★ タ ル ホ 版 ラ リ ー 映 画
「村の騒動」(「お化けのムーン」)
「いつか君といっしょにプロダクションを興したい、というのが僕の夢想だった」という言葉を冒頭に紹介しました。それはアイドル、ラリーへのタルホの熱中ぶりを示したものでした。前掲「タルホ=ラリー・クロニクル」のページでも一部引用しましたが、ラリーの映画を観たときの心の昂ぶりを次のように記しています。
「ねがはくば僕に日本語が英語の位置にあるなら、さつそく、この流行児になるか、あるひは特異性によつてそれは思ふほどでないかもしれない――しかしそのことはちやんと頭に入れてゐるやうなところのあるラリーのところへかけつける。合同作品のムーンシヤインコメデイはすべてセツトとトリツクと花火応用である。その空間時間のない国の街と野と山に運動する人間人形によつて展開される荒唐無稽が、「タルホと虚空」「彗星捕獲」「廿世紀須弥山」――着色のみぢかいハバナタバコのフアントムのやうなものをこしらへ、世界映画界改新の一歩をふみ出したい――と、そんなことまで僕は、その晩ムービイ街の色電気の下をあるきながら考へてゐたのである」(「オートマチツク・ラリー」)
これは「笑国万歳」(Wizard of Oz)を観たあとに記したものですが、さらにラリー没後の追悼文のなかにも次のようにあります。
「君がエァロプレーンや、フォードや、汽車や、黒ん坊や、ブリキの兵隊や、月星模様の壁紙や、花火や、カミナリや、墓地や、お化けや、さては野菜や小動物を使って示してくれたスピーディな童話世界は、僕が前々から狙っている或る斬新な芸術様式という題目の上に多大の参考をもたらしてくれる。そしてそんな君の上に、僕はひとつ、シラノ・ド・ベルジュラックの月世界旅行をやってみたら……と考えていた」(「ラリー・シーモンの回想」)
このようにタルホは常々「タルホ版ラリー映画」の製作を夢想していました。自著を添えてラリーにファンレターを出したくらいですから、あるいはこうしたアイデアなども手紙に書き添えたのかもしれません。この手紙は梨のつぶてになって、もちろん映画製作のほうもタルホのアイデアだけにとどまりました。
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ところで、この頃タルホは「村の騒動」1という作品を発表します。ニワトリを盗みにきたお月様やお供の星たちを相手の大格闘シーンが圧巻の小話です。この作品については次のようなエピソードがあります。
「中央公論」に持ち込んだ「夜の好きな王の話」が断られてしまったので、タルホは次にその原稿を金星堂の「文藝時代」に持ち込みます。ここでは首尾よく話がまとまったようで、帰りに佐藤春夫のもとへ立ち寄ります。
「その帰途に音羽九丁目の佐藤春夫へ顔を出すと、ちょうど客間の籐椅子に倚って主人と話をしていたのが、谷崎潤一郎である。
彼はまず、私の上衣の下に覗いていたフランス飛行隊の革チョッキをほめた。「僕も革コートが一つほしいと思っているが、ニセモノが多いのでね」と附け加えた。次に近ごろ「女性」誌上で読んだ私の『村の騒動』を持ち出し、「君の書くものにはおつりきな所があって、面白いよ。全くあの作をラリー・シモンにやらせたいものだね」とも云った」(「「ヰタ・マキニカリス」註解」、『全集2』、p.405)
これは1926(大正15)年の暮れ頃2の話だろうと思われますが、これが谷崎潤一郎との最初の出会いでした。谷崎から「おつりき」という江戸前の言葉で評された「村の騒動」ですが、さらに谷崎はこの作品をラリー・シーモンに映画でやらせたいと言った、とあります。この文脈からはいかにも谷崎のほうからラリー・シーモンを持ち出したようにも受け取れますが、しかし実際はそうではありません。のちの改訂である部分が削除されてしまったので、谷崎とのこのやり取りが読者の誤解を招くようなものになってしまっていますが、じつは初稿の「村の騒動」(および『天体嗜好症』収録版)では、この作品をラリー・シーモンにやらせたい、とタルホ自身が末尾に書き添えていたのです。すなわち、
「ムーンシヤインピクチユア特作品として、僕はこんなふうなフイルムをこしらへるつもりでゐる。脚色はリオン・リー3氏にたのみ、ラリイシモン君を呼んでくる。トリツクと染色は僕の会社で自信があるから、問題はたゞこの十月に行はれるカルフオルニヤ飛行隊の夜間演習と、玉屋彩右衛門氏の花火が、果して組合せに適当なやうに撮影されるかどうかといふことにかゝつてゐる」
