1958(昭和33)年 57歳



1月 ★「吊籃に夢む」<作家>[6-284]

2月 ★タルホ・クラシックス(XXXVIII)〈作家〉
      「失はわれし藤原氏の墓所」[→「宇治桃山はわたしの里」9-99]
      「附・雙ヶ丘」[9-91]

3月 ★タルホ・クラシックス(XXXIX)〈作家〉
     「宇治」[→「宇治桃山はわたしの里」9-99]

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◇例の足掛け三年がかりの大作『A感覚とV感覚』は二十五日に名古屋の「作家」へ送りましたから、ご休心ください。(p.131)
☆上記に続く(ハガキ三)。八瀬宛というのであれば昭和33年4月の「ヒップ・ナイドに就いて」のことか。しかし「足掛け三年がかり」とあるので、ひよっとして昭和34〜36年にかけての「増補HIP-NEID」「少年愛の形而上学」「PrincipiaPaedophilia」のことかもしれない。とすると八瀬宛ではなくなるが。

4月 ★「ヒップ・ナイドに就いて」<作家>[→「少年愛の美学」4-3]

4月 ★『稲垣足穂全集16』《稲垣足穂全集刊行会》
収録作品(4編)「澄江堂河童談義」「A感覚とV感覚」「異物と空中滑走」「『美少年的なるもの』を繞りて」

5月 ★「月は球体に非ず!」<机>[5-250]

5月 ★「菟東雑記(I)」<作家>
      「月世界ブームの近世史」[5-254]
      「僕らの旅順海戦館」[全集不掲載]
☆この「僕らの旅順海戦館」は、『全集』の解題に取り上げられていない。
       「朝日山の山桃の木に想う」[11-50]
      「秋風菟堤曲」[11-28]
      「夜長」[11-52]
      「アブストラクト」[1-408]
      「日本バガボー」[11-54]
      「天狗考」[→「鼻高天狗はニセ天狗」10-246]

5月 ★「春風澱江歌」<季節>[12-364]

6月 ★「菟東雑記(II)」<作家>
      「須弥山さわぎ」[11-57]
      「四次元談義」[11-36]
      「未来仏への思慕」[→「兜率上生」11-9]
      「ボクの弥勒浄土」[→「僕の弥勒浄土」11-64]
☆「ボクの弥勒浄土」の初出は昭和26年ではないか?(掲載誌不明) (「昭和25年夏頃」の項参照)
☆初出の「ボクの弥勒浄土」は、『足穂拾遺物語』(高橋信行編、青土社、2008年)に、「中外日報」(昭和28年8月12〜15日発表)として収録された。
☆なお、この中に「一昨年のことであったか、来日の噂があったガモフ氏ら……」とあるが、ジョージ・ガモフがビッグバン説を発表したのは1946(昭和21)年なので、そのことから昭和24年頃に来日の噂があったのではないか?
      「心霊学流行に因んで」[11-72]
      「仏教の将来」[11-76]

6月 「ダンセニー卿の『酒壜天国』」<洋酒天国>[→「酒壜天国」11-85]

7月 ★『稲垣足穂全集6』<稲垣足穂全集刊行会>
収録作品(3編)「父と子」「愚かなる母の記」「白昼見」

7 ★「菟東雑記(III)」<作家>
     「新感覚派前後」[9-421]
      「唯美主義の思い出」[9-435]
      「鼻眼鏡」[1-169]

8月 ★「新版『栗とイソギンチャク』」<作家>[→「Prostata〜Rectum機械学」4-323]

9月 ★「栗とイソギンチャク(II)」<作家>[→「Prostata〜Rectum機械学」4-323]

10月 ★『稲垣足穂全集1』《書肆ユリイカ》
収録作品(13編)「一千一秒物語(アンソロジー)」「タッチとダッシュ」「宝石を見詰める女」「奇妙な区廓に就いて」「人工戦争」「犬の館」「カールと白い電灯」「夏至の夜の夢」「ちんば靴」「鶏泥棒」「ラリー・シーモンの回想」「LA FUSEE」「イカルス」

10月 ★「ある宇宙模型をめぐって」<机>[5-257]

10月 ★「ライト兄弟に始まる……」<作家>[6-3]

11月 ★「ライト兄弟に始まる……(II)」<作家>[6-3]

11月 ★「痔の記憶」<ユリイカ>[10-480]

12月 ★「タルホ拾遺」<作家>[→「第三半球物語」1-44]

12月 ★『稲垣足穂全集5』《書肆ユリイカ》
収録作品(5編)「古典物語」「彼等」「菟」「星は北に拱く夜の記(+「A TWINKLE EPISODE」)」

12月7日
★――と思っているうちに八ヵ月が経過した。彼は確か明治三十三年生れの筈だが、昭和三十三年の十二月七日の朝に、何を急くのかだしぬけに白玉楼中に飛び入りをしてしまった!(「今は哀しき釜掘りの唄」『全集11』p.95)
☆正岡容のこと。「八ヵ月」とは、タルホが出した手紙に正岡が返事をくれてから。
☆正岡は1904(明治37)年生まれ。
☆冒頭(p.93)に、「ことしの四月、たまたま新聞の娯楽欄で彼のアドレスが判ったので、ボクは手紙を書いた。昔々の「釜掘りの唄」が、ちょうど執筆中のA感覚論のために見逃してはならぬ資料だと思われたからである」とあるが、「ことしの四月」とは、文脈からすると、正岡が亡くなったのと同じ昭和33年の4月ということになる。ただ、「「今は哀しき釜掘りの唄」は翌昭和34年12月「作家」発表なので、執筆時期からすると「去年の四月」とすべきところだが。
☆ひょっとして、「作家」以前、昭和33年に初出誌がある?
☆「ちょうど執筆中のA感覚論」とは、4月の「ヒップ・ナイドに就いて」のことか?

★正岡はその年(昭三十三)十二月に世を去った。(「タルホ=コスモロジー」『タルホ=コスモロジー』p.168、『全集11』p.502)

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★先日、人に引張り出されて、香里の成田不動へお詣りした帰途に、ちょうどそんな窓を持った風変りな玩具店に行き合った。(「痔の記憶」『大全6』p.451)
☆初出、昭和33年なので。
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★十年も前、戸塚にいた頃に、伊達得夫といっしょに考えた立体文字だ。それにしても今ごろ何用があって僕はこんなことを思い出したのか? 先日、伊達が送ってくれたシュルレアリスム辞典に倣って、自分もひとつタルホ辞典を編もうとしたことが、その原因らしい。(「痔の記憶」『大全6』p.458)
☆同上の理由で。


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