エ ア ロ プ レ ー ン a e r o p l a n e
ここでは、タルホの死生観に最も大きな影響を与えたと思われる20世紀の発明、飛行機を取り上げてみたい。
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武石浩玻と白鳩号
空中飛行機
革命家としての飛行家たち
飛行機の庭
飛行機の気分
■ 武石浩玻と白鳩号
──その日その飛行機の運動によって歪みをあたえられた天上や地上の物象は、その後、幾春をすごしても元どおりにならないように感じられました。(『ブレリオ式の胴』)
1913(大正2)年5月、深草練兵場における飛行家・武石浩玻の墜死ほど、イナガキ・タルホに衝撃を与 えたものはありませんでした。時にタルホ12歳。そしてこの事件への追跡は終生やむことはありませんでした。タルホと飛行機を結びつけるかなめ、ハイライトとして、この一章を欠かすことはできません。
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石清水八幡(男山弓矢八幡)
かげろうのおどろき
空間のひづみ
ゴムの香を放った飛行機
シティー・ツゥ・シティー・フライト
春風怨
白羽の矢
白鳩号
武石浩玻
鳴尾競馬場
春の日と椿事
伏見深草練兵場
CONTENTS
石清水八幡
其処はどんな所か、こどもの頃しばしば京阪電車で通って、片方には見渡す限りの枯れ芦のおぐら池が拡っていたという以外に憶えはないが、我が少年時代の英雄武石浩玻が大阪から飛んできて、千米突の高度から片手をハンドルから離して、眼下の石清水八幡へ会釈しながら、深草練兵場における死に向って通過した舞台である。(「東京遁走曲)
CONTENTS
白羽の矢
いまから五十一年前の四月十九日の正午近く、朝日の社旗をひるがえした一台のオープンカーが淀川ぞいにやってきて、北米に十一年間を送って今回新進飛行家として帰ってきた青年が、数人の同行者と共に──この中には鳥居素水、美土路昌一らがいた──この石清水八幡へもうでて、お守りの白羽の矢を受けた。(「桃南雑記」)
CONTENTS
■空中飛行器
──この時分こそ飛行機の上に、人類解放の夢が托されていたのだ(『オブジェ・モビール』)
初期の代表的飛行機。タルホ作品を読むためには、形態の特徴をはじめ各機種の基礎的な知識は身につけておきたい。
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アントワネット単葉機
カーティス式複葉機
グラデー式単葉機
サントス・デュモン(飛行船・14bis複葉機・ドモアゼール単葉機)
ファルマン複葉機
ブレゲ
ブレリオ式単葉機
ボオァザン複葉機
ライト式複葉機
ツェッペリン伯号
CONTENTS
アントワネット単葉機
「アントァネット」とは、フランスで初めて内燃機関の特権を獲たラバソールが、後援者の愛嬢の名にちなんで付けた発動機の名称である。アントァネットエンジンはモーターボートに取付けられて好評を得ていたが、サントスデュモンの注文を受けて、わずか一七〇封度の重さで五十馬力を出す機関の製作に成功してから、彼は飛行機の設計を思い立ち、一九〇八年二月に、胴部の切口が三角で、水平尾翼も方向舵も共に三角の「アントァネット第七号型」を完成した。ヌーベル・ラタムがこの美しい大型単葉機を操り、ブレリオと覇を争って二度まで英仏海峡へ乗り出したが、両回ともエンジンの故障で海面に降りねばならなかった。二度目の時はドーヴァーの懸崖がもうそこに迫っていた。高速水雷艇が近付くと、彼は沈没しかかった機胴の上に腰をおろして、悠々と葉巻をふかせていた。(「ライト兄弟に始まる」)
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」参照
CONTENTS
カーティス式複葉機
カーティス、カーティス!
思い出のカーティス!
分厚いタイヤの三輪の上に載っかったカーティス
縦横にピアノ線を引っぱったカーティス
突出座席に舵輪握っているカーティス
ゴムびきの翼を張拡げたカーティス
蝶型尾翼をそなえたカーティス
トネリコ製のプロペラを付けたカーティス
アメリカの隼、カーティス!
