弥  勒  が  弥  勒  に  な  る  ま  で   (III)

──〈自分でない〉⇒〈自己であつて十分によろしい〉⇒〈自己自身である〉




も く じ

* * *

客観的事業


念願


三つの自分


聖なる事業


自分でない(+補遺


自己であつて十分によろしい





BACK
















客観的事業


 「弥勒」(第2部、以下同)の末尾近くに〈客観的事業〉という言葉が出てきます。

彼の頭には例の青表紙のショーペンハウエルにあった一節が浮んだ。それが彼自身の言葉に変化した。「既に意志に隷属するのでない。人間とは認識にまで到達すべきである」と彼は考えた。「そこにおいてこそ客観的事業に参加出来る。このような者には幸福もない代りに、不幸もない。只念願だけが残る。──念願とはこの場合何であろうか?」と彼は考えを追った。

 筆者は、唐突に出てくるこの〈客観的事業〉という言葉がずっと気になっていました。なぜなら、この言葉はいかにも取って付けたような感じがして、前後の文脈から明らかに浮いており、しかも意味不明だからです。タルホ自身の言葉ではないように思われるのです。
 そもそも〈客観的〉+〈事業〉という結び付きは、日本語には普通あり得ない組み合わせです。反対に〈主観的事業〉とした場合もやはり意味不明です。しかしながら「弥勒」では、【新潮】⇒【小山書店】⇒【作家】⇒【大全/タルホスコープ】という改訂を経ても、〈客観的事業〉には一度も手が入っていないのです。
 この〈客観的事業〉という言葉が使われているのは、他にもう1か所あります。それは「人生は短く芸術は長し」(「意匠」、昭和16年8月)というエッセーの中です。「弥勒」の【新潮】初出が昭和15年11月ですから、その9か月後になります。そこでは次のように出てきます。

見えざるもの現わにぞ見らる、見ゆるもののうちにこそ。
さて見ゆるもののうちには、見えざるものの痕より他に何物もあらじ。
 これは古い波羅門の言葉である。げにかかる世界を目指すものを、即ち日常身辺の至る所に顕現せる神を観る事が芸術家の使命である。そして東洋人たる吾々は、西欧の人々に較べて、一そうよくこんな客観的事業の真諦を会得すべく恵まれているとは云えぬだろうか。

 ここに掲げられた〈古い波羅門の言葉〉は、ショーペンハウエルからの引用ではないかと思われます(ただし典拠未詳)。この〈古い波羅門の言葉〉はおそらく、「弥勒」末尾における〈箒星ポン〉に対する記述、〈どうか、見えざるものの痕跡にしか過ぎないおんみの軌道の彼方に横たわれるものを、覚り得る眼を開かしめ給え!〉のもとになったものでしょう。そうすると〈客観的事業〉はどちらもショーペンハウエル関連で出てくる言葉ということになり、その典拠はショーペンハウエルではないかと推測されるわけです。

 そこで筆者が次にやるべきことは、この〈客観的事業〉なる言葉を、ショーペンハウエルの著作から探し出す作業になります。タルホが引用するショーペンハウエルの著作と言えば、姉崎正治訳の『意志と現識としての世界』(全3巻)と増富平蔵訳の『ショーペンハウエル随想録』です。
 幸いこの2つは国会図書館のデジタルコレクションに入っているので、全文検索が可能です。そこで『意志と現識…』と『随想録』において〈客観的事業〉を全文検索にかけてみました。
 ところが、どちらにも出てこないことが判明しました。ショーペンハウエルには〈客観的事業〉という言葉は出てこなかったのです。つまり〈客観的事業〉はタルホの〈造語〉です。
 もちろん筆者は落胆したのですが、気を取り直し、今度は〈事業〉で全文検索をかけてみました。その結果は、

◎『意志と現識…(上)』10件
◎『意志と現識…(中)』 5件
◎『意志と現識…(下)』 8件
◎『随想録』 1件

と総数24か所に〈事業〉が出てくることが分かりました。
 そのすべての箇所に目を通してみたのですが、ほとんどは〈客観的〉と関連付けられるようなものは見当たりませんでした。その中で唯一興味深い箇所が、『意志と現識…(上)』の中に見つかったので、少し長くなりますが以下に引用します。

各々の芸術には、各その対手とする客観があつて、その客観に現はれる観念、即ち客観の色々の程度にある意志を開展し明白にする、此は総ての芸術の通有の目的である。事実の生活で人類が大抵は発露する事は、恰も水は多く池や川となって発露すると同じであるが、叙事詩や小説や又悲劇では、人物性格を撰んで、それの特性が尽く発表する様な境地に置き、人情の深みが自ら現はれ、又著しく意味のある行為で見える様にしなければならぬ。人間は特にその個性の特質で自ら発露する性のものであつて、詩の芸術は此の如き人間の観念客観に表はす。
 その影響の強い点から見ても、又そのやり方の困難から見ても、悲劇は詩芸術の頂点であり、又さう認められて居る。そこで詩のこの最高事業の目的が、人生の恐ろしい側を描くにあるといふ事は、我々の観察全体にとつて大事な事、又注意すべき事で、言ひ知れぬ痛み、人間の悲み、悪の勝利、偶事が横行し、正しい人や罪のないものが望みもなく陥れられるなど、皆悲劇で我々に示され、茲に世界と生存との性質に関して意味深い方面が見える。意志がその客観性の最高階段に達して、茲に自ら自らに対する争ひを最も十分に開展し、恐ろしい程に現はれる。(『意志と現識…(上)』、p.425〜426)

