気    配    の    物    理    学

──ポッカリ空いた大きな穴についての考察──



[Part 6]
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幾何学(数学)から宇宙論(物理学)へ

 これまでは、主に表面の幾何学≠ノついて見てきました。
 もちろん幾何学というからには、表面(2次元)の問題にとどまりません。リーマンの幾何学は、ガウスの2次元の曲率の問題を、n 次元の空間の幾何学へ拡張したものだと言われています。
 梶島二郎の『非ゆうくりっど幾何学』は、次のように述べています。

 今まで論じて来たことは、総て平面に関する研究であったが、吾々は此の処で、空間に就いて一瞥する必要を感ずる。リーマンは、一般にn次元の多様性(Manifold)に就て説を進め、空間は三次元の多様性の一例であると見て居る。そうして、空間は終りはないが、有限のものであることを主張して居る。之れは、直線が無終、有限という仮定に相応するものである。
 表面が一般に或立体を限界する様に、三次元の空間は四次元の世界を限界するものと想像するのは敢て無理の想像ではない。そうすれば、表面の曲率を論ずるように、空間の曲率を考えることが出来る訳である。そうして、曲りのない、曲率が零なる表面がユークリッド平面であるのと同じ様に、曲りのない、曲率が零なる空間がユークリッド幾何学の取扱う空間と云えよう。(『非ゆうくりっど幾何学』、p.195)

 タルホも述べています。

 さて、こんな疑問がわれわれに出る。いまの話は面上のことである。曲率の異った面上で三角形や平行線の性質が変化するとは、なるほどうなずけるが、リーマン世界とかロバチェフスキー空間とか云うかぎり、話は立体に及されている相違ない。立体自身がゆがんでいるとはいったいどんなことを指すのか? (中略)ここに「超立体(ハイパーソリッド)」とでも云うべきものがあって、われわれのいわゆる立体とはその超立体の表面≠ナある、とするわけにいかないであろうか? この考えは別に不都合なものでない。なぜなら、線の截り口が点であり、面の切口が線であり、立体の切口が面であるならば、超立体の切口が立体であると十分に主張できるからである。もしそうだとすれば、一般の面に曲率がついているように、一般の立体、すなわち、空間にたいしても曲率が考えられることになり、かかる次第は数学によって表すことができる。(「宇宙論入門」、全集5、p.375)

 こうして、リーマンやロバチェフスキーの幾何学における曲率の問題は、表面にとどまらず、立体、超立体≠フ幾何学の問題として展開されるべきものであるとしています。タルホも、一般的な三次元幾何学において、曲率がゼロならざるところの空間は、そのさかい目がなくて、有限だ≠ニいうリーマンの言葉を紹介しています(「宇宙論入門」、全集5、p.372)。ここには正の曲率を持つ≠ニいう言葉が抜け落ちていますが、これは球面や玉子の表面の幾何学を3次元に及ぼしたもので、宇宙空間が正の曲率≠持っていれば、宇宙は、球面や玉子の表面のように、境界がなくて、有限である(閉じている)≠ニいうことを意味しています。
 さらには、彼らの幾何学が、単に数学上の可能性を示すことにとどまらず、宇宙論(物理学)の問題を記述することができるものでなければならない、と言っています。

 しかしいったん、太陽の周囲の空間の彎曲が日食観測にあたって確認されたとなると、かれらの地上のものならぬ幾何学は、にわかに吟味の対象とならなければならぬ。それはもはや点や面の位置関係だけを扱うものだけでは許されなくなる。数学上の空間にはいろんな種類があってよろしいが、物理学上の空間はそれらのうちの一つでなければならぬ。しかもそこでは、測ることができる長さ、角度、体積、或いは有限や無限が扱われねばならぬことになる。こうしてリーマンの楕円幾何学がアインシュタインの理論の台として採用されたが、ここでは空間以外に、時間も一次元として取り入れられている。(同上、p.379〜380)

