより、『第三半球物語』とも異なっている。何よりも、突き飛ばされたり、発砲したり、ほうり出されたりする、あの活動写真のコマ落としのような、あるいはスラップスティック的なスピード感がここには見られなくなっている。この作品は、翌年刊行された『天体嗜好症』には収録されていない。
 後年タルホは、こうした系統の作品を「作家」誌上(昭和33年12月)で、「タルホ拾遺」として発表しているが、それについて『タルホ=コスモロジー』で次のように語っている。「其後、自分の脳裡に浮んだ『一千一秒物語』的断片を拾ってみたもの。しかし嘗てのムードはもはや取戻せないことを、私は悟らないわけに行かない。何より先に『第三半球物語』が失敗作だったのである」。
 蛇足ながら、この中の第3話「月と桜草」の花は、どうしてツキミソウやオオマツヨイグサでないのだろう。


「染料会社の塔」


 この作品は、「月曜」(大正15年1月)に発表された。この染料会社は、「ココア山奇談」(「新青年」昭和8年6月)の「月夜村の硝子工場」と同工といってよいだろう。後者では月夜の窓からそのまま〈月夜色〉の硝子が製造されるのに対し、ここでは青空からセルリアンブルーの染料が製出されるのである。ただ、この作品の方はその後改作の対象から漏れている。


「螺旋街」


 この作品は、「文芸汎論」(昭和9年1月)に発表された。タルホには、これとよく似たタイトルの「螺旋境にて」という作品(「廿世紀須弥山」が改題されたもの)がある。同様にSpiral Cityについて書かれたものであるが、作品成立の系列としては別のものに属する。
 一方、Spiral Cityの創案者であるパル博士が登場するものに、「近代物理学とパル教授の錯覚」(昭和3年4月「改造」発表、『多留保集』第6巻『遠方では時計が遅れる』収録)、「P博士の貝殻状宇宙に就いて」(昭和5年9月「科学画報」発表、同第6巻収録)などがあり、この「螺旋街」は、これらの作品から派生したものと考えられる。しかし作品としては独立しており、ここではパル博士と思われる人物が、記者(編集者)のインタビューに答えるという設定が採られ、最後には〈落ち〉がついて終わっている。
 タルホにとって、博士の円錐宇宙への関心はその後もとぎれることなく、「似而非物語」(昭和12年4月「文芸汎論」発表)として、さらに改訂されることになる。ちなみに、この円錐宇宙成立の経緯については、「私の宇宙文学」(『大全』I収録)の第4章“The Spiral City”の中で自ら解説を施している。
 この改訂は『大全』以降にも再び行われ、タルホのこれら一連の〈宇宙文学〉は、「生活に夢を持っていない人々のための童話」(昭和48年2月「海」発表)として集大成された。


「小東京人の警智」


 この作品は、「週刊朝日」(大正13年10月12日)に発表された。これは、その後「文芸時代」(昭和2年2月)に発表された「LittleTokyo’s Wit」(『多留保集』第2巻『プロペラを廻すまで』収録)の最初の稿に当たるものである。だが両者の間には、多少の用語訂正を除いては全体の構成に異同はない。
 武石浩玻をはじめ、ホクシー、モアサン、ナイルス、クインビー嬢など、タルホにとって生涯忘れることのできなかった初期飛行家たちの墜死事故のひとつ、リンカン・ビーチーのサンフランシスコ湾墜落事故の模様を題材とした作品である。ここでは、ビーチーのエピソードに次いで、当日の事故の経過が報道記事風に語られている。先の「文芸時代」同号には、「Little Tokyo’s Witに就いて」と題して、「靴についたモービル油のしみをみつめながら、鳴尾のトラックに咲きみだれたクローヴァに腰をおろした僕は、近い将来の空界の覇者である自分をうっとりと考えていた、そんな折に耳にしたところを材に採ったこれは、或る意味で処女作よりもなつかしいものと云えよう」と述べている。
 ビーチーについてはタルホの飛行機物には断片的に登場するが、この作品自体がその後発展させられた形跡はない。戦後になって「女性線」誌上(昭和24年5月)で、「日本人とは?」という特集の下で再びこの題材を採りあげ(『多留保集』第2巻収録)、この〈小東京君〉のウィットについて、その動機が「ひこう術という人類の大発明にたいする素直な感動、純粋性を因にして」おり、「奇智をこえて警智と云うべき所にきている」と評価している。
 なお「ライト兄弟に始まる」の中には、資料的訂正を踏まえてもう一度ビーチーのことが採りあげられている。

※リンカン・ビーチーについては、本サイト「管理人レポート」の〈2017.12.5〉「パナマ・太平洋万国博覧会の動画がすごい!!」の項をご覧ください。


「兎と亀との本当の話」


 この作品は、「児童文学」(昭和10年11月)に発表された。通俗的な話をタルホらしい手法で換骨奪胎しているが、そこには何かニヒリズムの匂いが漂う。
 この話の末尾の部分が、「世界のはて」(「Androgyny Dance」昭和43年8月発表、『大全』VI収録)の中にも見られる。


