春 風 に  エ ア ロ の 動 く  二 三 間




 とっておきのこと 

客「やあ、ひさしぶり。君のタルホ・フラグメント≠フ記事の数もだいぶ増えてきたようだけど、もちろんこれからも続けるつもりだよね。」
主「そのつもりだけど。」
客「タネはまだあるのかい?」
主「もちろん、やりたいことはあるよ。このあいだも書いたんだけど、『弥勒』のクリティカル・エディション作りは、僕のこれからのいちばん大きな仕事になるだろうね。」
客「でも、それは先の長い話になりそうだね。まあ、頑張ってくれよ。それはそうと、君は、昔、まだパソコンの無かった時代に、タルホの語彙索引を作ったと聞いたことがあるけど、それについてはまだ書いていないよね。」
主「そうだね。」
客「どのぐらいの数の索引ができたんだい?」
主「ちゃんと数えたわけじゃないけど、延べで4万件ぐらいになるのかな? 馬鹿げたことをしたもんだと今では思っているよ。世の中デジタル化時代になって、『全集』も出たことだし、その過去の遺物をどうしたらいいか、むしろ持て余しているんだ。もちろん、今でも力強い味方になってるし、このフラグメント≠ナも大いに役立っているのは確かだけどね。」
客「その仕事の話もいつかしてくれよ。君のサイトのタルホと私≠ノ、最初に載せなきゃいけない話だったんじゃないかい?」
主「そうだね、いつかやらなきゃいけないだろうね。」
客「ま、それを期待して、その話はまた別の機会に譲ることにしようか(笑)。君はよく、昔読んでずっと気になってたことの話をするけど、今回もそういう類の話になるのかい?」
主「まあ、そうだね。気になってたことというか、僕がタルホの感性で最もすばらしいところだと思っていることだね。」
客「ふむ、いったいどんなことだろう。」
主「僕はこれまで、タルホ世界からいろんな啓発を受けてきたわけだけど、その中でも、これぞタルホ! タルホ以外には決して言葉にすることができない! という僕がいちばん気に入っているのがあるんだ。」
客「ほう、まだ君のサイトに載せてない、とっておきのことがあるんだね。では、今日はそれを聞かせてもらうことにしようか。」

 なんという詩的なまなざし! 