 これは、1919年に英国の天文学者アーサー・S・エディントン率いる観測隊が、太陽の近傍を通って恒星から届く光線の進路は、太陽の重力場によって曲げられるということを、皆既日食時に行った観測によって明らかにしたことを指しています。この観測は、アインシュタインの相対性理論による仮説、すなわち物理学的空間は巨大な質量の付近で彎曲する。その質量が大きいほど曲率も大きくなる≠ニいう予測を証明するものでした。実際には、その光線が太陽の近傍を通る2つの恒星が示す角距離≠ェ、太陽があるときとないときでは、その差がアインシュタインの理論上の数値1.75"に近い、1.61"±0.30"であることが確認されたのです(※)。

※ 『1, 2, 3, ・・・無限大』(ガモフ全集6、白揚社、p.145〜146)

 アインシュタインの考える宇宙は、全体として正の曲率≠持ったリーマンの楕円的幾何学を採用している、とタルホは言っているわけですが、局所的にも空間の曲率≠ェ存在することが証明されたことになります。

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 [Part 5]で、平面上では、円の面積は半径の2乗に比例して増えていくが、正の曲率≠持った曲面上では、その増え方がより小さく、負の曲率≠持った鞍状面上≠ナは、その増え方がより大きい、ということを、ガモフの『不思議の国のトムキンス』を参照しながら取り上げました。
 それは表面上(2次元)の幾何学に限定したものでしたが、同書では、それを3次元空間に及ぼす考え方が、トムキンス氏と教授との間で続けられます。

 「しかし、これをどんな風にして彎曲した三次元空間に適用するのですか?」
 「全く同じようにするのだよ。空間に一様に分布したものを考えて見給へ、一様に分布しているとは相隣る二物体間の距離が常に等しいことを意味するのだが、そこで君から種々の距離の中にある物体の数を勘定するのだな。もしこの数が距離の三乗で増すとすれば空間は平らであるが、もしも増し方が少ないか多いかすれば、その空間は正又は負の曲率をもっているのだ。」(『不思議の国のトムキンス』、創元社、p.104〜105)

 3次元空間においても、2次元曲面と同じように考えればよい、と教授は言うのです。すなわち、3次元空間では、体積が半径の3乗に比例して増えていけば、その空間は平ら=i曲率ゼロ)であるが、それより増え方が小さければ、その空間は正の曲率≠持ち、それより増え方が大きければ、負の曲率≠持っている、と言っているのです。

 ちなみにガモフには、戦後1946年に書かれて、1951(昭和26)年に邦訳された『1, 2, 3, ・・・無限大』という別の著作があります。したがって、1947年に刊行された『宇宙論入門』にはこの本のことは出てきませんが、その後、タルホは本書については何度か言及しています。
 その『1, 2, 3, ・・・無限大』(ガモフ全集6、白揚社、p.149)では、空間の曲率について、次のように表に整理しています。

空間の種類
遠距離での状態
三角形の内角の和
空間の体積の増加率
正に彎曲(球類似)
閉じる
>180°
半径の立方より遅く増加
平ら(平面類似)
無限にひろがる
=180°
半径の立方に比例
負に彎曲(鞍類似)
無限にひろがる
<180°
半径の立方より速く増加

 このように、3次元空間も曲率によって3つの種類に分類できるとしています。ただし3次元空間では、半径の2乗に比例する面積≠ェ、半径の立方(3乗)に比例する体積≠ノ替わっています。

 もしここを(ロバチェフスキー)空間に見立てるならば、或る距離を半径にした球の体積は、その距離の三乗より以上の率で増大しているはずである。こんな次第がコップの中に見られたら、その中へはビール一本分が納ってしまう。(中略)その代り、或るコップがきわめて大きなリーマン式曲率を持っていたとすれば、さじ一杯の水であふれてしまうことになる。(「宇宙論入門」、全集5、p.378)

