タ   ル   ホ   円   錐   宇   宙   創   造   説



 タルホ世界を形成する大きな柱の一つに宇宙論(コスモロジー)≠ェあります。「僕のユリーカ=v「ロバチェフスキー空間を旋りて」「私の宇宙文学」「宇宙論入門」などの作品で、タルホの宇宙論を知ることができますが、ここでは特に、初期に展開された宇宙論に焦点を絞って、その独自性と、それが形成されていった過程を辿ってみることにします。

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円錐宇宙との出会い

「彗星問答」における円錐宇宙

「彗星問答」で後に削除された部分──前半/円錐宇宙創造説

「彗星問答」で後に削除された部分──後半/擬物化された宇宙

円錐宇宙における生命/物質/ホーキ星

円錐宇宙におけるUTOPIA























円錐宇宙との出会い
 本サイトのポン彗星幻想物語≠ナも触れましたが、タルホの宇宙観に大きな影響を与えた人物として、関西学院中学部時代の級友N君≠アと、西田正秋がいます。あるとき彼は、黒板に円錐形を描いて、それによって地球と彗星の軌道を説明しました。

「この円錐中の円及び楕円が地球の軌道で、彗星は抛物線に属する──この特殊天体が何処から来て何方へ去るかが不明なのは実にこの理由に依る、と彼は説くのだった」(「私の宇宙文学」)

 西田君のこのアイデアは、当時タルホに相当なインパクトを与えたようです。

「何故なら私は、或る納涼催し物の会場で目に止めたカルデア人の宇宙──それは太陽が大地の西端にある隧道へ潜り込んで、地下道を抜け、次の朝東端の出口に現われる模型だったが、そういうもの以外に、この種の何物をも知っていなかったからだ」(同上)

と述べているからです。
 タルホは子供の頃に、見世物でカルデア人の宇宙≠ニして、古代バビロニアか何かの宇宙模型を見たことがあったのでしょうか。それにしても、タルホはすでに中学生になっていて、天体に関する基礎的な事柄について学習していたはずですから、そんなプリミティブな宇宙観しか持っていなかったというのは到底考えられません。カルデア人の宇宙1)♂]々は、あくまで比喩的な表現として持ち出されたものでしょう。
 この西田君については、「空間の虹色のひづみ」という作品に詳しく述べられています。彼からは円錐宇宙の他にも、空間のひづみ∞真空の時間∞マイナスの空間≠ニいった、後にタルホの宇宙論に独自の色合いを与えることになる、数学・物理学的イマジネーションをいくつも教えられます。その意味で西田君は、タルホにこうした方面への興味をもたらした最初の人物だったと言えるでしょう。彼との交流は、関西学院中学部3年生の頃だといいますから、1916年、タルホ15歳の頃になります。ちなみに西田正秋は、後に東京美術学校(東京藝術大学)に進学し、美術解剖学の先生となっています。彼の経歴・著書などはweb上でも知ることができます。


1) カルデア人の宇宙≠ノついての最初の記述は、おそらく『宇宙論入門』(1947年11月、新英社刊)だろうと思います。第5章の冒頭に、「太古のカルデア人は、世界には大山脈の周壁があって、太陽は夜間にその西口からトンネルを通って、東口に抜けると考えた」とあります。それにしても、「そういうもの以外に、この種の何物をも知っていなかった」という言い方は、あまりにも嘘っぽく聞こえます。ひょっとしたらカルデア人の宇宙♂]々は、『宇宙論入門』を書くときに調べた文献の中で知ったのかもしれません。そうすると、「或る納涼催し物の会場で目に止めたカルデア人の宇宙」という話自体が創作≠ゥもしれません。


「彗星問答」における円錐宇宙
 この西田式円錐宇宙≠発展させた円錐宇宙モデルが、それから10年後、「彗星問答」(「虚無思想」1926年6月)という作品に初めて具体的な形≠ナ登場します。というのは、本サイトのポン彗星幻想物語≠ナも述べたように、円錐宇宙自体は、「彗星問答」の前年に発表された「タルホと虚空」(「G・G・P・G」1925年7月)で、オットーによって持ち出されていますし、さらに1年前の「星使ひの術」(「改造」1924年8月)では、カルル・カイネ博士の円錐状宇宙発生説≠ニして登場しています。しかし後者はただの名称だけであり、前者は西田式円錐宇宙モデルをそのまま提示したにとどまっています。これがタルホ式円錐宇宙モデルに展開していくのは、やはり「彗星問答」を待たなくてはなりません。
 西田君から聞いた円錐宇宙では、円及び楕円が地球の軌道で、彗星は抛物線に属する≠ニいうものでしたが、「彗星問答」では、彗星は回帰しなければならない≠ニいう理由から、彗星の軌道は抛物線から楕円に訂正されました。

「ポンス=ウィンネッケ周期彗星から抽出した自分のポン彗星に就いて、学友Nから借用したのは円錐宇宙であったが、それだけでは十分でない。又彗星の尾が地球に触れて其処に蜃気楼が現れるとしても、それを只一回に限定するのは、どうかと思われた。抛物線は実は楕円であって、彗星は何回も帰来するのでなければならない。そこには一つの目的がある筈だ」(同上)

 このように、西田式円錐宇宙を換骨奪胎したタルホ式円錐宇宙ですが、両者が最も異なる点は、タルホ式ではポン彗星や地球といった天体が擬人化2)≠ウれていることです。

「……宇宙とはこんな円錐形をしたもので、その先端にすべてのものが進んで行くユートピアがある。あたりまえの星は円錐のふちにそうて螺旋形にのぼって行くが、ホーキ星はそれが面倒くさいと云ってまっすぐ上の方へとぶ。……(中略)そんならこのホーキ星には何がなるかというと、普通の軌道をめぐっている星が、それにあいたとき、また何かの情熱にもえたとき、だしぬけに脱線してそうなるのだが、……」(「彗星問答」)