 ここには〈芸術〉〈客観〉〈観念〉〈意志〉〈事業〉といった言葉がちりばめられています。ここでも〈客観〉や〈事業〉という用語には違和感を覚えますが、たとえば、〈客観〉は〈対象〉、〈事業〉は〈表現行為〉というような言葉に置き換えられないでしょうか。内容はともかく、その字面から、タルホがここで〈客観的事業〉という用語を創出したとしても不思議ではありません。
 ただし、似たような言葉を用いているとはいえ、タルホの言っていることはショーペンハウエルの内容から明らかに逸脱しています。なぜなら「弥勒」では、〈既に意志に隷属するのでない。人間とは認識にまで到達すべきである〉〈そこにおいてこそ客観的事業に参加出来る〉と言っていますし、また「人生は短く…」では、芸術家の使命を〈日常身辺の至る所に顕現せる神を観る事〉と定義しているようなことは、上のショーペンハウエルの文章からは読み取ることはできないからです。
 特に「人生は短く…」では、

モナリザを制作せざるを得なかったレオナード、このレオナードを動かし得たものを称して吾々は芸術と云う。然り、これが不滅なるものである。(中略)此処に於て、かの仕事を為さざる画家、唄わざるところの詩人も厳として可能である。吾々は一生涯を通じて一枚の絵を描かなくともよく、一行の詩を作らなくともよい。只描き作らんとする念願さえ有っているならば、ここに迸る不滅なるものの火花は、君の及ぼすその無形なる波動は、必ずや四辺に在る君に似た胸奥に伝わるに相違ない。(中略)されば世に芸術家あるは人ならず又作ならず、そは彼のまことに於いてなり。

 このように、芸術家にとって〈表現行為〉は必要条件ではなく、〈描き作らんとする念願〉こそが芸術において不滅のものであり、それを持っていれば十分なのだ、と言っているのはタルホ独自の見解だと言えるでしょう。
 いずれにせよ、ここでタルホは、ショーペンハウエルの〈客観〉と〈事業〉を結び付けた〈客観的事業〉という言葉を創り出すことによって、〈対象〉や〈表現行為〉といった個々の意味を超えた、〈芸術における普遍的営み〉というような地平を指し示そうとしているのだとも言えます。


念願


 さて「人生は短く…」では、〈日常身辺の至る所に顕現せる神を観る事〉を芸術家の使命だとし、芸術においては、〈描き作らんとする念願〉こそが不滅なものである、とタルホは説いていました。
 一方、「弥勒」では、冒頭に引用したように、

「既に意志に隷属するのでない。人間とは認識にまで到達すべきである」と彼は考えた。「そこにおいてこそ客観的事業に参加出来る。このような者には幸福もない代りに、不幸もない。只念願だけが残る。──念願とはこの場合何であろうか?」と彼は考えを追った。

と〈念願〉について自問を続け、次のような結論に至ります。

「それは大乗起信論よりも、線球変換よりも、そんな事柄ではなく、自分が人間として出発し直さねばならぬという一事である。──目差す人間とは何であるか? それはこの自分自身である。固有の色合いがある、振動的な、即ち生きている、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦に心を惹かれている自己自身である。その最も自分らしい場所に立返らねばならぬのでないか。」

 このように、その〈念願〉とは、〈自分が人間として出発し直さねばならぬという一事である〉という結論に導きます。だとすると、この結論は、先の〈描き作らんとする念願〉と同じものなのかどうなのか。
 タルホは〈世に芸術家あるは人ならず又作ならず、そは彼のまことに於いてなり〉と述べていますが、自身の〈まこと〉に照らしたとき、〈描き作らんとする念願〉は、今の江美留/タルホ自身にとってはそのままで適用することはできない、〈自分が人間として出発し直さねば〉到達できないということに気付いた、ということかもしれません。だからこそ、

──目差す人間とは何であるか? それはこの自分自身である。固有の色合いがある、振動的な、即ち生きている、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦に心を惹かれている自己自身である。その最も自分らしい場所に立返らねばならぬのでないか。」

として、自己吟味の方向に向かったのではないでしょうか。もちろんそこには、江美留の心を打ったというショーペンハウエルの言葉、すなわち『意志と現識としての世界』に何度も登場する吠早iヴェーダ)の、〈それが即ち汝〉(Tat-tvam-asi)という文句も作用していたに違いありません。


三つの自分


 このように「弥勒」における江美留の意識の流れを追ってきたとき、ここで一つ大きな問題に逢着します。
 上に掲げた〈──目指す人間とは何であるか? それはこの自分自身である。(中略)その最も自分らしい場所に立返らねばならぬのでないか。」〉の引用箇所は、最終稿【大全/タルホスコープ】のものです。
 この箇所は、初稿の【新潮】では以下のようになっていました。