主「『ライト兄弟に始まる』はタルホの飛行機物の集大成みたいな作品だけど、四つの章からできているのを君は知ってたかな?」
客「また、飛行機の話だね。」
主「うん、まあね。でも、管理人レポート≠ナは、ずいぶん飛行機の話を取り上げたけど、本編ではTAKEISHI KOHAを知っていますか?≠セけだよ。」
客「『ライト兄弟…』の最初はたしか、北カロライナ州キティホーク≠セったかな。ライト兄弟が最初に飛行実験をやった所だよね。私はこの章において、少しは熱を上げてよいであろう≠チていう書き出しが印象的だよね。」
主「そう。続く第2章が雲雀くらいの高さで=A第3章が私のモデルプレーン=Aそして第4章が菜の花と飛行機との格闘≠ニいう構成になっているよね。その第3章に「私のモデルプレーン」という章を設けて、模型と実物について哲学的考察をしているところが、いかにもタルホらしくて面白いと僕は思ってるんだ。」
客「模型飛行機の話は、他にもあちこちでしてるよね。」
主「そうだね。でも、僕が最初に言いたいのは模型飛行機のことじゃなくて、本物の飛行機の話なんだ。その第3章に出でくる文章なんだけどね。」
客「ほう、何だろう。」
主「じゃ、読んでみるよ。岸辺に繋がれた飛行艇は、漣を受けて両翼をゆさぶり、頭部を優しげに頷かせることであろうが、なおクローバーの上に置き放しになった飛行機が、春風を受けてひとりでに数米突移動するのに及ばないのである。[※]=v
[※]『全集6』p.141〜142
客「ふーん、水上飛行機と普通の飛行機の違いだね。」
主「まあそうなんだけど、実をいうと、この話はTAKEISHI KOHA …≠フ中で一度ちょっとだけ触れているんだ[※]。だから今回は、ずっと気になってたこのことについて、じっくり考えてみたいと思っているんだよ。」
[※]TAKEISHI KOHAを知っていますか?≠フPART 2にある注26「正真正銘の」飛行機℃Q照。
客「あれから20年ぐらい経つんじゃないかい?」
主「あははっ、そうかもしれないね。」
客「君もずいぶん執念深いよね。」
主「注の中ではなんという詩的なまなざし!≠ネんて書いてるけど、僕が驚いたのは、飛行艇と飛行機の違いというよりも、飛行機が風でひとりでに数メートル動いた、と言っているところなんだ。その現象にタルホが注目した、ということに注目したんだ。」
客「注目したことに注目した…。風で飛行機が動いたことに…。」
主「実は、同じように僕が気に入った箇所がもう一つあってね。ついでだから、それも紹介しておくよ。『ライト兄弟…』のすぐ次のページに出てくるんだけど、また読んでみるね。その傍ら、用心しながら地表に近付いてふわりと擦るようにして軽く跳躍したり、また格納庫から引き出されてくる折に、土地の僅かな凸凹につれて両翼をゆるがせたりする実物飛行機の感じを、自分の模型によって、どうかして捉えたいものだと考えていた。[※]=v
[※]『全集6』p.143
客「うん、その感じは僕でも分かるよ。君が教えてくれた昔の飛行機のフィルムをYouTubeで僕も見たんだけど、滑走するときに小さくバウンドしたり、地上を移動するとき翼が小刻みに揺れたりする様子が分かるよ。何しろ小さくて軽いからね。でも、今のジェット旅客機も、よく見ていると同じような動きをするよ。」
主「へえ、そうかい?」
客「着陸するときは、たいがい1回はバウンドするよね。細かく見れば、トン、トンと2回以上バウンドしているのかもしれないけど…。それから、滑走路まで移動していくときとか、滑走路からターミナルのほうに移動してくるときも、コンクリートの上なのに、微妙に翼を震わせているのが分かるよ。」
主「ずいぶんよく観察してるね。」
客「飛行機の発着を見るのが好きでね。飛行場に行くと、よくデッキから見てるよ。」
主「へぇー、驚いた。」
客「自分が飛行機に乗ることはあまりないんだけどね。」
主「話を元に戻すとね、これもTAKEISHI KOHA …≠ノ書いたんだけど[※]、タルホは中学生の頃に鳴尾競馬場に出入りしていてね、飛行家の助手気取りで、格納庫から飛行機を出し入れするのを手伝って得意になったりしてるんだ。グラウンドの凸凹で飛行機の翼が揺れたりするって話は、中学時代に鳴尾で体験したことが基になっているんだと思う。」
[※]TAKEISHI KOHA … ̄ART 2の注29「飛行場の常連」℃Q照。
客「風で飛行機が動いたというのも、その頃の体験なんだろうね。」
主「きっとそうだね。」

