1月 ★「我が黙示録」<芸術生活>[10-115]
1月 ★「私はいつも宇宙の各点へ電話をかけている」<海>[5-231]
☆これが「ブラックホール」に言及した最初だと思われるが、「ブラックホール」という名称は、アメリカの物理学者ジョン・アーチボルト・ホイーラーが1967年に命名したものというから、タルホの引用はかなり早い?
1月 ★「飛行精神」<別冊新評>[6-453]
1月 ★「神戸三重奏」<神戸っ子>[11-285]
1月 ★「中性子星の話」<雷鳥>[11-297]
☆ここでも「ブラックホール」を取り上げている。
2月 ★「三島ぼし隕つ」<潮>[11-299]
☆三島由紀夫の死後、最初に書いたエッセイ。三島の死は「ギリシア的男性愛への憧れ」(昭和45年12月)に最初に登場するが、ただしそれは読者からの手紙を転載したもの。
2月 ★「神戸三重奏」<神戸っ子>[11-285]
☆「朝日館のキネオラマ」の章に、「先日、私の読者である埼玉県大宮の大学生が、パテェの初期のマークのコピーを送ってくれた。それは(パテェフィルムではなく)パテェレコードに付いていたもので、……」とある。
3月1日〜15日
☆3月1日〜3月15日、大阪・東宝画廊にて「イナガキ・タルホ=ピクチュア展」。
☆同年6月25日〜7月4日京都・京都書院、同年10月1日〜10月14日東京・紀伊國屋書店にて開催。
3月 ★「神戸三重奏」<神戸っ子>[11-285]
☆「摩耶山幻想」の章に、「江南一枝春」の句について、「毎年二月頃になると、いまの一句を紅唐紙にスミの字で書いて、我が居室の柱に貼り付けるようになった」とあるのは、何年頃からか?
☆短冊の写真は、『新文芸読本・稲垣足穂』(河出書房新社、1993年)の口絵参照。
3月 ★「非ユークリッドへの憧れ」<数学セミナー>[5-271]
4月 ★「菫色のANUS」<芸術生活>[全集不掲載]
4月 ★(我家の夕めし:)「ウオぎらい」<アサヒグラフ、4月9日号>[11-307]
4月 ★(推薦文)<宗谷真爾著『影の神』(世界書院)の函帯>[13-431]
4月 ★『タルホ=コスモロジー』《文藝春秋社》
収録作品(2編)「タルホ=コスモロジー」「幼きイエズスの春に」[8-3]
☆「幼きイエズスの春に」は、「イエズスの春」(「新生」昭和22年3月発表)の解題・改訂。
☆松村實の「作品解題によると、「この作品の載っている「新生」は、終戦後間もなく発行された雑誌などを蒐集している東京都内の葬儀屋斎藤夜居が所蔵するものの中にあった。これを、山岡明が発見して複写、足穂に送ったのは、一九七〇年夏のことである」。
4月 ★『世界SF全集34 日本のSF(短篇集)古典篇』《早川書房》
収録作品(2編)「一千一秒物語(抄)」「似而非物語」
5月 ★「ユメと戦争」<潮>[11-308]
5月 ★「空間の虹色のひずみ」<ZINTA>[11-313]
☆「私がたびたび書いてきたヒコーキや武石コウハの追憶談ではなく、その中の一部分にすぎない「空間のヒビ割れ」を、非常に面白く感じたらしい青年が、先日、東京からわざわざ私の家へたずねてこられた」とある。
6月22日
★遠藤忠剛はことし(一九七一年)の六月二十二日、垂水の病院で肺ガンのために亡くなった。彼を記念する意味で、この一葉を加えたわけである。(「タルホ・ファンタジー自註」『全集11』p.334)
☆タルホ・ピクチュア「遠藤忠剛のマーク」について。
6月25日〜7月4日
☆6月25日〜7月4日、京都・京都書院にて「イナガキ・タルホ=ピクチュア展」開催。
6月 ★「オールドゥーブル」<小さな蕾>[11-322]
6月 ★「紫色の35mmのきれっぱし」<海>[2-171]
6月 ★「摩耶山幻想――神戸ものがたり」<神戸っ子>[全集不掲載]
6月 ★(アンケート)<図書新聞、6月26日>[13-465]
☆個人全集に関するアンケート。タルホは「南方熊楠全集」を挙げている。
7月 ★「轣轆」<文学界>[10-277]
7月 ★「我が棲いはヘリュージョンの野の片ほとり厭わしきカルニアの運河に沿うた地下墓地だ」<話の特集>[1-383]
7月 ★「わたしの神変自在なそろばん」<PHP>[11-325]