然らばその目指す人間とは何であるか? それはこの自分自身でなければならぬ。色合のある、振動のある、即ち生きてゐる、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分でない。その最も自分らしい所に立帰らねばならぬのではないか。【初稿】

 比較するために両者を並べてみましょう。

──目差す人間とは何であるか? それはこの自分自身である。固有の色合いがある、振動的な、即ち生きている、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦に心を惹かれている自己自身である。その最も自分らしい場所に立返らねばならぬのでないか。」【最終稿】

 どうでしょう? 違いに気が付きましたか? 両者の間に多少の違いは見受けられますが、この2つの稿の間に【小山書店】版と【作家】があることを考えれば、むしろ修正が少ない部分と言えるかもしれません。
 実はそんなことではなく、論旨がひっくり返る大問題がここに潜んでいるのです。
 さらにその箇所にフォーカスしてみましょう。

真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分でない。【初稿】

真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦に心を惹かれている自己自身である。【最終稿】

 驚きましたか? 〈自分でない〉から〈自己自身である〉へ、すなわち〈自己否定〉から〈自己肯定〉へ百八十度転換しているのです。これは一体どういうことか。
 【初稿】の当該箇所を、もう一度注意深く見てみましょう。

然らばその目指す人間とは何であるか? それはこの自分自身でなければならぬ。

 〈目指す人間〉は〈自分自身〉である、と言っています。
 ところが、その〈自分〉とは、

色合のある、振動のある、即ち生きてゐる、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分でない。

と言っているのです。こんなことがあり得るでしょうか。なぜなら、これを言い換えると〈色合のない、振動のない、即ち生きていない(つまり死んでいる)、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛することのない自分である〉ということになるのではありませんか。そして、

その最も自分らしい所に立帰らねばならぬのではないか。

と続きます。そんな〈自分〉がはたして成立するのでしょうか。読者にとっても、そんな〈自分でない自分〉が〈最も自分らしい所〉という〈自分〉の在りかを想像するのは困難です。
 ここで一つ考えなければならないことがあります。それは、【初稿】の「弥勒」は後の「第2部」だけで、「第1部 真鍮の砲弾」はなかったことです。ですから、「第2部」だけの「弥勒」であれば、〈自分でない〉としてもあるいは成立するのかもしれません。しかしながら、筆者が〈弥勒が弥勒になるまで(I)〉で述べたように、「第1部」(一部「コリントン卿の幻想」として発表)の草稿は「第2部」より先に出来ていたと考えられるので、【初稿】の「弥勒」発表時点で、すでに全体像(「第1部」+「第2部」)はタルホの頭にあったはずです。
 それなのに、ここで〈自分でない〉としてしまうと、「第1部 真鍮の砲弾」から続く江美留の物語は、〈否定するために語られてきた物語〉だったことになり、根底から覆されてしまいます。
 タルホはいったい何のためにこんな〈どんでん返し〉を持ち出してきたのか? 〈カリガリ博士〉や〈セラピオン〉のように〈狂気〉と〈正気〉を逆転しようというのでしょうか? まさか! 「第1部 真鍮の砲弾」は〈ポン彗星から来た夢〉を書こうとしたからこそ成り立っているわけで、だからこそ「第2部」末尾の〈箒星ポン〉への祈りも意味を持つのではありませんか。にもかかわらず、〈目指す人間〉は〈真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分でない〉といって、前提そのものを否定してしまえば、物語は一貫性を失ってしまいます。
 ひょっとして〈自分でない〉は〈自分である〉の誤記ではないか、筆者は最初そのように考えました。しかしそれは間違いであることがすぐに分かりました。なぜなら、次の【小山書店】版では当該箇所は次のようになっていたからです。

色合のある、振動のある、すなはち生きてゐる、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛するところの自己であつて十分によろしい!

 〈自己であつて十分によろしい〉とは、〈否定〉と〈肯定〉の間の〈許容〉の立場です。〈断定的〉な〈肯定〉でなく、〈否定〉から〈肯定〉に至るあいだの〈過渡的〉態度です。ということは当然、【初稿】の〈自分でない〉という〈否定〉が前提になっていることが分かります。すると、この〈日和見的〉な形の〈許容〉の態度を、タルホがわざわざ表明したのはなぜか、という疑問が生じます。これについては後ほど考察します。
 結果的に、この箇所が〈自己自身である〉という〈断定的〉な〈肯定〉になったのは、次の【作家】以降です。


聖なる事業


 〈自分でない〉⇒〈自己であつて十分によろしい〉⇒〈自己自身である〉
 結論がこのように変遷した理由について、以下、少し視点を変えて筆者の考察──というより妄想──を加えてみることにします。
 先に〈客観的事業〉という言葉を取り上げましたが、それと似たような言葉に〈聖なる事業〉というのがあります。これは「人生は短く芸術は長し」を昭和16年8月に「意匠」に発表した2か月後、同年10月に「カルト・ブランシュ」に発表した「山田有勝兄への書翰」に出てきます。

