1月 ★(アンケート:文学と生活及びその将来)「婆言すれば」<文芸公論>[13-454]
1月 ★「夢がしゃがんでいる」<黄表紙>[1-129]
1月 ★「訂正及創造に就て」<黄表紙>[12-176]
2月 ★「機械学者としてのポオ及現世紀に於ける文学の可能性に就て」<新潮>[1-455]
3月 ★「飛行機及ポオによる一例」<創作時代>[12-177]
4月 ★「偏見と誤謬」<黄表紙>[12-179]
4月 ★「緑色の円筒」<黄表紙>[2-114]
4月 ★「近代物理学とパル教授の錯覚」<改造>[→「似而非物語」2-217]
★私の『似而非物語』はちょうどこの頃出来たのであるが、参考書に買った岩波書店刊『星と原子』はとっくに質流れになっていた。(「鉛の銃弾」『鉛の銃弾』p.167)
☆この『似而非物語』は『近代物理学とパル教授の錯覚』を指すのか、あるいは『P博士の貝殻状宇宙について』(昭和5年9月)か。
☆前後の竹早少年との関係から、この時期まだ西巣鴨新田の池内姉妹のところに居たことになる。
★其後、ポオの『ユレーカ』を読み、更にスエーデンボルグの太陽系創造説を知って、先の円は球にした方がよいと考え直し、更に十年後、序曲の不要に気がついた。(「私の宇宙文学」『大全1』p.152〜153)
☆「其後」というのは、円錐宇宙をテーマにした『カイネ博士に依って語られしもの』を描いて三科インディペンデントに出品した(大正11年)後、という意味であろう。
☆「円は球にした方がよい」とは、『近代物理学とパル教授の錯覚』(『遠方では時計が遅れる』多留保集6、p.70)に、「あらゆる形体とはさまざまな状態における球──即ち球の変態としてのみ解釈される……」とあるのを指すのであろう。
☆「スエーデンボルグ云々」については、昭和5年9月に発表した『P博士の貝殻状宇宙に就いて』(『同上』多留保集6、p.78)に、コナン・ドイルやオリバー・ロッジの名前が出てくることから、そういった霊学方面の本を読んでいたのであろう。
☆「十年後」とは、おそらく昭和12年4月に発表した『似而非物語』を指すものと思われる。
4月 ★(アンケート:1.あなたの最もお好きな食物は? 2.あたなの御愛用される酒は?)<食道楽>[13-454]
5月6日
★銀座横町の「ロシア」の二階で沙良峰夫(梅沢孝一)の追悼会があった。この席に、和服姿の小柄な、少彦名神の印象を与える人物がまじっていた。……これが夷斎石川淳である。……尾嶋飛行場における加藤寛一郎の事故(昭和3年5月4日)を朝刊で知った日の翌日だったから、五月六日であったろう。(「タルホ=コスモロジー」『タルホ=コスモロジー』p.93〜94)
☆この追悼会のことは、同書p.117にも。
★その追悼会が銀座の「ロシヤ」にあった晩、あの庵文蔵にくっ附いて馬橋の鳥屋さん、即ち彦介の借屋へやって来て其儘ずるずるべったりになった青年学者が石川淳であった。(「石川淳とJUNE BAG」『全集12』p.274)
☆「庵文蔵」とは、石川淳の『普賢』の登場人物で、山ノ内恒身がモデルという。
★これが単行本『天体嗜好症』に入れられると、再び発行間ぎわに発禁になりかかった。ちょうど沙良峯夫の追悼会がロシアの二階で催された時で、同席の安藤更生がそのことを知らしてくれたのである。(「タルホ=コスモロジー」『全集11』p.479)
☆「これ」とは、作品「つけ髭」のこと。
5月 ★「やけくそ三つ」<悪い仲間>[12-183]
☆この中の「2. アップコック氏」については、「1922年(大正11)年に東京上野で開催された「平和記念東京博覧会」において、アメリカ人のオスカー・バブコックが自転車の曲乗り公演をした」という資料あるも、未詳。
5月 ★「宝石を凝視する女」<婦人公論>[→「宝石を見詰める女」1-105]
5月 ★『天体嗜好症』《春陽堂》
収録作品(39編)「天体嗜好症」「『タルホと虚空』」「月光密輸入」「THE MOON RIDERS」「彗星問答」「廿世紀須弥山」「村の騒動」「童話の天文学者」「天文台」「私の耽美主義」「われらの神仙道」「無性格論」「形式及内容としての活動写真」「オートマチックラリイ」「ラリイシーモン小論」「UP-TO-DATE BEYOND」「ガス灯物語」「あの頃の飛行機」「ベニスの思出」「STAR PITCHER」「『ラリイ将軍珍戦記』を観て」「バンダライの酒場」「散歩しながら」「ラリイの夢」「手帖から」「Pちゃんと西洋人」「ハイエナ追撃」「カールと白い電灯」「空中世界」「『ちょいちょい』日記」「つけ髭」「A CURIOUS EPISODE」「美学」「白鳩の記」「海の彼方」「或る倶楽部の話」「その山の話」「木犀」「鷺香水」
☆「Pちゃんと西洋人」「ハイエナ追撃」「空中世界」の初出は? この中の「カールと白い電灯」の成立事情が「未来派へのアプローチ」(『大全1』p.325)に。