 このように述べて、ホーキ星の革命的行動を、「宇宙のヴオルシェヴキでありサンヂカリストである」としています。


2) 擬人化の手法は、月や星と格闘する「一千一秒物語」以来、タルホの常套手段で驚くにあたりませんが、実はこの擬人化≠ノついては、もっと厳密に考察する必要があるように思います。月や星を人に擬している≠フか? それとも人を月や星に擬している≠フか?
 ずっと後になって、タルホは次のように驚くべきことを語っています。
 「──楕円は、(昆虫学者ファーブルに依ると)「遊星の軌道で、その親族関係のある二つの焦点が、動径の不変な和をゆずり合うもの」である。これは安定した愛人ら即ち結婚生活を指しているわけだ。抛物線、「その失われた第二の焦点を無限に空しく探し求める。一日吾人の太陽を訪れてきて再び幽玄の彼方へ去って帰ってこない彗星の軌道である」そうならば、永遠の女性を目標にしたドン=ジュアン的遍歴、つまり一般ローマンスの原理に相当しよう。次に双曲線、これこそ少年愛的境地である。即ち、「それは相容れぬ焦点を持った絶望的な曲線であって、次第に漸近線となるけれど、決して直線になることなく、無限の触手のように空間の彼方につき入っている」」(「『稚児之草子』私解」)
 このように述べて、円錐曲線をそのままエロティシズム論に直結させています。これは擬人化≠ネのか? むしろ反対に人をして月や星に擬している≠フではないか、擬人化≠ネらぬ擬物化≠オているのではないか?

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 ここで、円錐宇宙のもとになっている円錐曲線≠ノついておさらいをしておきます。
 円錐曲線というのは、簡単に言えば、円錐形を切ったときにできる切り口の曲線で、切る角度によって、円・楕円・抛物線・双曲線の4つの曲線ができる≠ニいうものです。
 すなわち、真横にスパッと切ると円、斜めに切ると楕円、円錐の角度と平行に切ると抛物線、円錐の角度を超えて切ると双曲線ができます。
 「彗星問答」に描かれている円錐宇宙の模式図では、EARTH(地球)の軌道は円錐を真横に切った円、pon(ポン彗星)の軌道は斜めに切った楕円で表わされています。
 ただし数学的には、円錐とは一本の直線のまわりに、これと交わる別のもう一本の直線を一回転させたときに描かれる曲面≠フことですから、円錐は交点を境に必ず向かい合わせに一対できるわけです。西田君からは、このような円錐に対する考え方は聞かされなかったのでしょう、「彗星問答」を書いた時点で、タルホは円錐が2つできることをまだ知りませんでした。

 それにしても、こんな円錐宇宙は、銀河系にまで広げた宇宙論だとは考えられません。では太陽系に限定した宇宙論だとすると、太陽はいったいどこにあるのか? という疑問が当然生じます。示された模式図には太陽が描かれていないからです。しかしながら、円錐宇宙の構造からすれば、太陽は、頂点にあるUTOPIA≠フ対極方向に位置していると考えるほかありません。
 ところで模式図は、円錐宇宙を外から透視した形で描かれています。しかし、たとえば自分が星空を見上げている様子を想像してみると、そのとき自分は、円錐宇宙をすっぽり頭から被っているようなイメージに一転します。そうすると、視線方向のいちばん極まったところに円錐宇宙の頂点があることになります。視野の一角には、かすかにポン彗星が確認できます。その彗星は動いているようには見えませんが、実は楕円軌道上を巡っています。そして足元の地球は円軌道を描いています。どうでしょう? 円錐宇宙のイメージが少し変わってきたのではないでしょうか。
 このように、太陽系を一つの例とした円錐宇宙を仮定したとき、その考え方を他の恒星系にまで及ぼすことができるのかどうか。他の恒星もそれぞれ太陽系と同じように円錐宇宙を形成しているということになると、銀河系はそれら無数の円錐宇宙がぎっしり密集している星団だということになります(実際には、太陽系に最も近い恒星でも、4光年以上の距離にあるので、とてもぎっしり≠ニいうことにはならないでしょうが3))。


3) 光の速度は約30万km/秒なので、1光年は9兆4600億km。地球と太陽との距離は約1億5000万kmですから、1光年はその6万3000倍になります。たとえば地球と太陽との距離を1mとすると、いちばん近い恒星であるケンタウルス座のアルファ星(4.3光年)は、どのくらい離れた位置になるか計算してみてください。おそらく想像できなかっただろうと思います。


「彗星問答」で後に削除された部分──前半/円錐宇宙創造説
 そもそも、こんな円錐宇宙はいったいどのようにしてできたのか?
 「彗星問答」は、後に「彗星倶楽部」と改題・改訂されますが、実は改訂によって大幅に削除された部分があります4)。それは円錐宇宙創造説≠ニも言うべき箇所で、まさに奇想天外の宇宙論が語られています。
 タルホはなぜこの部分を削除したのか? その理由については、すでに本サイトのポン彗星幻想物語 Part1≠ナ筆者の考えを述べました。
 しかし、この削除された部分は、タルホ独自の宇宙論を知る上で、非常に重要なものを含んでいると思われるので、ここで改めて取り上げてみたいと思います。(初稿の「彗星問答」は『多留保集』第6巻「遠方では時計が遅れる」収録、以下の引用は同書から)


4) 「彗星問答」は「虚無思想」(1926年)初出の後、『天体嗜好症』(1928年)に同タイトルのまま収録されますが、このときはまだ円錐宇宙創造説≠フ部分は削除されていません。

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 さて、削除された部分は、聞き手b(L大学の技師)の「円錐形の宇宙についてほかにおきき及びのことはありませんか?」という質問で始まります。
 それに対して、回答者aは、「──まず博士はボールドにこんな円をかきました。有も非有も超えたただこうしたものが世界のはじめにあった。」と語り始めます(回答者aとは、天文台爆発事件で唯一の生存者。博士は、天文台の博士で、改訂版の「彗星倶楽部」では、元天文台長ド・ジッター博士)。