そこが出発点だ。そこに於てこそはじめて人間が成立する。(中略)即ち我身の外に生くるを知る事においてはじめて聖なる事業に参加が出来る、それまでは単なるかかる人間可能性にすぎない。僕にはこう云う事が会得されたのでした。「人キリストに在るときは新らたに造られたるものなり、旧きは去りてみな新らしくなるなり」(コリント後書五章十七節)「人は己れを棄てて同胞の福祉を作り出し、建設し、増加すべく努力するとき初めて人間に、神の似姿になり始める。彼がただ自己自身のためにのみあるとき彼は一たい何であるか?」(ヒルシュ・イスラエルの祈祷)──まことにその通りだと思ったのでした。

 〈参加が出来る〉という言い方も〈客観的事業〉の場合と同様です。ただし、〈聖なる事業〉が〈客観的事業〉ほど違和感を覚えないのは、それがキリスト教の文脈で出てくるからでしょう。それでも〈事業〉という用語の意味が漠然としていることから、タルホがそれによって指示しようとしているものに、はっきり焦点を結ぶことができません。
 ちなみに、タルホが〈ヒルシュ・イスラエルの祈祷〉として上で引用している言葉は、ヒルティーの『眠られぬ夜のために』に出てくる言葉です。

「人は、己れを棄てて同胞の福祉を作り出し、建設し、増加すべく努力するとき、初めて人間に、神の似姿に、なり始める。彼がただ自己自身のためにのみあるとき彼は一体何であるか?」(ヒルシュ、「イスラエルの祈祷」)
(草間平作訳『眠られぬ夜のために 第1部下』、p42、岩波文庫、昭和11年)
※ヒルシュ(Samson Raphael Hirsch(1808−1888))はユダヤ人のラビ。『イスラエルの祈祷(祈り)』(1895)。

 これを見ると、タルホがこの草間平作訳の岩波文庫を読んだことは間違いありません。両者を比較すると、読点と傍点以外、タルホにしては非常に正確に一字一句を引用していることが分かるからです。自分のメモを元にしたというより、手許の本を見ながら書き写したような印象を受けます。

 

 さてここで、筆者は〈聖なる事業〉を検索するために、再び国会図書館のデジタルコレクションを利用することになります。もちろんヒルティー(およびケーベル)について調べるためで、「弥勒」に登場する重要な人物だからです。
 その結果を以下に記します。
※タルホが読んだであろう草間平作訳の岩波文庫版(昭和11年)はデジタルコレクションに入っているが、ネット上で閲覧することができないので、代わりに以下のものを参照した。

◎『眠られぬ夜の為め』(平田元吉訳、弘文堂書房、大正9年)
〈聖なる事業〉なし
〈事業〉26件

◎『眠られぬ夜のために I』(ヒルティ選集 第1、前田敬作訳、東京創元社、昭和33年)
〈聖なる事業〉なし
〈事業〉5件

◎『眠られぬ夜のために II』(同、昭和34年)
〈聖なる事業〉なし
〈事業〉2件

◎カール・ヒルティ『幸福論』(平田元吉訳、東亜堂、大正10年)
〈聖なる事業〉なし
〈事業〉47件

◎ケーベル博士『続小品集』(久保勉訳、岩波書店、大正12年)
〈聖なる事業〉なし
〈事業〉6件

◎ケーベル博士『随筆集』(久保勉訳、岩波文庫、昭和3年)
〈聖なる事業〉なし
〈事業〉3件

※ヒルティーとケーベルについては、〈聖なる事業〉と併せて〈客観的事業〉も検索したがヒットしなかった。
※ショーペンハウエルで〈聖なる事業〉も検索したがヒットしなかった。

 結果は、以上のように〈聖なる事業〉は、どの本においてもヒットしませんでした。すなわち〈聖なる事業〉も〈客観的事業〉と同様、タルホの〈造語〉だということになります。
 また、ヒットした〈事業〉のすべての箇所に目を通しましたが、その中で最も〈聖なる事業〉と相通じると思われる例を1か所だけ掲げておきます。

一月三日  人生の唯一の、道理にかなった目標は、地上に神の国を、つまり、不和と生存競争の国ではなく、平和と愛の国を築くことである。この事業に協力するかぎりにおいて、われわれの生活は目的と価値とを得ることになる。ひとはだれでも、活動することや苦難に堪えることで、この事業に参加することができる。同胞教会讃美歌六五二番、六五六番、七八五番。(『眠られぬ夜のために 第1部』、草間平作・大和邦太郎訳、岩波文庫、p.29)

