気    配    の    物    理    学

──ポッカリ空いた大きな穴についての考察──



[Part 10]
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元通り≠フ世界は、リーマン空間かユークリッド空間か

 お気付きのように、向こう≠ニこちら≠ヘ、すでに彼我∞自他≠フ関係に置き換わっています。すなわち、対象物によって引き起こされる自己の意識・感覚、あるいは感情の問題にすり替わっているのです。
 [Part 1]で引用した文章から、リーマン/ロバチェフスキー空間にまつわる意識・感情等を表す言葉を抽出してみましょう。

【リーマン空間】
 @ ポッカリ大きな穴があいたよう
 A 元通り
 B 寂莫感
 C 別れの感情
 D 孤独感
 E 寂寥
 F 引力

【ロバチェフスキー空間】
 G 遠心力
 H 吸い付けられるように覚えられる
 I 吸い寄せられるように覚える
 J 此処に止っておられなくなる
 K 吸引を身に感じる
 L 自己喪失の不安
 M 引き寄せられるような目まいを覚える

 これを見て分かるように、ロバチェフスキー空間を特徴づけるのは、相手に吸い寄せられるような感覚≠竍遠心力=Bそれに対して、リーマン空間を支配するのは、孤独感≠竍引力(求心力)≠ナす。
 [Part 3]で、楕円的幾何学、抛物線的幾何学、双曲線的幾何学の3種の幾何学について、それぞれリーマン、ユークリッド、ロバチェフスキー/ボリアイの幾何学に対応する、ということを取り上げました。
 分かりやすくするために平面上で考えてみると、楕円には焦点が2つあり、双曲線にも相対する曲線に1つずつ、計2つの焦点があります。
 せっかくですから、ここでタルホ・マジカル・ワールド%Iに少しだけ遊んでみると、相手に吸い寄せられるような感覚≠フロバチェフスキー空間は、双曲線の2本の曲線のうち、片方の曲線が異様に拡大して極端にいびつになった状態。一方、孤独感≠ノ支配されるリーマン空間は、その拡大した曲線が一瞬にして消滅し、残った小さな双曲線の両端が閉じて楕円となった状態(さらにはそれが、焦点が1つの円になってしまったかのよう)──筆者にはこのようにイメージされます(余談ですが、双曲線的(Hyperbolic)≠ノは、大げさな∞誇張された≠ニいう意味もあります)。

 さて本題に戻ります。問題は@とAです。タルホが、軍艦が去ると元通りのリーマン的重力世界に復帰する∞元通りのリーマン的世界で、白鴎が遊んでいる≠ニ述べていることから、元通り≠ェリーマン空間を指しているのは明らかです。また元通りの穏やかな白砂青松の名所に立返った≠ニも述べているので、元通り≠ニはいわゆる日常的世界≠フことでもあります。
 しかし先ほども述べたように、リーマン空間とロバチェフスキー空間の他に、もう一つユークリッド空間があります。タルホは上のような感覚的意味合いでユークリッド空間について語っていませんが、それを筆者なりに補足するとすれば、次のようになります。
 ユークリッド空間とは意識化されない日常的空間≠ニでもいうべきものです。たとえば、日々、眼前に立ち現われては消えていく見慣れた街や人通りの風景、それらは自分の意識を過度に刺激することはなく、ただそこにそのようにあるだけの空間です。道路に駐車していた自動車が居なくなっても、以前あった店が無くなっても(※)、街路樹の葉がすっかり落ちてしまっても、ポッカリ大きな穴があいたような°C持ちにはなりません。対象が非日常的な¢蜴ソ量ではないからです。向こうとこちらの質量が均衡状態にあるような空間≠セからです。日常世界を支配しているのは、そのようなユークリッド空間です。

※ タルホは一般焼跡≠焜梶[マン空間に加えていますが、火事≠ヘやはり非日常世界でしょう。

 軍艦が泊っていたあいだ、その辺りが何処か余所の海岸のような気持を起させた≠るいはどっしりした鋼鉄構造物がお馴染の渚を見も知らぬ海岸に一変させてしまった≠ニタルホは述べています。ですから、このお馴染の渚≠ニいうのはユークリッド的日常空間でなくてはなりません。そのユークリッド空間を、軍艦が余所の海岸∞見も知らぬ海岸≠キなわちロバチェフスキー空間に一変させてしまったのです。
 タルホは、船が去れば其処は元通りのリーマン的重力世界に復帰する≠ニ述べています。船の消滅によって、ロバチェフスキー空間がリーマン空間に変化するのはそのとおりですが、ここで言う元通り≠フ世界とは、理論的にはリーマン空間でなく、ユークリッド的日常空間でなければならないはずです。リーマン空間はロバチェフスキー空間と同様、非日常空間です。大質量の軍艦によってもたらされたロバチェフスキー空間が消滅し、突然置き換わったリーマン空間も、やはり一時的な非日常空間でなければなりません。だからこそポッカリ大きな穴があいたような°C持ちになり、寂莫感≠ノ襲われたわけです。リーマン空間は日常空間でなく、非日常空間なのです(※)。

※ その意味では、近年において最大のリーマン空間が生じたのは、2001年9月11日ニューヨーク・マンハッタンにおいてでしょう。地上400mを超えるワールドトレードセンター(WTC)のツインタワーが短時間のうちに崩壊・消滅したのですから。

