1952(昭和27)年 51歳



2月 ★「東洋の幻想」<作家>[9-274]

2月 ★「零点哲学」<二十代、誠文堂新光社>[11-18]

2月末
◇二月末になると梅の香りが部屋中にただよい、四月になると荒壁の隙間から黄いろい菜の花がみえた。……稲垣はこの小屋を“虚空亭木鼠庵”と名づけた。(p.95)
☆恵心院の飯場小屋のこと。

早春
★この朝日山裾のイオリへ、梁雅子さんが、(この方は既に知っていた。歌人の常田富美さんに連れられて)やってきたのは、昭和二十七年早春のことであった。それから、年に平均して四、五回、梁さんは大阪からおとずれてきて、……(「二人の女弟子」『全集11』p.117)

3月 ★「戸塚抄」<作家>[8-143]

5月
★これから間もない日、琴坂の前を抜けて東岸を遡っていた時に、対岸「院ノ御所山」の背後の谷川の出口に立札を見た。それがどうやら白川への入口らしいと思われたので、数日経って五月のかかりの午前遅く、僕は天ケ瀬吊橋の方から廻って、立札の所まで出向いてみた。(「宇治桃山はわたしの里」『大全5』p.109〜110)
☆これが初出である「金色の龕」となったことから、この年の5月のことか?

7月 ★「金色の龕」<作家>[→「宇治桃山はわたしの里」9-99]

8月 ★「ボクの“美のはかなさ”」<作家>[→「美のはかなさ」9-380]
☆「あきらめられぬまま、宇治恵心院への一日の客、折目博子にそのことを話してみると、彼女は早速に夫君に伝え、こうして作田啓一教授の仲介で、ベッカーの訳本に接することができたのである」(「タルホ=コスモロジー」『全集11』p.475)
☆『美の果無さと芸術家の冐険性――美的現象領域に於ける存在論的研究』(オスカー・ベッカー著、湯浅誠之助訳、理想社出版部)は1932年5月刊。
☆最初にベッカーを知ったのは鷺ノ宮時代。(「昭和22年」の項参照)

8月 ★「宇治の景色」<小説朝日>[12-350]

9月 ★「二十世紀須弥山」<科学画報>[→「螺旋境にて」1-262]
☆「科学画報が天文特集号のために、ボクの初期単行「天体嗜好症」(昭和三年)に収録されている「二十世紀須弥山」の転載方を申し入れてきたのは、三十年も経過してからである」(「宇宙感覚」『全集12』p.372)。初出は1925(大正14)年「週刊朝日」。
☆「それから三十年が経過して、世が宇宙時代になったので、「科学画報」編輯部にいた草下英明が取上げ、科学小説特集号に再録したのである」(「タルホ=コスモロジー」『タルホ=コスモロジー』p.124)


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