 水上飛行機と飛行機との違い 

客「それにしても、風で飛行機がひとりでに動いたのが、どうしてそんなに注目すべきことなのかい?」
主「想像してみると、格納庫から外に飛行機を出したら、普通、車止めみたいなものを車輪の下に噛ませるはずだよね。ひょっとしたら、もやい綱のようなロープで繋ぐかもしれない。だって、風で動くくらいの飛行機なんだからね。」
客「今の飛行機だって、誘導されて定位置まで来て止まると、整備士がすぐに車止めを噛ますからね。」
主「さすが観察者!」
客「だいたいそこまでで僕の観察は終了するわけ(笑)。」
主「でも、タルホの見た飛行機は風で動いたんだから、車止めをしてなかったんじゃないかと思うんだよ。当時は大らかで、そんなことまでやってなかったのかもしれないけど、飛行機が数メートル勝手に動くというのは、やっぱりまずいことなんじゃないかな。飛行家や整備士にとっては、責任上けっこうヤバイことなんじゃないかと思うわけよ。」
客「実は損保や労災上の問題にもなりかねないような事態だったと…(笑)。」
主「まあ、それは余談だけど、なぜタルホは飛行機が風で動いたことに注目したのか。」
客「もちろん、それはタルホにとって非常に好ましい事態だったわけだよね。」
主「そう。さっき読んだところは、飛行艇と飛行機とを比べて、飛行機のほうに軍配を上げているんだね。では、どういう点で飛行艇は飛行機に及ばないと言っているのか。実は、その比較をもうちょっと前からやっていてね、面白いからそこのところも、長いけど紹介するね。どうも水上飛行機は、滑走車付きのように面白くない。鴎は粋な鳥であるが、秋の朝、露だらけの草原に落ちている古鞄の中から、その鞄を何気なく蹴ったとたんに内部から飛び出して、落ちそうになりながら丘の向うへ姿を隠した雁のような魅力はない。水上飛行機の物足りなさは、その影が畠地や村里や森や墓地の上を辷って行くのでない点にあるようだ。もともとハイドロプレーンは、「ドナウ河」の三拍子旋律を想わせるちりめん皺が光っている上をかすめて行くのに似つかわしい。そんな場合を除くと、ついに玉突台の青毛氈の舞台を昇降しているものに過ぎないとさえ考えられる。それは、立木にひっかかったり、砂地に突っ込んでとんぼ返りをするわけでない。=v
客「さすがにタルホは面白い比喩を持ち出すね。たまたま蹴った鞄から雁が飛び出したなんて、そのまま詩の世界だよね。で、結局、水上飛行機は普通の飛行機ほどの魅力が無い、と言っているわけだね。」
主「そう。水上飛行機については、面白くない∞魅力はない∞物足りない≠ニいう言い方をしているからね。その根拠として立木にひっかかったり、砂地に突っ込んでとんぼ返りをするわけでない。≠ニ言っているから、飛行機ほど墜落する可能性、つまり死の可能性が高くない、危機的な属性に欠ける、と言いたいのかもしれない。」
客「それが物足りなさ≠フ理由なんだろう。墜落しても水の上じゃ、普通、地上ほど決定的なダメージにはならないだろうからね。でも、それは分かるけど、飛行機が風で動くのは別じゃないかい? それは危機的な属性じゃないだろう。」
主「そうだね。繋留された水上飛行機は、さざなみを受けて優しくたゆたっているだけだけど、飛行機は風に煽られてどこかにぶつかって壊れるかもしれない、って言っているわけじゃないよね(笑)。」
客「それじゃ、さっきの損保問題になってしまう(笑)。」
主「じゃ、風を受けて動く飛行機は、なぜ魅力的なのか?」

 俳句を作った! 