※草間平作・大和邦太郎訳は昭和48年発行の新版で、草間平作個人訳の昭和11年の初版とは訳語が異なると思うが、初版を閲覧できないので参考のために新版を掲げた。

 上のヒルティーの文章から読み取る限り、〈事業〉とは〈地上に神の国を築くこと〉ということになります。タルホの言う〈聖なる事業〉の意味も、おそらく〈地上に神の国を築くこと〉と考えて間違いないでしょう。
 ヒルティーは、〈この事業に協力するかぎりにおいて、われわれの生活は目的と価値とを得ることになる。ひとはだれでも、活動することや苦難に堪えることで、この事業に参加することができる〉と述べています。それはタルホが、〈我身の外に生くるを知る事においてはじめて聖なる事業に参加が出来る〉と言っていることに対応しているように思います。
 なぜなら、タルホはその言葉の後に、〈人は己れを棄てて同胞の福祉を作り出し、建設し、増加すべく努力するとき初めて人間に、神の似姿になり始める。彼がただ自己自身のためにのみあるとき彼は一たい何であるか?(ヒルシュ・イスラエルの祈祷)〉という、これも同じヒルティーからの引用を続けているからです。
 つまり、ヒルティーの〈この事業に協力するかぎりにおいて〉とは、ヒルシュの〈人は己れを棄てて同胞の福祉を作り出し、建設し、増加すべく努力するとき初めて〉に相当し、〈われわれの生活は目的と価値とを得ることになる〉とは、〈人間に、神の似姿になり始める〉に対応しているだろうからです。


自分でない


 さて、前置きはここまでにして、これから本題に入ることにします。
 「弥勒」【初稿】の〈自分でない〉の当該箇所をもう一度掲げます。

最も重大な事は自分が人間として出発しなければならぬ事ではあるまいか。然らばその目指す人間とは何であるか? それはこの自分自身でなければならぬ。色合のある、振動のある、即ち生きてゐる、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分でない。その最も自分らしい所に立帰らねばならぬのではないか。【初稿】

 この箇所と対比させるために、先に【聖なる事業】で引用した文章を再度掲げます。

そこが出発点だ。そこに於てこそはじめて人間が成立する。(中略)即ち我身の外に生くるを知る事においてはじめて聖なる事業に参加が出来る、それまでは単なるかかる人間可能性にすぎない。僕にはこう云う事が会得されたのでした。「人キリストに在るときは新らたに造られたるものなり、旧きは去りてみな新らしくなるなり」(コリント後書五章十七節)「人は己れを棄てて同胞の福祉を作り出し、建設し、増加すべく努力するとき初めて人間に、神の似姿になり始める。彼がただ自己自身のためにのみあるとき彼は一たい何であるか?」(ヒルシュ・イスラエルの祈祷)──まことにその通りだと思ったのでした。【聖なる事業】

 どうですか? この2つの文章は、重ね合わせることが可能ではないでしょうか。強引ですが、たとえば次のように対比して組み合わせてみます。

【初稿】
【聖なる事業】
最も重大な事は自分が人間として出発しなければならぬ事ではあるまいか そこが出発点だ。そこに於てこそはじめて人間が成立する
目指す人間 我身の外に生くるを知る事においてはじめて聖なる事業に参加が出来る

「人キリストに在るときは新らたに造られたるものなり、旧きは去りてみな新らしくなるなり」

「己れを棄てて同胞の福祉を作り出し、建設し、増加すべく努力するとき初めて人間に、神の似姿になり始める」
色合のある、振動のある、即ち生きてゐる、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分でない それまでは単なるかかる人間可能性にすぎない

「彼がただ自己自身のためにのみあるとき彼は一たい何であるか?」
最も自分らしい所=目指す人間 我身の外に生くるを知る事

 これをまとめると、自分が〈目指す人間〉とは、〈色合のある、振動のある、即ち生きてゐる、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分〉ではなく、〈己れを棄てて同胞の福祉を作り出し、建設し、増加すべく努力する人間〉である──論理的にはそのような結論になります。
 こうして対比してみると、本サイトの〈弥勒が弥勒になるまで(II)〉でも記しましたが、江美留の〈念願〉はあくまでも〈個人の覚醒〉あるいは〈個人の救済〉の問題であり、ケーベルやヒルティーの言っている〈目標〉や〈目的〉は、〈事業〉すなわち〈地上に神の国を築くこと〉であることに改めて気づかされます。
 ではタルホは、〈己れを棄てて同胞の福祉を作り出し、建設し、増加すべく努力する人間〉ということから、具体的にどのような自己を想定していたのでしょうか。
 しかしながら、タルホ自身はそれについて確かなイメージを持ち合わせていなかったのではないかという気がします。〈色合のある、振動のある、即ち生きてゐる、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分でない〉とは、〈色合のない、振動のない、即ち生きていない、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛することのない自分〉ということですから、そんな自分を目指すということ自体、言わば〈空理空論〉であって、しかもそれが〈最も自分らしい所〉というのは、ほとんど論理矛盾になっています。
 一方、具体的にも「幼きイエズスの春に」(関口教会に通い始めた昭和18年12月16日から翌年4月20日までの日記)などを見る限り、〈己れを棄てて同胞の福祉を作り出す〉──たとえば教会の奉仕活動のようなことに取り組んでいる、といった記述は見当たらないからです。
 キリスト教に出会って以来、タルホはむしろキリスト教と芸術との苛烈な鬩ぎ合いの中で苦闘することになります。たとえば「意志と世界」(『カルト・ブランシュ』、昭和14年8月)では、「芸術家の解脱」という見出しの下に、次のような激越な言葉を吐いています。〈Saint発見〉が昭和13年3月ですから、それから1年半後です。

文芸復興と共に蘇った希臘の神々も、基督の余りに熾烈なる非人間主義の前には、何の力も無かった。(中略)縋るべき唯一のものだと信じていた芸術も、一時の気慰みにしか過ぎなかったのであった!(中略)一度、彼岸の消息を感知し得た者の眼から見れば、私達の経営の総ては、私達の頭上に横たわる天漢及びその彼方に散在する無数の星雲をもこめて、その一切をあげて、虚無!