(「Curtiss! Curtiss!」)
⇒ グレン・カーティス博物館(Glenn H. Curtiss Museum)
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」参照
CONTENTS
グラデ―式単葉機
H少佐はドイツで、グラデ―式単葉とライト式複葉との操縦をならってきた人です。グラデ―式は、私もそばへ寄って見たことがありますが、一本の竹が飛行機の芯棒になって尾部を支えているというしごく無造作なものでした、その竹がゆがまないように針金が枠形に張られています、そしてプロペラーはただの鉄製のアームの両端に取りつけられた真鍮板なのでした。搭乗席は針金でつるされた木綿の腰かけです。こんな竹トンボの親方のようなものに乗って、H少佐は代々木練兵場を縦横に走り廻りました。(「飛行機の哲理」)
CONTENTS
サントス・デュモン(飛行船・14bis複葉機・ドモアゼール単葉機)
サントス・デュモン氏の飛行機は、その初め「鼠取り器械だ」と悪口を云われた。この時分こそ飛行機の上に、人類解放の夢が托されていたのだ──(「オブジェ・モビール」)
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」参照
⇒ 「サントス=デュモン再考」参照
CONTENTS
ファルマン複葉機
ファルマン! ファルマン!
ファルマンの星型廻転式エンジン!
ファルマンの絹張のつばさ!
ファルマンのピアノ線!
ファルマンの空気入りタイア!
ファルマンの胡桃製のプロペラ!
フランスの蝶! ファルマン!
(「ファルマン」)
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」参照
CONTENTS
ブレゲ
大正十三年五月八日、フランスのドアジー大尉が、胴体に黒猫と赤い三日月を描いたブレゲ14型を飛ばしてきて上海で毀し、別の機械に乗換えて東京への途中で大阪城東練兵場に降り立った時、バロン・シゲノはフランス陸軍大尉の正装で出迎えて、両者は互いに抱き合った。これが(映画ながらも)私が、少年時代からお馴染の滋野清武を眼の前に見た最初であり、また見納めであった。(「ヒコーキ野郎たち」)
CONTENTS
ブレリオ式単葉機
そんな好みの表れとして、私はブレリオ式単葉機を挙げます。なぜなら、あの頃の飛行機と云えば、あの格子組の胴体と大きなカーヴを持った翼が頭に浮びましたが、それは又、いかにも「空中飛行器」というロマンチックな機械を代表していたからです。そして自転車用のゴム輪を二ツならべて前方に取りつけた蜻蛉のような機体は、ちょび髭のルイ・ブレリオ氏に操縦されて、青い波がしらとすれすれに英仏海峡をこえて、ドーバーの崖上で尾部をヘシ折ったことや、また、ペグーの世界最初の逆転飛行にふさわしいものでした。(「飛行機の哲理」)
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」参照
CONTENTS
ボオァザン複葉機
──アンリ・ファルマンは英国人であるが、本人は巴里で生れて、そこで育った。彼は画家で、またオートバイの選手であった。巴里美術学校の同窓ガブリエル・ボァザンが、ハーグレーヴの箱凧を参考にして作った「ボァザン式複葉」を彼は操って、一九〇六年十月初旬に初めて二〇〇米突を飛んだ。このボァザン式によって初めて公式の飛行中の方向転換が行われたのである。つまりファルマンは、ボァザン式複葉の操縦者であり、彼が、その滑走架を「ファルマン装置」として改良したのが、即ち「ファルマン式」なのである。英国ではこの系統の飛行機をすべて「ボックスカイト」と呼んでいる。(「ライト兄弟に始まる」)
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」参照
CONTENTS
ライト式複葉機
ライト兄弟の飛行機には滑走車がついていません。この飛行機は、レールの滑車の上にのっけられます。滑車には綱がついて出発台の前方から引きかえしてくると、うしろに立てられたヤグラの上からおもりで引っぱられています。プロペラーが廻って軌道の上を飛行機がすべり出すと、搭乗していない方のきょうだいが、翼の端をつかまえて、顛覆をふせぎながらいっしょに走りました。(「飛行機の哲理」)
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」参照
CONTENTS
ツェッペリン伯号
昭和の初め頃、「ツェッペリン伯号」が独瑞国境のコンスタンツ湖畔フリドリッヒスハーフェンを出発して、シベリア経由で日本へ飛来した折であった。(「男性における道徳」)