客「やはりそれはタルホの感性の問題だろう。」
主「行きつくところはそこなんだろうけど、僕は、風で飛行機が動くという光景は、君もさっき言ったように、非常に詩的な題材のような気がするんだ。タルホが着目したのは、理屈じゃないからね。僕はそこに何だか俳句的なニュアンスを感じたんだよ。」
客「俳句? へえー、君らしくもない。」
主「そうかな? で、感じただけじゃなくて、なんと僕はそれを俳句にしてみた!」
客「俳句を作ったのかい? ぎゃー(笑)、君がそんなものを作るなんて想像もしなかった。」
主「もちろん、今までそんなことしたことなかったけど、あくまで理解するためにね。今回限りだよ。詩を説明するなんて野暮の骨頂だからね。それに呼応するにはもう一つの詩しかない、そう思ってね。」
客「タルホは俳句をやる人間なんて嫌いだったんじゃなかった?」
主「たしかに。どこかで三馬鹿≠チて言ってたような気がする[※]。僕の索引で調べてみようか。」
[※]「極端なこと言えばね。世界に三人のばかがおる。だれかというと、俳句やる人ですよ。俳人ですよ。それから歌人。それから詩人。」/「わが思索のあと」(小潟昭夫との対談、『タルホ事典』p.148、潮出版社、昭和50年)
客「さっそく役に立つね。」
主「それでもタルホは、『新歳時記の物理学』なんてのも書いてるからね。」
客「そりゃそうと、君が作った俳句を披露してくれよ。」
主「笑うなよ。いいか、披露するよ。春風にエアロの動く二三間=B」
客「…………」
主「どうだ、参ったか!」
客「うーん」
主「絶句したね。すごいだろ?」
客「そのまんまじゃないか。」
主「そのまんま…、そりゃそうだよ、そのまんま別の形に変換したんだから。そのまんまって感じてもらったんなら大成功だよ。」
客「それだけ…?」
主「そう、ただそれだけ。古池や…≠セって、ただそれだけじゃないか。こっちはエアロなだけ。でも、ちゃんと春風って季語も入れてるぞ。」
客「ま、大成功かどうかはよく分からんが、それも俳句だということにしておこう。」
主「俳句だよ!」
客「二三間って古風な言い方してるけど、一間は1.8メートルだから、どのぐらいかな、4〜5メートルぐらい? タルホは数メートルって言ってるから、だいたいそんなところか?」
主「そうなるかな。エアロも古風なので、それに合わせてね。二三間としたのは、一二間より語呂がいいからだけど、でも4〜5メートルも飛行機が勝手に動いたらやっぱり問題だよね。実際はもうちょっと短いような気がする。」
客「1メートルとか…。」
主「そうだね。実はもう一つ作ってるので、ついでに紹介しておくね、凸凹のほうも。」
客「えーっ、2つも作ってたの? 翼が揺れるやつね。」
主「そう。いいかい? クローバーを踏んでエアロが翼揺らす=v
客「ふん、ふん…。」
主「これもそのまんま。はね≠ヘ翼の字を当てるつもりだけどね。」
客「羽根じゃなくて翼ね。これもクローバーが季語になっているわけね。」
主「エアロの翼揺れる≠ゥ、それともエアロの翼が揺れ≠ノしようかとも思ったけど、タルホは両翼をゆるがせる≠ニいう言い方をしているので、エアロが翼揺らす≠ノしたんだ。」

 模型のなげき 

客「まあ、言ってみれば、君は、タルホが注目した光景を、五七五に定着させようとしたわけだ。」
