3月
★アメリカのボールドウィン飛行興行団がマニラからの帰りに立寄って、城東練兵場でマースが“雲雀号”を操縦して飛んだのは、私が小学五年の三月のことである。(「未来派へのアプローチ」『大全1』p.314)
3月12日
★明治四十四年三月十二日は関西人が初めて飛行機に接した日であるが、この時、米人マースの飛行を見ようと城東練兵場方面へ繰出した人数は、なんと八十万である。(「ライト兄弟に始まる」『大全1』p.602)
★明治四十四年三月十二日、大阪城東練兵場でマース飛行があった時、大朝社の飛行記者小山黒天風は、「飛行に憑り長風に御するとは二千年のその昔、列子の空想と思ひきや云々」に始まる熱文を書いて、近畿青少年の血を湧かしたものだ。……いまのマースの飛行大会の折りを皮きりに、翌年のアットウォーターの水上飛行、更に翌年の武石浩玻の都市連絡飛行、いずれも大阪の空が、須磨方面の上空が、京阪間の空間が、ヒコーキの影響を受けて、「たゞならぬ様相」を呈しているように思われたものだ。(「私の夏=蕪村の夏」『全集12』p.435)
★明治四十四年三月十二日、この日、我も我もと城東方面へくり出したので、大阪市は空っぽになったと云われる。小学四年の三好達治君は、八キロ遠方の屋根の上で、城東練兵場におけるマース氏の飛行を待ちかまえた。(「浪花シリーズ」『全集9』p.483)
春
★ボールドウィン飛行興行団は、一九一一年の春、マニラからの帰途に日本へ立寄った。この時、一行中のマース(J.S.“Bud”Mars)が、目黒競馬場、根岸競馬場、大阪城東練兵場等で、カーチス式複葉「雲雀号」及び「赤鬼号」をかわる代るに操縦して、飛んでみせた。関西ではこの時に初めて飛行機に接したのである。(「ライト兄弟に始まる」『大全1』p.496〜497)
★五年級の読本に出てきた沃野が、その一字が妖に似ていたから彼はようやと発音したものであるが、この沃野は、野がひとりでに、云わば巨大な平坦な虫のように動いている感じだから、何か恐ろしい気がした。(「父と子」『大全4』p.155)
★菊池幽芳訳、上下二冊の『家なき児』は、自分が十歳くらいの時に読んで泪をこぼした最初の外国小説だった。(「雪融け」『大全5』p.157)
★触背美学とは一九一一年即ち明治の末年に中川なる人に提唱されたものであって、その著書には、当時に於てすでに映画の非芸術性が指摘されてあるとの事である。(「触背美学に就て」『全集8』p.254)
☆『形似神韻 触背美学』(中川四明〈重麗〉著、博文館、明治44年4月)
☆この本のことは少年時代にすでに知っていたとある。
☆「触背美学」(『全集12』p.415)、「貴婦人はアランポエポエとす」(『全集11』p.338)も参照。
★明治の終り頃に、京都の俳人中川四明が「触背美学」を唱えた。(「アド・キルー「映画とシュルレアリスム」を読んで」(『大全6』p.626、『全集11』p.222)