「ところがこの円にそれともなく、より完全な形式になりたいという意志が生れてきた。おぼろげなものがだんだんこくなり、円はみずからが中心にあつまろうとしているのだということを意識するようになった。といって、あたえられたかたちをどうすることもできず、そこに起った苦しみははしなくも廻転運動のかたむきを採った。あの星の廻転や動物の動作や機械の運動などが、主として左の方へかたよっているのは、どちらへうごいてもよかった円が、その一方をえらんだというこの一刹那の偶然にきめられたのである。それから足元にころがった小石から頭の上の横たわった銀河にまで、のがれるすべのない宿命としてあたえられている世界苦というのも同じ瞬間にきざしたのである。これがまたいつ終るともしれぬ万有の流転時間の発生ということにもなる。」


 回答者aは、博士から聞き及んだという宇宙創世の発端をこのように語り始めます(「彗星問答」には、手書きのイラストが添えられていますが、おそらくそれはタルホ自身の手によるものでしょう。本サイトでは、それに似せて改めて作図しています)。
 最初にあった円に、「より完全な形式になりたいという意志」が芽生えて、それが偶然に、一方向への回転運動という(この場合は左回りの)動きになった、というのです。それによってまた、そこに初めて世界苦≠ニ時間≠ェ発生しました。

「──ところで廻転がだんだん速くなると共に苦しみもつのり、それは自己の安全もかえりみないほどの位置に達した遠心力のためにこわれた円はバラバラに切れてしまった。束縛から脱したその互の弧は、理想とするさきの円の中心に落ちて鉢合せをした。──これらは、さきの円の半径が無限であったように、また弦が無限だから直線と云っていいわけである。そこでそれらの直線はともかく一端だけを理想点にふれたが、すべてをそこへおしこもうとして圧迫をしたから、苦しまぎれに一本ずつがこまかくふるえ出し、かたむいてまわるコマの軸がえがくと同じわけに、そこには先端を一つに合わしたたくさんな円錐ができてきた──即ち「空間」のひろがりである。」


 あまりに回転速度が急上昇したために、ついに円はバラバラになってしまいます。分裂した円弧の破片は、遠心力で外側に飛んで行きそうなものですが、反対に求心力が働いて、原初宇宙の中心に集まってきます。なぜなら、もともと円が回転を始めるようになった原因が、「円はみずからが中心にあつまろうとしているのだということを意識するようになった」からで、原初宇宙の中心こそが円の理想≠セったからです(ちなみにここで、「円の半径が無限であったように、また弦が無限だから直線と云っていい」とある弦≠ヘ、弧≠フ間違いでしょう)。
 つまり無限大の円の弧は、直線だということです。この直線の一方の端が(無限大の直線に一端があるというのは矛盾ですが)、我先に中心に向かって殺到するさまは、ネズミの大群が一斉に一つの壁穴を目指しているようで、ないしはラッシュアワーの乗客が一度に電車のドアに集中しているようで、あるいは精子の群れが卵子に向かって突進しているようで、なかなか含蓄のある比喩のような気がします。
 このラッシュによる圧迫で、直線の一本ずつが振動を始め、それにつれて反対側の一端が、「かたむいてまわるコマの軸がえがく」ように円運動を始めます。すなわち、それによっていくつもの円錐が形成され始めたわけです。これまでの運動がすべて平面上≠ナ行われた出来事であったのに対し、ここに初めて立体的な運動が生じたことによって、いよいよ空間≠ェ誕生することになります。

「──こうして宇宙とは、まんなかにおいた一つの点に向い、そのためにうごかされている円錐体のあつまりで、それらをひっくるめた大球体(?)と想像されるものもまた目まぐるしくまわっている。が、それが転覆をしないのは、一つ一つの円錐がジャイロスコープの作用をして自動的に安定を保っているからであり、宇宙がそれ以上三角や六方体に開展をしないのも、やはりそこで調節をとられているからである。あの「行為とは観念の稀薄になったものだ」とはこのことを逆に云ったもので、そのプラトンが「世界とは神と第一球面との接触から生れる」としたのも、ベルグソンが「空間とは時間の堕落したものだ」と考えたのも同じことを意味している。──だから円錐体といっても五つや六つの数でなく、そんなものが千万無量に入りまじって歯車のようにギッシリつまった時計の機械みたいなものである。」


 かくて宇宙は、原初宇宙の円の中心にその頂点を向けた、円錐の集合体として表わされることになります。しかも各円錐体が回転しているだけでなく、その集合体も激しく回転しています。それが分裂したり混乱したりしないのは、個々の円錐体がジャイロスコープの働きをしていて、それで姿勢の安定を保っているからだというのです。このあたりは、いかにもタルホらしいアイデアだと言えるし、ホメオスタシス的暗示もあって興味深い。
 宇宙は千万無量≠フ円錐体がぎっしり密集した構造を持っている。先に銀河系は無数の円錐宇宙がぎっしり密集している星団≠ニいう仮説を提示しましたが、この円錐宇宙創造説≠ノよれば、銀河系もその中心に頂点を向けた円錐宇宙の集合体である、といっても差し支えないことになります。しかも各円錐体(太陽系/各恒星系)が回転しているだけでなく、その集合体(銀河系)も回転しているのですから、その意味では、天体物理学や宇宙物理学とも矛盾しないことになります。
 ところで、先の円錐体の集合図が、円錐の頂点がそれぞれ閉じていない形で表わされている≠アとに注意を喚起しておきたいと思います。そこには何か意味があるのでしょうか?

