1935(昭和10)年 34歳 『ヰタ・マキニカリス』の編集



元旦
★元旦の午前三時ごろ、掃除のさいちゅうに、「質入れしたものを出したい」とひさご屋が口に出し、明るくなるのを待って出て行った。(「美しき穉き婦人に始まる」『多留保集1』p.229)
☆前の大晦日の話に続くので、その翌年の元旦。

★店頭はひどく淋しくなり、春物の仕入に取りかからねばならなかったが、……(「美しき穉き婦人に始まる」『多留保集1』p.232)

★ひさご屋は正二日間戸をとざして、店卸し表を作った。四辺が真暗になったとき、風呂敷包み一つさげて、勝手口まで廻した利休下駄をひっかけて、出て行った。(「美しき穉き婦人に始まる」『多留保集1』p.234)

2月 ★「犬の館」<羅針>[1-71]
「犬の館」「月夜の不思議」の2編を収載

3月 ★「ファルマン」<四季>[2-350]

4月 ★「空の寺院」<文芸汎論>[12-261]

6月 ★「仙境」<羅針>[→「夏至近く」1-73]

8月 ★「ピエトフ」<四季>[12-263]

8月 ★「奇妙なフイルムの話」<新青年>[12-265]

★海辺の町の夜更け、彼女を送ってから堀割に沿うてふらりふらり、ちょうど程よい酔心地で帰ってくる折に、初めて蜿々と北天にのた打っているさまが明かにされた。(「横寺日記」『全集7』p.353)
☆これは星座の「ドラゴン」すなわち竜座について述べている。「北天にのた打っている」というのだから、季節は夏であろう。
☆「彼女」とは「美しき穉き婦人」のことだろう。であれば、この年の夏か?

9月末
★私は、卓上用反射望遠鏡と、サングラス及び接眼レンズ三箇を買う決心をした。軒ならびの時計商から若干の借金が出来て、今をのけてはこんな機会は永久に失われる気がしたからだ。三月末を期限にした借財は、お哥さんの斡旋で横町の氷問屋から借受けた分で返済していた。氷屋はかねて私の家に眼をつけていたから前回の倍額を融通してくれた。その契約が九月末だったので、そろそろ期限が近付いてくると、いつかの寿司屋に倣って、「間口半分だけでも区切って貸して貰えまいか」と先方は持ちかけてきた。それが家の引渡し同様の結果になることは私に判った。ここでお哥さんが、借家住いを不便がっているいまの時計屋に相談をかけたわけである。時計屋は近ごろこの一流場所へ出てきた成功者であった。登記所の畳の上に怖い顔をして坐っている氷屋の主人に金を返すと、それと同額が当方の懐に残った。(「美しき穉き婦人に始まる」『全集7』p.44)
☆この「卓上用反射望遠鏡」が、いわゆるニュートン=ハーシェル式反射望遠鏡のことであろう。
☆何年のことかはっきりしないが、この年のことではなかろうか?

★矢絣の少女は接眼鏡まで背が届かなかった。からだをのし上げてテーブルの上に膝を載っけねばならなかったが、そのつどに彼女は鏡筒をつかまえた。そのため私は酒臭い顔を、背けるようにしながら、彼女の頬におしつけて、ファインダーを覗いて修正しなければならなかった。そんな時の彼女は別に乳臭くも無かったし、と云って瓜の香がただようというわけでもなかった。私と入れ代わって接眼部に近付けた瞼に円く青い月形が落ちている。そのまぶたや頬っぺたに一面に細かな雀斑があることは、室内の明るい電燈下における新発見だった。(「美しき穉き婦人に始まる」『全集7』p.48〜49)
☆この「少女」とは、「美しき穉き婦人」のこと。
☆これと同じ場面が、「僕のユリーカ=v(『全集5』p.22)に。

★われわれの一等お終いの期間、私が組立てたニュートン=ハーシェル式反射鏡によって月の世界を覗いた途端、老女は、「まあ綺麗、凄いようや」と嘆声を上げてから、いみじくも云い当てました。「せめて百五十円も費ったらもっとよく見えるものが出来たであろうに――」(愚かなる母の記」『全集7』p.208)
☆「老女」とは、タルホの母。

★私は2.5インチの反射鏡をいじっていたことがあって、このハーシェル=ニュートン式が簡単で、効果があるということを、明石から東京の朔太郎へ手紙で知らせてやった所、「天体を見るのも結構だが、僕はそれよりも部屋のベッドに寝ていて、遠くの景色の中で子供たちの遊んでいるのが見えるようなのがほしい」返事をよこした。私はがっかりした。これでは朔太郎はダメだと思った。(「朔太郎オナニスト」『全集11』p.370)
☆この話も、この頃のことではあるまいか?

10月 ★「青い独楽(他一篇)」<文芸汎論>[全集不掲載]
☆「他一篇」として「時計奇談」を含む。
☆『全集』には「他一篇」の「時計奇談」は掲載されているが、なぜか「青い独楽」のほうは掲載されていない。

10月 ★「時計奇談」<文芸汎論>[12-267]
☆「青い独楽(他一篇)」の「他一篇」に当たる。

11月 ★「兎と亀との本当の話」<児童文学>[1-380]
☆この話の原型は「蓬莱問答」(週刊朝日、昭和6年1月)の中に。

12月?〜 ★「新版一千一秒物語(I)」<児童文学>[→「一千一秒物語」1-3]
☆「児童文学」12月号は未見。おそらくこの年12月から、翌昭和11年8月号まで、6回にわたって発表されている。

12月30日
★いよいよお正月が明後日に迫った夜、……半鐘が鳴り出した。寺の方角の空が桃色に染まっていた。……老僧が銭湯へ出かけたあとのことだったので、何も彼も焼いてしまった。(「美しき穉き婦人に始まる」『多留保集1』p.247)
☆寺(無量光寺)が焼けたのは何年か?

『ヰタ・マキニカリス』の編集
★昭和十年頃、私は明石の両親の許に帰省中だったが、これまでの我が作品の整理を思い付いて、ぼつぼつ準備に取りかかっていた。この選集の題名として思いついたのが、『ヰタ・マキニカリス』である。(「タルホ=コスモロジー」『タルホ=コスモロジー』p.22)

★選集『ヰタ・マキニカリス』を編輯した昭和十年頃、私はここまではっきりと事柄が判っていなかった。自分の文章にロバチェフスキーが出てくるのは、未だやっと戦後の話である。(「ロバチェフスキー空間を旋りて」『ヒコーキ野郎たち』p.121)


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