主「そういうことかな。普通は、飛行機が風で動いたり、グラウンドの小さな凸凹に翼を揺らしたりするのを見ても、それにことさら興味を引かれることはないよね。ただそれだけのことだから。それを面白いと思うタルホの感性に注目すべきだと思うんだ。枕草子≠ノ似たような話があるよ[※]。露かなんかで重くしなった萩の枝が、何かの拍子にひとりでにびょーんと跳ね上がるのは、いとをかし、みたいなね。しかし、普通の人にはそんなのちっとも面白くはないだろう、そう思うのもまたをかし、なんて持って回った言い方をしてるけど。」
[※]『枕草子』第百三十段の「九月(ながつき)ばかり」参照。
客「古典で言う、おもむき≠ニか風情≠フ世界だね。清少納言の話には、自分の感性に対する自負みたいなものがあるけど、タルホにもそれはあったろうね。」
主「もちろんね。でもタルホが清少納言と違うのは、同じ自然現象に注目しても、清少納言の対象物は萩の枝だけど、タルホは飛行機なんだよね。」
客「自然と機械。明快だね。」
主「ここでちょっとまた『ライト兄弟に始まる』に戻るんだけど、初めに説明したように、取り上げた2つの事象は、どちらも第3章の模型の話の中に出てくるんだよね。」
客「模型飛行機の話だね。」
主「うん。それでその模型のことなんだけどね、詰まるところは、模型ではどうしても実物の飛行機の感じが得られない、という話なんだ。そのためにタルホは涙ぐましい努力、試行錯誤をするんだけど、どうしても自分の中の実物のイメージとは違う。それをタルホは模型のなげき≠ニ言ってるけど…。材料を吟味して、どんなに正確な縮尺で模型を作っても、結局それは模型でしかない。家の二階から落としても、墜落の感じがしない…。」
客「その感じ分かるよ。スローモーションみたいにならないんだね。」
主「そう。さっきの話に結び付けると、模型じゃ風が吹いてもツツーっと動かないし、すぐにひっくり返っちゃうだろうね。」
客「小さな凸凹を踏んでも、優雅に翼を揺らすような動きはしないからね。」
主「そのとおり。そこでタルホが考えるには、模型の材料は、実物に用いられるような木やアルミなどを使ってるけど、スケールを縮尺するのなら、模型の材料もそれに合わせて質的変換したものでなければならないはずだ、という超@揄に達するわけ。」
客「よく分かんない話だけど、物質の比重のことを言ってるのかな?」
主「結論が当たってるかどうかは別にして、タルホは模型製作能力より、イメージ喚起能力のほうが断然優れているような気がする。」
客「というと?」
主「タルホは何でも飛行機に結び付ける能力があるんだ。縁側に腰かけると、左右の廊下が飛行機の主翼になるとか…。」
客「あっはっは、それはすごい!」
主「列車に乗ると、通過する駅のプラットフォームを横目に見ながら、着陸する飛行機の操縦桿を握っている気分を味わう。」
客「視線をだんだん上に向けていくと、離陸するときの気分になるのかな?」
主「広げた人差し指と中指、それに親指の3本を飛行機の車輪に見立てて、離着陸の動きを演じたり…。」
客「指でいろんな形を説明するのが得意な級友がいたよね。」
主「西田君ね。タルホの場合は実物の飛行機の感じ≠掴もうとしているんだね。何を見てもそれが飛行機に結び付いてしまう。そのことを飛行機臭い一日≠チて言っているけど…。」
客「その飛行機というのは、さっき君が言った、鳴尾競馬場で実物の飛行機を押したりした体験が基になっているんだろうね。」
主「そうだろうね。そこまでして飛行機の感じを捉えようとする意識の奥には、やはり武石浩玻のことがあるように思うね。」
客「ふーむ。」