☆「ハイエナ追撃」は「海浜漫談」(大正14年)から発展。
☆「空中世界」はアート・スミスの自伝から。
☆のちにタルホ・ピクチュア「タルホの舞台面」の自註として、「この原型は、単行本『天体嗜好症』(春陽堂刊)の口絵写真として存する。私はこれが平面の印象を与えないために、一つ一つ紙細工で作って浮き上らせたのだったが、当時のこととて印刷所側に理解がなく、ひともちに写して、かつ加筆してしまった。あきらめるより他はなかった」とある(「タルホ・ファンタジー自註」『全集11』p.335〜336)。
5月 ★「加藤飛行士の思出」<時事新報、5月18日−22日>[6-368]
☆『全集6』に初めて採録。この年の5月4日(奇しくも武石浩玻の墜死と同じ日)に墜死した知人の加藤寛一郎飛行士を追悼したもの。「ヒコーキ野郎たち」(『全集6』p.275)、「鉛の銃弾」(『全集10』p.432)、「ヰタ・マキニカリス註解」(「タルホ=コスモロジー」)(『全集2』p.403)参照。
6月 ★「或るCraft Ebing的な挿話」<創作月刊>[12-189]
☆『星の都』では「5月」、またタイトルが「或Kraft-Ebingな挿話」(『全集12』収録のタイトルも)となっているが、いずれも誤り。
7月 ★「T氏と街」<黄表紙>[12-192]
7月 ★「ポンピィとロビングッドフェロー」<黄表紙>[13-39]
7月 ★(衣巻省三著『こわれた街』序文:)“He Comes from Kobe”《詩の家出版部》[13-422]
7月 ★「酒のよろこび」<食道楽>[13-422]
8月 ★(アンケート:推頌之辞・非難之弁)<不同調>[13-454]
8月 ★「八月の朝のちょっとした話」<創作時代>[全集不掲載]
☆この作品はどういう理由か、『全集』に掲載されていない。
8月 ★「A MERRY-GO-ROUND」<悪い仲間>[12-193]
8月 ★「ガス燈と私たち」<報知新聞、8月26日>[1-324]
9月のはじめ
★折もよく、九月はじめのちいさい汽車旅行の夜は、その郡山を出るとすぐに白んで来た。(「まるい山々と鳥」『全集12』p.195)
☆会津若松を訪れた。同行のT夫人は不明。
☆冒頭に「幾年かまえの初夏に、私は福島まで競馬のために出掛けたことがあった」とある。
ラリー・シーモン没
10月8日
★映画界多事なこの一九二八年の中秋十月八日、(ラリー・シーモンは)三十九才を一期として世を去った。(「ラリー・シーモンの芸風」『星の都』p.106、『全集12』p.203)
☆夕刊でラリーの死を知ったタルホに対して、その前夜に枕元に出てきたカエルはラリーの死を知らせたのだ、と舞踏場の池内女史は言う。
10月 ★「今は思い出のラリー・シーモンへ」<週刊朝日>[→「ラリー・シーモンの回想」1-125]
10月 ★「まるい山々と鳥」<サンデー毎日、10月28日号>[12-195]
11月 ★「飛行機物語」<新潮>[2-325]
11月 ★(アンケート:カフェに就て諸家の回答)<文芸ビルデング>[13-455]
11月 ★「詩集『こわれた街』の会」<国民新聞、11月19日>[12-198]
☆衣巻省三の詩集『こわれた街』の出版記念会の様子。会場にいた国民新聞の「S氏」から執筆依頼があったようだ。新聞の11月19日という日付から、会はその数日前に開かれたのだろう。
☆佐藤惣之助、萩原朔太郎、宮崎康政、黒田辰男らの名前が見える。
12月 ★「ラリー・シーモンの芸風」<映画時代>[12-199]
12月 ★(アンケート:今年度・推奨・非難)<不同調>[13-455]
12月 ★(アンケート:私が本年発表した創作に就いて)「感想」<新潮>[13-455]
12月 ★「鳩座から来た人」<黄表紙>[全集不掲載]
☆未見
?
★萩原(朔太郎)は、なんでもマッサージに関する秘密組織について訊ねる用向きで江戸川乱歩を訪れたのであるが、乱歩の人柄が気に入ったというので、さっそく僕に紹介してくれた。その時分、乱歩は、戸塚の通りをちょっと横へはいった所に『緑館』という下宿屋を経営していた。(「わが庵は都のたつみ」『大全5』p.74)
★私は、朔太郎の紹介で、江戸川乱歩と知り合った。朔太郎はなんでも秘密マッサージ倶楽部のことを質問するために、乱歩を戸塚の「緑館」に訪れたのだそうであるが、先方の人柄が気に入ったと云って、私に名刺の紹介状をくれたのである。(「朔太郎オナニスト」『全集11』p.370)
☆「旅順海戦館と江戸川乱歩」(『全集11』p.250)に同様の記事。ただし、この中の「戸塚緑町」は「戸塚緑館」の誤りであろう。
☆乱歩が緑館を経営していたのは、昭和3年4月〜6年11月なので、この間のことであろう。