 さらに、先に挙げた「山田有勝兄への書翰」では、

吾々人間性全般の対象たる場合に於ける芸術のエコオルとは即ち基督の教えであると僕は思っているので、…

従って無駄を避けて一途に神に向うにしくはないのです。(中略)何故なら、このものこそは初めにも云ったように、芸術的エコオルの絶頂であるからです。

 〈エコオル〉とは〈学校〉のことでしょうから、このように、芸術の〈学校〉=基督の教え──だと表明しているわけです。
 これは、後述するヒルティーの〈美的世界観の無意義なること〉に通底する考え方で、この時期のキリスト教と芸術に対するタルホの考え方を明確に示しています。



補遺@
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 『別冊新評 稲垣足穂の世界』(昭和52年4月、新評社)に掲載されている成松久夫氏の「軍需工場でのタルホさん」については、本サイトの〈気配の物理学〉(Part11)の【補遺】でも取り上げましたが、ここにもう一度、その寄稿文の一部を引用しようと思います。

机に向かってザラ紙を出して何かせっせと書いて居ることもあれば、女子挺身隊員と何やら真面目な顔で話しこんで居る姿が見受けられることもありました。
 女子挺身隊員への相談役とは当時会社の職制上の職ではなく自然発生的にタルホさんを囲んで出来上がったものです。何しろ盛岡市から汽車に乗り換え又何時間かかゝる遠い海辺の町からはるばるやって来た未だ十六、七歳の当時の女子高等女学校生徒はどんなに淋しく、又どんなに暖かい心で相談にのってくれる人を求めていたかは、想像にかたくありません。
 戦後昭和二十六年頃タルホさんを宇治恵心院にお訪ねし、京の町まで飲みに行った時、酔う程にタルホさんはその相談役の仕事を意義あったものと語って居られました。
 いまだに当時の女高生の何人かから通信のあるように伺っています。

 ここにはタルホが徴用先の〈いすゞ自動車〉の職場において、女子挺身隊員の相談役になっていたことが書かれています。また他の箇所には、

工場内は終戦を半年後に控え緊張した空気に包まれて居りましたが、タルホさんのお人柄と関西弁で緊張もほぐされ事務所の者一同からも姓を呼ばれずタルホさんタルホさんと親しまれて居りました。

とあり、職場内では、突拍子もない面白いことを言う〈ちょっと変わったおじさん〉的存在だったのかもしれません。特に若い女性たちに人気があって、この〈おじさん〉には身の上話ができるような安心感もあったのでしょう。
 ここで筆者の注意を引くのは、のちにタルホが、〈相談役の仕事を意義あったもの〉と成松氏に語っていることです。そこからはタルホ自身もその役割を〈積極的に〉担っていたことが窺われます。
 この時期、タルホの頭の中には〈キリスト教〉と〈宇宙論〉を2つの焦点として大きな楕円が渦巻いていたはずです。〈宇宙論〉はともかくとして、おそらくタルホは女子挺身隊員の相談には、キリスト教を下敷きにした話で答えていたような気がします。なぜなら、その頃同じ職場にいた一人の〈美少年〉にも〈ラゲ氏訳のカトリック用聖書〉を買い与えるようなことをしているからです(『東京遁走曲』)。
 こうしたタルホの行為は一体何なのか。
 筆者は、〈具体的にも、「幼きイエズスの春に」などを見る限り、〈己れを棄てて同胞の福祉を作り出す〉──たとえば教会の奉仕活動のようなことに取り組んでいる、といった記述は見当たらない〉と書きました。しかし上の女子挺身隊員や〈美少年〉に対する態度は、確かに〈教会の奉仕活動〉ではないかもしれませんが、ある意味〈己れを棄てて同胞の福祉を作り出す〉に似た行為だったのではないでしょうか。のちにタルホが洩らしたという〈相談役の仕事を意義あったもの〉という述懐は、もちろん女子挺身隊員に対する意味もあったのでしょうが、そうした機会を与えられたことは、タルホ自身にとっても大いに意義のあることだった、と言わんとしているのではないでしょうか。
 ここに、この一文を付して【補遺@】とすることにします。


補遺A
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 「山田有勝兄への書翰」が掲載された『カルト・ブランシュ』第20号(終刊号)には、発行所である〈デカドクラブ〉の名前で次のような声明文が掲載されています。