特別附録──【仮想対談 with タルホ先生

僕「かつてタルホ先生にお手紙を出したとき、鉄道レールのポイント切り替えの部分がどういう形になっているかご存じですか≠ニいってそれを図示したら、先生は僕への返事のおハガキで、「シマッタ!」これを忘れていた≠ニ書いてくださいました。僕はそれがすごく嬉しかったんです。覚えていらっしゃいますか?」
タルホ先生「そやな、そんなこともあったかもしれんな。」
僕「その後、僕の手紙に「盥」というタイトルを付けて、『タルホ事典』のリーフレットで紹介していただいているのを見つけたときは本当にびっくりしました。そのリーフレットの中に、ポイントの話も最後にギリギリで収めていただいていましたよね。」
タルホ先生「少しアレンジさしてもろうたけどな。」
僕「そんなことは構いません。それより僕の頭には無かった微分≠ニいう言葉を書き添えてくださって、僕もああ、そうか!≠ニ思ったんです。確かにあれは意識の微分化[※]≠ナすよね。」
タルホ先生「おんなじことやね。」
[※]「盥」に収まりきれないで、省略された部分は次のようなことである。レールのポイント切り替え箇所を模型電車の車輪が通過するのを、床に頬を擦りつけるようにして注目するのだが、そのアングルが重要なのだ。床の上では実際には不可能なのだが、下から見上げるような角度をイメージするためである。なぜなら、本物の感じ≠味わうのが、その目的だからだ。ポイント切り替え部分を車輪が通過していくとき、カタ、カタ≠ニ異なった音を立てるときの感じが、何とも言えず気に入っていたのである。そこを通過させるのが惜しい≠ニかもったいない≠ニいう気分なのだ。とはいっても、そこで止めてしまっては全く意味がなくなってしまう。動いている車輪が、そこを通過する瞬間の気分でなくてはならないからである。死んだ瞬間≠ナなく生きた瞬間≠ナなくてはならなかったからだ。その瞬間は自分にとって緊張の一瞬でもあった。電車がそこを通過し、レールを一周してまたポイントの所まで戻ってくる間、さっきの気分を回想しながら、じっとかみしめてみるのだ。そんなことを何度も何度も繰り返していたのである。つまり、タルホはその瞬間の気分を微分≠ニいう言葉で表現したのである。
僕「先生は、加久夜長節信と能因法師が、お互いのスーヴニールを見せ合ったという話[※]を書いていらっしゃいましたよね。鉋屑とカエルのミイラのことを…。」
[※]「新歳時記の物理学」(『全集9』p.362)参照。
タルホ先生「………」
僕「僕はその話を思い出したんです。こんなのはどうですかって、ポイント切り替えのことを図に描いたら、僕の言いたいことが、先生に伝わったのがすごく嬉しかったんです。」
タルホ先生「オブジェの見せっこやな。」
僕「手紙では、電車の模型をHOゲージと書きましたが、実際には模型自体はOゲージ[※]のほうが好きでした。Oゲージのレールが3本あるところは本物らしくなくて好きではなかったんですが、Oゲージの電車のその重量感が気に入っていたんです。特に、まだ色を塗っていない、ハンダ付けの跡の残った真鍮のままの車体が大好きでした。Oゲージは、部品の車輪やパンタグラフや連結器だけでも、真鍮のずっしりとした手応えがあって、そんな部品を持ってるだけで満足感があったんです。」
[※]Oゲージはレールの軌間が32mmの模型。HOゲージはその2分の1。
タルホ先生「オブジェの魅力は断片にこそあるからな。むしろ説明がつくようなものはオブジェやない。訳の分からんものがオブジェや[※]。」
[※]「説明がつくようではオブジェではないかも知れない。わけのわからぬものであってこそ、オブジェだと云える。」(「芦の都シリーズ」附録「武石記念館」〈『多留保集5』潮出版社、1975年〉)
僕「ポイントの話を書いたとき、実は、もう一つ書いておけばよかったと思ってたことがあるんです。」
タルホ先生「………」
僕「このあいだ友人と、先生がお書きになった飛行機の話をしてたんですけど、その中でグラウンドに置かれた飛行機が風でひとりでにツツーっと数メートル動いた…という話が非常に面白いと僕は思ったんです。」
タルホ先生「そんなこともどこかに書いたな。鳴尾のトラックのことやな。カーチスやったかな。」
僕「飛行機が風で動くのがどうして面白いのか、ということなんですけど…。」
タルホ先生「なんでかいうたかて、ただそれだけのこっちゃ。意味なんてあれへん。」
僕「やっぱり感性だと思うんです。それを面白いと思うのは…。」
タルホ先生「そう。感覚やな。なんでもそうや。」
僕「それで、もう一つお話ししたかったのは、実は自動車のことなんです。僕は先生の時代のクラシックプレーンの模型は知りませんけど、子供の頃に当時の自動車のプラモデルなら作ったことがあります。」
タルホ先生「僕らの子供の頃は、みんな自動車を屁こき車′セうてね。お尻から排気ガス出すやろ。でも僕はそのハイカラ―な匂いが大好きやった[※]。」
[※]「パテェの赤い雄鶏を求めて」(『全集10』p.159)参照。
僕「僕は自動車の排気ガスの芳香は知らないんですが、エンジンで飛ばす模型飛行機があって、そのぺトロールの匂いが先生のおっしゃるハイカラ―な匂い≠ネのかなって想像しているんですけど…。大人になって、馬酔木の香りに似てるなって気がついたんです。」