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 さて、タルホは後になって、円錐宇宙創造説$ャ立のいきさつを次のように語っています。

「当夜の学術講演の台にした宇宙論は、何時か海水浴にやってきたNをステーションに送った時、頭の片隅に浮んだものである。円錐が最初から在ったというのは不都合なので、私は、哲学の始祖たちの宇宙論に例外なく窺えるところの「円」を、担ぎ出した。この円が廻転して「時間」が発生し、遠心力のために無数の弧に分裂したのが、それぞれ円の中心に落下し、互いに鉢合せをした結果、おのおのが円錐体になったというのであるが、こんな経過は、私はいち早く画面にして、『カイネ博士に依って語られしもの』という題をつけ、三科インディペンデント第二回展覧会(上野山下、青陽軒)に出品した。」(「私の宇宙文学」)

 このように、この宇宙論のアイデアが浮かんだのは、「何時か海水浴にやってきたNをステーションに送った時」というのですから、最初にN(西田)君から円錐宇宙の話を聞いてから、それほど日にちが経っていない頃だったようです。つまり、この円錐宇宙創造説は、後に「彗星問答」を書く段階で創作したものではなく、すでに在学中に頭にあったと言っているわけです。もしそうなら、タルホの宇宙論的イマジネーションは、この頃、飛躍的に豊かになったことになります。何しろ、ついこの間まで、自分の知識はカルデア人の宇宙<激xルだったと言っていたのですから…。
 最初に円を持ち出したのはいいとして、それを最終的に円錐形の集合体にまで展開していくためには、いくつもの思考過程を介在させなければなりません。まず円をバラバラの円弧に分裂させ、個々の円弧(無限大なので直線)を自転車のスポークのように放射状に配列し、その一端を回転させることによって、いくつもの円錐形ができる、という結論に至るまでには、相当ハイレベルなイマジネーションを駆使する必要があります。
 「円錐が最初から在ったというのは不都合なので」という言い方をしていますが、何のために不都合≠セったのでしょうか。中学部時代に頭の片隅に浮かんだ単なるアイデアに留まっていたのなら、何もここまで細かく円錐宇宙創造に至る過程を考え出す必要はなかったのではないか、やはりこの円錐宇宙創造説は、「彗星問答」を書こうとした段階で創作したものではないか、と考えるほうが自然のような気がします。
 さらに、「こんな経過は、私はいち早く画面にして、『カイネ博士に依って語られしもの』という題をつけ、…」と述べています。つまり『カイネ博士…』の絵のテーマは、円錐宇宙創造説だったわけです。しかもいち早く≠ニいう言葉からは、円錐宇宙創造説を考え付いてから、『カイネ博士…』を描くまでに、ほとんど間がなかったことを想像させます。
 ちなみに、「彗星問答」は1926年の発表ですが、実はその3年前に一度書こうとして挫折したとタルホは語っています。すると、その未完に終わった第一次「彗星問答」は、1923年に書いたことになります。『カイネ博士…』を三科インディペンデント≠ノ出品したのは、1922年のことのようですから、さらにその1年前になります。そうすると円錐宇宙創造説≠ヘ、文章より先に、絵によって表現されたことになります。

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 ここまでが、削除された円錐宇宙創造説の前半です。後半はさらに驚くべき円錐宇宙論が展開されます。


「彗星問答」で後に削除された部分──後半/擬物化された宇宙
 これまでの説明から、円錐宇宙というのは、千万無量の円錐体が入りまじって、「歯車のようにギッシリつまった時計の機械みたいなものである」ということが分かりました。
 「彗星問答」では、その円錐宇宙の比喩として、次のような例が引き続き、段落も替えずに℃揩ソ出されます。

「──だからたとえばここに、私がタバコを吸いたいと思うと、今までしずかであった──しかしその足場はあったところの私の心のなかに、一つの円がまわりはじめていくつかの円錐にわかれる。その一つは「好きなタバコがない」ということ、次は「となりの室まで取りに行かねばならぬ」ということ……そのほか、マニラならマニラを吸いたいという中心点にむかう努力のさまざまに分けられる。ところでタバコに火をつけると共に、それらの円錐もグルグルとまわってせり上って行き、吸ってしまったなら、それらのタバコを吸うという形式をつくる時間と空間が完全になくなったところ──即ち、先端へくりこまれてしまったのである。しかしそこにまだ「ハバナの方がよかった」という不満があったとしたら、まだきえのこりの円錐があるということになる。──こういうわけで一つの円錐はまた別のものを生み出し、くわしく云うと、スモーキングの最中にタンサンとウイスキーを思い出したらなら、その目下うごいている円錐の表面の点にえがかれる円が、また一箇あるいは数箇の時間となって、さらにこまかな系統を分裂させるから、この生れてはただちに先端へつぼまろうとするかたむきを帯びた時空の連体5)は、じつに須弥山から芥子粒にわたり微塵数に生滅旋転をしているのである。」