 昭和十二年一月機関誌〈詩とコント〉により出発した我我のエコウル運動は同年十二月自ら発展的解体を強行し、昭和十三年一月新に結成されたデカドクラブは機関誌〈カルト・ブランシュ〉により詩とコントの芸術思考を中心として今日に至るまで五年間〈詩とコント〉以来通巻三十号の機関誌を発行することによりわが国に於ける文化文芸の前進のため活動してきた。この歴史の過程の中に示された我我芸術のエコウル運動は古きジャアナリズムを全く無視し彼等に阿諛するもろもろの老若愚劣の頭脳を笑った。詩の領域に於ては絶えずエスプリ・ヌウボウを展開し、コントの領域に於てはロウ・ブラウの愚鈍なる通俗コントを狙撃しつつ、全く新しき芸術思考の領域を発見し、発展せしめ、独自の方法を獲得した。我我の強行してきた文化文芸の誠実な批判と実践は今や多くの成果をあげることにより、ここに第二の段階を終了する。我我は光輝ある祖国の国旗を守るため、三たびエコウルの旗をかかげ、新しき体系のもとに機関誌・単行本活動等に拠って、新鮮な芸術・文化の創造をめざし、日本民族の新秩序活動の戦士たらんことをここに宣言する。
    昭和十六年九月   デカドクラブ

 「山田有勝兄への書翰」の中に登場する〈エコオル〉なる言葉は、『カルト・ブランシュ』の発行元である〈デカドクラブ〉が掲げた活動方針から出てきたものだということが分かります。


自己であつて十分によろしい


 さて、【新潮】(昭和15年11月)発表の〈自分でない〉が、それから6年後の【小山書店】版(昭和21年8月)で〈自己であつて十分によろしい〉に訂正された──つまり〈自己否定〉から〈自己許容〉に変化しました。これはどういう心境の変化によるものか、筆者はその根拠となるものを探そうとしました。
 この間、タルホに起こった出来事を概観すると、次のようになります。

※【新潮】に「弥勒」を発表した翌16年、「人生は短く芸術は長し」と「山田有勝兄への書翰」をそれぞれ「意匠」と「カルト・ブランシュ」に発表。その後チフスで大塚病院に2か月入院。太平洋戦争が勃発した12月8日は病院のベッドの上にいた。戦時下の昭和18年暮れ頃から関口教会に通い始める。翌19年秋からいすゞ自動車に徴用され、昭和20年4月の東京空襲で住まいの東京高等数学塾が被災。その後は各地を転々とし、昭和21年に【小山書店】から『弥勒』が出たときは千葉に住んでいた。

 では、この6年間にタルホの心境に何か決定的な影響を及ぼしたことがあったのか、というと特にそれを裏付けるような出来事を見出すことができません。
 ただ一つ、筆者の興味を引いた作品がありました。それは「工場の星」です。この作品の初稿は、【小山書店】から『弥勒』が出版されたのと同じ昭和21年8月、「新潮」に発表した「新生の記」です。
 この作品については次のように書かれています。

四月には、飯塚酒場の常連でこんど中野の橋場町に家を買った人の許に数日間泊めて貰って、そのあいだに新潮の随筆『新生の記』を書いた。それから青梅線の中神に引移った。横寺時代に知り合った画家のアパートであるが、勿論相住みである。(「東京遁走曲」)

 この画家の名前は書かれていませんが、「世界の巌」に出てくる〈のっぽのアルチスト〉富永踏のことでしょうか。『全集』版の「工場の星」には、次のようなことが書かれています。

部屋のあるじの画家が持っている文庫本のヒルティーを披くと、いまや教養社会は享楽に精根をつくすことと、厭世主義とを交互に経験する有様だとして、現在に必要な三つの確信を挙げている。一、美的世界観の無意義なること、二、宗教から独立して道徳の成立しないこと、三、歴史的ユダヤ的キリストの真理なること、──しかしこれを裏返した方が、(キリスト教でなく)キリスト的なのであるまいか? 即ち美的世界観のみが信用出来る。道徳は宗教から分離させねばならない。歴史的キリスト教の誤謬なること。

 横寺町時代の江美留にヒルティーを教えてくれたのは〈神戸高商のオールドボーイ〉でしたが、それから6年後、居候先の画家の部屋で再びヒルティーの文庫本(草間平作訳の岩波文庫でしょう)に出会うとは不思議なえにしを感じます。
 ヒルティーのこの部分は、『眠られぬ夜のために』に出てくる一節です。

三月三日 (中略)現代において、このことと関連して大切なのは、美的世界観が空しいものであり、宗教から離れては道徳が成り立ちえないという確信と、歴史的な、ユダヤ教的・キリスト教的な宗教観念が真理だという確信である──ただし、この宗教観にはただある修正が必要であるが。
(『眠られぬ夜のために 第2部』草間平作・大和邦太郎訳、岩波文庫、p.52)

ヒルティーのこの〈三つの確信〉は、「新生の記」発表の半年後、同じ「新潮」に発表した「悪魔の魅力」にも引用されています。

 ここで筆者の注意を引いたのは、タルホがヒルティーの言葉を〈裏返して〉いることです。
 ヒルティーの〈美的世界観の無意義なること〉は、先に挙げた「意志と世界」(「カルト・ブランシュ」、昭和14年8月)の次の言葉と対応しているはずです。

縋るべき唯一のものだと信じていた芸術も、一時の気慰みにしか過ぎなかったのであった! (中略)一度、彼岸の消息を感知し得た者の眼から見れば、私達の経営の総ては、私達の頭上に横たわる天漢及びその彼方に散在する無数の星雲をもこめて、その一切をあげて、虚無!