 タルホも、空間の曲率の正負と体積(容積)の増加率との関係を、上のような比喩(おそらく『不思議の国のトムキンス』(p.107)をもとにした)を用いて語っています。

 「では正の曲率をもった場合は、空間は与えられた距離の中で小さな体積しか持たず、負の曲率の場合は大きな体積を持つ訳ですか?」
 「まさにそうだ。」と教授はほゝ笑みながら申しました。「さて、君は儂の言うことを正しく理解したようだな。我々の住んでいる大宇宙の曲率の正負を吟味する為に、遠い物体の数を今述べたように勘定しなくてはならない。大星雲については多分聞いたことがあるだろうが、それは天空に一様に分布していて、数十億光年くらいの距離のところまで見ることが出来る。この大星雲は宇宙の曲率を吟味するのに非常に便利のよいものなのだ。」(『不思議の国のトムキンス』、p.105)

 [Part 5]では、鞍状面≠ノ植えられた松の木=i杉の苗)の本数を数えましたが、それと同じように、宇宙空間の曲率を調べるには、星(大星雲)の数を勘定すればよい、と教授は言うのです。

 「ではそれから我々の宇宙が有限で、自身に於て閉じているということが出て来るのですか?」とトムキンス氏はあの最初の夢で、教授の手帳が帰って来た奇妙な出来事を思い出しながら言いました。
 「うん」教授は考えにふけりながら申しました、「一般にそう思われている。また事実、儂自身も講演した時はそう思っていた。しかし丁度二三週ばかり前にネーチュア誌上の一論文を読んでみると、二人の若い物理学者がこの考えは間違っていて、宇宙は実際は無限で負の曲率をもっていることを暗示している。儂も彼等の説が正しいと思っている。」(同上、p.105〜106)

 アインシュタイン宇宙は、正の曲率≠持ったリーマンの楕円的幾何学を採用しているので、境界はないが、有限で閉じている♂F宙です。一般にもそう思われているけれども、実は負の曲率≠持っていると主張する学者もいる、と教授は言います。
 この2人の若い物理学者の名前は不明ですが、こうした主張は、実際に遠方の大星雲の数を勘定してもたらされた結果なのでしょうか?

 『1, 2, 3, ・・・無限大』は、まさにこのことについて述べています。

 ハッブル博士はこの数を実際に数えたのであって、彼は銀河の数が距離の3乗よりも幾分ゆっくり増加するらしいことを発見し、空間が正の彎曲をもち有限であることを示したのである。しかしながら、ハッブルの観測した効果はひじょうに小さくてウィルソン山の100インチ望遠鏡で観測できる距離の、極限に近いところで顕著になるにすぎないということに注意しなければならない。そこでわれわれはもっと確実な解答を得るためにはパロマー山の200インチの反射望遠鏡が完成して、その観測による記録と解釈を待たなければならないのである。(『1, 2, 3, ・・・無限大』、ガモフ全集6、p.367〜368)

 ハッブル博士とは、膨張宇宙≠ナ有名な米国の天文学者、エドウィン・P・ハッブル(1889−1953)のことです。なんと彼は、銀河(大星雲)の数を観測によって実際に勘定したのです。そして、その数の増え方が、距離の3乗より小さいことを発見し、宇宙空間が正の曲率≠持っていることを示したのです。
 しかしながらガモフは、この結果は望遠鏡の精度に左右されるので、より高性能の望遠鏡を用いた観測によって、再調査されねばならないと言っています。

※ 訳書の注には、次のようにあります。
 「200インチの望遠鏡の建設は戦争でおくれていたが、この本が書かれている時(1946年12月)には1947年の夏に完成されるといわれていた。しかしすべての必要なデータが集まるまでには、もちろんかなり長い期間を必要とするであろう。」

