1月
★翌年一月になると、病人は、この城下町の片隅にほったらかしてあった古い持家に移った。傭いばあさんのほかに、出入りするのは私とお医者、田舎(兵庫県西脇)住まいのお父さんが時々やってくるだけである。(「「非ユークリッド」との因縁」『全集11』p.366)
☆「病人」とは、数学少年のこと。
1月 ★「緑色の記憶」<作品>[13-49、→「夢がしゃがんでいる」1-129]
1月 ★「逆転」<文芸汎論>[6-382]
4月 ★「LE SIMULTANITE」<作品>[12-244]
4月 ★「青い壷」<一家>[13-54]
6月 ★「ココア山奇談」<新青年>[→「ココァ山の話」2-315]
7月 ★「MAGIC BOX」<文芸汎論>[12-245]
☆この中に出てくる「幽霊捕獲器」は、「チンハットとデドメン君の銷夏法」に。
8月 ★「チンハツト氏とデドメン君の銷夏法」<文芸汎論>[→「我が棲いはヘリュージョンの野の片ほとり厭わしきカルニアの運河に沿うた地下墓地だ」1-383]
8月 ★「著者への書翰」(『水の悲哀』笠野半爾氏への書翰)<麺麭>[12-248]
☆詩集『水の悲哀』は、1933年、青樹社(京都)刊。笠野半爾は関西の人。どのような交友があったのかは未詳。竹中郁らとの関係か?
晩夏
★縁側に晩夏の夕日が射していた。(数学少年の家の)板敷の一端に置かれた本棚から、五、六冊がくずれ落ちているのを直そうとして、私は内田老鶴圃の出版カタログを見付けた。冊子の頁を繰っているうちに、梶島二郎著『非ゆうくりつど幾何学』が眼にとまった。(「ロバチェフスキー空間を旋りて」『ヒコーキ野郎たち』p.128)
★その夏もすぎてある夕方、私が例のように見舞いに赴いて、奥の間の縁側からゲタを穿こうとして、片隅の書棚からくずれ落ちている本を元通りにしようとして、いっしょに落ちていた数学カタログの中に、梶島二郎著『非ゆうくりっど幾何学』を見つけたのだった。しかしこの時は、そのうちに出版元へハガキで問い合わしてみようという程度であった。(「「非ユークリッド」との因縁」『全集11』p.366)
9月
★昭和八年もすでに九月に入っていた。その頃私は、町の西外れにある浄土宗のお寺の庫裡に寝泊りして、夕方にはいったんステーション近くの我が家へ顔を出し、改めて少し東へ隔たった少年(数学少年)の許をたずねる例であった。(「ロバチェフスキー空間を旋りて」『ヒコーキ野郎たち』p.127)
10月末
★十月の末になって年少の友は世を去った。私は、彼に最初に贈ったカジョリーの『初等数学史』をはじめ、見覚えのある教科書類が、駅前横町の古本屋の棚に並んでいるのを知った。故人のお父さんが売払ったのであろう。(「「非ユークリッド」との因縁」『全集11』p.366〜367)
11月下旬
★(数学)少年は既に前年(昭和8年)の十一月下旬に、即ち彼が床に就いてから丸一年と三日目に亡くなっていたのだから……(「ロバチェフスキー空間を旋りて」『ヒコーキ野郎たち』p.130)
☆「菟」(『大全4』p.81)にも、「丸一年と三日経って」とある。「白昼見」(『大全4』p.183)では、11月末。
☆「タルホ=コスモロジー」(『タルホ=コスモロジー』p.24〜25)に、「彼の残した日記帳を披いていた時、「きょう何某さんが、ヰタ・マキニカリスという言葉を口にした。こんどの本の題名にするのだそうである云々」を見付けて、この表題は成功するだろうという気がしたのである」とある。とすると、彼の生前中に、編纂作業までいかないにしても、すでに『ヰタ・マキニカリス』の構想があったことになる。
12月 ★「飛行機物語」<季刊文学>[2-325]