 しかも、リーマン空間は単独で生起する空間ではなく、あくまでもロバチェフスキー空間が消滅した後に発生する空間です。リーマン空間は、ロバチェフスキー空間が生起する前のユークリッド空間と、一見何も変わりはないようですが、一旦ロバチェフスキー空間が生起した後に生じたリーマン空間は、もう以前のユークリッド空間とは明らかに異なったものになっているのです。以前のユークリッド空間にポッカリ大きな穴があいたような&ハの空間になっているのです。
 しかしながら、そのリーマン空間も、時間の経過とともに、いつしか再びユークリッド空間に置き換わっていきます。非日常空間もいつしか元通り≠フ日常空間に変化していくのです。
 それを筆者なりに表にすると、以下のようになります。

空  間
質量の状態
感  覚
日常/非日常
ロバチェフスキー空間
大質量の出現により生起
吸い寄せられるような
非日常的空間
リーマン空間
大質量の消滅により生起
大きな穴があいたような
非日常的空間
ユークリッド空間
彼我の質量が均衡状態
意識化されない
日常的空間

 このように整理してみたのですが、振り返ってみると、もともとユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学との関係は次のようなものでした。

 ユークリッド幾何学が、この一般的幾何学の特別な場合、すなわち曲率がゼロなる場合にのみ成立するものであることは、云うまでもなかろう。(「宇宙論入門」、全集5、p.371)

 このユークリッド式平坦空間(フラットスペース)は、一般空間の極限の場合で、それはただわれわれの身辺のごく狭い範囲に成り立つものにすぎない。(同上、p.372)

 タルホがこのように言っていたように、非ユークリッド幾何学はn次元幾何学の一般解≠示したもので、ユークリッド幾何学は、そのうちの一つ、曲率ゼロの特殊解≠セったわけです。
 つまり、ロバチェフスキー空間/リーマン空間こそ一般空間≠ナあり、ユークリッド空間は特殊空間≠ネわけです。そうすると、ロバチェフスキー空間/リーマン空間こそ日常的空間≠ナあり、ユークリッド空間は非日常的空間≠ナある、ということになり、その認識を逆転させなければならなくなります。
 しかも、軍艦のような大質量の生起・消滅によって引き起こされる空間の変化は、タルホの指摘によって我々も意識するところとなりましたが、日常の小さな質量の生起・消滅においても、我々がその気配を感じていないだけで、実は至るところでロバチェフスキー/リーマン空間的変化が生じているのではないか、という想像も可能になるわけです。
 すなわち、空間とはx、y、zの3つの軸で表される空っぽの空間≠ナはなく、その空っぽの空間の中に物質が存在している、というこれまでのイメージは覆されなくてはならないのです。

気配の物理学

 空っぽの空間≠ヘ、その中に軍艦が出現しようが、サーカスの天幕が立ち上がろうが、その空間自体に変化はありません。タルホはそれは違う≠ニ言っているわけです。軍艦やテントがあるときは、空間は以前とは明らかに別のものになっている、という解釈に到達したのです。
 ところでタルホが、ロバチェフスキー/リーマン空間を生じさせるものとして、船やサーカスのテントや大建築などなどを挙げた中に、おそらく偉人に対した場合にも、経験されるものに相違ない≠ニして、物体の質量だけでなく、人間の精神的質量≠も加えていることに筆者は注目します。
 つまりタルホは、偉人≠ェ現れても空間はロバチェフスキー空間となり、彼が去るとリーマン空間になるのではないか、と言っているわけです。言い換えると、偉人を目の前にすると吸い寄せられるような♀エ覚となり、彼がいなくなると大きな穴があいたような♀エ覚に陥るということになります。
 タルホは、精神的質量≠ノおいても物質的質量≠ニ同じ原理が適用できるのではないか、と考えているわけです。確かにアインシュタインはE=mc2によって、エネルギーと質量の等価性を示しましたが、人間の精神的質量≠ワでは方程式に加えていません。
 しかし、質量をエネルギーの問題として考えれば、大質量≠熈偉人≠焜Gネルギー的には等価となります。本サイトの「タルホ円錐宇宙創造説」では、意識≠ニ円錐宇宙≠ニの照応≠ニいう観点からタルホの宇宙論を取り上げましたが、ここでも精神的質量≠ニ物質的質量≠ニの等価性≠ェ示唆されており、タルホ宇宙論の特徴的な一端がここにおいても垣間見られるように思います。

*

 最後に、軍艦浅間≠ェ開示してくれた消息は、筆者にはやはり、関西学院の級友N君こと、西田正秋とのいくつかのエピソードにその淵源があるように思われます。
 [Part 6]の「附録──負数空間について」でも取り上げましたが、地球が突然消滅したら、そのあとに残るのはマイナスの空間≠ナはないか、という彼の発言。カンカン帽と頭との間には、三角に似た断面を持った鉢巻状の空間が取り残されていることを発見した彼の真空の恐怖=Bタルホが鉄棒から両膝を伸ばして頭から落下したとき、すぐに落ちないで、一瞬、間があったことを彼が感知した真空の時間=B彼が持ち出したアインシュタインの空間のひづみ≠知ったことから、タルホは、武石浩玻の飛行機の航路には空間のヒビ割れ≠ェ生じた、と考えるに至ったこと。
 これらはいずれも時間と空間に関する事柄ですが、重要なのは、それが時間・空間そのものというより、時空に対する気配≠問題にしている点です。そして、こうした発想こそが、のちのタルホ独自の物理学的思考の原点になっているような気がします。軍艦浅間≠ノついての解釈は、その一つの到達点だということになります。今回のページを「気配の物理学」とした所以です。

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