つまり谷崎は当然この部分も読んでいたわけで、これを踏まえて先の感想をしゃべったのだと思われます。「谷崎潤一郎が読んで、「君が云うようにあれをラリイ・シモンにやらせたいね」と云った」と別の箇所(「タルホ=コスモロジー」、『全集11』、p.477)に同様の言葉が出てきますが、このなかの「君が云うように」という意味も、それで納得がゆきます。
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このように、「村の騒動」という作品は、最初からラリー・シーモン主演映画の原作たらんと意気込んで書かれたものであることがわかります。すなわち、上述の「オートマチツク・ラリー」のなかで夢想していた「タルホ版ラリー映画」を、その1年余りのちに、原作という形で実現したことになります。
さて、この小話の内容はどのようなものだったでしょうか。
――ある夜、目を覚まして何気なく窓の外を見ると、向こうの小屋の上に奇妙な丸い物体が浮かんでいる。そのそばには星が縦に2列、数珠つなぎになっている。不思議な光景に息をこらして見ていると、星の紐がスルスルと伸びてきた。そして、それを伝って物体が地上に降りてきた。物体は柵を越えて牧場のほうへ行ったようだ。そのうちにニワトリ小屋が騒がしくなった。先方の目的はニワトリだったのか!?。「自分」はそちらをめがけてピストルをぶっ放した。驚いた物体はニワトリをつかんだまま慌てて引き返してきた。小屋の屋根に登ると、再び星の紐を伝って上空へ逃走を図りはじめた。「自分」は飛んで行って、屋根の上から紐の端をつかもうとした。すると、星は一斉に八方へ飛び散ってしまった。肩すかしをくった「自分」は、頭から地上へ転落してしまう。ライフルを持ち出して、もう一度上方の物体に狙いを定めた。物体は「キーッ」と鋭い叫び声を上げた。その途端、星の紐はバラバラに分解し、今度はネットの形になった。そして落ちかかった物体を受け止めて包み込むと、ものすごいスピードで舞い昇ってしまった。
知らせを聞いて警官隊とカイト中尉たちが駆けつけて来た。行方をくらました「ニワトリ泥棒」に対し、中尉の指揮によってやみくもに高射砲がぶっ放された。そのうちの一発に手応えがあった。星々が散り散りになって、そのあとにとうとう「犯人」が姿を現した。「追撃!」の掛け声に射撃隊は勇んで突撃。――が、闇のなかであえなく堤の溝に転落してしまう。
かくなるうえはと、ミスター・カイトはヒコーキによる追撃作戦を決意。操縦席の中尉から手招きされて、滑走を始めたヒコーキに「自分」も飛び乗った。いよいよ空中戦の火蓋が切って落とされた……
想像されるごとく、このニワトリ泥棒の犯人はお月様なわけです。それにしても、あたかもUFO遭遇事件のようなファーストシーン、しかもお月様が星の梯子を伝って降りてくるという導入場面には意表を突かれます。
しかしながら、この作品にはタネがありました。「タルホ=コスモロジー」には次のようにあります。
「茨城県の小学校の相馬先生が、彼の子供たちに『一千一秒物語』を読み聞かせてから、めいめいに作文を書かせたところ、その中に、「お月様がニワトリを盗みにやってきた話」があった。この報告が縁になって生れた。即ち「村の騒動」であって、「女性」に発表された」(『全集11』、p.477)
この相馬先生と子供たちとの話については、「相馬先生の問題」4と題して「村の騒動」の9ヶ月前に発表されています。これは実話をもとにしたものらしく、「世の教育家諸氏にたずねる一篇」とサブタイトルが付けられているように、教師、生徒、父兄の間の教育問題をテーマとしたものです。このなかに、「私の許には、お月さまが家来の星をあつめて人間の世界へブランコをさせ、それをつたっておばあさんのニワトリを盗んで行くとか、……いう作文が送られてきた」とあり、「コスモロジー」に言うところは、この話を指していることになります。
このように、冒頭のお月様が星を伝って降りてくるというシーンは、じつは生徒のアイデアだったことになります。
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そうはいっても、全体はやはり紛れもないタルホ世界です。悲鳴を上げたり、臭いガスを吐いたりするお月様は、軟らかくてどうも毛まで生えているようです。ニワトリが目的だったというこのお月様の素性には「疑い」が持たれますが、それはさておき、護衛の星たちの変幻自在ぶりにはちょっと驚かされます。しかもこの星たち、空中戦では相当凶暴さを発揮します。
