1月 ★「モダン・コスモロジー序説」<作家>[→「僕のユリーカ=v5-3]
1月 ★「ユーモレスク」<聲>[→「少年愛の美学」4-3]
2月 ★「モダン・コスモロジー序説(II)」<作家>[→「僕のユリーカ=v5-3]
3月 ★「菟東雑記(IV)」<作家>
「聖道門のデラックス」[→「聖道門への憧れ」11-145]
☆「タルホ=コスモロジー」によると、「中外日報」が初出のようだが未詳。
「香なき薔薇」[11-22]
「ボクの蕪村手帳」[→「僕の蕪村手帳」11-42]
◇宇治から、またハガキが来た。「……ふきのとうです。一杯残っていたので焼いて口に入れると、……」このハガキを最後に、私は八瀬から、伏見区にある府立桃山婦人寮へ転任することになった。昭和三十四年。やはり単身赴任であった。(p.138〜139)
☆「ふきのとう云々……」というハガキの内容から、転任はこの年の春だったのであろう。同書年譜には、この婦人寮は「京都府伏見区桃山町伊賀」とある。
4月 ★『稲垣足穂全集13』《書肆ユリイカ》
収録作品(6編)「シネマトグラフ」「東洋の幻想」「悪魔の魅力」「雪ケ谷日記」「姦淫への同情」「日本の天上界」
4月 ★「岩つつじ」<机>[3-366]
4月 ★「増補HIP-NEID」<作家>[→「少年愛の美学」4-3]
5月 ★「蜷の区域」<新日本文学>[11-79]
5月 ★「増補HIP-NEID(承前)」<作家>[→「少年愛の美学」4-3]
6月 ★「菟東雑記(V)」<作家>
「海と『存在』」[11-82]
☆ここに引用されている宮沢賢治の詩は「われらひとしく丘に立ち」から。
☆萩原氏の解題には、「海と「存在」」はこの「作家」発表以前に、「「東京新聞」に既発表と「タルホ=コスモロジー」にあるが未詳」とあるが、文中に「この五月、三百年ぶりに、昔日そっくりのメーフラワー号がイギリスで建造されて、アメリカへ出帆したという報道は、甚だ愉快である」という記述があり、それは1957年(4.20〜6.13)のことなので、初出は1957(昭和32)年の「東京新聞」であろう。
「ダンセーニ卿の『酒壜天国』」[→「酒壜天国」11-85]
「痔の記憶」[10-480]
8月 ★「改訂・美のはかなさ」<作家>[→「美のはかなさ」9-380]
9月 ★「明石」<作家>[8-340]
10月 ★「明石(II)」<作家>[8-340]
10月 ★『稲垣足穂全集12』《書肆ユリイカ》
収録作品(5編)「わたしの耽美主義」(「附・夢がしゃがんでゐる」)「ぼくの触背美学」(「附・かものはし論)」「私の宇宙文学」
☆「夢がしゃがんでいる」と「かものはし論」は、それぞれ「わたしの耽美主義」と「ぼくの触背美学」の附録扱いになっている。
10月 ★「オブジェ・モビール」<机>[11-89]
10月
★この干支のひと廻りの終りの年にお月様の裏側が覗けようとは夢にも思わなかった(「庚子所感」『全集11』p.125)
☆ソ連のルナ3号が打ち上げられたのは1959年10月4日で、初めて月の裏側の写真撮影に成功した。
11月 ★「明石(III)」<作家>[8-340]
12月 ★「菟東雑記(VI)」<作家>
「今は哀しき釜掘りの唄」[11-93]
「岩つつじ」[3-366]
「蜷の区域」[11-79]
「かつら男」[12-368]
「ルソーの飛行船」[6-396]
☆昭和38年11月に「現代人」に発表された同名の作品があるが、『全集』には「作家」発表のこの作品を「ルソーの飛行船 1」、「現代人」発表のものを「ルソーの飛行船 2」としている。
「宇宙感覚」[12-371]
「神の夢」[11-98]
☆この中に、「「悲田院」を書いた梁雅子さん」とあるのは、この年3月に三一書房から刊行された『悲田院』を指すのだろう。
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◇桃山婦人寮へ転任してまもなく、私は病気を発見された。「やはり子宮癌でしょうか」「イエス」と、外人の女医さんはいった。……入院中、稲垣は病院へは一度も顔出ししなかった。(p.142〜144)
☆同書年譜には、志代の入院は昭和34年の項にある。入院中にタルホの「作家賞」受賞(昭和35年)を挟んで、2カ月で退院したとあるから、入院は暮れのことか?