タルホ先生「ふむ…。」
僕「僕が今日話したいのは排気ガスのことではなくて、自動車のタイヤのことなんです。僕が作ったプラモデルは、トライアンフ≠ニいうイギリスの車で、オープンカーでした。プラスチックの部品を組み立てて作る簡単なもので、もちろんエンジンなんかありません。一応車輪は回るので、それを手で動かして遊ぶわけですが、僕には何か物足りなかったんです。オブジェの見せっこじゃないですけど、これは先生なら分かっていただけると思ってお話しするんですが、僕は、実際の自動車のタイヤは地面に接している部分が平らになっているところが素敵だなと思っていたんです。どうしてか分かりませんけど…。」
タルホ先生「ええとこに気がついたな。よう見ると確かにそうやな。模型じゃそうならんというわけや。」
僕「そう、そうなんですよ! 本物みたいに平らにならないんですよ。」
タルホ先生「模型のなげきやな。」
僕「まさに先生はそう書いてらっしゃいましたね。模型の飛行機はどうやっても本物らしくならないって…。きっとそれと同じだと思うんです。」
タルホ先生「そうやな。」
僕「それともう一つ不満があったんです。それは車輪のサスペンションです。凸凹道で車のタイヤはポコポコと上下するけども、車体のほうは上下しないっていう、あの装置です。あの感じが好きだったんです。でも、そこまで再現するプラモデルなんてありませんから、僕はあのサスペンションの感じを何とか再現したいと思って、プラモデルの車軸を外して、輪ゴムを利用してあの感じを出そうとしたんです。そうしたら四つのタイヤがかなり独立して上下するようになって、ある程度成功したんです。それがとっても嬉しかったんです。」
タルホ先生「幼少年は常にそういう部品や断片が好きなもんや。」
僕「先生は、予備タイヤのことを書いてらっしゃいましたよね。嬉しいことに緩衝装置のことも…、幼少年におけるいろんな抽象的断片≠フ一つとして取り上げておられましたね[※]。」
[※]「幼少年らが、(女児とは異って)常に「自然界から切り離されたもの」に対して彼らの嗜好を懐いていること、特に、ピストン、救命浮環、舷側の丸窓、予備タイア、緩衝装置、ハンドル、映画のフィルム(特に横文字がならんだタイトルの部分)水彩画用のワットマン紙(その透し入りの箇所)というような、「抽象的断片」により多く心を惹かれていること、なかでも、機械部品のカタログなど彼らには聖書であり祈祷書であり、また対数表でもあること、これらをかえりみる時には、なにかその部位(腸粘膜末端)における、異物的緊張感、スリル、忍耐、努責、蠕動、リズム、脱落感等々に、いまの各種のオブジェ群は結び付くように思われる。」(「少年愛の美学」『全集4』p.108)
タルホ先生「ふむ…。」
僕「それで、そのタイヤが持ち上がる感じを、周囲に見せびらかしたりしたんですが、ほとんど反応はありませんでした。」
タルホ先生「そんなん相手にしてられへん。」
僕「僕は手紙の中で、僭越にもA感覚オブジェ論のようなものを述べさせていただきましたが、ここでもう一度繰り返させてください。──A感覚オブジェは最もプライベートな部分での体験によってのみ認識されるものである。A感覚オブジェは必ず時間ベクトルを持っているが、必ずしもその逆が言えるとは限らない。A感覚オブジェは、そこに何かしら「軽い焦慮」なり「やるせない感情」を抱かせる対象物でなくてはならないからである。彼にとって、そのプライベートな体験が、他人の真似でない真実のものだからこそ、そのオブジェは普遍性を持つのである。プライベートで普遍性を持つもの、そんなオブジェが本当のA感覚オブジェではないだろうか。──」
タルホ先生「そうかもしれへんな。」
僕「ありがとうございます。僕が子供の頃に遊んだ、ビニール製の刀[※]や、レールのポイント切り替えや、プラモデルのタイヤのことを思い出したのは、先生の本を読んだことがきっかけでした。そして、それらがA感覚オブジェだったことを教えられ、しかもそんなことは、おおむねの少年にとっては朝飯前だということが分かって、それが普遍性を持ったものだと初めて気づかされたんです。」
タルホ先生「ま、あんたにも頑張ってもらわな。ほな、また少し横にならしてもらうで…。」
[※]「盥」参照。「私がまだ父親と一緒に風呂に入っていた頃、裸の父のPを見て、ビニールみたい≠ニ言ったところ、そのことが後で家族中に知れて、皆が大笑いしていたことがありましたが、私には、その訳が分かりませんでした。私はそのとき、いつも腰に差して遊んでいたおもちゃの刀の鞘の口の部分に、何やらグルグル巻いてあるものがビニール製であって、そこの様子が、父のくびれて襞になった部分とそっくりだったから、あのように言ったのでした。いま考えてみると、おそらく家族の者たちは、ビニール≠ニいうことから、伸び縮みするもの≠連想して笑ったのでしょう。この話は、先生の著作の中で、森蘭丸の例があったので思い出しました。私の場合は、蘭丸のように刻鞘の数まで覚えていたかどうか知りませんが、それでもそれは、私にとってのプライベートな体験であり、おもちゃの刀の鞘は、私のプライベートなオブジェの一つであるわけです。」