月や星との格闘といえば、『一千一秒物語』のなかの「投石事件」や「流星と格闘した話」、「お月様とけんかした話」などが思い起こされます。なかでも「お月様とけんかした話」の最後の場面は、この「村の騒動」に敷衍されているとも言えます。しかし、『一千一秒物語』の世界と最も異なる点は、「村の騒動」の後半に展開される空中感と映像的豪華さでしょう。
――ヒコーキに乗って出撃したカイト中尉と「自分」は、空中でたちまち夥しい数の星に取り囲まれてしまいます。そうこうしているうちに、そのなかに非常に危険な「赤い星」を発見します。中尉はその星の怖さを知っているらしく、慌てて急降下を始めます。そして友軍を要請するべく、「自分」にマグネシウムの発火信号筒の投下を指示します。ところが時すでに遅く、「赤い星」の攻撃によってヒコーキは火を噴きはじめました。機体が激しく動揺するなか、中尉はもはやこれまでと素早くパラシュート降下を行いました。ところが、星たちは落下していく中尉めがけて殺到して行き、あっという間に中尉の体をあたかもラジエーターのようにハチの巣状にしてしまいます。
夜空の闇と星たちの眩いばかりの光との対照。そこに繰り広げられる空中戦には切迫感があります。とくに、落下していくカイト中尉に対する星たちの追撃シーンは、さながらスカイダイビングの映像をみているような、吸い込まれていくような感覚を覚えます。こんなスタントはラリーの映画にも登場しません。
――炎に包まれた機上に取り残された「自分」は、ヒコーキの支柱とワイアを伝って翼の端まで逃れようとしますが、ついに機体は大爆発! 跳ね飛ばされた「自分」は、すかさず星のネットに絡み取られてしまいます。星の渦のなかでもがいているうちに、そのなかにいたあのお月様と遭遇。空中ではお月様や星と組んずほぐれつの大乱闘。地上の村からは火の手が上がり、友軍のヒコーキは大編隊を成して出撃中。それを迎撃する無数の星には箒星も参戦して、いまや大激戦が展開中……
この豪奢な花火大会のフィナーレのような目眩くシーンのために、タルホは「カルフオルニヤ飛行隊の夜間演習と、玉屋彩右衛門氏の花火」の映像を援用したいと言っているわけです。いまならさしずめCG(コンピュータ・グラフィックス)を駆使して、ということになるのでしょうか。
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トリビュート作品としての「村の騒動」。そうであれば、ラリーの役は当然この作品のなかの「自分」ということになるのでしょう。そして、そこに白塗り顔にボウラー・ハット、サスペンダー・パンツという恰好を当てはめれば、この物語はラリー映画としての条件が整うことになります。ただ、一人称で語られている点、映画化に当たってはタルホの言うように脚色が必要でしょう。
この作品でタルホがラリー気分といったものを出そうとしている点を拾ってみると、まず舞台を農場に置いていることが挙げられます。ラリーの映画 The Barnyard について語っているように、タルホはラリー映画に登場する田園情緒をとくに気に入っていたようです。「村の騒動」の最初の場面も、Wizard of Oz のカンサスの農場を思わせます。星の梯子をつかもうとして、納屋の屋根から落っこちたのが藁の上だった、というのもまさにラリー的です(ラリーの映画の場合は、次に誰かが地面に落ちる)。すぐにピストルを取り出したり、ポリスやオートバイが登場するのもラリー映画ではお馴染みで、高射砲部隊が堤から転落するというのもラリー的ギャグでしょう。また、走るオートバイのサドルの上に立ち上がって、離陸しはじめたヒコーキに間一髪飛び移るというのも、似たようなシーンはラリー映画にも何度か登場し、最もスリリングなスタントの一つとなっています(このなかでもう一人の重要な登場人物であるカイト中尉の配役については、タルホはラリー・チームのなかで誰を想定していたのでしょうか?)。いずれにしても、こういった場面で、タルホがラリーの映画を念頭に置いていたことは間違いありません。しかしながら、後半の空中戦シーンはタルホ・オリジナルと言っていいでしょう。先に述べたように、とくに星たちの意想外な素早い動きが、エキサイティングな映像的効果を生み出しています。