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」末尾のリンク参照
CONTENTS
■革命家としての飛行家たち
──開放された坐席に、ハンティングをさかさにして背広姿で、メガネもかけずにハン ドルを握った人には、ただ無造作だとは片づけられぬ当時の心意気が見られまし た。(『飛行機の哲理』)
飛行機同様、当時の個性あふれる飛行家たちのプロフィールも知っておきたい。
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アットウォーター
カーティス(グレン・)
シャヌート(オクターヴ・)(ライト兄弟の先輩)
スミス(アート・)
ファルマン(アンリ・)
ペグー(アドルフ・)
ペルテリ(エスノー・)
ボークェル
ボールドウィン(キャプテン・)
ホクシー(アーチ・)
マース
モアサン(ジョン・)
モルゴルフィエ兄弟
ライト兄弟
ラタム(ヌーベル・)
リンカーン・ビーチー
木村・徳田中尉
日野熊蔵大尉
徳川好敏大尉
二宮忠八
CONTENTS
アットウォーター
明治最後の夏には、同じカーティス会社のアットウォーターが、日本海軍へ水上機を売りつけにやってきて、序でに、西宮の香櫨園浜と須磨天神浜とで、水上飛行の公開をした。(「カフェの開く途端に月が昇った」)
※「未来派へのアプローチ」(『大全I』)で「日本海軍」だったのが、改訂「カフェの開く…」(『宇宙論入門』工作舎)で「日本海岸」と誤植になり、『全集』(筑摩書房)でも、その誤植が訂正されていない。
BACK
CONTENTS
グレン・カーティス
早速製作者紐育州ハモンドポートのカーチス工場宛に、飛行船用エンジン見積書の請求がなされた。返事があって発註したが、数ケ月間というものは何回照会しても音沙汰なしである。そこで自ら西ニューヨークのキウカ湖畔、葡萄産業のための鉄道支線の終点まで出向いたところ、先方は、ボール盤と旋盤がそれぞれ一台しかない、工員わずか三名の小っぽけな工場だった。主人は、鳥打帽の鉢を庇の上まで引きよせてバッジでとめている、?せた、無口な、鼻下にちょび髭をたくわえた二十五才くらいの青年であった。
グレン・カーチスは、十五才の時に学校を退いて新聞配達をやっていたが、自らの手で自転車にエンジンを取付けて成功してからは、製作所のカタログと工学技術書を手蔓に勉強した。いわば直観的独習であって、何回もの失敗が進歩の台に利用されたのである。しかも彼の実用的対策は、いつも条理が立っていることで学校出の技術者らをおどろかせていた。(「ライト兄弟に始まる」)
⇒ グレン・カーティス博物館(Glenn H. Curtiss Museum)
⇒ 「ハモンズポートに行ってきた!」参照
⇒ 「キウカ湖で水上飛行機を見た!」参照
⇒ 「カーティス・ミュージアムのサイトにびっくり!」参照
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」参照
⇒ 「登場人物を確認する」参照
CONTENTS
アート・スミス
私がスミスと話をしたという噂が学校で流れたが、その真相は以上に尽きている。中学三年生に何が出来るものか! 「わたしは、あなたがサンフランシスコのブレメン紙に連載した生い立ちの記を殆ど諳んじている」 せめてこれくらいは先方へ伝えたかったが、ためらっているうちに黄色の豆自動車は後ずさりして、後輪にブレーキをかけると同時にハンドルを左に切ったのでくるりと一回転して、観覧席の方へ走り去った。(「ヒコーキ野郎たち」)
⇒ 「パナマ・太平洋万国博覧会の動画がすごい !!」参照
CONTENTS
アンリ・ファルマン
ライト兄弟がまだ本当に飛べるのかどうか疑われていた頃、ファルマンは招かれて渡米したが、女性問題で公衆に迫害され多大の侮辱を感じながらフランスへ帰ったことがあった。彼はその時「やっと命拾いをした」と云った。(「オブジェの魅力」)
CONTENTS
マース
明治四十五年春に来日したボールドウィン飛行興行団は、「スカイラーク」「レッドデヴル」の二台のカーティス式を持ってきた。好漢J. C. “Bud”Marsが雲雀号を大阪練兵場で飛ばせて、関西人に初めて「ヒコーキ」を紹介した。(「Curtiss! Curtiss」)
CONTENTS
ライト兄弟
ライト式は、カーティス式と共に、いかにもアメリカ気質を代弁している飛行機でした。そして開放された坐席に、ハンティングをさかさにして背広姿で、メガネもかけずにハンドルを握った人には、ただ無造作だとは片づけられぬ当時の心意気が見られました。「愛する女の脣よりも心を揚げるウィルバー・ライトに捧ぐ」詩人マリネッティが献辞をかいたのも無理はありません。(「飛行機の哲理」)