5) 連体≠ヘ連続体≠フことか。


 ここで言っている円錐≠ニは、円錐体≠フことか円錐運動≠フことか分かりにくいのですが、一応円錐運動≠ニして話を進めます。何より奇妙なのは、それまで述べていた円錐宇宙創造説──たとえそれが擬人化≠ウれていたとはいえ──の更なる説明のための比喩として、「──だからたとえば…」と順接法で言葉をつなぎながら、一転して今度は心の中≠ノ生じる円錐運動について語り始めていることです。「私の心のなかに、一つの円がまわりはじめていくつかの円錐にわかれる」と言っていますから、この円運動=円錐体形成運動は、あくまでも心の中≠ノ生起している運動のはずです。
 意識上(心の中)に或る物事が浮かぶたびに、一つの点(運動の主体)が生じ、それが円錐形を描きながら螺旋運動を始める……意識が目的とするところに向かって、その回転体は円錐の頂点を目指して螺旋運動を続ける……その間にも、他のさまざまな意識が生じるたびに、新たに点が生じ、それらが同様に円錐形を描きながら螺旋運動を始める……そして意識がその目的を達成したとき、それら回転体は、円錐の頂点──時間と空間が消滅する点──に到達して消滅する……。その円錐体は、須弥山のように巨大なものから、芥子粒のように極微のものまでが、無数に生起したり消滅したりしている、というようなことが語られています(心の中≠フ出来事ですから、須弥山から芥子粒までの大きさのものが現れても差し支えないわけです)。
 ここでは、人の意識の動きがすべて、円錐運動という形に還元されています。人は毎日心の中でさまざまな思いを描き、それを行動に移していますが、それらの意識や行為がすべて、円錐運動の生成と消滅という形に置き換えられているのです。
 意識≠ェ生じる(たとえばタバコを吸いたい)ことによって心の中に円錐運動=時空≠ェ生じる、その意識が行為に転ずる(タバコに火をつける)と、円錐運動=時空≠ヘ頂点(意識/行為の目的)に向かって活発になる、そして意識≠ェ目的を達した(タバコを吸った)とき円錐運動=時空≠ヘ円錐の頂点(時空の消滅点)において消滅する、というのです。これらを考え合わせると、意識=円錐運動=時空≠ニいう等式が成立します。
 ここでは、意識(心の動き)が物象化≠ウれている、ということができます。しかし、この物象化≠ヘ、あくまで譬え≠ニして持ち出されているだけでしょうか? 仮に譬え≠ニして持ち出されたとしても、ここで重要なのは、意識(=円錐運動)が、先に説明された円錐宇宙と相似形≠成しているということ、つまり、意識と円錐宇宙とが呼応≠オている、と言っていることです。それだけでも、これは特異な宇宙論になります。
 もしも、その物象化≠ェ譬え≠ナなく、物体化≠キると言っているのならば、それはさらに驚くべき宇宙論となります。何より、この譬え話に移る直前の円錐宇宙創造説では、宇宙が意志≠竍苦しみ≠持つものとして、擬人化≠ウれて語られていたのはまだしも、今度は、そのベクトルが180度逆転され、擬人化≠ニは反対に擬物化≠ニでも呼ぶべき宇宙論になるからです。物体(天体)が意識を持ったように振る舞うのと同じように、意識の動きが物体(天体)化する6)、と言っていることになるわけですから…。
 そもそも、円錐運動≠ナあるからには、そこに運動の主体たる物体≠ェなければなりません。そうすると、その物体はいったいどこに$カ起しているのか? 物体化している場≠ヘどこなのか?
 その場≠ニは、もちろん円錐宇宙≠ナしかあり得ません。人の意識の動きが円錐宇宙に反映≠ウれ、円錐宇宙の動きが人の意識に反映≠ウれる、すなわち、両者は互いに呼応≠オていることになります。
 すると、そこに立ち現れてくるのは、擬人化された宇宙≠ニ擬物化された宇宙≠ニがイコールで結ばれている世界、あるいは内面化された宇宙≠ニ宇宙化された内面≠ニがイコールで結ばれている世界です。両者の区別がない世界、対立する性質がトポロジー的につながっている世界、クラインの壺≠フように、内が外になり、外がそのまま内になる世界です。いずれにせよ、そこにはいわゆる客観的な宇宙≠ェ存在していません。
 こうした宇宙のアイデアは、神秘主義に見られるミクロコスモスとマクロコスモスとの照応7)≠想起させます。このサイトのポン彗星幻想物語≠ナも一部触れましたが(注33「関心と知識」参照)、そもそも「彗星問答」自体が、ある種のミスティシズム≠るいはスピリチュアリズム%Iな色彩を帯びている作品であることは間違いありません。「彗星問答」は、ポン彗星によって人々にどのような幻覚が引き起こされたか、ということが主要なテーマになっているからです。

「G天文台の博士(「彗星倶楽部」では、ド・ジッター博士)は、その彗星の光線がある人間の心理に作用するであろうという意見を発表して一部から注目されている。星の放射線によって地球のアトモスフエヤーに何らかの影響が起されつつあることは、夙にカイネ博士その他によっても力説されているが、J博士(「彗星倶楽部」では、D博士)」の説によると、それが人間の頭脳にまで及んで特異な夢遊的現象を引き起すというのである。そして博士はそのためには、被動者の自我の振動がポン彗星の波長と一致しなければならぬという条件をあげている…」(「彗星問答」)

と述べているように、自我(ミクロコスモス)とポン彗星(マクロコスモス)との照応≠ノは、両者の波長≠ェ一致することを条件に上げています。


6) 意識の物体化≠ニいえば、スタニスワフ・レムのSF小説「ソラリス」(A・タルコフスキー監督により映画化)の擬態形成体(ミモイド)≠ェ想起されます。ソラリス≠ヘ二重星の周りを回る惑星だとされているので、舞台は太陽系外惑星のはずです。そうすると地球との距離は恒星間スケール──光年≠フ単位になってきます。にもかかわらず、宇宙船プロメテウス号は、あたかも太陽系惑星への移動のように、地球からわずか数か月でソラリスのステーションに到着しています。いったいどういう方法で空間移動をしたのか? それはともかく、惑星探査機パイオニアやボイジャーによる成果から、少なくとも太陽系には、ソラリスの海のようなものを有する惑星は、その衛星も含めて、存在する可能性はほとんどなさそうです。

7) たとえば、インドのジャイナ教においては、宇宙は人間の形をしています。また、人智学の創始者R・シュタイナーは、ミクロコスモスとマクロコスモスとの照応≠ノついて、「実際、宇宙は、人が考えるよりもはるかに複雑な存在であり、人間性は、この大宇宙との共通点を考察し、太陽系と比較するときにのみ、理解できるのです。それ故、古今東西の霊学の研究家たちは、大宇宙と皮膚に包まれた小さな人体とに、同じ「コスモス」という名前をつけたのです」(「シュタイナーコレクション3─照応する宇宙」高橋巌訳、筑摩書房、p.55)と述べています。ただし、ここでシュタイナーが用いている人体≠ニ宇宙≠ニいう言葉は、近代医学的人体≠站゚代物理学的宇宙≠ニは全く概念が異なるので、それを前提に理解する必要があるでしょう。