 実際にパロマー山の望遠鏡が完成したのは1948年でした。

 さらにガモフは、銀河(大星雲)の数をかぞえることによって、宇宙の曲率(有限か無限か)を判断するという方法は、もう一つの難しい問題を抱えていると言います。

 宇宙の有限性についての、最後の決定が不確実になっているもう1つの理由は、遥か彼方の遠くにある銀河の距離が見掛けの光度(自乗に反比例の法則)を基礎にして判断する以外に方法がないということにある。この方法はすべての銀河が同じ平均光度をもっているとの仮定のもとに行われているのであるが、1個の銀河の光度が時と共に変化するのならば、光度は年齢によってきまることになって、この方法は誤った結果を導くことになるのである。
 実際ウィルソン山の望遠鏡で見られる最も遠い銀河は500,000,000光年の距離にあるので、われわれが現在見ているのはその500,000,000年前の状態なのである。もし銀河が年をとるのにつれて次第に光が弱まるとすれば(おそらく個々の星が死滅して活動する星の数が減ることになるであろう)、ハッブルによって得られた結論は訂正されなければならない。事実、銀河の光度に500,000,000年の間に(その全生涯の約7分の1にすぎない)ほんの小さな割合でも変化があるとすれば、宇宙が有限であるという現在の結論は覆されることになる。(同上、p.368)

 要するに、銀河までの距離が、その見かけの光度(自乗に反比例の法則=遠いほど暗い)を基礎にして測定されるかぎり、不確実なものとならざるを得ない、なぜなら、星の長い寿命の間に、その光度自体が変化すれば、距離の判定に誤差が生ずることになる、そうすると、銀河の数の増え方が距離の3乗より大きいか小さいかという判断にも影響を与え、結果、宇宙の曲率が正か負か、すなわち宇宙が有限か無限か、という結論にも影響を与えることになるからだ、というわけです。

 したがってわれわれが、宇宙が有限か無限かということを確実に告げることができるようになるまでには、まだなされなければならない、ひじょうにたくさんの仕事があるということが分かるのである。(同上、p.368)

とガモフは最後に記しています。

 このように、宇宙空間の曲率の正負が、宇宙は有限か無限か≠ニいう重大な問題を左右するカギになっていることが分かりました。そして、その根拠になっているのが、リーマンとロバチェフスキー/ボリアイが提示した非ユークリッド幾何学だったのです。

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 さて、本サイトの最初に掲げた命題は、軍艦浅間≠ェ去った後のポッカリ大きな穴があいたような♀エ覚と、リーマン空間およびロバチェフスキー空間との関係についての考察でした。
 しかしながら、これまで見てきたように、空間の曲率の問題から宇宙空間が有限か無限かというスケールの話になってきて、軍艦浅間≠ェ及ぼした局所的な空間上の問題とは、だんだん懸け離れていっているような気がします。はたして、リーマン空間およびロバチェフスキー空間の問題は、今後どのように軍艦浅間≠ヨと収斂していくのでしょうか。

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【附録】

負数空間について

 [Part 5]で触れたように、タルホは「宇宙論入門」の執筆中に、ガモフ博士の『不思議の国のトムキンス』に出会ったことによって、負の曲率≠持った鞍状面≠ニいうものに気づかされました。そして、

 ガモフ博士の絵解きにもとづいて、負数空間の箇所を訂正、『宇宙論入門』の原稿は印刷に廻されることになった。(「改訂増補ロバチェフスキー空間を旋りて」、全集5、p.107)

 このように述べているわけですが、この中の負数空間の箇所を訂正≠ニいうのが気になります。負数空間≠ニいうのは、「宇宙論入門」には登場しない用語です。この負数空間の箇所≠ノ、どのようなことが書かれていたのか知ることはできませんが、タルホが負数空間=iあるいはマイナスの空間=jという言葉を用いている箇所が、実は他のいくつかの作品に見られるのです。それは、いずれも級友Nこと西田(正秋)君が語った、あるエピソードについてです。

