1月 ★「伏見山物語」<作家>[→「宇治桃山はわたしの里」9-99]
1月 ★「わが明治時代」<本の手帖>[12-383]
1月 ★「芦の都V――シャンペンサイダー」<浪花のれん>[→「浪花シリーズ」9-460]
2月 ★「反賞金的文学の弁」(作家賞選評)<作家>[13-437]
2月 ★「井手のかわずの記」<大阪文化>[全集不掲載]
☆未見
2月 ★「冬のうた」<朝日新聞、2月18日>[12-396]
2月 ★「芦の都VI――ロゼッタ丸」<浪花のれん>[→「浪花シリーズ」9-460]
2月 ★「額縁だけの話」<無限>[11-171]
3月 ★「洋服について」<作家>[3-369]
3月 ★「芦の都VII――酋長」<浪花のれん>[→「浪花シリーズ」9-460]
3月 ★(新随想:)「朱雀の春」<評論新聞>[全集不掲載]
☆『足穂拾遺物語』(高橋信行編、青土社、2008年)に収録された。
4月 ★「わたしのペトロールエンジン」<作家>[6-415]
4月 ★「芦の都VIII――コッピーエンピツ」<浪花のれん>[→「浪花シリーズ」9-460]
春
★この春、私の若い友人が、私から聞いた武石記念館を、天王寺公園へしらべに出かけた。(「武石記念館」『全集12』p.386)
☆「武石記念館」は昭和39年9月「作家」発表なので、この年の春のことか。
☆「若い友人」とは松村実氏のこと。
☆上記の後、「其の後、武石記念館は、あの四天王寺の五重塔を倒した大台風の時(昭九、九、二一)に、武徳殿と共につぶれてしまったことが明らかにされた。陳列物件も四散してしまったのであるが、只その中のハンドルの輪と滑走車の一つが、めぐり巡って私の処からはすぐ近くの八幡の飛行神社にあることが判った」とある。これから6年後の昭和45年(?)に、タルホは文藝春秋の春内順一カメラマンたちと飛行神社に行って写真を撮っているが(グラビアの用事というが、「パテェの赤い雄鳥を求めて」を「文学界」に発表した関係か?)、それが飛行神社に行った最初だったのだろうか?
☆「これは私の若い友人松村実が先年わざわざ水戸の武石家まで出向いて聞き正してきた」(「飛行機の句と硝子の靴」『全集12』p.413)とあるのは、いつのことか?
5月5日
◇稲垣は昨日、山本浅子さんと、いっしょに大手筋へ出て、寿司屋へはいり、銚子を二、三本おかわりしたころ、何かのはずみで佐藤春夫氏のことが話題に上がったという。(p.177)
☆「昨日」とは、佐藤春夫が亡くなったニュースが届いた前日。
佐藤春夫の死
5月6日
◇端午の節句の翌日、高見さんが事務室へかけ込んできた。「いま三時のニュースで佐藤春夫さんが死なはりましたって、先生知ってはりますか」「稲垣が聞いたら驚くでしょう」私は席を立って、宿舎へ急いだ。(p.177)
5月7日
◇翌日、新潮社から速達が届いた。「前年に先生からいただいた『佐藤春夫を送る辞』の玉稿を掲載したい。あのときこの原稿を出さなかったのは、文化勲章を受けたばかりの老先生にお気の毒だったから」という意味のものであった。(p.178)
★……たまたま佐藤先生の急死があって、保管されていたゲラ刷が持ち出され、これを元にして書いてくれと頼んできた。これがヒットになった。原稿は三十枚で、その中に、戦時中における佐藤春夫の兵隊への尻尾振りと、朝日主催のエジプト展並びにヴィナス展示へのへつらいの苦々しさが書き込まれていたが、その部分は「新潮」編集部によって削られている。(「タルホ=コスモロジー」『全集11』p.509)
5月 ★「『ロバチェフスキー空間』を旋りて」<作家>[→「改訂増補ロバチェフスキー空間を旋りて」5-88]
5月 ★「芦の都IX――赤いオンドリ」<浪花のれん>[→「浪花シリーズ」9-460]
5月 ★(アンケート)<朝日ジャーナル、5月17日号>[13-465]
☆読者について4つのアンケート
6月 ★「サムライの血筋」<PHP>[6-430]
7月 ★「佐藤春夫を送る辞」<新潮>[10-496]
8月 ★「未来派へのアプローチ」<作家>[→「カフェの開く途端に月が昇った」5-160]
☆「未来派へのアプローチ」(『大全1』p.355)に、「私は戦後(昭二五、二)京都へ移ってから、町田トシ子(中央公論文学賞“かんころめし"の作者)と知り合った」とあるが、いつのことか?
☆同書p.356に、「最近、私の住いの近くの桃山学園の若い先生(松村實)が、“空中世界"をカラーに撮っておきたいとあって、小林氏(菱谷文七)寄贈品について神戸商大へ問い合わせた」とあるのは、いつ頃のことか?
9月 ★「芦の都シリーズ」<作家>[→「浪花シリーズ」9-460]
附録「武石記念館」[12-384]
☆「浪花のれん」連載分に「X カラーについて」を追加したもの。
9月 ★「小出栄さんへ」<作家>[13-436]
10月 ★「都のたつみしかぞ住む」<新潮>[→「東京遁走曲」9-3]
12月31日
★「酒のみとしてのイナガキタルホ氏」は、今夏の新仏諸賢に先立って、昭和三十九年十二月除夜の鐘を合図に自らおはてになった。これはその記念写真である。合掌。(「五人の死者」『全集12』p.394)
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★「宗教とは、直接な事物の彼方にあり、……この或物へのヴィジョンである」……こんな文句を、私は二十年来頭の片すみにとどめている。……これがホワイトヘッドの『科学と近代世界』第十二章にあることが判った。『現代科学思想』(世界思想教養全集)は、今年になって最初に買った本で、ホワイトヘッドの論文はこの中にあったのである。(「本ぎらい」『大全6』p.617、『全集11』p.166〜167)
☆「本ぎらい」の初出「蔵書一冊」は、昭和40年1月「新潮」発表なので、この「今年」とは前年昭和39年のことか。
☆「それは著者がアメリカへ移った年の前年即ち一九二五年に書かれているから、私は二十五歳以後に前の訳文を知ったことになる」ともある。「二十年来頭の片すみにとどめている」ということと併せて、結局、この言葉(訳文)を知ったのは、いつのことだったのか?