ページの冒頭に引用したところによると、「タルホと虚空」「彗星捕獲」「廿世紀須弥山」のようなフィルムをこしらえたい、とタルホは「オートマチツク・ラリー」のなかで言っていました。「タルホと虚空」はこの「オートマチツク・ラリー」の前月、「廿世紀須弥山」は同じ月にそれぞれ発表された作品で、「タルホと虚空」5は円錐宇宙と月世界旅行、「廿世紀須弥山」6は「天の岬」におけるオートバイによる土星の輪乗りの話です。これらは直接ラリーを想定して書かれた作品ではありませんが、いずれもいわば天体物であることが「村の騒動」と共通しています。
「ゆうべ月から落ちてきた人のような君の舞台が、ニューヨーク夜景から星々に飾られた虚空界に展開して、ひだ襟のついた中世服装の君が、あの手ぶり身ぶりよろしく土星の環の上を歩いたり、故障の起きたロケットを箒星に牽かせたり、星を口にふくんで粉っぽい煙を吐き出したり……またサモサタのルキアンの幻想、ジブラルタル海峡のヘルクレスの柱の下で、帆船が大風に吹き飛ばされて、八日目に光り輝く島に上陸するという所に始まってもいい。また、デンマークの時計師ハンセン氏の夢、月の裏側が卵のようにとんがっているかどうかをしらべに出かけ、はしなくも月人(ゼレニート)の戦いに参加して、山田長政式の大手柄を立てる……ダンチヒの天文学者、ヘヴェリウスの数奇に充ちた一代記……いっそ火薬事件の首領ガイ・フォークスの悲劇と出たらどうか……」(「ラリー・シーモンの回想」)
最初の空想科学映画としてはジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」が有名ですが、この映画はタルホも言っているように、ジュール・ヴェルヌの小説にもとづいて製作されたものでした。当時のこうしたフィルムは、ポオ、ヴェルヌ、ウェルズらの月世界探検物語を受け継いだもので、彼らの小説はさらに、グルイトウィゼンやハンセンといった19世紀の天文学者たちによってもたらされた「月騒ぎ(ムーン・ブーム)」の影響があるのではないか、とタルホは推察しています7。ここでタルホは、映画前史として、そうした月に魅せられた歴史・伝説上の人物たちを列挙しているわけです。
こうしてみると、結局、タルホがラリーの上に夢想していた映画は、メリエスの「月世界旅行」に端を発する空想天体物映画、しかも時間と空間を飛び越えて月や星の世界をめぐるタルホ版「空想冒険活劇」だったということがわかります。
n o t e s
1★「村の騒動」
「女性」、1926年11月、初出。サブタイトルは「そこは世界中で一番空に近い」。この作品はのちに、「鶏泥棒」→「お化けのムーン」と改題・改訂。『全集1』、p.245所収。
2★1926(大正15)年の暮れ頃
「西巣鴨新田時代」のページ、注17参照。
3★リオン・リー
Leon Lee は、「笑国万歳」(Wizard of Oz)の脚本家。
4★「相馬先生の問題」
「文藝春秋」、1926年2月。『全集12』、p.65所収。
5 ★「タルホと虚空」
「G・G・P・G」、1925年7月。『全集2』、p.147所収。初出では円錐宇宙の解説と薄板界を通る月世界旅行の話のみ。以降の内容は、2ヶ月後に「新小説」に発表された改訂作から。
6★「廿世紀須弥山」
「週刊朝日」、1925年8月30日。改題・改訂作「螺旋境にて」、『全集1』、p.262所収。
7★推察しています
「足穂映画論」(「季刊フィルム」、1970年7月。『パテェの赤い雄鶏を求めて』(新潮社、1972年)所収。この作品は「シネマトグラフ」(『全集9』所収)の前半部を改訂して独立させたもの)、および「僕の"ユリーカ"」(『全集5』所収)参照。
メリエスのような「月世界旅行」映画には3種類あったとタルホは言っています。なお、「ムーン・ブーム」をもたらしたとされる天文学者の詳細については、「僕の"ユリーカ"」参照。
ちなみに、『魔術師メリエス』(マドレーヌ・マルテット=メリエス著、古賀太訳、フィルムアート社、1994年)によれば、「月世界旅行」のアイデアはどこから生まれたかという質問に対して、ジョルジュ・メリエスは、「ジュール・ヴェルヌの『地球から月へ』と『月世界旅行』です。彼の本では人類は月に到着できませんが、私は大砲やロケットといったジュール・ヴェルヌのアイデアを使いながら、月にたどりつく話を作りました。そのほうがいろいろな幻想的シーンを展開したり、月世界の怪物や月の住人を見せたり、女性が星や彗星に化けたり、雪や海底シーンを作ったりといった芸術的トリックを見せられると思ったのです」と答えています(p.285)。