円錐宇宙における生命物質ホーキ星
 さていよいよ、この円錐宇宙論の話は、結論に向かいます。

「──そこで世界の経過──即ち円錐の運動の仕方は次の三つにわけられる。一つはできるだけ急角度のピッチをもった螺旋によってのぼろうとする傾向──生命である。この生命現象というものが、どんなに似かよっていても同じことを決してくり返さないのは、そうして刻々に異った半径を有する円錐面へ到達しているからである。二は、そのピッチがほとんどゼロで、永久に同じ場所を廻転しているように観測されるもの──物質である。星や月や地球が適例で、幾何学の原理である純粋反覆というのもつまりはそこを理想化したものにほかならない。そして、第三にかぞえられるこの生命とも物質ともちがった革命的形式──即ちホーキ星についてはさっき申しました。──円錐説について頭にのこっているのはまずこれくらいのところです。」

 以上、ここまでが後の改訂で削除された部分です。

 ここで奇妙なのは、結論として、最初に図示されたpon∞EARTH∞UTOPIA≠ゥらなる円錐宇宙の話に再び立ち戻ったのか……と思いきや、そうではなく、一転して生命∞物質∞ホーキ星≠フ3つの話にすり替わっていることです。
 先の模式図では、円運動をしているのがEARTH=A楕円軌道を描いているのがpon≠ナした。ところが今度は、前には無かった生命≠ェ登場しているのです。その生命≠ニは、「できるだけ急角度のピッチをもった螺旋によってのぼろうとする傾向」であると言っています。傾向≠セと言っているのです。物質≠ノついては、「そのピッチがほとんどゼロで、永久に同じ場所を廻転しているように観測されるもの」と言って、「星や月や地球が適例」と例を挙げているので、模式図のEARTH≠ェ物質≠ノ置き換わったのだろうと理解できます。
 しかし、ここで言う生命≠フ運動の仕方は、模式図でpon≠フ描く楕円軌道のことではないのか? 「あたりまえの星は円錐のふちにそうて螺旋形にのぼって行くが、ホーキ星はそれが面倒くさいと云ってまっすぐに上の方へとぶ」と言っていたからです。ところがここで、「第三にかぞえられるこの生命とも物質ともちがった革命的形式──即ちホーキ星についてはさっき申しました」と述べているので、やはり生命≠ヘホーキ星≠ニは違うようです。
 では、生命≠ニホーキ星≠ニはどう違うのか? あえて解釈すれば、生命とは、普通の星がホーキ星に変化したときに描く急ピッチな螺旋運動のこと≠ニいうしかありません。ともあれ、ここで重要なことは、生命≠ニ物質≠ニは、螺旋のピッチの違いでしかないということです。
 説明では、生命≠生命現象≠ニ言い換えていますが、そもそも生命=傾向≠ェ円錐運動をするとは、一体どういうことなのか?

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 実は、生命∞物質≠ニいう言葉は、この時期のタルホによって特有の意味を担わされている重要なキーワードです。
 たとえば、この「彗星問答」の2か月前に発表された「われらの神仙主義」(「新潮」1926年4月)には、次のような一文があります。

「機械とは生命であるものの原理を最も簡単に抽象した真似であると云うなら、生命とは、機械であるものがそれみずからを超越するまでに理想的発展をとげたものだと考えられる。」

 ここで言う機械≠物質≠ノ置き換えると、物質≠ニは生命≠フ原理を最も簡単に抽象化したもの、生命≠ニは物質≠ェ最も理想的に発展を遂げたもの、ということになります。ここでは「生命であるものの原理」と言っていますが、両者の相違が質的な違いではなく、その関係がグラデーションになっていることが分かります。それは円錐宇宙において生命≠ニ物質≠ニが、螺旋運動のピッチの違いでしかないことと符合しています。

 同じく「われらの神仙主義」では、次のようにも言っています。

「そんならお前たちは全地球を幾何学模様にぬりかえてでもしまおうと云うのか? とあなたがおっしゃってもかまわない。何事も一途に考えるのはもう通用しない頭だ。カレイドスコープの六角花園の千変万化、何千年まわしても全く同じ模様をくり返すことは絶対にないではないか。機械と個性の一致する原理はここにも暗示される。しかも色ガラスの破片と鏡を入れたこのブリキの筒も、神さまでないかぎりはおしまいにこわれよう。そしたらもっと面白いものまたその反対のものが造られるだろう。ここに決してくり返されることのない自由無礙な創造的進展と、いくたびでもくり返される便宜な機械との一致の道が示されている。」

 ここでは万華鏡を例に出して、機械≠ニ個性≠ニが決して矛盾しないことを説明しています。ここでも機械≠物質≠ノ、個性≠生命≠ノ置き換えると、円錐宇宙の説明で、「この生命現象というものが、どんなに似かよっていても同じことを決してくり返さないのは、そうして刻々に異った半径を有する円錐面へ到達しているからである」と述べていることと、同じことを言わんとしていることが分かります。
 これらを考え合わせると、円錐宇宙における生命≠ヘ、個性≠るいは自由無礙な創造的進展≠ニ言い換えることができるかもしれません。


円錐宇宙におけるUTOPIA
 さて、円錐宇宙の模式図では、その頂点にUTOPIA≠ェ置かれていました。

「──博士の説によると、宇宙とはこんな円錐形をしたもので、その尖端にすべてのものが進んで行くユートピアがある。あたりまえの星は円錐のふちにそうて螺旋形にのぼって行くが、ホーキ星はそれが面倒くさいと云ってまっすぐ上の方へとぶ。……何べんも楕円形をえがいてまわっているうちに、目的のユートピアに到達をする。」

 すなわち、円錐宇宙における星は、螺旋のピッチこそ違え、すべてUTOPIA≠目指して運行していることになります。
 その理由を、博士は次のように言っています。

「宇宙を組立てる円錐体が先端の一点によってうごかされるのは今のべたとおりだが、それはまた一つの夢であり、その夢のために円錐がこしらえられたのだから、円錐面をとおる星やホーキ星のなかには、また先端の夢に対するあこがれがふくまっているわけである。…」