 尻切れトンボはイヤ! 

客「おいおい、ちょっと待ってくれよ。僕との話は尻切れトンボみたいにして、その後にタルホとの仮想対談をくっ付けて、この話を終わらせるつもりなのかい?」
主「いやいや、そのつもりはなかったんだけど、何だか行き詰まってしまってね。まあ、それまでの話もただそれだけの話≠ネんだから、尻切れトンボでも別に構わないんじゃないかと思って…。」
客「おいおい、随分じゃないか。」
主「悪かった、悪かった。謝るよ。だけど、それまで君と飛行機の話をしてたのに、ポイント切り替えや自動車のタイヤの話まで持ち出しても、とりとめがなさすぎるだろ? それでちょっとスタイルを変えてみたらどうかと思ってね。」
客「要するに、話をA感覚オブジェ論に持って行きたかったわけね。」
主「でも、タルホの大阪弁が難しくて…、うまく行かなかった。昔、タルホを訪ねたときのことを一生懸命思い出しながらやろうとしたんだけど…。」
客「タルホは大阪弁なのかい?」
主「そうか。大阪には小さい頃しか住んでなかったからね。それから明石-神戸。戦後はずっと京都だし。あれ、何弁なんだろ?」
客「関西は確かだけどね。」
主「関西弁?」
客「ところで盥≠フ話自体は仮想じゃなくて、実際のことだろ?」
主「そう。このサイトのタルホと私≠フ中にも書いたようにね。」
客「で結局、タルホにとって飛行機はA感覚オブジェだったと言いたいわけね。」
主「まあ、そうかな。でも、タルホ自身はA感覚オブジェ≠ニいう言葉は使ってないと思うんだ。」
客「へえー、そうなのかい?」
主「さっきの尻切れトンボになった君との話の最後に、武石浩玻の名前を出したけど、タルホにとって飛行機は武石浩玻と切り離せないと思うんだ。TAKEISHI KOHA…≠ノも書いたんだけど[※]、実はタルホの武石浩玻体験は、Vorlust(前快)的A感覚体験だったと思うんだよ。」
[※]TAKEISHI KOHAを知っていますか? ̄ART2の注42タルホを捉え続けた℃Q照。
客「君のサイトのタルホ辞典≠フ中では、特にanal-erotikなオブジェをA感覚オブジェ群に当てはめてるけど、君のA感覚オブジェ論でいけば、必ずしもそれに限定されるわけじゃないのね。」
主「そういうことになるかな。でも、先の仮想対談の注([※11]も引用したけど、タルホはこう言ってるからね。…これらをかえりみる時には、なにかその部位(腸粘膜末端)における、異物的緊張感、スリル、忍耐、努責、蠕動、リズム、脱落感等々に、いまの各種のオブジェ群は結び付くように思われる。≠チて…。だからA感覚オブジェは、結局はそこに収斂されるのかもしれないけど…。」
客「そもそも、タルホが模型のなげき≠チて言うくらいだから、模型自体がVorlust(前快)的A感覚オブジェじゃないのかい?」
主「模型が──たとえそれが時間ベクトルを持ってたとしても、必ずしもA感覚オブジェになるわけじゃないけどね。ともかく、君にはここまで付き合ってくれて、しかもまとめまでしてくれて、おおきに(笑)。」
客「終点まで来たの? それなら、あとはもう帰るしかないか。」
主「そう。いつまでもここにいてられへん(笑)。」
客「いつの間にか関西弁が身についてきたね(笑)。今度は仮想じゃなくて、実録タルホ会見記を頼むよ。」
主「ああ、いつかね。ほな、さいなら(笑)。」

(了)



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