「タイトルに就いて」


 「若草」(大正15年11月)の「映画随筆」欄に発表されたもの。ここにいう〈代数性と幾何性〉とは、同年5月に「虚無思想」に発表された最初のエロティシズム論「無性格論」の中で用いられた言葉で、以後タルホ作品の中で繰り返し採りあげられることになったキーワードのひとつである。
 かつて「毎日のように港の都会へ通い青鳥(ブルーバード)映画と、細目のハヴァナ葉巻と、終電車の夜風に縺れて微酔の?を打つネクタイに陶酔していた」タルホは、この時期人間人形俳優ラリイ・シモンを得て、各誌に立て続けに映画に関するものを書いている。以下列挙すると「オートマチック・ラリー」(大正14年8月)、「ラリイシモン小論」(同年12月)、「ラリイの夢」(大正15年4月)、「映画美と絵画美」(同年10月)、「形式及び内容としての活動写真」(昭和2年6月)、「『ラリイ将軍珍戦記』を観て」(同年7月)と、この2年間に集中している。ここに掲載された一篇もその内のひとつである。
 この「タイトルに就いて」の前半部は、「形式及び内容としての活動写真」の冒頭に据えられ、縦横に展開されている。しかし、映画の出し物よりも、炭素アーク灯やスプロケットやパーフォレーションなど、機械部品の方に惹かれていた少年タルホであってみれば、後年に至って「私はしかし35mmフィルムの魅力は、結局、横文字が連なったタイトルの部分ですらなくて、実に乳白色のナマフィルムの上にあると思っている」と結論せざるを得ないのである。


「MAGIC BOX」


 「文芸汎論」(昭和8年7月)に発表されたもの。幼年時代のこの〈白幕体験〉は、タルホに決定的なインパクトを与えたものであった。タルホは別の箇所で、より明快に次のように語っている。
 「いま自分が期待しているようなもの(活動写真)は、別にどこに在るわけでも無い。ただこうしてこの白い幕を前にして、ぽつんと所在なく坐っていることそもそもが、『活動写真』ではなかったのか? あの堺筋の橋ぎわにビラを見付けて以来、今晩を楽しみにして一週間も待ち兼ね、北久宝寺町二丁目の我が家から、橋を二つ渡って、此処まで出向いてきた自分とは別に、こんな白幕の前に、ずっとずっと前から、おそらく何千年間を通して座り続けてきた自分が居るのであるまいか?」
 タルホをとらえ続けた、自己と時空に対するこの〈淡い焦慮〉は、タルホのほとんどの作品を貫くキーノート(基調音)〉となっている。〈永遠癖〉あるいは〈宇宙的郷愁〉と自ら名付け、また「弥勒」や「美しき穉き婦人に始まる」などで繰り返し語られる、「此処にこうしていることが実は昔なのではないか? あるいは何処にもやってこない遠い先の夜のことではないのかしら?」という奇妙な消息こそ、実はこの〈白幕体験〉にまで収束していくのではないのか?
 タルホによれば、〈生理学〉とは只行われているべきものに過ぎないが、〈物理学〉はそのような現実を越えて、別個な消息が取り扱われるべき場所、無限なる可能性の世界を意味する。「只それだけのもののようでなかなかそれだけでないへんなもの」「はじめに見た時何でもなかったが、しかし或奇妙さに気付いてあとになって見なおすと矢張り何の変哲もないもの」、こうした消息もタルホにおいては〈抽象化〉によってはじめてかかわることができる。タルホは、抽象化は〈存在〉のユニークな可能性であり、この精神を失ったら一切はガラクタの集積になってしまうとする。タルホの数々のオブジェ群は、この事情の上にのみ成立する。お化けに対しても然り。タルホは、これを新しいオブジェにまで立て直す必要性があると説き、〈ダンスマカブル(骸骨踊り)〉に対しては、この骨組みだけの人体の〈運動エネルギー〉と〈骨片の連結部の構造〉にその思いを巡らす。
 すでに〈宇宙〉でさえ、玉手箱のように開けてしまえば只それったけの〈宇宙箱〉に過ぎないとしたタルホは、ついにわれらが人体をも、只前後に突き抜けの短い〈円筒〉にまで抽象化してしまうのである。


「目鼻が付いた天体たち」


 30代の人には懐かしいであろう漫画雑誌「COM」(昭和45年7月)の、「まんがと私」というエッセイ欄に発表されたもの。
 タルホの文章の中で、こうした蘊蓄(時にタルホは熱心になる)の部分も、読者にとっては魅力のひとつではあるまいか。「僕のユリーカ=v「足穂映画論」等で詳述されたムーン・ブーム(月騒ぎ)の内のひとつ、〈花王石?(顔石?)マーク成立史〉の一端がここでも述べられている。
 ここでタルホは〈漫画〉の未来派的領分への期待を語っているが(掲載誌に対する配慮もあるのであろうが)、一方で「漫画は、(TV及び映画と合わして)弱者の芸術である。即ち敗残のともがらの伴侶であるという点に、その致命的欠陥を持っている」(「男性における道徳」)と痛烈なことも言っているのである。


『ユリイカ』(特集 稲垣足穂、青土社、1987年1月)掲載

UP

BACK