 このように述べて、円錐宇宙の頂点にあるUTOPIA≠ヘ、星々の目指す目標でもあるが、同時に円錐宇宙そのものがUTOPIA≠キなわち夢≠フために創造されたのだ、と驚嘆すべき宇宙論を披露します。
 これは先の円錐宇宙における生命=個性=自由無礙な創造的進展≠ニいう等式を援用すれば、円錐宇宙そのものが自由無礙な創造的進展≠ノよって生み出された夢≠フために創られたのだ、と言い換えることもできます。
 また先に述べたように、円錐宇宙ではミクロコスモス≠ニマクロコスモス≠ニが呼応≠キる関係にあることから、物体(天体)が意識を持ったように振る舞うのと同じように、意識の動きが物体(天体)化するのであれば、円錐宇宙そのものが夢≠フために創造されたといっても、何ら差し支えないことになります。

 ところで、博士による円錐宇宙の模型を使った実験の最中、ホーキ星≠ェ円錐の先端に届いた瞬間、大爆発を引き起こし、回答者a≠残して、その場に居合わせた全会員が消滅してしまった、という事件がこの物語の発端でした。
 この爆発事件について、インタビュアーが、「それにしても会員のすべてが、爆発ともろ共に消えてしまったのは何と解釈すべきでしょう?」と尋ねたとき、回答者a≠ヘ、次のように答えます。

「円錐の先端が無を意味するからでないでしょうか──博士も云いました。「円錐の先端とはひっきょうするに無である。だからユートピアにとびこんだハズミに、ただそれに向う努力そのものから成立していた革命的形式もおのずからきえてしまうことになる。…」」

 このユートピア=無≠ニいう発言も、先の心の中の円錐運動≠ニ通底しています。「タバコを吸うという形式をつくる時間と空間が完全になくなったところ」、つまり、人の意識が行為によってその目的を果たしてしまったときに、円錐運動はその頂点において消滅する、という経過と相似形を成しているからです。
 つまり意識=円錐運動=時空≠ゥらすると、意識こそ時空の本体であり、意識が生起するとき時空が生起し、意識が消滅するとき時空も消滅する、意識の生滅と時空の生滅は同期する、ということができるからです。
 後の改訂で削除されてしまった部分、円錐宇宙創造説≠ニその後半部で展開された心の中の円錐運動=擬物化された宇宙≠フ話は、むしろ円錐宇宙におけるユートピア=無≠フ根拠を示す伏線≠ニして重要な意味があったのではないでしょうか。
 そういえば、円錐宇宙創造説≠フ説明で図示された3番目の図で、いくつも寄り集まった円錐体のそれぞれの頂点≠フ部分が空白になって、描かれていなかったのはなぜでしょうか。それは円錐宇宙が完成≠キるときはすなわち、時空≠ェ消滅するときで、それは円錐宇宙℃ゥ体が消滅するときだからではないでしょうか。円錐宇宙に頂点が存在することと、円錐宇宙が存在することとは、論理矛盾になるからです。もちろん、タルホがそういう意図をもって、円錐の頂点を描かなかったのかどうかは分かりませんが…。

*

 「彗星問答」という作品は、後に「彗星倶楽部」と改題・改訂され、最終的に「生活に夢を持っていない人々のための童話」という作品の中に、「奴豆腐と箒星ハレツとの関係」という、いささか楽屋オチのようなタイトルに改題されて編入されました。「生活に夢を……」は、その他に「似而非物語」「天文台」「銷夏特別番組」が改訂されたものが組み合わされて構成されています。おそらく、それぞれの作品の時代的・内容的な共通性と、童話・エッセイ風なスタイルの共通性とによって、一つにまとめられたのだと思いますが、「彗星問答」(「彗星倶楽部」)も最後に収まるべき場所に回収されたことになります。
 「彗星問答」は、「僕のユリーカ=vや「ロバチェフスキー空間を旋りて」などのエッセイ、あるいは「宇宙論入門」などと違って、童話仕立ての作品であることから見過ごされがちですが、その背景にある宇宙観は、他の宇宙論を扱った作品と共通するものがあるように思います。
 一つはスピリチュアリズム≠フ問題、もう一つはミスティシズム──ミクロコスモスとマクロコスモス≠フ問題です。たとえば、長い時間をかけて(戦時期を挟んでいたとはいえ、足かけ5年と自ら言っています)、初めて本格的に♂F宙論に取り組んだ『宇宙論入門』(1947年11月、新英社刊)でさえ、その例外ではありません。非ユークリッド幾何学や最新の物理学の成果を生き生きと紹介しつつ、一方で科学者ながら、死後の存続を自己の研究対象に加えたオリバー・ロッヂ8)や、『死後の生活』を著したフェヒネル(フェヒナー9))らの名前を織り交ぜたりしていることもそうですし、これが結論だと言っている最終第6章で、スペインの思想家ミグエル・ド・ウナムノの「宇宙とは神の夢である10)」という言葉を引用し、章タイトルも「世界は神の夢である」としていることなども、一般的な科学的宇宙論≠ニ違って、やはり異色の宇宙論となっています。もちろん、だからこそタルホ的宇宙論≠ネわけですが…。
 タルホは、近代物理学や数学の成果を認めていないわけでは、もちろんありません。むしろ「ひとり信用されるのは数学者の風貌である」と言って、彼らをダンディ≠フ見本としているように、その風貌だけでなく、物理学者や数学者の頭脳が生み出す世界に対して、大いなる敬意と信頼を寄せているのは間違いありません。にもかかわらず、物理学や数学によって描かれる世界像に必ずしも満足していないように見えるのはなぜでしょうか。
 それは、その世界像からは、常に自分≠ェ切り離されているからではないか。そのように考えている自分は、ではどこにいるのか?≠ニいう問題が置き去りになっているからではないか──すなわち自己と宇宙との問題≠ナす。
 近代物理学は、いわば片目だけで♂F宙を観ようとしているのではないか。生命の連続≠確信しているタルホであってみれば、死後の世界をも透視するもう一つの目≠熾ケせ用いて、世界像の焦点を合わせなければ満足できないからではないでしょうか。
 「彗星問答」の中で、自我の振動数とポン彗星の波長を一致させようとしたり、円錐宇宙と心の動きをトポロジー的に繋いだり、生命と物質を螺旋運動のピッチの差だけで表わしたり、円錐宇宙を創ったのは夢だというのも、両方の目≠用いて、何とかこちら≠ニあちら≠ノ同時に焦点を合わせて、そこに真の世界像を結ばせたいという、タルホならではの可能性への試みではないでしょうか。

