1966(昭和41)年 65歳



1月 ★(対談:天族ただいま話し中)<作家>[全集不掲載]
☆亀山巌との対談

1月 ★「若衆小路」<作家>[→「バートン男色考からの摘要」13-223]

1月 ★「『ツバナ』を買う」<作家>[13-440]
☆「同人異語」欄

2月 ★「東京遁走曲V、VI」<本の手帖、1・2月合併号>[9-3]

2月 ★「扇の港」<作家>[→「ヒコーキ野郎たち」6-203]

2月 ★「ヒコーキ野郎一席」<きょうと>[6-444]

2月 ★「平岩君への返信」<雷鳥>[→「旧友への返信」12-399]
☆平岩多計雄のことか?

2月25日
★伊賀氏はことし(昭四一)の二月二十五日に、東京都立川市砂川町の自宅で亡くなった。七十九歳だったそうである。(「武将と飛行機」『全集11』p.180)
☆伊賀氏広のこと。「明治四十四年から同四十五年にかけて、当時二十三歳の男爵伊賀氏は、日本の弓の製作にヒントを得て、竹細工の単葉飛行機を自ら設計、板橋の競馬場址で実験した。このグライダーは其後、アンザニ25馬力装備の「伊賀式第二号機」に発展した」とある。

2月26日
★翌二月二十六日、私はもう一人の、少年の日に於ける忘れられぬ先覚者を巴里に失った。……彼は「モナコに於けるパンパン踊り」という美しい奇抜な絵によって私を驚嘆させた、未来派の巨匠ジノ・セヴェリーニであるからだ。こちらは八十三歳であった。(「武将と飛行機」『全集11』p.180)
☆上の伊賀氏に続く文。

3月 ★「五つの場」(作家賞選評)<作家>[13-440]

4月 ★「武石道之介航海日誌」<作家>[13-350]
☆「タルホ=コスモロジー」(『タルホ=コスモロジー』p.203、『全集11』p.519)に、「先日(四月三日)に、たぶん浩玻の甥の更に甥に当るのであろう、太田一高の武石堯氏が、常陸太田からこちらへ見えた」とあるのは、この年のことか?

5月 ★「二十世紀の『箒の柄』」<新潮>[→「飛行者の倫理」6-441]

5月 ★「『作家』発表作品自註(I)」<作家>[→「タルホ=コスモロジー」11-473]

6月 ★「東京遁走曲VII」<本の手帖、5・6月合併号>[9-3]

6月 ★「『作家』発表作品自註(II)」<作家>[→「タルホ=コスモロジー」11-473]

7月2日
★一年前にも私は糖尿病で二ヵ月ばかり入院しようとしたことがある。……それで食餌療法を習うことを目的に二ヵ月の予定で府立病院へはいることにした。鴨川に面した三階で、正面は大文字山である。……七月二日に退院した。三十一日目である。(「糖尿病所感」『全集12』p.401)
☆「糖尿病所感」は、昭和41年11月「作家」発表なので、この年のことか?
☆府立病院とは、現在の府立医科大学附属病院(河原町通広小路上ル梶井町)のことか。
☆松村実の「稲垣先生との十五年」(別冊新評『稲垣足穂の世界』新評社、昭和52年、p.95)には、「一九六二年二月、稲垣は糖尿病治療のため府立医大に入院した」とあるが、これは4年も前のことになる。

★私は五、六年前の六月一杯を、府立病院東向き三階の一室で過ごしたので、この景観を眼の前にくり返して眺めたものだ。(「私の夏=蕪村の夏」『全集12』p.435)
☆「桃山だより」(『全集12』p.444)も同様の記事。

◇こんどは、食餌療法を習うだけでもと奨めると、本人もその気になった。二ヵ月ぐらいの予定で、府立病院へはいることになった。……七月二日に退院した。三十一日目であった。(p.181〜183)

7月 ★「『作家』発表作品自註(III)」<作家>[→「タルホ=コスモロジー」11-473]

7月 ★「東京遁走曲VIII」<本の手帖>[9-3]

7月31日
★数年前、私の小学初年第二学期から、向う三十年にわたっての根城だった明石で、郊外の養老院で高畠華宵は亡くなった。彼のクラシックの展覧会が天文館とかであったということも聞いた。これは何かの縁だと云うべきであろうが、私はとうとう華宵とは逢わずじまいである。(「キネマの月巷に昇る春なれば」『全集12』p.409)
☆高畠華宵は昭和41年7月31日没。
☆昭和40年1月に明石天文科学館で「華宵名作回顧展」が開かれている。
☆昭和39年に華宵は明石愛老園に入っているが、亡くなったのは東大病院のようである。

8月 ★「秋夜長物語」<作家>[4-420]

8月 ★「臀見鬼人」<南北>[3-82]

8月 ★「未来派へのアプローチ(I)」<本の手帖>[→「カフェの開く途端月が昇った」5-160]

9月 ★「未来派へのアプローチ(II)」<本の手帖>[→「カフェの開く途端月が昇った」5-160]

10月 ★「未来派へのアプローチ(III)」<本の手帖>[→「カフェの開く途端月が昇った」5-160]

10月 ★「武将と飛行機」<文芸広場>[11-178]

10月 ★「みんな楽しい神様」<朝日新聞、10月25日>[→「我が家の女たち」11-184]

10月18日
★そろそろ季節が暑くなりかけていたので、秋にしようと思い、毎日のように伏見大手筋の真正面に西山を眺めながらもそのままにしていたところ、十月十八日に東京から女客があった。私が「作家」八月号で紹介した秋夜長物語永和本を読んで、是非西岩倉の金蔵寺をたずねようとウォーキングシューズをはいてやってきたのである。早速翌日お伴をした。(「西山金蔵寺」『全集11』p.181)
☆「作家」に「秋夜長物語」を発表したのは、この年の8月なので。
☆この女性客とは?

11月 ★桃南雑記<作家>
      「夢がしゃがんでいる──田端時代の室生犀星」[11-174]
      「芭蕉の葉」[12-395]
      「わが明治時代」12-383
      「冬のうた」[12-396]
      「歯欠け男」[12-397]
☆2年前は歯欠け男で、入れ歯にするのを躊躇していたが、それは杞憂で、今は入れ歯(総入れ歯?)になって喜んでいるとある。
         「旧友への返信」[12-399]
☆この年2月「雷鳥」発表の「平岩君への返信」の改題・改訂。
          「ヒコーキ野郎一席」[6-444]
      「飛行者の倫理」[6-441]
      「糖尿病所感」[12-401]
☆この末尾で「おねがい」として、押川春浪訳「立身膝栗毛」を探している旨を掲載している。「明治四十三、四年頃に刊行された」とあるが、明治37年3月刊行(『少年小説体系・第2巻・押川春浪集』<三一書房刊>の年譜による)。
☆「旅順海戦館と江戸川乱歩」(昭和44年9月)でも、この本を探索している。
☆「フェヴァリット」に、級友のSからこの本を借りて読んだと出てくる。
☆「宮武外骨の『美少年論』」にも、この本のことが。


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