 〈芸術も一時の気慰みにしか過ぎなかった〉として虚無に逢着し、〈芸術のエコオルとは即ち基督の教えである〉との結論に達したタルホが、ここではヒルティーの〈美的世界観の無意義なること〉を〈裏返して〉、〈美的世界観のみが信用出来る〉としたほうが(キリスト教でなく)キリスト的なのであるまいか? と言っているのです。〈キリスト教〉と〈キリスト〉の違いはここで置いておくとしても、タルホがこれを〈裏返した〉ことに筆者は驚かされたのです。
 なぜなら、この時期のタルホにそんな心の余裕があったとは到底考えられないからです。同時期に発表された「悪魔の魅力」(昭和22年2月)の中にも、そんな考え方は全く示されていません。
 しかし、読者は騙されてはなりません! なぜなら、この〈裏返し〉の部分は、昭和21年8月の「新生の記」発表時には無かったものだからです! 実はこの〈裏返し〉が付け加えられたのは、昭和35年12月の「作家」発表時だったのです。
 「新潮」発表の初稿「新生の記」は、次のようなものでした。

これは七八年前によんで、今までゆめにも考へたことのない指標だと受取つたものだが、戦時中を通じていよいよ本当のことだと信じられてきた。願はくは敬愛する読者諸兄姉の、今後における少くとも五年の時日を、この三箇条の吟味にあてられんことを。私がいま臨終の床にあるものとして、わが友どちに残すべき言葉は何かと云へばこれだ!
 現在に必要なる三つの確信
1 美的世界観の無意義なること
2 宗教から独立して道徳の成立しないこと
3 歴史的な、ユダヤ的キリスト教的宗教観念(単にひとつの修正を要するにすぎない)の真理なること             以上。

 〈七八年前によんで〉とあるので、ヒルティーのこの言葉は横寺町時代にすでに知っていたのでしょう。ここにはタルホの逼迫した心の状態を窺い知ることはできても、〈三つの確信〉を〈裏返す〉ような心の余裕など全く感じられません。その〈裏返し〉は、結婚後つまり京都へ移ってから10年経ち、大いに心の余裕を取り戻した時期に増補された〈付記〉だったわけです。

※昭和29年以降、タルホは【作家】誌上で〈タルホ・クラシックス〉と銘打って、旧作の改訂を行っていきますが、その際、上記のようなことが為されていることがあるので、読者を混乱させる要因の一つになっています。

 つまり「新生の記」発表の昭和21年8月の時点では、〈裏返す〉どころか、〈美的世界観の無意義なること〉を自らの〈遺言〉にしたいとさえ表明しているのです。
 話を元に戻すと、〈色合のある、振動のある、即ち生きてゐる、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分〉とは、言い換えれば〈美的世界観〉の信奉者のことで、それを〈自分でない〉と〈否定〉することは、すなわち〈美的世界観の無意義なること〉を表明することに等しいわけです。
 その〈自分でない〉が〈自己であって十分によろしい〉と変化することは、〈美的世界観の無意義なること〉が〈美的世界観であって十分によろしい〉と変化したことになります。
 ということは、同じ昭和21年8月に、一方の「新生の記」では〈美的世界観の無意義なること〉を表明しながら、他方【小山書店】版『弥勒』では〈美的世界観であって十分によろしい〉と述べていることになります。
 この矛盾は何に起因するのか。キリスト教と自己との軋轢の問題でないとすると、あとは「弥勒」という物語の一貫性を維持するためとしか考えられません。
 すなわち、「弥勒」において〈色合のある、振動のある、即ち生きてゐる、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦を愛する自分でない〉と表明することは、前述したように「弥勒」(第1部 真鍮の砲弾)は〈否定するために語られてきた物語〉だということになり、物語は一貫性を失い「弥勒」自体が成立しなくなることを意味します。
 「弥勒」は〈改心〉の物語ではありません。【新潮】発表後、そのことに気づいたタルホは、訂正の機会を窺っていたはずで、【小山書店】版でようやくその機会が訪れたわけです。そしてこのとき初めて「第1部」と「第2部」が合体され、ここで「第1部」と「第2部」の整合性、すなわち〈自己肯定〉の視点を明確にしなければなりませんでした。しかしそのとき、〈自分でない〉を〈自己自身である〉と断定的に百八十度転換するのは、自身の〈まこと〉に照らしたとき、やはり憚られると感じたのか、その中間の〈自己であって十分によろしい〉という〈日和見〉的態度をとったのではないか──というのが筆者の妄想です。
 そして、〈自己であって十分によろしい〉が〈自己自身である〉に訂正されたのは、それから11年後、昭和32年12月の【作家】改訂時でした。〈改心〉は別の問題として、ここにおいてようやく物語としての「弥勒」の一貫性が確保されたことになります。




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