8月 ★「私の夏=蕪村の夏」<東京新聞、8月4日>[12-434]
9月 ★「タルホピクチュア展自註」<芸術生活>[全集不掲載]
☆この年3月に大阪・東宝画廊で行われたピクチュア展の作品自註。
☆「東宝画廊主(近藤洵一)の懇望もだしがたく、私は急遽約十枚の絵を描かねばならないことになった。画用紙もクレパスもすでに届けられ、さてオレには今までにどんな絵があったろう、と考えた。今回の仕事の総時間は正味二時間くらいであろうが、私はぼつぼつと思い出しながら画筆を採ったので、みんな描くのに一ヵ月はかかっている」とある。
9月 ★「わが一九二三年のマニフェスト」<遊>[1-274]
「耳隠しのかなた」
「ガス灯の記憶」
「クラシックプレーン」
9月 ★(対談:巨泉の真言勝負)<週刊朝日、9月3日号)[全集不掲載]
☆大橋巨泉との対談。
☆「大橋巨泉君は、私が彼にアルコール幻覚の一つを伝えた時に、「壁に耳ありでなく、壁に眼ありという所ですな」と答えたが、……」(「我が見る魔もの」『全集11』p.355)
9月2日
★その日、徳間書店の久保寺進と、私のマネージャーをもって自任する托鉢姿の藤井宗哲がやってきて、十月一日から新宿の紀伊國屋で開催されることになっている「タルホ個展」の下相談をしたが、これに近所の松村実が加わって、暗くなると共に私は迎えの車で、二人の客は松村君の車に同乗して京都新聞へ出掛けたのだった。加茂川べりで私の写真を撮るのが目的であった。(「我が見る魔もの」『全集11』p.361)
☆これに続く文章は、「松村君は、きのうやってくる約束だったが、学校の始業式のあとでビールを少し飲んだものだから、と弁解した。次の晩は曇って月が見えなかったので、写真部で黒幕をバックにして撮り、あとで月なり星なりを嵌め込むということになった。十枚ばかり写して、私は新聞社の車で帰宅」とある。この文脈からは、京都新聞社へ出掛けた日は、9月1日の始業式の翌日、つまり9月2日ということになる。
☆同p.362に「湯代三十五円が九月一日から四十円に値上げされていた」とあるが、東京では昭和46年5月23日から40円に(45年5月の38円以来)値上げされている。
10月1日〜14日
☆10月1日〜10月14日、東京・紀伊國屋書店にて「イナガキ・タルホ=ピクチュア展」開催。
10月1日
★タルホ個展が、十月一日から新宿の紀伊國屋でひらかれたが、これは何も絵画の概念を打ち破ろうとしているのでない、私はただ個展をやってやろうという一群の前にツジツマを合わしているに過ぎない。この四月に私の個展を大阪で開いた東宝画廊主、近藤さんが、こんどの東京展に私の画を貸すことを渋った。……それで、大阪展の画はすでに近藤氏にくれてしまったのだから、改めて全部描き直すことにしたのである。(「近ごろ思うこと」『全集12』p.437)
☆「この四月に私の個展を大阪で開いた」とあるのは、「三月」の誤り。
☆『全集』には、「こんどの東京展に私の画を借す…」とあるが、「画を貸す」の誤り。
10月 ★「タルホ・ファンタジー自註」<紀伊國屋書店におけるピクチュア展のパンフレット>[11-328]
☆「タルホ・ピクチュア展の作品は、先に大阪及び京都で催された時に、若干、数が減ってしまった。(つまり、売れたわけである)そのため今回の東京展に備えて新たに十数点を描き加えた。これらについて説明する」とある。
10月 ★「近ごろ思うこと」<東京新聞、10月14日>[12-436]
10月 ★「密教的なもの」<春秋>[全集不掲載]
10月 ★「貴婦人はアラン・ポエポエとす」<『西脇順三郎全集第4巻』月報、筑摩書房>[11-338]
10月 ★「加藤郁乎カプリチオ」<『加藤郁乎詩集』現代詩文庫45、思潮社>[11-340]
10月 ★「慎重にやれ≠フ意を含み」<日本読書新聞、10月18日>[11-345]
☆平木国夫著『空気の階段を登れ』について
11月 ★「アドラティ=バウァナ」<話の特集>[11-348]
11月 ★(対談:A感覚、V感覚、G感覚)<野坂昭如著『欣求穢土』収録、徳間書店>[全集不掲載]
☆野坂昭如との対談(1970年6月1号「週刊文春」)