⇒ Wright Brothers National Memorial
⇒ 「Flight The Pioneer Era 1900 to 1914」参照
⇒ 「登場人物を確認する」参照
CONTENTS
リンカーン・ビーチー
ビーチーは、アメリカにおける宙返りの皮きりである。危険はかれの常食だと云われ、かつて世界が生んだ最も痛快な人物だとも評されていた。ナイヤガラ瀑布の前に架っている橋の下をくぐり抜けたり、四辻から舞い上ったり、室内飛行──博覧会の工業館の床上から離陸したり……手離し低空飛行はかれのオハコである。真似をしたひこうか連が六名まで敢えない最後を遂げた。かれ自身だってたびたび危い目に逢った(「日本人とは?」)
⇒ 「パナマ・太平洋万国博覧会の動画がすごい !!」参照
CONTENTS
日野熊蔵大尉
いったい日野と徳川が並び称せられるようになったのは極く最近のことで、少くとも代々木飛行五十周年(一九六〇)までは、日野は完全に無視されていた。私はこの次第を朝日宛に注意したが、いつも「グラデ―式飛行の写真がない」との理由で、その記事は取上げられなかったのである。(「ライト兄弟に始まる」)
⇒ 「アポカリプシスの獣」参照
CONTENTS
徳川好敏大尉
徳川は「模範生」だった。彼は何も飛行機について意見を持っていたわけでない。先輩から奨められて志願した迄であるから、他の部門に推輓されていても相当に有能振りを発揮したことであろう。これに対して日野は「天才的」である。(「ライト兄弟に始まる」)
⇒ 「アポカリプシスの獣」参照
CONTENTS
■飛行家の庭
──ドーヴァは、「イッシー」「ヴィラコブレー」等とならんで、我が少年の日のなつかしい地名であった。(『銀河鉄道頌』)
世界の飛行家たちゆかりの地を訪ねてみたい。
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イッシー・レー・ムリノー
ヴィラコブレー
キウカ湖畔
キティフォーク
クロイドン飛行場
コンスタンツ湖畔
サンジェゴ
ソルトレークシティー
ドーヴァ
ドミングスフィールド
ノースアイランド
バガテル
ハモンズポート
ハンティングトンビーチ
フォートマイヤー
フリドリッヒスハーフェン
フルーツベル競技場
ミシガン湖畔
CONTENTS
イッシー・レー・ムリノー
郊外へ出かけた時、私はいち早く小高い堤に登って、眼下の景色を、淡い緑や褐色の縞が入りまじったイッシーレームリノーのがおに見立てるかたわら、真正面からなるべく強い風に吹かれたがっていました。私はこんな時の自分を、あの絹張りの翼を持った飛行機を操縦している場合に想像して、雲の影によって暗くなったり明るくなったりしている野づらに、自分が乗っている飛行機の影をえがこうとするのでした。(「飛行機物語」)
CONTENTS
ハモンズポート
当時はアメリカに於てでさえ、飛行機と飛行船との区別が判る者は、ニューヨーク州北方の葡萄産地ハモンズポートの住民くらいなものだったと云うからだ。そこにはグレン・カーティスの飛行機会社があった。(「鼻高天狗はニセ天狗」)
⇒ 「ハモンズポートに行ってきた!」参照
CONTENTS
■飛行機の気分
──遠くに雲片がある春の一日私の世界は飛行機臭いのでした。(『ファルマン』)
何より飛行機の気分を味わってみたい。そして飛行機の形而上学へ。
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エヴィエーションナレッジ
エの字
オブジェ=モビール
滑走練習機
空中感
空中飛行器
草刈機
グノーム廻転式発動機
胡桃型飛行眼鏡
自動車の幌と飛行機の羽根の相関性
自分に最も好ましい事物に接した時にだれもがやってみる仕ぐさ
スケール模型のブレリオ(が何故実物として映じないのか)
精神力
トネリコ
鳥打帽
菜の花と飛行機との格闘
涙を流して走り出した新聞記者たち
蜂じるし双眼鏡
飛行家とは革命家である
飛行機臭い一日
『飛行機全書』
飛行機と空間との関係
飛行機としての飛行機
飛行機と夏
飛行機の影と畠の幾何学模様
飛行機の下翼のおもてに動く上翼や支柱や針金の影
飛行機の気分
飛行機の曲
飛行機の張線の平均緊張度
飛行機の翼と支柱のつなぎ目
飛行機の翼の断面
ヒコーキは精神が物質に打ち勝つ最後の勝利です
雲雀の世界
他に道がなかったもの
蜜蜂の巣(飛行機の機関部の)
aspect ratio
『AVIATION』(ロバート)