「私において考えられないものの連結は、人間と天体である。だから私の処女作「一千一秒物語」の中では、お月さんとビールを飲み、星の会合に列席し、また星にハーモニカを盗まれたり、ホウキ星とつかみ合いを演じたりするのである。この物語を書いたのが十九歳の時で、以来五十年、私が折りにふれてつづってきたのは、すべてこの「一千一秒物語」の解説に他ならない」(「無限なるわが文学の道」)

 よく引用されるのは、この後半部分ですが、重要なのは最初の「私において考えられないものの連結は、人間と天体である」の部分です。これこそミクロコスモスとマクロコスモスとの問題≠ナあり、タルホ宇宙論の本質だと思われるからです。

 あるいは、関西学院普通部(中学部)2年生の夏休みに、佐々木貞吉先生からもらった手紙にあったという、「星の輝く天空は我が外に。道徳的原則は我が内に」というカントの言葉は、終生タルホの心の内から消えることはなく、後に「弥勒」や「実存哲学の余白」にも引用されることになります。ベートーベンも手帳に写し取っていたという、この「考えれば考えるほど畏敬の念を増すものが二つある。外にあって星ぞら、内にあっては良心」という言葉の意味が、53年経って、今ようやく自分に判りかけている、と晩年になって述べているからです。(「男性における道徳」)


8) オリバー・ロッヂについては、本サイトポン彗星幻想物語≠フ注33「関心と知識」参照。

9) グスタフ・テオドール・フェヒナーの『死後の生活』(平田元吉訳、明治43年9月、丙午出版社、タルホは草間平作訳としているが、誤り)は、タルホに「白昼見」と「地球」を書かせた重要な本です。タルホには「フェヒナーの地球擁護」(後に「フェヒナーの地球意識」と改題・改訂)や「『死後の生活』」という、直接フェヒナーについて言及したエッセイもあります。特に、地球を意識を持った天体だとするフェヒナー(人間こそ地球意識の一部であると言っています)のいわゆる新視力≠ノついて、タルホは繰り返し語っています。タルホはフェヒナーの考えを再構成して新視力天文学≠ニ名付け、独自の入れ子式♂F宙論を展開しています。
 「地球とは虚空の只中で、八方から無数の天体の放射を受けてのた打ちながら廻っている一箇の生物に他ならない。ある日、水辺で奇妙な、まんまるい滴虫を見つけた。拡大鏡で覗くと、その表面に陸地と海洋が検出され、なお追求すると、山、木々、耕作地、羊、山羊などが判明し、そこに蠢いている一点が他ならぬ自分であることを知った。個人の意識は地球の意識に包含され、地球の意識は太陽の意識に、太陽の意識はより大きな星系の意識に……こうして「神」にまで届いている。このような「新視力天文学」に必ずや人類は近い将来において到達することに相違ない。」(「廻るものの滑稽」)
 タルホはここでも、入れ子≠フ内と外とをメビウスの帯≠竍クラインの壺≠フように反転させています。意識≠媒(なかだち)として人間≠ニ天体≠ニを繋ぎ合わせようとする、こうした宇宙モデルこそタルホが長年追い求めてきたものだったのではないでしょうか。
 参考までに、タルホがフェヒナーを知ったのはケーベル博士経由だったようですが、日本へのフェヒナー受容の歴史を詳しく考察したものに、岩渕輝氏の論考があります。

10) タルホが引用した本は、『二十世紀の物理学』(パスクアル・ヨルダン著、中野広訳、八元社、昭和15年刊)のようです。同書の当該箇所の訳文は以下のとおり。
 「また確かに、百億年前に打ち出された爆発中の煙火球としての宇宙のこの形象は、やはり吾々を促して、ミグエル・デ・ウナムーノの注目すべき問題でも考へさせるのである。即ち、恐らく全世界──およびそれと共に吾々──は神の夢にすぎないのではないか、祷祈(ママ:筆者)や秘儀は恐らく、彼が目をさまし、吾々の夢みるのが止まないやうにと、彼をより深く眠り込ませる試みに他ならないのではあるまいか、と。」。
 『宇宙論入門』は「彗星問答」の20年以上も後に書かれた作品で、もちろんテーマもアプローチの仕方も全く異なりますが、この懸け離れた2つのタルホ宇宙論は、夢≠ニいうキーワードによってつながっている、ということができます。
 余談になりますが、『宇宙論入門』には、量子論のことがほとんど取り上げられていません。タルホが引用した『二十世紀の物理学』の著者ヨルダンは、ハイゼンベルクの量子力学を発展させた物理学者で、本の内容は原子物理学が主体になっているにもかかわらずです。おそらく当時のタルホは巨視的宇宙論には目を向けても、原子物理学の方面にはあまり意識が向かなかったのかもしれません。ただし、晩年になってタルホ終生のテーマであった「物質の将来」を書き、ヤンとリーのパリティの対称性≠フ問題などにも言及していますし、最晩年の座右の書がハイゼンベルクの自伝『部分と全体』だったということですから、もちろん量子論の世界についても理解を深めていったことは間違いありません。



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