 Nはそれから両手を向い合せにして、グローヴを作ってみせた。「ねえ、こういう一とかたまり、此処に地球がある。これが突然失くなってしまったら、先に地球が占領していたところの空間はどうなるか。その空間は負数でないかね」そう云いながら彼は、リーダーのあいだから一枚の切抜きを取出した。奇妙な女の裸像の写真であったが、この婦人にある乳房は盛上っていなかった。あべこべの半球に刳り抜かれていた。内側への、つまり負数の乳房(※)であった。(「古典物語」、全集5、p.149)

※ 雑誌「意匠」(昭和17年3月)掲載の初稿では、うち側への乳房=B

 宇宙空間に漂う地球が、もし一瞬にして消滅したら、そのあとに何が残るか、というN君の問いには、地球が占めていた場所≠ェ、すぐに周りの空間≠ノよって充填≠ウれるというのでなく、そこがポッカリ穴があいたように≠ネっている、という暗示があります。それを負数の空間≠ニ言っているわけです。同じ話が、他の作品にも何度も持ち出されます。

 私の級友が、彼の両の掌をくぼめて突き合わし、グローブ状を示した。「こんな星があるとする。これが突然に消え失せたなら、あとに何が残るか。そこはマイナスの空間でないか」
 と言ったことがある。もっともこの少し以前にわれわれは、未来派の裸女の写真を見たのである。その塑像の女性の両乳は盛り上っていなかった。あべこべに半球状にえぐり取られていた。即ちマイナスの乳房だった。この影響が友の上にあったのかも知れない。(「私はいつも宇宙の各点へ電話をかけている」、全集5、p.231)

 既に二十年前に、N君が、(球面宇宙ではなく)球状天体を捉えて云っていた。そこには「中性子星」と「ブラックホール」の暗示があったように思われる。「此処に地球がある。もしこれが、ある日、突然に消滅したとすれば、あとには何が残るであろう。先に地球が占めていた空間は、マイナスの空間になるのでないか」と。
 なんでも、われわれの前に未来派彫刻の複製版があって、その裸女の両方のお乳が(盛り上っているのでなしに)あべこべに半球に刳り取られていた。このことについて、二人で語り合っているさいちゅうであった。(「改訂増補 ロバチェフスキー空間を旋りて」、全集5、p.96)

 この西田君がある時、彼の両の手のひらをくぼめて互にくっつけて、グローブ状を私に示したことがある。
 「ここにこんな天体が存在するとする。もしこの星が突然消え失せてしまったら、あとには何が残るだろう。それはマイナスの空間でないか」
 この級友のコトバには、ヨハン=ボリアイやニコライ=ロヴァチェフスキーの負数空間の暗示があるではないか?(「空間の虹色のひづみ」、全集11、p.318)

 負数の空間≠ヘマイナスの空間≠ニいう言葉に置き換わっていますが、いずれも同じ話を繰り返しています。
 お気づきのように、このエピソードは軍艦浅間≠フ話と似通っているように見えます。しかし、タルホがこの2つの話を関連付けて持ち出したことは、実は一度もありません。したがって、タルホにとっては、この2つの話は別の範疇に属する問題なのかもしれません。
 しかしながら、最後のこの級友のコトバには、ヨハン=ボリアイやニコライ=ロヴァチェフスキーの負数空間の暗示があるではないか?≠ニ述べているところが気になるのです。
 ボリアイやロバチェフスキーの空間は、これまで見てきたように、負の曲率≠持った鞍状空間≠ナあって、N君の言うマイナスの空間≠ニは、その意味しているところが全く異なります。
 邪推すると、タルホはガモフの本で鞍状空間≠知るまで、負の曲率≠持ったロバチェフスキー空間のことを、N君のマイナスの空間≠フイメージで捉えていたのではないだろうか、もしかして、訂正前はそこにN君のエピソードも喩え話として持ち出していたのではないか、それが負数空間の箇所≠ナはないか、という気もします。

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